第24話:私だけが我慢すればいい
アモン国王は暗殺された。
翌日、私は王血学校から呼び出され、先生と二人きりで向き合った。
目の前のガスポール先生は、いつもの穏やかさなんてどこにもなかった。
肩は重たげに落ち、目の下には濃い隈。瞳には深い疲れと、後悔の色が滲んでいた。
「ヒヨリ君の言葉を、もっと真剣に受け止めるべきじゃった……。
これは……全てワシの愚かさが招いた結果じゃ……」
先生は何度も頭を下げて、謝罪を繰り返した。
その姿を見たとき、胸に広がっていた悲しみや痛みが、どこか遠のいていくのを感じた。
目の前で肩を震わせ、深い後悔に押し潰されそうになっている先生の姿。
その光景に、胸の奥で小さな炎が静かに揺れるのを感じた。
「大丈夫ですっ、ガスポール先生!
私、もう一度過去に戻って、先生を説得してきますねっ!」
自分でも驚くくらい、声には力が宿っていた。
その言葉に、先生はわずかに目を見開き、やがてほっと息をついた。
「ありがとう……ヒヨリ君。君に頼むばかりですまんの……じゃが、どうか頼むの」
私は小さく頷き、その場を後にした。
胸の奥で灯っていた小さな覚悟が、再び静かに燃え上がる。
――未来を変える。
どれだけ失敗しても、諦めない。
恐れは消えないけど、それでも歩みを止めるわけにはいかなかった。
◆
けれど、実際に過去に戻ってみると――。
「ヒヨリ君、今は忙しいんじゃ。
そんな話に付き合っとる暇はないの。もっと現実的なことに集中せい」
……やっぱり。
当然のように、先生の反応は元に戻っていた。
それどころか、しつこく食い下がった私に、ついに先生は怒りをぶつけてきた。
「同じ話を繰り返すのは時間の無駄じゃ!
ヒヨリ君がどう思おうと、未来なんぞわかるはずがないんじゃ!」
その言葉は鋭い刃のように胸を貫いた。
何度も失敗し、時間を巻き戻すたびに、これと同じやり取りを繰り返す。
「ヒヨリ君……言葉もないの……本当にすまんかったの」
そしてまた、暗殺を防げなかったあとの先生は、深い後悔を顔いっぱいに滲ませて私の前に立つ。
その姿を、何度も、何度も見せつけられるたびに――心はすり減っていった。
そんな堂々巡りを断ち切ったのは、自分の口から漏れたひと言だった。
「……えっとね……過去のガスポール先生を……どうすれば説得できますか?」
先生自身に、過去の先生をどう説得するか考えてもらったのだ。
彼はしばらく沈黙し、それから机に向かい、一通の手紙を書き始めた。
ペンを握る手はわずかに震えていたけれど、その字には確かな力がこもっていた。
「未来からのメッセージとして、この手紙を過去のワシに届けるんじゃ」
◆
何回目の挑戦だろうか。
時間を巻き戻すたびに心は削れ、
もはや数える気力すら残っていなかった。
私は震える手でその手紙を差し出した。
先生は最初、訝しげな目で私を見たが、中身を確認した瞬間、表情を凍りつかせた。
「な……なんじゃこれは!」
そこに記されていたのは、先生が今まさに計測した数値と寸分違わぬもの。
しかも、まだ計測すらしていないはずの結果までもが、正確に並んでいた。
「……未来から来たという話、信じるしかなさそうじゃの」
ようやく先生の口から、その言葉がこぼれた。
こうして、暗殺を阻止するための計画が練られ、そして――
初めて悲劇は未然に防がれた。
◆
だけど――それは、私の心をさらに深く追い詰めることになった。
「ヒヨリ君の時空を操る能力こそ、大賢人が予言した“光属性”そのものじゃ!
未来を変える力――それはまさしく光なんじゃ!」
先生は歓喜の声をあげ、興奮に顔を紅潮させていた。
私の肩を掴み、論文にまとめると息巻く姿には、希望と期待があふれていた。
“光属性”。
人々にとっては未来を照らす光。
けれど私にとっては、逃げ場のない鎖だった。
――どうしていつも……私じゃなきゃダメなの……?
先生の歓喜の声を聞きながら、
私の胸の奥では――大事な何かが、音もなく砕けていった。
それでも、受け入れる以外に選択肢はない。
私がその鎖を引き受ければ、王国の未来を守れる――そう信じ込むしかなかった。
「私だけが我慢すればいいんだよぉ……」
諦めにも似た覚悟が滲んだその小さな声は、
まるで誰かに届くことを拒むかのように消えていった。
◇
「チュンチュン」
小鳥のさえずりで目を覚ました。
――独房の中だ。
夢だったのか、それともただの記憶の反芻だったのか。
昨日は、昔のことを思い浮かべるうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
空気は冷たく湿っていて、
薄い布団の上に寝ていても体の芯まで冷えが染み込んでくる。
小さな窓から差し込む朝の光は弱々しく、薄暗い室内を頼りなく照らしていた。
そのとき、遠くから足音が響いてきた。
ゆっくりとした歩み――杖の音が混じる。ガスポール先生だ。
毎朝、こうして様子を見に来るのが恒例になっていた。
けれど、その優しさすら、今はただ重荷でしかなかった。
扉の鍵が外れる乾いた音。続いて、鉄格子が軋みを上げて開いていく。
冷たい空気が揺れ、先生が独房の中に入ってきた。
「ヒヨリ君……調子はどうかの」
穏やかな声が静かに落ちる。
ベッドの隅に座り込んだ私は、顔を上げず膝を抱え込んだまま、小さな声で答えた。
「もう、ここには来ないでくださいって言いましたよね?」
自分の声が、どこか乾いて響いた。
先生はしばし沈黙したあと、低く静かな声を返した。
「ヒヨリ君、とにかく、今すぐ過去に戻るんじゃ」
私は顔を伏せたまま、何も返せなかった。
反論する気力すら残っていないのが、自分でもわかる。
「我が国のためには、ヒヨリ君の力が必要なことくらいわかるじゃろ」
その言葉に、肩がびくりと震えた。
胸の奥に突き刺さった刃が、じわじわと痛みに変わって広がっていく。
それでも――何も返せなかった。
冷たい空気が無言のまま二人の間を漂う。
先生の言葉ひとつひとつが、疲れ切った心にさらに重くのしかかっていく。
「何度でも戻ってやり直せばええんじゃ」
あまりに簡単に口にされたその言葉が、胸の奥を深くえぐった。
――……何度でも?
