予兆
蝉の声がこだまする6月15日。学校へ向かう私の身体を槍のように鋭い日差しが突き抜け体中の水分という水分を奪っている。人の体の60~70%が水でできていることをひしひしと実感する。暑い。まだここまで暑くなる時期じゃないだろうに。
「よっ。そんな死にそうな顔をしてどうしたね」
「明璃…あんたホント暑いのに強いよね」
明璃は暑さに強い。よほど暑くならない限りはいつもけろっとしている。何か負けた気がして悔しいが、熱い日差しの中何でもないかのように凛として居るこの女を見ると、明璃を中心として周囲の暑さが失せて身体が爽やかになっていく錯覚に捕らわれる。不思議な事だがこいつがいるだけで周辺の空気は和らぎ、雪解けの時期の風のような爽やかさが伴う。
「まーいつもに比べたらこの時期にしては暑いけど。みおサンのガッツが足りてないだけじゃないカナ!?」
だがノリが煩いせいでせっかくの良さがすべて掻き消える。霞のような儚さである。
「相変わらず元気だな。お前のその活力はどこから湧くんだ」
「おっはよー草慈。みおほどじゃないけどバテてんねー」
「うっさい。椎名がおかしいんだよ」
「ええーー?」
この少し口調の荒っぽい男子生徒は同じクラスの浅葱岸草慈。中肉中背で飾り気のない地味な風貌。たれ目がちな童顔で柔らかい印象を受けるが、それと同時に芯がしっかりと通った精悍な顔つきをしている。名前はゴツいし口調もやや荒いが、童顔だということから舐められるのが嫌でわざわざ鮫肌のような荒い雰囲気を演出している。真面目というかなんというか。
「草慈は仲間」
「おう」
「え、あたしハブ!?」
「悪いが椎名とはこの苦しみを分かち合えん」
「えーなんだよう。そっちが弱っちいだけだろお、もっと自然を享受しろよう。」
後ろでもぎゃもぎゃ騒いでいる奴がいるが気にしないことにした。
むせ返るような暑さの中私たちは学校へと歩を進めた。
「な?俺らが弱いんじゃなくて椎名が強いんだよ」
学校に着くと他の生徒も私たちのような有様だった。周りの声を聞くとどうやら今日明日だけ異常に暑いらしい。気候変動のせいだろうか。
「ぬうぅぅ」
どうやら明璃も観念して私たちの主張を渋々飲み込んだらしい。この体力お化けに限界はないのだろうか。しかし暑さに強いのか鈍いのかは正直評価に困るところである。
「しっかし、暑いったってまだたかがしれちゃいるが、本当この時期にしては珍しいな」
「本当にね」
「んにゃあ……はッ…!」
「どうしたよ変な声出して」
明璃はちらちらとこちらの様子を窺い始める。これで察しがつくようになった事実が何だか悲しい。
「…シュプレスカのチーズケーキで手を打とう」
「ぐっ!チョット高いカモ…」
「こないだの分もまだ返してもらってないんだから利息よ利息。貸し三回分の滞納だからね」
そう、まだプリンも奢ってもらってないしもっと前の貸しもまだ返してもらっていない。下手をすればまだ貸しがあるかもしれない。数が多すぎて覚えていられなくなっている。
「まけてください!お願い!」
「えー……あ、そういえばさ明璃って恋愛小説読むよね?」
「へ、どしたの急に」
「あーいや、人から昔読んだ恋愛小説探してほしいって頼まれて。タイトル忘れちゃったらしくて探しあぐねてるんだよね」
あれから茜に頼まれた本を探そうとしているが、まあ今のところ手がかりがないので土台無理な話である。それならば私もまず色々と恋愛小説を読んでみようかと思ったわけだ。この女は見た目と態度に反して意外と乙女な一面がある。この手のものにはかなり詳しい。
「へえーみおが恋愛小説とか何かと思った。草慈はさあ、なんか読んだりする?」
「俺はからっきし。そもそも読んでも漫画くらいだしな」
「あーぽいわ。おっけい、今度なんか適当に見繕ってくるよ」
「ありがとう」
「それでは世界史の教科書をば……」
明璃はすすす…とまるで皇帝から褒美を賜る家臣のように、淀みなくあまりにスムーズで洗練された動作で片膝をついて両手を上に掲げて教科書を要求してきた。
「はいはい」
「ありがとうございます!!」
教科書を受け取った明璃はさっきまでとは一転、いつも通りの明璃に戻り台風のように去っていく。嵐のような速度で遠ざかる明璃の背中に声をかける。
