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知らない

 茜との出会いから約1か月。私はいつも通り研究の手伝いをしながら時折茜と会話に花を咲かせていた。彼女の雰囲気は1か月前とさほど変わらないが、少なくとも私との会話を楽しんでくれているらしいことは分かった。

 しかし一定のラインは超えさせないという絶対的な壁がそこにはある。この壁を壊して彼女の領土へ踏み入ろうものなら躊躇(ちゅうちょ)なく射殺されるだろう。彼女の心は鉄の要塞、そして彼女にとって私は客人である前に外交官だ。それ故に易々と心の門扉を開いてはくれない。敵意や猜疑心(さいぎしん)は無いのだろう。だが十分に信頼されてもいない。

 まだ出会って一か月そこらだし、そんなものだろうと思いつつ、壁の高さと分厚さから攻略難易度の高さを再認識する。

 振り返れば奇妙なものだ。私と茜は研究者と研究対象の関係にあり、しかも人間と吸血鬼である。そうかと思えば、私は尋問官の役割も担っている。友達でも恋人でもない。そんな二人が他愛ない会話に花を咲かせている事実を奇怪と言わずなんと言うか。そもそも私はなぜ彼女に惹かれたのか。

 そんなことを考えつつ今日も研究所へと向かう足取りは軽やかであった。



「…今日はどうする?」

 茜はいつも決まってこの文言から会話を始める。その後すぐに自分の話したいこと、聴きたいことについて話し始めるのだから質問する意味も理由もないのだけれど、いつも決まってこう言う。なぜかは分からない。きっと癖なのだろうと思う。

 私たちは今茜の部屋にいる。初めて茜と会った部屋は検査室らしく、基本的には自室にこもるか極秘研究棟をメインにうろついているらしい。

「学校のことはあらかた聴いたし、外のこともそれなりにわかったし…」

 絹糸のように細く艶やかな金色の髪を揺らしながら何を話そうか無邪気に思案する茜の姿は誕生日プレゼントを嬉々として選ぶ子供のようだ。どうも茜は学校に行ったことがなく、研究所の外にも少々疎いらしい。それでいて一般教養は持ち合わせている。ここら辺もいつか彼女の口からその理由を聴くことができるだろうか。

「……みおはさ、本ってどのくらい読む?」

 ふいに茜が口を開く。唇は薄い桜色をしていて朝露に濡れた果実のように瑞々しい。

「人並には。でも小説はあんまり読まないかも。新書をたまに読むくらい。」

「残念。小説も面白いのに。けど新書とか図鑑とか私も好きよ。いろんなことが知れるから」

「本好きなの?」

「うん」

 だから一般教養があるのか。思ったより答え合わせが早かった。…いや、それだけじゃなく足立さんたちが教えているのかも。

「じゃあ好きなジャンルは?ミステリーとかファンタジーとか。新書にしても歴史とか経済、あと生物とか。色々あるでしょ」

「んー、生物系かな。小説なら推理もの」

「なんかまさに理系って感じね」

「まあ生物研究やってるくらいだし実際理系ではあるよ」

「わたし推理ものってどうしてもだめなんだよね。途中で読むのやめちゃう。読んでる最中にロジックを考えせられるのが苦手なんだと思う。本の世界に没入できない感じがして」

「私はむしろ考えるのが楽しいかな。茜みたいなタイプは初めて見た」

「へえ、それじゃわたしがみおの初めて貰っちゃったんだ」

 そう言う茜の顔はいたずらっぽく微笑んでいる。小悪魔のような言動に一瞬体が緊張する。

「……いかがわしい言い方しない」

「えー、わたしはただありのままを言っただけだよ」

 くすくすと笑い上目遣いでこちらを見上げてくるその姿はまさに小悪魔。いや違う彼女は吸血鬼だ。これでは彼女が何なのか分かったものではない。今茜に何を言っても無駄だろう。水を得た魚にさらに水をやるようなものだ。

