第21話-2:儀式当日――終
『……火は俺が付ける』
その一言に、息が詰まる。
少しでも手順を間違えたら全てが水の泡――その想像が胸を強く締めつけた。
その時、すぐ横に気配を感じた。
肩にふっと重さとぬくもりが伝わる。
パオタロの腕だと直感した。姿は見えなくても、確かに隣にいる。
――エミリ、見ててくれ。
胸の奥で静かに呟き、深く息を整えた
抱きしめていたエミリの手を、そっと床に置く。
……もう迷わない。
『……俺は大丈夫だ。いつでも言ってくれ』
『ああ。ガブリエウに隙ができたときが“その時”だ』
やがて、シングウ城のほど近くで爆竹が鳴り、続けて花火が二度上がった。
「……え!? なんだとぉ……!! ……はぁ? あの兄上がぁ!? こんなに早くぅ!?」
ガブリエウが激しく取り乱した――まさにその瞬間。
『今だヒカル!』
一気に意識を研ぎ澄ます。
正装着から微細な埃を次々と生成。
気付かれないよう細かく分散させ、床を這わせてガブリエウの背後へとじわじわと集めていく。
……ここまでは、想定通りだ。
そして――。
――ここから一気に舞い上がらせるっ!!
全ての動きが完璧だった。
たとえガブリエウがこっちを見ていたとしても、違和感なんて抱かないはずだ。
背後から足元に迫る大量の微細な埃に気付ける人間なんていない。
……そう、思っていた。
だがその時、ガブリエウの瞳がわずかに揺れた。
ほんの一瞬だけ視線が落ち、眉がかすかに動く。
その直後――表情が、笑みに変わった。
――やばいっ……!
直感が頭の奥で警鐘を鳴らす。
ガブリエウは歓喜に似た満面の笑みを浮かべ、
舞い上がった埃の中へと溶け込むように消えていく。
その目は、まっすぐこちらを射抜いていた。
「見ぃ~つけたぁ!!」
不気味な声が広間に響くと、真っ赤な閃光のような何かが目に飛び込んできた。
――な、なんだ……!?
赤く染まった視界の奥。
ぼやける景色の中に、必死の形相で粉塵に火を付けようとするライクンの姿が映る。
次の瞬間、霧のように漂う埃にライクンの炎が触れ――
轟音と共に広間を揺るがす爆発が巻き起こった。
空気が一瞬で熱に変わり、衝撃が全身を叩きつける。
爆発は……成功だ。
そう理解しながらも、それ以上に視界を覆う赤色に心を奪われた。
思わず顔を拭う。
――な、なんだこれ……。
手のひらにべっとりと、生温かい液体が張りついている。
指先に伝わる粘り気に、背筋がぞわりと凍ったその時――。
「に、にげ……ろ……」
かすれた声。
でも、すぐにわかった。
パオタロの声だ。
反射的に振り向く。
その視界には――。
致命傷を負ったパオタロが、ぐったりと床に横たわっていた。
溢れ出した血が床一面を赤黒く染め、その広がりが容赦なく現実を突きつけてくる。
「え……?」
潜伏を維持できなくなったのだろう。
完全に姿を現した彼の身体からは、なおも赤黒い血が絶え間なく流れ出していた。
「パ……パオタロ……!?」
思わず駆け寄り、膝をついた。
「あーあ。ちょっとハズしちゃったかぁ。でも……ハハ、もうすぐ死ぬねそれ」
不気味で楽しげな声が降ってくる。
見上げると、ガブリエウが残虐な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「パオタロ君のことはずっとマークしていたんだぁ。一番厄介そうだったからね。
でも一度見失って焦ったよ。だからヒカル君を囮に使うことにしたんだぁ。
二人で仕掛けてくると思ったからさぁ」
嘲るような声。砂を噛むみたいに胸が軋む。
「ヒカル君の周りを、この砂粒と風でずっと探っていたんだよ」
……けど、そんな声なんてもう耳に入らなかった。
「パオタロ……!? おい、しっかりしろ!!
くそっ、止血しなきゃ……どうすりゃいいんだよ!!」
震える手で必死にパオタロの傷口を押さえる。
血は止まる気配もなく、指の隙間から絶え間なく溢れ出してくる。
――これでいいのか? 本当に合ってるのか?
くそ……保健体育の授業ちゃんと聞いておけばよかった……!
指先は震えっぱなしで、
悔しさと後悔がごちゃ混ぜになり、視界は涙でぐしゃぐしゃに滲んでいく。
「ハハ。ヒカル君ってさぁ、それがもう死ぬ人間だってこともわかんないの?