「チーズケーキも忘れずにね」
「えぇ!?」
「誰もまけるなんて言ってないでしょ」
「詐欺師めぇ!!!」
困惑しつつも精一杯の捨て台詞を吐いて明璃は教室を去っていった。
「椎名って恋愛もの好きなのか。なんか意外だな」
「だよねー。あれで結構乙女だからね明璃」
「……想像つかん」
「あっはは、ま気持ちはわかるよ」
「てかもう一限か。俺も席戻るわ」
ほどなくしてチャイムが鳴る。教室の中を無数の鋭い光の切っ先が突き抜けている。まるで影を縫い付けるように。私に何かをうったえるように。
「いやあ、ずいぶん暑いことで」
例年より暑く鋭い日差しを恨みながら機材の搬入作業の監督をする。今回の作業は急に決まった。いつも通り上層部の嫌がらせかと思ったが何かいつもと気配が違う。
「なんだってこんな暑い日にやる必要があるかなあ」
「仕方無いだろう。お上のお達しだ。」
声の先を振り向くと長髪を髪紐で雑に束ねた見慣れた女性が立っていた。水仙のようにまっすぐと立つ姿はいつもの様子とあまりにかけ離れている。しかしその目は疲れを宿していて、やはり暑さが堪えるらしい。
「それですよ。機材搬入なんて不自然な異動の口実だ。しかもわざわざ先輩をこっちに寄越したのが解せない。僕を牽制する気ならもっと別の人間を送ってくるはずでしょ」
「そうだな。私も不可解だよ。軽く探りを入れてくれと彼女に頼んどいた。お前からも仕事貰ってるのにまた増えたってぼやかれたよ」
「…まずいなあ。値段吊りあげられないといいけど」
ただでさえ暑いのに羽虫のように体にまとわりつく嫌な予感に頭痛が止まない。やっと現状を進展させる糸口を掴んだかと思えばこれだ。
「ていうか急に連絡してきた時は吃驚しましたよ。しかも機材搬入と人材異動の予定も早いし」
「私を責めるな、こっちだって急に聞かされたんだ。私もお前に電話をかけたその日に知った。審議会で今回の異動が決定したのもその日だ」
「参ったなあ、上が何を考えてるのかわからない。……誰の入れ知恵ですかね」
「さあな。けど今までの嫌がらせとはいささか趣向が異なる。誰かしらバックボーンがいるとみて間違いないだろう。正直私も嫌な感じはしてる。いよいよUSTも動き出したし、ヨーロッパの連中も首を突っ込んでくる。親党崩れに至ってはもう密入国してるしな」
「…………最悪だ。考えうる中で一番厄介なパターンだ。……はーーー…」
まずい。非常にまずい。まずいどころじゃない。希望の光が見えたと思ったら地の底に落とされた。それも思っていたよりも深い深い奈落の底だ。上を相手取るだけならまだしも各国勢力が介入してくるとなるといち研究機関ではどうしようもない。しかも相手は武力を行使することにためらいなどないバトルマシーンだ。
「いよいよ身内も信用できなくなってきたな」
「…元からでしょ」
「違いない」
「けどそう悲観するな。自体は悪化したが取り返しがつかないわけじゃない。芽依を引っ張って来た」
「!…それよく上が許可しましたね」
「私は元からここの警備強化の打診はしてた。いつもは突っぱねられてたが今期で特務の人間も増えたし、今回ここの人間も増える。強めに出たらタンニンの塊を食ったような苦い顔で渋々認めてくれたよ」
「いい肴だ」
「同感」
……確かに悲観していてばかりでは始まらない。道の先は決して明るくはないし不可解ではあるが、戦いは始まったばかりだ。近くに頼もしい友軍も得たし、まだ結果は分からない。僕は僕の知りたいことを知るためにまだ歩み続ける必要がある。探究を止めれば僕は僕じゃなくなってしまう。きっかけを掴んだ今ここで歩みを止めるのは論外だ。
「やるしかないか…よし、よろしく頼みました、梢さん」
「任せとけ」
学校が終わり家に帰って来た。夜になればさすがに涼しい。今日は研究所の仕事もなく寄り道もしなかったので久々にまっすぐ家に帰って来た。扉を開け居間へと歩を進める。
「おかえり」
「お父さん…今日早かったんだ」
居間には久々に見る父の姿がある。ピンと張ったワイシャツに整えながらも少しくずれた髪。少々結び目のバランスが悪いネクタイ。表情には乏しいがその瞳には春の日差しのようなぬくもりがある。慣れ親しんだ父の姿を見るととても安心する。
