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第24話:私だけが我慢すればいい

 アモン国王は暗殺された。


 翌日、私は王血学校から呼び出され、先生と二人きりで向き合った。

 目の前のガスポール先生は、いつもの穏やかさなんてどこにもなかった。

 肩は重たげに落ち、目の下には濃い隈。瞳には深い疲れと、後悔の色が滲んでいた。


「ヒヨリ君の言葉を、もっと真剣に受け止めるべきじゃった……。

 これは……全てワシの愚かさが招いた結果じゃ……」


 先生は何度も頭を下げて、謝罪を繰り返した。

 その姿を見たとき、胸に広がっていた悲しみや痛みが、どこか遠のいていくのを感じた。


 目の前で肩を震わせ、深い後悔に押し潰されそうになっている先生の姿。

 その光景に、胸の奥で小さな炎が静かに揺れるのを感じた。


「大丈夫ですっ、ガスポール先生!

 私、もう一度過去に戻って、先生を説得してきますねっ!」


 自分でも驚くくらい、声には力が宿っていた。

 その言葉に、先生はわずかに目を見開き、やがてほっと息をついた。


「ありがとう……ヒヨリ君。君に頼むばかりですまんの……じゃが、どうか頼むの」


 私は小さく頷き、その場を後にした。

 胸の奥で灯っていた小さな覚悟が、再び静かに燃え上がる。


 ――未来を変える。

   どれだけ失敗しても、諦めない。


 恐れは消えないけど、それでも歩みを止めるわけにはいかなかった。





 けれど、実際に過去に戻ってみると――。


「ヒヨリ君、今は忙しいんじゃ。

 そんな話に付き合っとる暇はないの。もっと現実的なことに集中せい」


 ……やっぱり。

 当然のように、先生の反応は元に戻っていた。


 それどころか、しつこく食い下がった私に、ついに先生は怒りをぶつけてきた。


「同じ話を繰り返すのは時間の無駄じゃ!

 ヒヨリ君がどう思おうと、未来なんぞわかるはずがないんじゃ!」


 その言葉は鋭い刃のように胸を貫いた。

 何度も失敗し、時間を巻き戻すたびに、これと同じやり取りを繰り返す。


「ヒヨリ君……言葉もないの……本当にすまんかったの」


 そしてまた、暗殺を防げなかったあとの先生は、深い後悔を顔いっぱいに滲ませて私の前に立つ。

 その姿を、何度も、何度も見せつけられるたびに――心はすり減っていった。


 そんな堂々巡りを断ち切ったのは、自分の口から漏れたひと言だった。


「……えっとね……過去のガスポール先生を……どうすれば説得できますか?」


 先生自身に、過去の先生をどう説得するか考えてもらったのだ。


 彼はしばらく沈黙し、それから机に向かい、一通の手紙を書き始めた。

 ペンを握る手はわずかに震えていたけれど、その字には確かな力がこもっていた。


「未来からのメッセージとして、この手紙を過去のワシに届けるんじゃ」





 何回目の挑戦だろうか。


 時間を巻き戻すたびに心は削れ、

 もはや数える気力すら残っていなかった。


 私は震える手でその手紙を差し出した。

 先生は最初、訝しげな目で私を見たが、中身を確認した瞬間、表情を凍りつかせた。


「な……なんじゃこれは!」


 そこに記されていたのは、先生が今まさに計測した数値と寸分違わぬもの。

 しかも、まだ計測すらしていないはずの結果までもが、正確に並んでいた。


「……未来から来たという話、信じるしかなさそうじゃの」


 ようやく先生の口から、その言葉がこぼれた。

 こうして、暗殺を阻止するための計画が練られ、そして――

 初めて悲劇は未然に防がれた。





 だけど――それは、私の心をさらに深く追い詰めることになった。


「ヒヨリ君の時空を操る能力こそ、大賢人が予言した“光属性”そのものじゃ!

