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トゥリトプシスガーデン  作者: セイガイハヨシヒコ


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4/5

過去

 白い天井、白い壁。見渡す限りまぶしい白。一つの汚れもない白は天使の翼を思わせるが、しかしわたしには目の毒だ。サンゴの死骸が雪のように降り積もって折り重なったようなこの部屋は、わたしの安息の地でありながら同時にわたしのからだを絡め取り放さない胃でもある。

 奇怪な感覚。海の底にいるような息苦しさ。きっと私のからだは胃酸に溺れ悶えている。身体じゅうの血管という血管から血液を抜かれてコンクリートを流されたかのような倦怠感。わたしを包む鉛のヴェールはさしずめ粘膜。わたしをやさしく閉じ込め断絶する。けれどわたしは知っている。すべてはわたしの妄想。わたしの身体を流れるのは赤い血で、ヴェールもわたしが纏ったもの。石灰も鉛もここにはない。まして胃の中であるはずがないのに。

 白は怖い。昔を思い出してしまう。だからこんな錯覚を見るんだろう。黒は好き。わたしのこころをぎゅっと抱きしめてくれた。だから夜は少し安らぐ。光が無けれみんな黒いから。

 いつもいつもいつまで経っても同じ夢をみる。過去の夢。わたしが体験したこと。つらい記憶。今の暮らしに危険はないし新介(しんすけ)たちもいいひと。でもだからといって過去を忘れられるわけじゃない。無くなるわけじゃない。過去は亡者のごとくわたしの足にしがみついて絶対に離してくれない。

 それでもあのこといるとこころが和らぐ。あのこの目は私を見ている。吸血鬼のわたしではなく個人としてのわたし自身を。だから落ち着く。わたしの出自に付き纏うすべてが、あのこといる時だけわたしから手を放して横たわる。だからきっとこころを開いてしまう。……これもまた錯覚だろうに。

 あのこは今日もまた来る。何を話そう。きっといつもみたいにわたしの話を聞いて会話してくれる。その裏に何があるんだろう。何もないんだろう。だから、和らぎながら痛むこころはきっとわたしのせい。



「きたよー」

「ん、いらっしゃい」

 水に濡れ反射した信号機の光のように潤んで輝く紅い瞳。金糸のような髪。茜は相変わらず神秘的な美しさをしている。もう何度も見ている姿だが、茜に会うたびに見入ってしまう。

 ちょうど本を読み終わったのか、茜は手に持っていた本を傍らに積み重ねた。分厚い専門書や文庫本の塔が乱立する中に腰を下ろしている茜の姿は巨人に似ている。こんなにも小さくて今にも解けどうなほど弱く見えるのに。

「茜さ、研究所に新しく人員が補充されたの知ってる?」

「知ってる。新介(しんすけ)とこっちの研究所に来る前に会った人……梢(こずえ)さん、だっけ。が来たみたいね」

「茜も知り合いなんだ」

「その言い方、みおの知り合いなの?」

「私をこっちの配属にしてくれたのって梢さんだから、結構お世話になったし仲もいいかな」

「へえ。じゃああの人がいなかったらわたしたち会えてないのかもね」

「そうだね」

 梢さんはヘルメス総合研究所の本部にいる電子機構科のトップであり、それと同時に各科のトップをまとめる総科長でもある。足立さんとは旧知の仲、というか大学時代からの付き合いらしく足立さんの先輩である。歳は26、足立さん同様いつも白衣を着ているが、足立さんとは違って白衣とシャツは常にピンと張っていて鋭い雰囲気を漂わせている。言葉遣いはやや雑であるが根は優しい人である。しかし作業中の姿勢が壊滅的に悪く体を悪くしないか心配になる。

「なんで人員増やしたんだろうね」

「…さあ、なんでかしら。……あまり穏やかな感じはしないけど」

「?どういう__」

「よう、久しぶり」

 声の方を振り向くと少しの皺(しわ)もない白衣に身を包み、目元に濃いクマを浮かべた梢さんがいた。

「お久しぶりです。…ってどうしたんですかそのクマ」

「あー…連日搬入とかの作業で忙しくて。もういい加減寝たいんだけどそこの吸血鬼の様子を見に来た。元気かと思ってね」

「…どうも」

 茜は心底接し方や距離感に困った、といった感じで返事を返す。

「相も変わらず…いやそうでも……元気そうなら良かったよ。新介のところは今までよりは幾分マシだろう」

「ええ」

 梢さんはブツブツと呟きつつも茜に話しかける。二人の会話はしばらくぶりに会う親戚と話すも、話題が見つからず当たり障りのない会話をするときのようななんとも言えない微妙な雰囲気を漂わせている。

