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第27話:緊迫の準備室

――準備室――


 静寂が支配する準備室。

 ガブリエウは淡々と専用防具の装着を進めていた。

 同じ“ニイニセン”のケイトやメイナは別室のため、今この場にいるのは彼一人だけ。


 だが、その静けさの中で、ガブリエウはふと目を細める。

 空気の流れが、わずかに乱れた。


「……パオタロ君だね?」


 誰もいないはずの部屋に投げかけられた声。

 直後、空間が淡く歪み、揺らぎの中からパオタロの輪郭が浮かび上がる。


 パオタロが、ガブリエウを自分と同じ潜伏状態にし、互いに姿を認識できるようにしたのだ。


『……よくわかったな』


 平静を装って返す。

 だが胸の奥では驚きと戸惑いが膨らんでいた。

 潜伏には自信があった。それなのに、あっさり見抜かれた――。


 ――何をした?


 五感を研ぎ澄ませる。

 空気がわずかに揺れている。不自然な気流の変化。


 ――まさか、常に空気の流れを監視して侵入を探っているのか。


 ガブリエウの並外れた警戒心と観察力に驚愕を覚える。

 だが、ここで動揺を悟られるわけにはいかない。


 パオタロは何食わぬ顔で、試合後に不要となった専用防具を“使用済み”と記された籠に放り込んだ。


 防具が鈍い音を立てて転がる。


 その時、パオタロの目に一瞬だけ何かを探るような光が宿ったが――

 静まり返っていた部屋の空気がわずかに揺らいだだけだった。


 しかし、ガブリエウは一瞥すらしない。

 黙々と防具の装着を続ける。その仕草は無駄がなく、一切の隙もなかった。


 パオタロはそんなガブリエウの様子を観察しつつ、口元に薄い笑みを浮かべて声を投げる。


『……前に言っただろ? 今度、俺の潜伏に潜らせてやるって』


 ガブリエウは袖を払う仕草を見せながら、わずかに口元を上げた。


『そう言えば……そんな約束してたね。

 でも、この程度の潜伏じゃ、実戦では使えないんじゃない?』


 淡々とした声色に、露骨な侮蔑が滲む。

 興味すらない。


 パオタロは動じず、視線を細めて軽口を返した。


『お前、性格悪いって言われんだろ?』


 冗談めいた言葉の奥に探りを潜ませる。

 ガブリエウは動きを止め、冷たく微笑んだ。


『気を悪くしたなら謝るよ。ボクは思ったことをつい口にしてしまう悪い癖があってね』


 そう言うと装着を終え、出口へ向かう。

 すれ違いざま、肩に軽く手を置き、囁いた。


『キミの潜伏に潜らせてくれてありがとう。……楽しかったよ』


 その瞬間――パオタロの姿が崩れ、滴となって床に散った。


 ……水分身。


 ガブリエウの目が細まる。室内の空気がさらに張り詰めた。

 短い沈黙が落ちる。


『おっと、防具の紐が緩んでるぜ』


 振り返れば、そこにパオタロが立っていた。

 飄々とした様子で、防具の紐を指先で摘み上げる。


『せっかくの専用防具なんだ、ちゃんと締め直さないとな』


 指先を弄ぶように紐を結び直すパオタロ。

 その余裕めいた態度を見つめながら、ガブリエウが淡々と問いかける。


『キミ、性格悪いって言われない?』


『そりゃ、性格悪いからな』


 パオタロは軽く肩をすくめ、悪びれもせず答える。


 ――気流を使ったボクの監視を、どうやって掻い潜った?

   いつの間に室内に侵入した?


 パオタロが紐を締め直している間、ガブリエウは静かに思考を巡らせる。


 ――もしボクがパオタロ君の立場だったら、どんな手を打つ?


 行動の順を、一つずつ冷静に逆算していく。


 まず、水分身を潜伏させた状態で侵入……これは確かなはずだ。


 次に、何をした……?

 気流の変化で彼の潜伏を見破った後だ――。


 ――パオタロ君も、ボクが生成していた空気の流れを察知していた?

   まさか、それを逆手に取ったのか。


 ……あのときか!