 不意に先ほどとは打って変わって針(シン)とした表情をする茜。熱した鉄が水に浸けられたかのように急激に部屋の温度が下がっていく。

「昔ね。恋愛小説を読んだの。タイトルは忘れたけど、中身は覚えてる。とても鮮烈で浪漫に溢れた恋のお話」

 少し温かさを取り戻した表情で茜は口を開く。紅い瞳が少し潤んだように見えた。

「けど最後まで読む前に失くしちゃったの。手がかりとか全くないんだけどもし見つけたら教えて。みおが面白いと思ったものでもいいし。とにかく、よろしく」

「うん」

 …少し気がかりだが今の私ではこの先へ踏み込めない。茜の瞳は静かさの裏に氷のような冷たさをもって、私に「立ち入るな、踏み込むな」と暗に警告している。彼女が扉を開けてくれるまで私は扉を叩いて待つしかない。

「それじゃあ、私これから仕事だから。行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

 先刻と同じ柔らかさを纏い直す茜に見送られ、私は部屋を後にした。



 思い返せば「らしい」ばかりだ。

 私は茜のことを何も知らない。茜は私に何かを尋ねるばかりで自分のことは何も言わない。一か月もあればもう少しお互いのことがわかりそうなものだが、茜は徹底して自分のことを話さない。一見何もないように見えてやはりそこにはしっかり壁がある。

 茜は私のことをどのくらい知っているのだろう。少なくとも私が話した私自身のことは知っている。茜は私自身のことについても幾度となく尋ねてきた。

 なら人間のことは?彼女は『ヒト』という生物について何をどのくらい知っているんだろう。私は『吸血鬼』という生物について何も知らない。……もしかしたら私は扉の前にすら立てていないのかもしれない。やっぱり私は何も知らない。

 どうにも集中できない。茜のことばかり考えてしまう。

「……はぁーーー…っ、うぅん…」

 そんなことを考えながら仕事に勤しんでいると足立さんがやって来た。

「や、調子はどう?」

「主語つけてくださいよ。どっちのことですか」

「みおちゃんが今考えてる方」

 こういうところは察しがいいんだよなあ。

「…なんともです。うまいことやれてるとは思いますけど、絶対的な壁がある感覚……私は茜のこと何も知らないなって」

「まあ、まだ一か月そこらだしね。やっぱりガードが堅いのは変わんないか」

 足立さんは予想通りといった感じで呟く。

「……足立さん、吸血鬼って何なんですか?」

 訊いた。思い切って尋ねてみた。このままひとりで考えていても埒が明かない。

「そうだねー、話さなきゃだよね」

 足立さんはどこか上の空といった様子で返事を返す。

 少しして迷いが無くなったような表情で近くにあった椅子を持ってきて腰を落ち着ける。

「正直に言うと僕らも吸血鬼という種に関して多くのことを知ってるわけじゃない。僕らが今知っていることをゆっくり話していこうか」

 そう言って足立さんは生徒に勉強を教えるように、自分でもまた反芻するように丁寧に語り始める。

「まず彼らが何なのかだけど、はっきりとはわからない。けれど人間に近い種類ではある。まあ人型をしているわけだし、DNA解析でも人間に近しい種であることは分かった。ここまではいいね?」

「はい」

「じゃあ次に吸血鬼が吸血鬼と呼ばれる所以だけど、これは文字通り血を吸うからだね。ただ一番の難問がこの吸血行為にあるんだよね。」

「難問?」

「うん。実はね、血液って栄養効率よくないんだ。それこそコウモリいるでしょ、吸血鬼伝説のモチーフになった生き物。けど彼らの中でも血を吸う種類はほんの一握りしかいない。大部分は果実食とか昆虫食とか血液とはべつのものを摂取してる。まあ栄養効率の悪いものを好んで摂取する生物なんてそういないから競争率はかなり下がるけど。コアラなんかがいい例だね。それに加えて血液をエネルギー源として摂取するっていうことは、摂取した血液からウイルスや病原菌に感染する可能性もあるし、他にもまあ色々不都合が生じる」