どれだけ傷ついても、私だけが我慢し続ければいいってこと?
戻るたびに心がすり減り、
光が消えていくあの苦しみを、この人は何もわかっていない。
唇を噛んだまま、何も言えない。
心の奥で膨らむ不満が、声になろうと喉元まで込み上げるのを必死で押し殺す。
「ヒヨリ君にしかできんことなのじゃよ」
その言葉に、喉がぎゅっと詰まった。
視界が滲み、落とした視線の先で指先が小刻みに震えているのがわかる。
ぎゅっと握りしめても、その震えは止まらなかった。
けれど――その涙は拭わなかった。
どうせ拭ったところで、この重荷が消えるわけじゃない。
「いつまで甘えておるんじゃ! ヒヨリ君は選ばれた“光属性”なんじゃ!」
その瞬間、心に最後の一撃が加えられた。
胸の奥に溜め込んでいた感情が、一気に弾け飛ぶ。
「……てください」
絞り出した小さな声は、先生には届かなかった。
怪訝そうに眉をひそめ、聞き返される。
「なんじゃ? なんと言ったんじゃ?」
喉の奥が焼けつくように熱い。
指先の震えが止まらない。
込み上げる怒りと絶望が、全身を内側から侵食していく。
もう、堪えきれなかった。
「もういい加減にしてくださいっ!!」
独房の静寂を切り裂くように、叫び声が迸った。
冷たい鉄格子に反響して、何度も、何度も室内に跳ね返る。
「いっつもそう!! 私ばっかりに押し付けて!!
もう放っておいてください! 私には無理なんですっ! もう限界なんですっ!」
声は震え、涙が頬を伝う。
押し殺してきた感情が、堰を切ったように一気に溢れ出した。
「全部……全部、ガスポール先生のせいですっ!」
「先生の言うとおりに……我慢して、頑張ってきたんですっ!
でもっ、みんなからは疑われて、嫌われて……いつだって、ひとりぼっちで……!」
視界は涙で滲み、独房の薄暗い光がぼやけてにじむ。
どんなに叫んでも伝わらない痛みに胸が締めつけられ、声は途切れ途切れになっていった。
「逮捕された時だって……もう一度過去に戻ろうか、何度も考えましたっ!
でも、どれだけ頑張っても誰かが死んじゃう……全然うまくいかないんですっ……!」
喉が焼けるように熱い。
吐き出す言葉ひとつひとつが刃になって、空気を切り裂く。
「どういうことじゃ、ヒヨリ君?」
先生の声は静かに落ちた。
けれど、その優しさは今の私には届かなかった。
「……私、……もう数時間も過去に戻れなくなってるんですっ……!
私の中にあった光がどんどん消えていっちゃう……」
その瞬間、先生の表情が固まった。
冷たい独房の空気が、さらに重くのしかかる。
「ヒヨリ君、それは……
“光属性”の論文をまとめる中で見つかった“欠陥”の影響かの……?」
私は小さく頷いた。
頷くたびに涙が床に落ち、小さな染みをいくつも作っていく。
「そんな……、これほど急に進むものとは……思っておらなんだ……」
先生の声は動揺を隠せず、震えていた。
――私の力には欠陥がある。
それは、この力を信じる人や、存在を疑う人が増えるほど、
戻せる時間が削られていくという、本質的な制約だった。
だから、この秘密を知るのは、
アモン国王やソロモン皇太子、ライクン……ほんの一握りに限られていた。
けれど、事情を知らない人から見れば、
私の行動はただ不可解で、矛盾ばかりに映る。
それは仲間に疑われ、孤立することを意味した。
――それだけじゃない。
その疑いの視線こそが、私の力を削り取り、
未来を変える猶予すらも、少しずつ食い潰していった。
「……私、もう疲れたんです……。
お願いします……もう、このまま放っておいてください……」
声は震え、独房の冷たい空気に溶けていく。
そこにあったのは、あきらめと、底の知れない疲労だけだった。
先生は何も言えず、ただ立ち尽くしていた。
握りしめた杖が、かすかに震えている。
やがて、先生はゆっくりと歩み寄り、私の肩に手を置いた。
「ヒヨリ君……すまんの。すべてワシの責任じゃ……」
その声には深い後悔が滲んでいた。
けれど、私は先生の顔を見ることができなかった。
「裁判のことは、ワシがなんとかするでの。……今は、ゆっくり休むのじゃ」
そう告げて、先生は重い足取りで独房を後にした。
杖が床を叩く乾いた音が、遠ざかっていく。
再び訪れた静寂。
小さな窓から差し込む光は頼りなく、床の一角を淡く照らしているだけだった。
私はベッドの隅で膝を抱えたまま、小さく震えていた。
瞳から溢れた涙が頬を伝い、膝にぽたりと落ちる。
その涙は布地にじわりと染み込み、冷たい感触となって体に広がっていった。