なんだか見ているこっちが気まずい。

「そりゃよかった。それじゃ私は帰るよ。ここ最近寝不足なのにいざ寝たら不愉快な夢ばかり見る。もう限界だあ。寝かせてもらうとするよ」

 この空気に耐えかねたのか、会話の中身に満足したのか、そう言うと梢さんはゆったりと、少しフラフラと横に揺れながら戻っていった。かなり限界に見える。どうやら発言の通り眠いから帰ったらしい。

「茜はあんまり仲いいわけじゃないの?」

「うん。さっきも言ったけどわたしがここに来る前の手続きとか検査とかで会っただけね。あまり話してないの」

「……!」

 びっっっくりした。ほんの些細な断片、紙切れほどのものだがしかし茜が過去のことを話した。これは大きな前進だ。まだ核心に触れるような内容でも何でもないがそれでもやはり前進だ。

「…どうかした?」

 茜は思わず固まってしまった私を不思議そうにじぃっと見つめる。その真っ赤な瞳に見つめられて尚更固まってしまう。この様子から察するに茜には過去のことを話してしまった自覚はないのだろう。つまり私への警戒が少なからず緩んできているということ。

「ァ、いや、ごめん。何でもない」

「?へんなの」

 茜は私が固まったのをあまり気にしていないようだ。危ない。気づいてしまったら気を引き締め直してしまって今まで以上に何も話さなくなるかもしれない。……今はまだつつかないでおこうか、それとも土てみようか、などと考えていると茜がその小さな口を開いた。

「みおってさ、いつも同じいやな夢を見ることってある?」

「夢?」

「ほら、梢が不愉快な夢を見る、って」

「いやな夢……同じものを何回も見ることはあんまりないかな。あっても二、三回」

「そう。……まあ普通はそうよね」

「…何かいやな夢、みたの?」

「……うん。いつも見るの。毎日ってほどじゃないけど一週間の半分くらいは」

 茜は怯える小動物のような消え入りそうな声で私にぽつぽつと夢の話をし始める。

「昔のことをね、夢に見るの。とっても怖い。痛い。…………まっしろな場所で倒れてまっかになって、……視界がぜんぶくろくなって……で、も。きれぃ、で」

 言葉は途切れ途切れに紡がれる。まるで壊れかけのラヂオのようだ。茜が昔なにを経験したかはわからないが、とてもつらかっただろうことは今の様子を見れば想像に難くない。

「思いだすと苦しいの。……けどなんでか懐かしい。でも、アレを見たらわたしは……おかしくなっちゃう気がする。………逃げても逃げても、…追いかけてきて……」

 断片的に零れる言葉を拾いながら茜の夢、過去について考える。白、赤、黒。怖くて痛い。何のことを指してるんだろう。頭が真っ白になったんだろうか。血を流したんだろうか。何も見えなくなったんだろうか。何が追いかけてくるんだろう。誰かに追われてその最中に血を?闇の中で走った?どれほど考えても所詮想像は想像。私にはその答えは導き出せない。しかしその尋常ならざる様子は言葉よりも雄弁に茜が経験した壮絶な過去を語っている。けれど分かることは余程大変な思いをしたことだけ。

 呟く茜の姿は今まで見たことがないほどに弱弱しい。枯れ枝のように細く脆く見える。

 私は何を言えばいいかわからない。笑い話だ。漠然とただ心を開いてほしいと思ってた。なんだか放っておけなくて、どこか心惹かれて。茜に関わり始めてだんだんと仲良くなっていくのが楽しくて。……それだけで私はその先を考えていなかった。いざ少しでも心を開かれるとどうすればいいのかわからない。気の利いた返しの一つも言えない。目の前で過去に震え凍えている少女になにもできない。