「……ん」

「こういう不都合を無くす機構を持ってるんだろうけどね、吸血コウモリみたいに。ただ吸血鬼の場合は人間の血液をメインで摂取する。人間ってほかの哺乳類に比べて栄養効率悪いんだよね。一応他の生き物の血液も摂取するし、できるみたいだけど、茜ちゃんが言うには人間の血液が一番いいんだって」

「…なるほど、大体は分かりました。…ていうか吸血される方って感染症のリスクありますよね。傷口に粘膜で接触されるわけだから」

「さすが飲み込みが早い。そこも気になるんだけど、僕ら吸血鬼に血を吸われた人を見つけられてないからわからないんだよね。今そこらへんも含めて調べてもらってるんだけど、進捗気になって連絡したら集中したいからしばらく連絡するなって言われちゃって」

「そうですか…。けど場合によっては吸血鬼による感染症の流行とかあってもおかしくないんですね。」

「まあねー。ちょっと脱線しちゃったけど話戻そうか。」

「あ、すいません。気になっちゃったもので」

 思わず口に出してしまった。話の腰を折ってでも気になったことをその場で質問してしまうのは昔からの癖でなかなか治らない。

「いやあ、いいことだよ、その場で気になったことについて発言したり質問するのは。気にしないで」

 足立さんは本当にいいことだと思っているようだ。私は割と気にしているが、足立さんからすると大したことではないらしい。

「それでだ。一番の難問っていうのは栄養効率の悪い人間の血液をメインで摂取しているのに、一度の食事で大量に血液を摂取しなくてもいいうえに、それなりの期間血液を摂取しなくても活動に支障が無いってこと」

「それって…ありえないくらい省エネってことですよね。」

「そうだね。けどやっぱり多く吸血したり、毎日吸血できる方がいいみたいだね。それに固形物はほとんど食べれなかったり制限も多い。茜ちゃんは少なくても一週間くらいなら吸血しなくても死なないって言ってたよ」

「茜ってなにも教えてくれないのかと思ってましたけどそういうのは教えてくれるんですね」

「生態の話なら多少はね。…あの子は過去の詮索を嫌ってる。まだ何か知ってるんだろうけど、きっとそれは彼女の過去に結びついてる」

「……」

 茜の過去…。学校にも行かず、外のことも決して多く知っているわけじゃない。これまで彼女はどんな人生を歩んできたんだろう。それとも走って来たんだろうか。私じゃ考えられない修羅場を潜り抜けて、逃げて。その先が今なんだろうか。

 茜が大変な人生を置こうって来たのはなんとなくわかる。態度からも聞いた情報からも。そもそも過去の話をしたがらないのはそれだけ辛い過去を持っているからだ。

「…………」

「…でさ、この仕組みがあまりにも謎なんだ。僕らも頭を悩ましててね、行き詰ったから茜ちゃんの過去とかからヒントを得ようとしたわけで…」

 足立さんの声で我に返る。……なるほどそういう理由があったのか。ならもう少し早めに教えてほしかった。この人はいつも大切なことを教えてくれない。仲間として認めてもらえてない、とかじゃなくて本当にうっかり忘れてて教えてくれないっていうのがなんともたちが悪い。怒るに怒れない。

「ホントはもう少し早く教えようかと思ったんだけど、こういうこと言っちゃうとどうしても仕事って意識しちゃうだろうと思って。…吸血鬼のことを知りたいのはもちろんなんだけど、あの子にはもう少し楽に生きて欲しいんだ。僕らもあの子との付き合いは長いからね。愛着も湧くし心配にもなる」

