第13話 追跡、北区の裏路地
古代遺跡から戻ったカイゼルたちは、円形紋様に関する調査記録が何者かに盗まれたことを知った。
保管庫に残されていたのは、黒い欠片と似た反応を示す、ごくわずかな痕跡。
犯人は黒い結晶と関係しているのか。
真相を確かめるため、カイゼルたちは北区の裏路地へと足を踏み入れる。
翌朝。
冒険者ギルドに集まった三人は、昨日の事件について話し合っていた。
「それで、今日はどうするの?」
リリアがテーブルに頬杖をつきながら尋ねる。
「まずは昨日の黒い痕跡を調べたい。エルドさんに預ければ、何か分かるかもしれない」
カイゼルはそう答え、魔法収納から小さな容器を取り出した。
中には、保管箱の縁から採取した黒い汚れが入っている。
「でも、犯人の居場所は分からないんだよね?」
セレスが確認する。
「ああ。今のところ、確かな手がかりはこれだけだ」
「だったら、聞き込みをしてみるのはどうかな? 北区には研究施設も多いし、怪しい人を見た人がいるかもしれないよ!」
リリアが勢いよく立ち上がった。
「悪くない考えだな。ただ、焦って動いても仕方がない。まずはエルドさんに痕跡を見てもらおう」
「了解!」
リリアは元気よく返事をした。
セレスも頷く。
「私も一緒に行きます。何か分かれば、次の行動も決めやすくなりますから」
三人はギルドを出て、エルドの工房へ向かった。
◇ ◇ ◇
「なるほど……確かに、以前の欠片と似た反応があるね」
エルドは容器を専用の台に置き、魔力を測定する道具を近づけた。
小さな針が揺れ、測定器の表面に淡い光が浮かび上がる。
「ただ、反応が弱すぎる。これだけでは、正確な成分や構造までは調べられないね」
「犯人が黒い結晶を使った可能性は?」
カイゼルが尋ねる。
「否定はできない。だが、これが結晶そのものの破片なのか、結晶の影響を受けた別の物質なのかも分からないんだ」
エルドは測定器を止めた。
「一つ言えるのは、この痕跡が自然に生じたものとは考えにくいということだね」
「やっぱり、誰かが意図的に残したものなのかな……」
セレスが不安そうに呟く。
「その可能性はある。ただ、痕跡が残った理由までは判断できないね」
エルドは容器を返しながら続けた。
「北区には古い魔道具や遺跡の資料を扱う店がいくつかある。もし黒い結晶に関係する物が流通しているなら、何か情報が得られるかもしれない」
「なるほど! じゃあ、そこを回ってみよう!」
リリアがすぐに反応した。
「ただし、危険を感じたら無理はしないこと。相手が本当にこの事件に関わっているなら、君たちが追っていることに気づく可能性もあるからね」
「分かりました」
カイゼルは容器を魔法収納にしまった。
「助言ありがとうございます、エルドさん」
「気をつけて行っておいで。何か分かったら、私にも知らせてくれると助かるよ」
◇ ◇ ◇
北区の大通りから一本外れると、景色は大きく変わった。
表通りには魔道具店や研究施設が並んでいたが、裏路地には古い倉庫や使われなくなった工房が立ち並んでいる。
人通りも少なく、建物の隙間には昼間でも薄暗い場所があった。
「うーん……怪しい人どころか、人がほとんどいないね」
リリアが周囲を見渡す。
「まだ聞き込みを始めたばかりですから、焦らず行きましょう」
セレスが穏やかに声をかけた。
カイゼルは建物の壁や地面に注意を向けていた。
魔力の痕跡を探っているわけではない。
人が通った跡、荷物を運んだ跡、最近開けられた扉。
そうした些細な変化を見逃さないようにしていた。
しばらく歩いたところで、彼は足を止めた。
「……ここだな」
「何があったの?」
リリアが近寄る。
カイゼルが見ていたのは、古い倉庫の裏口だった。
扉の前には、細かな黒い粉がわずかに散らばっている。
さらに、地面には荷車の車輪が通ったような跡が残っていた。
「最近、ここを何かが通ったらしい」
「荷物を運んだ跡かな?」
「ああ。ただ、これだけじゃ何が運ばれたのかまでは分からない」
カイゼルは扉に手を触れず、周囲を確かめた。
すると、路地の向こうから一人の男性が現れた。
古びた作業着を着た、年配の男性だった。
彼は三人を見ると、警戒するように足を止めた。
「……あんたたち、何を探している?」
カイゼルは相手を刺激しないよう、落ち着いた声で答えた。
「少し前に、この辺りで不審な人物や荷物を見なかったかと聞いて回っています」
「不審な人物?」
男性は眉をひそめた。
「さあな。こんな場所じゃ、荷物を運ぶ人間なんて珍しくもない」
「黒い箱や、黒い石のようなものを運んでいた人はいませんでしたか?」
セレスが尋ねる。
その瞬間、男性の視線がほんのわずかに揺れた。
「……知らん。仕事があるんでな」
男性はそれだけ言うと、三人の横を通り過ぎようとした。
しかし、リリアが小さく声を上げた。
「あっ、待って!」
男性の足が止まる。
「何だ?」
「私たち、誰かを捕まえたいわけじゃないんです。ただ、最近ちょっと危ないことが起きていて……」