「……っ」

「……ごめん、こんなこと、急に言われてもどうしたらいいかわからないよね」

 茜の瞳は哀しみに濡れている。ああ、私がこんな顔をさせたのだ。茜は少なからず私を信頼してくれていたから言ってくれたはずなのに。

 その目を見つめ返した私は衝動的に彼女を抱きしめていた。

「……?」

「ごめん、ごめんね。私が訊いたのに。心を開いてほしいと思ったのに。…私何を言えばいいかわからない。今の私にはわからない。…でも傍にいることくらいは、話を聞くことくらいはできるから。……このままだと茜消えちゃいそう。無理しないで、いっぱい話して、言いたいこと。私にわかるようにしなくてもいい。言葉が途切れても、繋がらなくても。からだの内側に全部押し込めちゃうといつか膨れ上がって弾けちゃう。……だから無理しないで」

 そのまま時間が過ぎた。実際は一分にも満たないだろう。けれど私にはとても長く感じられた。白く、音もない、私たち以外には誰もいないこの部屋でずっとこの姿勢で生きた彫像のようにいるのではと錯覚してしまう。まるで時が止まったかのような。違う、変化が無いから時間がわからないくて、時間という概念が消えてしまったかのような。

「…ねえ、急にどうしたの?」

 不意に茜が問いかけてくる。

「あ、ごめ、離れるね」

「そのまま」

「?」

「そのまま、抱きしめて。わたしがいいって言うまで」

 そう言うと茜は撫でるように私の背中に腕を回してくる。全くと言っていいほど力は込められていないのに絶対に放さないという意思を感じる。茜の指は布越しでも冷たい。雪のように冷たくて、私に触れて溶けてしまわないか不安になる。茜の指は私のぬくもりを味わうように私の背中を這い回り、私の体温を奪う。人の血を吸う吸血鬼のように、ゆっくりと、けれど躊躇いなく確実に私の体温を奪う。やがてふたりの温度が混じりあって同じになっていく。ぬるいけれどなんだか心地良くて、なぜだかいけないことをしている気分になる。

 どのくらいこうしていただろう。しばらくして茜が口を開いた。

「やっぱり、みおはいいひとね」

「?」

「誠実で、優しいだけが優しさじゃないっていうのを知ってる。わたしの話を聞いて『わからない』って言ったでしょ。その場凌ぎの優しさなんてひとを傷つけるだけだもの」

「茜…」

 今までそういう経験を沢山してきたんだろう。茜の言葉は深い実感に満ちている。

「でも、『わからないけどそばにいる』って言ってくれて嬉しかった。ずうっと独りだと思ってたから。同じ吸血鬼は見たことも無いし……そんなこと言ってくれた人今までいなかったから」

「…そんな大層なことじゃないよ」

 違和感。その瞬間気づいた。気づいてしまった。なぜ私が茜に惹かれたのか。

「……うん、そんなすごいことじゃない…」

「…?」

 ひとり呟く私の言葉を怪訝そうに聞く茜。

「なんで私が茜に惹かれたのか気づいちゃった」

 そう、気づいてしまった。本当は最初から気づいていたのかもしれない。無意識に頭の奥に押し込めて、見えなくして無かったことにしただけなのかもしれない。

「茜の目、お母さんに似てるんだ。」

「お母さん?」

「そう。もう死んじゃったけどね。理想の高い人でね、会社員してたんだけど現実が自分の理想に追い付かなくてそのうちに病んじゃってさ。周囲からの期待も大きかったし頑固だから私やお父さんが何を言っても全然聞かなくて。そこからは堕ちる一方。終いには大きな借金まで作っちゃってそのまま死んじゃった。」

 茜は何も言わない。ただ黙って私の話を聞いている。

「お母さんも茜みたいに周りから抱えさせられてるけど、自分から望んでいろんなものを抱え込んで爆発しちゃった面の方が強い。だから茜と全く同じってわけではないけど、それでも一人で抱え込まなくていいものを抱え込んでいるのは一緒。だからね、茜の目はお母さんにちょっと似てた。」

「……わたし、何かを抱え込んでいるように見える?」

「見える」

「そっか。観察眼がいいのかな、いや、似たケースだから分かったんだ」

「そうだね、きっとそう」

「確かに、わたしはたぶんとっても重たくて大きいものを抱えてる。わたしに自覚はないけど新介たちも似たようなこと言ってた。みおもそう言うなら多分そうなんでしょう。……『茜ちゃんは吸血鬼という出自に縛られて、不死の理想を抱えさせられている』。新介が昔そう言ってた。盗み聞きだけど」