 未来を変える力――それはまさしく光なんじゃ!」


 先生は歓喜の声をあげ、興奮に顔を紅潮させていた。

 私の肩を掴み、論文にまとめると息巻く姿には、希望と期待があふれていた。


 “光属性”。


 人々にとっては未来を照らす光。

 けれど私にとっては、逃げ場のない鎖だった。


 ――どうしていつも……私じゃなきゃダメなの……?


 先生の歓喜の声を聞きながら、

 私の胸の奥では――大事な何かが、音もなく砕けていった。


 それでも、受け入れる以外に選択肢はない。


 私がその鎖を引き受ければ、王国の未来を守れる――そう信じ込むしかなかった。


「私だけが我慢すればいいんだよぉ……」


 諦めにも似た覚悟が滲んだその小さな声は、

 まるで誰かに届くことを拒むかのように消えていった。





「チュンチュン」


 小鳥のさえずりで目を覚ました。


 ――独房の中だ。


 夢だったのか、それともただの記憶の反芻だったのか。

 昨日は、昔のことを思い浮かべるうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。


 空気は冷たく湿っていて、

 薄い布団の上に寝ていても体の芯まで冷えが染み込んでくる。

 小さな窓から差し込む朝の光は弱々しく、薄暗い室内を頼りなく照らしていた。


 そのとき、遠くから足音が響いてきた。

 ゆっくりとした歩み――杖の音が混じる。ガスポール先生だ。


 毎朝、こうして様子を見に来るのが恒例になっていた。

 けれど、その優しさすら、今はただ重荷でしかなかった。


 扉の鍵が外れる乾いた音。続いて、鉄格子が軋みを上げて開いていく。

 冷たい空気が揺れ、先生が独房の中に入ってきた。


「ヒヨリ君……調子はどうかの」


 穏やかな声が静かに落ちる。

 ベッドの隅に座り込んだ私は、顔を上げず膝を抱え込んだまま、小さな声で答えた。


「もう、ここには来ないでくださいって言いましたよね?」


 自分の声が、どこか乾いて響いた。

 先生はしばし沈黙したあと、低く静かな声を返した。


「ヒヨリ君、とにかく、今すぐ過去に戻るんじゃ」


 私は顔を伏せたまま、何も返せなかった。

 反論する気力すら残っていないのが、自分でもわかる。


「我が国のためには、ヒヨリ君の力が必要なことくらいわかるじゃろ」


 その言葉に、肩がびくりと震えた。

 胸の奥に突き刺さった刃が、じわじわと痛みに変わって広がっていく。

 それでも――何も返せなかった。


 冷たい空気が無言のまま二人の間を漂う。

 先生の言葉ひとつひとつが、疲れ切った心にさらに重くのしかかっていく。


「何度でも戻ってやり直せばええんじゃ」


 あまりに簡単に口にされたその言葉が、胸の奥を深くえぐった。


 ――……何度でも?

   どれだけ傷ついても、私だけが我慢し続ければいいってこと?


 戻るたびに心がすり減り、

 光が消えていくあの苦しみを、この人は何もわかっていない。


 唇を噛んだまま、何も言えない。

 心の奥で膨らむ不満が、声になろうと喉元まで込み上げるのを必死で押し殺す。


「ヒヨリ君にしかできんことなのじゃよ」


 その言葉に、喉がぎゅっと詰まった。

 視界が滲み、落とした視線の先で指先が小刻みに震えているのがわかる。

 ぎゅっと握りしめても、その震えは止まらなかった。


 けれど――その涙は拭わなかった。

 どうせ拭ったところで、この重荷が消えるわけじゃない。


「いつまで甘えておるんじゃ! ヒヨリ君は選ばれた“光属性”なんじゃ!」


 その瞬間、心に最後の一撃が加えられた。

 胸の奥に溜め込んでいた感情が、一気に弾け飛ぶ。


「……てください」


 絞り出した小さな声は、先生には届かなかった。

 怪訝そうに眉をひそめ、聞き返される。


「なんじゃ? なんと言ったんじゃ?」


 喉の奥が焼けつくように熱い。

 指先の震えが止まらない。

 込み上げる怒りと絶望が、全身を内側から侵食していく。


 もう、堪えきれなかった。


「もういい加減にしてくださいっ!!」


 独房の静寂を切り裂くように、叫び声が迸った。

 冷たい鉄格子に反響して、何度も、何度も室内に跳ね返る。


「いっつもそう!! 私ばっかりに押し付けて!!