 パオタロが防具を雑に放り投げたとき、確かに気流は乱れた。

 その光景が鮮明に蘇る。


 ――いや、あれは「乱れた」んじゃなくて、「乱した」んだ。

   意図的に気流を攪乱し、ボクが変化を掴めなくなった一瞬で二段階目の潜伏を行い、室内へと入り込んだ……。


 そういうことか。


 ガブリエウは静かに息を吐き、愉快そうに肩をすくめた。

 目の前のパオタロを見据え、冷淡な笑みを浮かべる。


『ハハ、前言撤回するよ。君の潜伏魔法、思ったより面白いね』


 パオタロはニヤリと笑った。


『もっと面白いこともできるぜ。

 たとえば――怪しいやつを四六時中監視し続ける、とかな』


『それは楽しそうだ』


 ガブリエウは淡々と答える。

 パオタロはガブリエウの防具の紐を丁寧に締め直し、最後に結び目を整えると、軽く叩いて仕上げた。


『ほら、これでバッチリだ』


 ガブリエウは腕を動かし、感触を確かめる。

 だが、妙に機械的でぎこちない。


『すまないね。でもいい感じだ』


 声は静かで穏やかだったが、その瞳の奥には抑えきれない何かが張り詰めている。


『じゃあ試合に行ってくるよ』


 パオタロは潜伏を解いた。


「ああ、応援してるぜ」


 パオタロを背に、ガブリエウは戦闘訓練場・弐へと歩き出す。

 しかし、その背中からはいつもの余裕が消えていた。


 歩を進めるたび、口角が引きつり、瞳が焦点を失っていく。

 抑圧された狂気が、じわじわとにじみ出す。


 強く噛み締めた唇の端から赤い雫がにじみ、専用防具の胸元を染めていった。


 一方、準備室に残ったパオタロは静かに考えを巡らせる。


 ――ガブリエウ……やはり怪しい。


 王血部隊しかいないはずの場で、侵入の有無を探り続ける――異常としか言いようがない。

 そんな人物を、なぜ甲種・二期生クラスに所属させたのか。

 ガスポール先生や先輩たちは気づいていないのか、それとも泳がせているのか――。


 ……まぁ、どちらにせよ。


 忠告はした。当分、ガブリエウも軽々しくは動けないはずだ。

 パオタロがそう結論づけた、その時――。


 突然、獣のような咆哮が響き渡った。

 空気が一瞬止まり、次の瞬間、地を揺るがす衝撃とともに凄まじい風が吹き荒れる。


 壁が軋み、床がわずかに震えた。

 激しい衝撃波が広がり、訓練場の方からざわめきが起こる。


 パオタロは即座に準備室を飛び出した。


 向かう先は――戦闘訓練場・弐。





――戦闘訓練場・弐――


 訓練場に到着したパオタロの目に最初に飛び込んできたのは、怯えきったケイトとメイナの姿だった。


 二人とも小刻みに震え、

 涙に濡れた瞳と青ざめた顔が、その場に漂う異様な魔力の余韻を物語っている。


 すぐそばには、メイナがケイトを庇って張ったであろう氷のドームがあった。

 だが、その中心には大穴が穿たれ、凄烈な力に貫かれた痕跡だけが残っていた。


 幸いにも二人の身体に傷はなかった。

 だが、専用防具の表面には魔力の直撃を受けた痕が残り、二人を守り切った証でもあった。

 精神的な衝撃は隠しようがなく、二人の膝は今にも崩れ落ちそうに震えていた。


 その光景に、訓練場全体が凍りついたような沈黙に包まれていた。

 監視役の一期生たちは険しい視線を向け、ガブリエウを取り囲むようにじりじりと間合いを詰めていく。


 やがて、その沈黙を破ったのはガスポール先生の低い声だった。


「ガブリエウ君。基本魔法以外は使用不可、と言ったはずじゃが?」


 声が響いた途端、ケイトとメイナの肩がびくりと跳ねた。

 恐怖が再び蘇ったかのように。


 ゆっくりと顔を上げたガブリエウの口からは、熱を帯びた呼吸が漏れていた。


「ハァ……ハァ……つい、失念しておりましたぁ……」


 荒い息。肩を大きく上下させ、全身が震えている。

 しかし何より異様だったのは、その瞳――。


 大きく見開かれた瞳は焦点を失い、虚ろに揺れていた。

 まるでこの場ではない“別の何か”を映しているかのように。


 握り締められた拳は震え、白く血の気を失っていた。

 内に渦巻く破壊衝動を、必死に押し留めているように見えた。


「君は……これで失格じゃの」


 ガスポール先生の声が静かに響き渡る。

 その眼差しは揺らぐことなく、真っすぐにガブリエウを射抜いていた。


 そして視線をケイトとメイナに移し、穏やかな声で問いかける。


「君たちも……大丈夫かの?」


 二人はまだ震えながらも、怯えた瞳で小さく頷いた。


「……まぁよい。これにて“ニイニセン”の試合は終わりとするかの」


 そう告げるガスポール先生の声は落ち着いていたが、その鋭い視線は再びガブリエウへと戻る。


 戦闘訓練場・弐には、いまだ異様な空気が漂っていた。

 誰もが残る魔力の余韻と、常軌を逸した気配に圧倒され、ただ息を潜めていた。


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