父と私は普段生活の時間が合わない。父は私が寝た後に帰ってきて私が学校に行く頃にはまた仕事に行ったり、泥のように眠っている。なので父がこの時間に帰ってくることは非常に珍しい。
「まあな……有休を使ってなかったのを忘れててな。部下に早く帰って明日から休めと言われた」
父は何でもない風に言う。うちの経済事情を抜きにしても、元から勤勉で働き者の父からすれば休日以外に休むことは意識の外なんだろう。
「そうだよ。もう借金も無いんだからもうちょっと休んで」
「しかしな、おまえに働かせているのに私が休むのもな…」
「私は好きでやってるからいいの」
父は私が研究所で働くことに対して罪悪感を持っている。決して父の所為ではないが、父には罪悪感がどうしても拭えないらしい。
「…それで、学校とか研究所はどうだ」
「学校は相変わらず。明璃とかと楽しくやってるよ。研究所は……友達…?みたいな人ができた。同年代の」
茜のことをどう言おうか迷ったがこれ以外に良い伝え方が思い浮かばない。ゆくゆくは友達になれればいいとも思う。だからやはりこれでいいはずだ。
「…そうか。よかったな」
父は嬉しそうに微笑む。なんだかこそばゆい気持ちだ。
「ああそうそう、飯なんだが鍋の材料を買ってきた。私が作るからゆっくりしていろ」
「いいよ、私がやる」
「いや、たまには父親らしいことさせてくれ」
そう言われては仕方ない。父には休んでほしかったがここは引き下がることにした。
ほどなくして父が鍋を持ってきた。
「……お父さんって鍋好きだよね」
6月に鍋料理を食べる家庭はそうそうないだろう。父は季節に関係なく食べ物を食べる。夏に鍋料理を食べるし冬にアイスクリームを食べる。果ては秋に桜餅が食べたいと言って、どこからか調達してきたこともある。
「?ああ、美味いし楽だし野菜も多いだろ」
「…そうだね」
父は不思議そうな顔で私を見る。この人は周りとずれてる意識に薄いから。……この感じ、久しぶりだな。とってもうれしい。
久々に父と食べる晩御飯はいつもより美味しかった。
外では夜風が青く嘶いた。
はじめはしろ。なんにもない。みわたすかぎりつめたいしろ。どこをみてもなんにもない。
つぎはぎん。みえざるかがやきひかりのよう。するどくとびたつくらいぎん。わたしにふれるちいさなしにがみ。
つぎはあか。すいてきみたいにしたたりおちる。ふれてくずれるあついあか。ながれるさまはたいがのよう。
つぎはしろ。ぬれてきえるはかないしろ。だいちにしみいるぬるいあか。おかすさまはまぐあいのよう。
さいごはくろ。はれていでくるにじのくろ。まばゆくたゆたうにじのくろ。みおろすさまはめがみのよう。
おおいかぶさるおもいもの。だきしめてくれるつめたいて。くろをさえぎるくらいかげ。あたたかいのはあかいうず。あたたかいのはただそれだけ。おもいからだをおしのけて、みはてぬやみにかけぬける。
つめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたいつめたい……
あついあついあついあついあついあついあついあついあついあつい……
みえないみえないわからない、かんがえられない、わからないいやだいやだこわいつらい、いたいいきてる、とてもいたいこわいみえないみないこわい、いきてるきっと、いきている………………しのにおい。
「!…………また、っ、は…ぁ…………ここも、しろい。いつもしろい。きっとしろい。くろくない、くらいだけ…ただ、くらいだけ。…………………わたしは一人。独りだけ…私は______」
セイガイハです。三話目になります。少し不穏な空気が漂ってきました。この後どんな展開になるのか是非続きを読んでいただければと思います。秋も深まってきて寒さが身に沁みる時期、鍋料理がおいしい季節です。私は全然夏でも食べますがやはり寒い時期のほうがおいしいですね。〆はおじやではなく麺類派です。時オカリメイク発売まであと一週間と少し。今年から来年にかけてはペルソナだったりFateだったりやりたいタイトルが多くて嬉しいやら、出費が多くて辛いやら。そんな感じで次回もよろしくお願いします。