 そうだ。足立さんの言う通り。茜は己の出自に縛られている。不死の理想を抱えさせられている。ここにいるのだって不死の理想の実現の中核を為す要素だからだ。足立さんは茜のことを単に不死の薬の材料としてだけ見ているわけじゃないけど、それでもどうしたってその視点を持たざるを得ない。足立さんの仕事は不死の薬の研究だから。

 茜は誰からも不死の薬の材料としてしか見られなかったのだろうか。少しでも茜を茜として見てくれる人は居てくれたのだろうか。きっと居なかったんだろう。居ても純粋に完全に茜をひとりのひと、茜という個人として見てくれる人は居なかったんだろう。だってそうだ。気づかなかったってことは理想を抱えさせられている状態が茜にとっての当たり前だったんじゃないのか。昔を思い出す茜は辛そうだった。あんなに憔悴した様子で私に昔の話をした。それなのに茜を吸血鬼としてではなく茜として見てくれていた人がかつて居たとは思えない。今だって居るのかわからない。だったら私くらい吸血鬼という視点を抜きにして茜を茜という個人、一人の独立した存在として触れ合ったっていいじゃないか。一緒にいたっていいじゃないか。だって拠りどころが無ければ人は簡単に崩れてしまう。抱え込んでため込んで、耐えきれなくなって破裂して死んでしまうなんて私はいやだ。また大切な人がそうやっていなくなるのは耐えられない。

「でもみおは吸血鬼のわたしじゃなくて、個人としてのわたしを見てくれる。…どうして?」

「どうしてって…外見も考え方も人間とさほど変わらないのに吸血鬼って言われても……実感湧かないでしょ?」

「じゃあみおの血、吸ってみる?」

「ゑ」

 今は抱き合っているから見えないが。きっと茜は小悪魔のような挑発的な表情を浮かべているんだろう。たまに人を弄ぶような発言をするものだから、外見の美しさも相まってドキドキしてしまうというか…心臓に悪い。

「ふふ、冗談」

「…それに、茜を茜として見てくれる人が居なくちゃ茜は何を拠りどころにすればいいの。私はずっと吸血鬼じゃなくて茜を茜として見てる。ただお母さんに似てるだけじゃないの、茜はもう私にとって大切な存在だから、私は茜が安心できる場所になってあげたい」

「ふふふっ、おかしい。理由になってないよ。その言い方だと最初からわたし個人を見てたってことじゃない。……だからみおなんだろうね。はじめからなんの理由も無く肩書や種族を気にしないからみおはみおなんだよ。そういうみおだからわたしも色々話しちゃうんだろうな」

 茜の声色はどこか嬉しそうだ。茜の穏やかな気持ちが指から背を伝って体に浸み込んで心臓へと達していく。ぬるくなった温度が上昇して春の陽だまりのような暖かさを帯び始める。

「ねえ、みお。わたし嬉しい。すっごく嬉しい。過去は辛いしわたしにまとわりついて放してくれないけど、みおがいる今なら前よりも今に希望を持てそう」

「茜…」

「…だから、ね。わたしの傍にいて」

「うん」

「ありがとう、みお。……好きよ」

 茜はいっそうしっかりと私の背中を抱き寄せた。私もそれに応えるように茜をぎゅっと抱きしめる。

「……まだ、このままでいてね。わたしがいいって言うまで。満足するまで。…ずうっとこうしていて。まだね、みおの温かさを感じてたい。まだ放れないで、このままでいて……」

 茜はまるで子供のように言葉を並べながらなおも強く私を抱きしめる。その姿はようやっと寄る辺を見つけた仔猫のようだった。



 

少々期間が空いてしまいましたセイガイハです。4話目になります。楽しんでいただけると幸いです。ここ最近少し忙しかったんですが一段落です。最近は私に中で山下達郎ブームが再熱して執筆中よく聴いています。RIDE ON TIME いいですね。LOVELAND,ISLAND とかも聴くんですがとても心が落ち着きます。サブスクだとあんまり聞けないのでCDを買おうか思案中。そんなこんなであとがきでした。次回もお願いします。

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