 もう放っておいてください! 私には無理なんですっ! もう限界なんですっ!」


 声は震え、涙が頬を伝う。

 押し殺してきた感情が、堰を切ったように一気に溢れ出した。


「全部……全部、ガスポール先生のせいですっ!」


「先生の言うとおりに……我慢して、頑張ってきたんですっ!

 でもっ、みんなからは疑われて、嫌われて……いつだって、ひとりぼっちで……!」


 視界は涙で滲み、独房の薄暗い光がぼやけてにじむ。

 どんなに叫んでも伝わらない痛みに胸が締めつけられ、声は途切れ途切れになっていった。


「逮捕された時だって……もう一度過去に戻ろうか、何度も考えましたっ!

 でも、どれだけ頑張っても誰かが死んじゃう……全然うまくいかないんですっ……!」


 喉が焼けるように熱い。

 吐き出す言葉ひとつひとつが刃になって、空気を切り裂く。


「どういうことじゃ、ヒヨリ君?」


 先生の声は静かに落ちた。

 けれど、その優しさは今の私には届かなかった。


「……私、……もう数時間も過去に戻れなくなってるんですっ……!

 私の中にあった光がどんどん消えていっちゃう……」


 その瞬間、先生の表情が固まった。

 冷たい独房の空気が、さらに重くのしかかる。


「ヒヨリ君、それは……

 “光属性”の論文をまとめる中で見つかった“欠陥”の影響かの……?」


 私は小さく頷いた。

 頷くたびに涙が床に落ち、小さな染みをいくつも作っていく。


「そんな……、これほど急に進むものとは……思っておらなんだ……」


 先生の声は動揺を隠せず、震えていた。


 ――私の力には欠陥がある。


 それは、この力を信じる人や、存在を疑う人が増えるほど、

 戻せる時間が削られていくという、本質的な制約だった。


 だから、この秘密を知るのは、

 アモン国王やソロモン皇太子、ライクン……ほんの一握りに限られていた。


 けれど、事情を知らない人から見れば、

 私の行動はただ不可解で、矛盾ばかりに映る。


 それは仲間に疑われ、孤立することを意味した。


 ――それだけじゃない。


 その疑いの視線こそが、私の力を削り取り、

 未来を変える猶予すらも、少しずつ食い潰していった。


「……私、もう疲れたんです……。

 お願いします……もう、このまま放っておいてください……」


 声は震え、独房の冷たい空気に溶けていく。

 そこにあったのは、あきらめと、底の知れない疲労だけだった。


 先生は何も言えず、ただ立ち尽くしていた。

 握りしめた杖が、かすかに震えている。


 やがて、先生はゆっくりと歩み寄り、私の肩に手を置いた。


「ヒヨリ君……すまんの。すべてワシの責任じゃ……」


 その声には深い後悔が滲んでいた。

 けれど、私は先生の顔を見ることができなかった。


「裁判のことは、ワシがなんとかするでの。……今は、ゆっくり休むのじゃ」


 そう告げて、先生は重い足取りで独房を後にした。

 杖が床を叩く乾いた音が、遠ざかっていく。


 再び訪れた静寂。

 小さな窓から差し込む光は頼りなく、床の一角を淡く照らしているだけだった。


 私はベッドの隅で膝を抱えたまま、小さく震えていた。

 瞳から溢れた涙が頬を伝い、膝にぽたりと落ちる。

 その涙は布地にじわりと染み込み、冷たい感触となって体に広がっていった。


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