 それで私に吸血鬼のことを何も教えてくれなったのか。思い返せば最初から「無理に訊き出さなくてもいい」と、情報が欲しいはずなのに目的と矛盾することを言っていた。二つの思いが入り混じった末の複雑な思いをのせた言葉。

「それでもやっぱり教えて下さい。私は茜のこと何も知らない。本当は茜本人の口から聴きたいけど、今はまだ話してくれないと思うから」

「……そうだね」

 足立さんは目の前に眩しいものがいるかのように目を細めながら私の言葉を肯定する。

「というか、ちゃんと考えて教えてくれなかったんですね。私てっきりいつもみたく忘れてるだけかと思いました」

「いやあ、それは耳の痛い話で……ごめん」

「じゃあ常日頃からもっと気を付けてください。……あ」

「どうかした?」

「…いや、そういえばさっき、初めて自分のことを話してくれたような気がして」

「どんな?」

「本の話です。昔好きだった恋愛小説があったけど最後まで読む前に失くしたって。もし見つけたら持ってきてくれって私に」

「恋愛小説ねえ。あの子なんでも読むから特に何が好きなのかわからなかったけど恋愛小説が好きなのか。ちょっと意外だなあ」

「そうですか?ん、よかったら探すの手伝ってくれません?タイトル忘れちゃったらしくて探すの骨が折れそうなんですよ。いつも茜が読んでる本って研究所(ここ)で調達してるんですよね」

「それはみおちゃんが頑張って探して、渡してあげた方がいいんじゃないかなあ」

 足立さんは凝った体をほぐすように盛大に伸びがらそんなことを言う。

「僕らは今までそんなこと聞いたこともない。みおちゃんにしか言ってないって意味を、もう少し考えてごらん」

「?…………!そう、ですね…!」

 これはいい兆しかもしれない。彼女は今日ようやっと自分のことを口にして、しかも私に頼み事までしてきた。茜がどこまで本気で言ったかは分からないけれど頑張って探してみよう。これはきっとこの先に繋がる大きな一歩になるはずだ。

「お、もうこんな時間かあ、今日は上がって。お疲れ様」

 足立さんは伸び終わったのか立ち上がる。時計を見れば定時を過ぎていた。

「え、あ、お疲れ様です。また何かあったら訊きますね。茜のことを知るために、…茜が扉を開けてくれるように」

「僕も何でもかんでも知ってるわけじゃないけどできることは協力するさ。けど張り切りすぎて無理しないようにね」

「ええ」

 私は一歩前進した感覚を噛み締めながら帰りの支度をして研究所を後にした。



「……しっかし好意を向けられていないことは分かるのに、いざ好意を向けられると気づかないってのは鈍いというかなんというか……って、言ってないで僕は仕事に戻らなきゃ。はーーー…もぉ、お上はアレしろコレしろってうるさいんだから」

 ヴーーーーッ、ヴ――ッ、ピッ

「はい、足立______」





 カタカタカタカタカタカタカタカタ…………______カチャ、カチャ…カタタタタタタタ………

「吸血鬼、吸血鬼…………ヴラド三世、ドラキュラ、カーミラ___……コウモリ、銀…川……」

 ッタタタカタタタッ…タタン。カタタタタ……________________________


 セイガイハです。某赤い人も吃驚な速度で二話目を仕上げました。見ている人がいても一人二人だろうと思っていたので、思っていたより多くて嬉しいことです。このまま続きを読んでいただけると幸いです。

 最近は百合作品のアニメ化も多くて楽しいですね。少し前まで『世は大ガールズバンド時代』とか思っていたんですが。やっぱり女の子が多いと観ていて楽しい。野郎供も観ててもちろん楽しいですが女の子には負ける。供給が増えて感涙に咽び泣く日々。

 あとがきはだんだん一人語りスペースになりそうです。どうでもいいことをしゃかしゃか喋っていきます。感想等々ございましたら是非気軽にどうぞ。


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