あぁそういえば、パオタロ君には、今度一緒に潜伏させてもらう予定だったん……おっと」
ガブリエウが言い終えるより早く、ライクンの火球が飛び込んできた。
火の玉はガブリエウの顔のすぐ横をかすめ、爆ぜる。
辛うじて避けたものの、その背中は粉塵爆発の熱で焼けただれ、赤黒く焦げている。
――あいつも、パオタロを仕留めるために自分が重傷を負う覚悟だったってことか……。
「パオタロ!」
呼びかけても、さっきより意識が遠のいているのがわかる。
何か……俺に何かできることは……。
そうだ。『ハッタリ』を発動させてやれば。
「こんな傷……!
パオタロ、俺が絶対に助けるからな! 死なせたりなんかしねぇ!!」
――だから……死なないでくれ、パオタロ!
喉が震え、声が裏返るのを感じながらも必死に叫ぶ。
胸の奥には、魔力が集中するような感覚が広がっていた。
その声に応えるように、パオタロの口から弱々しい息が漏れる。
「……お前なら……ま、まだ……」
「お、おおっ! 俺ならやれる……! もうすぐなんだ……!
ずっとこっそり溜め込んできた俺の力が、もうすぐ満タンになるんだ!
そしたらあんな奴、すぐにやっつけてやるからな!
それにヒヨリさんともさっき連絡が付いたんだ。もうすぐここに来る! 安心しろ!」
必死に並べ立てた言葉を聞きながら、パオタロはかすかに目を閉じた。
その顔は、さっきまで苦痛に歪んでいたものではなく――
不思議と、穏やかに見えた。
「……パオタロ!?
おい! おいっ!! ……死なないよな? お前まで死んだら俺は……」
その時、掠れるような声が落ちてきた。
「あと……た……のむ……ヒ……カル様……」
「……んなっ!?」
息が詰まる。
あれほど意地でも口にしなかった“様”を、こいつが最期に選んだ。
「はぁっ!? 勝手に締めくくってんじゃねぇよ!
本当ならドヤ顔で返してやるつもりだったんだぞ!
転移者として俺はまだ何もやれてないだろうがっ!」
悲痛な叫びが広間に響き渡る。
けれど、パオタロはそれきり――もう動かなかった。
その顔には、穏やかで満足そうな微笑みが、ほんのわずかに浮かんでいた。
「……ふざけんなよ。自分だけ満足して逝ってんじゃねーよ!
俺たちはここからだって言ってただろ……!?
みんなの分まで生き抜くんじゃ……ねーのかよ……!」
震える拳でパオタロの肩を掴む。
その感触はあまりに軽く、掴んだ手のほうが必死に縋りついているみたいに震えていた。
「次の作戦……言ってくれよ……」
けれど、パオタロの口が動くことはもうなかった。
止まらず流れ落ちる涙が彼の頬を濡らし、床へと静かに落ちていく。
「頼むよ……」
声が掠れて、今にも消えそうだった。
目の前の現実をどうしても飲み込めず、耳に届くのは自分の嗚咽だけ。
世界から音も色も――すべてが消えていくように感じた。
◆
だが――それでも世界は無情に動き続ける。
「いい加減しつこいんだよ!」
ガブリエウの怒声と共に、広間に重い衝撃音が響く。
柱に激突したライクンが、力なく床へ崩れ落ちた。
ガブリエウはそれを一瞥すると、
列席者の中の一人を見やり、片膝をついて頭を垂れる。
「……父上、申し訳ありません」
玉座の広間に重い沈黙が広がった。
父と思しき人物は何も返さず、ただ鋭く冷たい眼差しを向けている。
やがて、ガブリエウはゆっくりと立ち上がる。
その動作には一切の揺らぎがなく、静かな威圧が周囲を支配していた。
「……ガブリエウ隊、一旦撤退し兄上の部隊と合流する。次の任務に備えよ」
襲撃に加わった貴族たちが素早く動き始める。
ガブリエウも背を向け――歩き出しかけて、ふと足を止めた。
冷ややかな視線が、床に膝をついたヒカルへ向けられる。
「あぁ、忘れてたよ。君――弱すぎるし、存在感が無さすぎじゃない?」
その一言が、ヒカルの喉から漏れていた声を途切れさせた。
一瞬の静寂。
直後、ヒカルの身体が大きく揺れ――そのまま前のめりに崩れ落ちた。
動かない。
パオタロの亡骸の傍らに、首を失った頭部がごろりと転がった。
瞳は何が起きたのか理解する間もなく、ただ虚ろに開かれていた。
第1章終了です!
怒涛の展開でしたが、楽しんでいただけたでしょうか。
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