リリアは真剣な表情で説明した。
「もし何か知っていたら、教えてもらえませんか?」
男性はしばらく黙っていた。
やがて、周囲を気にするように視線を動かしてから、低い声で言った。
「……数日前、夜中に荷物を運んでいる連中を見た」
三人の表情が変わる。
「どんな人たちでしたか?」
カイゼルが尋ねた。
「顔はよく見えなかった。フードをかぶっていたからな。ただ、二人で大きな箱を運んでいた。荷車も使っていたよ」
「どこへ運んでいたんですか?」
「この先にある、使われなくなった工房だ。だが、そこに何があるかまでは知らん」
男性はそれ以上話すつもりがないようだった。
「……これ以上は勘弁してくれ。面倒ごとには関わりたくないんだ」
そう言い残し、彼は足早に去っていった。
リリアはその背中を見送りながら、カイゼルに目を向けた。
「ねえ、これって……」
「ああ。確かめる価値はある」
◇ ◇ ◇
三人は男性から聞いた場所へ向かった。
裏路地をさらに進んだ先に、その工房はあった。
建物は古く、窓は板で塞がれている。入口の看板も外され、長い間使われていないように見えた。
しかし、カイゼルは入口付近の地面に新しい足跡が残っていることに気づいた。
「誰かが出入りしているな」
「じゃあ、ここが犯人の隠れ家なの?」
リリアが小声で尋ねる。
「まだ分からない。中を確認する前に、周囲を調べよう」
カイゼルは建物の側面へ回った。
裏手には小さな搬入口があり、その扉の隙間から、微かな魔力の流れが漏れ出していた。
しかも、その流れはどこか不自然だった。
周囲の魔力を吸い込み、内部で性質を変えているような感覚。
黒い結晶と似た反応だった。
「……間違いない。ここに何かある」
カイゼルが呟く。
セレスは緊張した面持ちで扉を見つめた。
「カイゼルさん、どうしますか?」
「まずは中の様子を確かめる。危険なら、すぐに引き返す」
「分かった!」
リリアは短剣に手を添えた。
カイゼルが扉に近づき、慎重に押し開ける。
軋んだ音とともに、細い隙間が生まれた。
中は暗く、積み上げられた木箱や古い道具が散乱している。
そして、奥の作業台には、黒い小さな結晶がいくつも並べられていた。
「……あれは!」
セレスが息を呑む。
その瞬間、建物の奥で何かが動いた。
「誰だ!」
鋭い声が響く。
フードをかぶった人物が、奥の扉から飛び出してきた。
その手には、黒い結晶の入った袋が握られている。
人物は三人を見るなり、踵を返して反対側の出口へ走り出した。
「逃がさないよ!」
リリアがすぐさま駆け出す。
「リリア、待て! 一人で追うな!」
カイゼルも後を追った。
セレスは二人から離れないようにしながら、周囲の魔力の変化に注意を向けた。
建物の外へ飛び出した人物は、細い路地を抜け、北区の大通りへ向かって走っていく。
リリアは素早く距離を詰めた。
「止まって!」
人物は振り返りざまに、小さな黒い結晶を地面へ投げつけた。
パキンッ!
結晶が砕けた瞬間、黒い靄が路地いっぱいに広がった。
「きゃっ……!」
セレスが目を覆う。
「セレス!」
カイゼルはすぐに聖性を展開し、周囲の魔力の乱れを抑えた。
「大丈夫か?」
「はい……大丈夫です、カイゼルさん!」
靄が薄れたときには、フードの人物の姿は消えていた。
リリアが悔しそうに唇を噛む。
「あと少しだったのに……!」
カイゼルは人物が逃げた方向を見つめた。
「いや、無駄じゃない」
「え?」
「奴が使った結晶も、さっきの工房にあったものも、同じ仕組みで魔力を乱していた。少なくとも、黒い結晶を扱う人物が実際にいることは確認できた」
カイゼルは、靄が消えた地面に視線を落とした。
そこには、結晶の破片が一つ残されていた。
彼はそれを慎重に拾い、魔法収納へ収めた。
「これをエルドさんに調べてもらおう。工房の中も、もう一度確認する必要がある」
「でも、犯人には逃げられちゃったね……」
セレスが残念そうに呟いた。
「ああ。だが、手がかりは増えた」
カイゼルは静かに答えた。
「次は、あの工房が何に使われていたのかを調べよう」
リリアは一度深呼吸し、気持ちを切り替えるように頷いた。
「うん! 今度こそ捕まえようね!」
三人は再び、古い工房へと戻っていった。
しかし、彼らが知らないところで、逃げた人物はすでに別の路地へ入り、懐から小さな通信用の魔道具を取り出していた。
「……冒険者が動き始めた」
低い声が、誰もいない路地に響く。
「黒い結晶のことを知られる前に、次の手を打つ必要があるな」
魔道具の光が消える。
その人物はフードを深くかぶり直すと、人混みの中へ紛れていった。
北区の裏路地で、黒い結晶を扱う人物の存在を確かめたカイゼルたち。
しかし、相手は黒い結晶を使って魔力を乱し、逃走してしまった。
手元に残ったのは、結晶の破片と、使われなくなった工房という新たな手がかり。
事件は少しずつ動き始めている。




