みおと茜
吸血鬼。人の血を吸う怪物。人の形をしていながら蝙蝠になったり、日光を浴びると体が焼けたり、不死身であると同時に多くの制約に縛られる存在。アニメやドラマなんかでよく見るアレである。先月までそんな意味の分からん怪物なんているわけがないと思っていた。が、実際にこの目で見てしまった。所謂吸血鬼とは些か異なるらしいが、兎にも角にも吸血鬼は存在するらしい。
「…今日はどうする?」
現在、不肖私 ―――― 遠野みお17歳は吸血鬼と奇妙な関係を築いている。
「みおーー」
「なにーー」
「教科書貸してくっださーい」
「またか」
「まだ今月5回目だよ?」
「…十分多いよ」
一直線に私めがけて弾丸のような速度でやって来たショートカットのこの女は椎名明璃。中学からの友達である。まさに体育会系といった性格と風貌のこの女は何かを忘れる度に私のもとへ来る。クラスも離れているのにわざわざご苦労なことである。このエネルギーを忘れ物をしないという方向に向けられないものだろうか。そう思いつつ教科書を渡す。
「ありがちょ♡」
そういうと明璃は手で大きなハートを作って微笑みかけてきた。
「…………」
「冷た~い。わたし傷ついちゃう」
「…不夜城の限定プリンで手を打とう」
「あいあいさー。…あ、みお今日も研究所でしょ。頑張ってねー」
そういうと明璃は荒れた大地を走り抜けるロードランナーのように去っていった。
私はとある研究所で働いている。理由は単純で貧乏だからである。亡き母の借金を父がすべて返済したとはいえ、正直我が家の家計に余裕はない。なので私も働いているというわけである。
バイトや派遣社員ではなく一研究員として働いている。正社員の扱いである。本来ならで高校生の私を正式雇用などできないのだが、これを可能にしたのが10年ほど前に国が設立した『特殊人材発掘育成機関思兼』である。
この組織は若く才能のある人材を発掘し、学費の免除や治療費の肩代わりといった対価を提供する代わりに、対象者を国の機関で働かせるために徴収している。私も例に漏れずその一人で国の研究機関『ヘルメス総合研究所』の『生体研究科』に所属している。生物について研究して新薬を作ったり、生物の特性を様々な技術に転用する研究を行う部署で働いている。学費の免除と給料の支払いをしてもらっていて大変助かっている。
何かの役に立つだろうと血反吐を吐く勢いで頑張って勉強した甲斐があるというものだ。
時刻は2時34分。いよいよ心地よい春の暖かさが鬱陶しい夏の熱さへ変わろうかという5月末。明璃に教科書を借りパクされた私は予定通り研究所へ向かっていた。研究所は私の住む町から3駅ほどいったところにある。なぜ地方にこんなに大きな研究所があるのか、と常々思っているのだが理由は不明だ。
不意に携帯が音をならす。この時間に電話なんて珍しいと思ったが呼び出し人は足立さんだった。
「遠野です。どうしたんですか」
「やあ、お疲れ様。いやね、今日はいつもと違う業務してもらいたくて」
「?」
「とりあえず場所送っとくから。あとは見てのお楽しみね、じゃあ」
そういうと足立さんは電話を切ってしまった。足立さんは私の上司であり生体研究科の科長でもある。非常に頭の良い人物だが、どこか抜けているところがあり掴みどころのない人だ。
とりあえず研究所の送られた図面の場所までやって来た。が、パスキーが反応しない。そもそもこんな場所に研究室があることを知らなかった。どうしたものか考えていると後ろから
「やあ、ごめんごめん」
と足立さんがやって来た。オフホワイトの白衣はくたびれている。大きな丸眼鏡に箒草のようなボアっとした頭。ここ二週間ほどテスト期間で研究所には顔を出せていなかったが相変わらずらしい。
「足立さん」
「いやぁうっかりしてた。みおちゃんのパスキーだとここ入れないの。資格が必要でね。あとでみおちゃんも入れるよう調整しとくよ」
そういうと足立さんが自分のキーで扉を開けた。
「さ、どうぞ」
そうして私たちは扉の奥に進んでいった。
「ところでこの研究棟ってなんなんですか。私もここに来て長いですけどこんなところがあるの初めて知りました。」
「ここはね秘密にしておきたい研究をする所。だから研究所全体の図面にもないし存在を知ってるのは一部職員だけ。あ、あの図面消しといてね。流出するとまずいから」
なら最初から私を案内してくれればよかったのではという疑問を感じつつも話を進める。
「いいんですか?私を入れて」
「うん、だって君いい子だし。それにことを前に進めるには君の協力が必要になると思うから」
「?」
「ところでみおちゃんは吸血鬼って信じる?」
「何ですか藪から棒に。吸血鬼ってあれですよね。処女の生き血を啜ったり、銀製品がダメとかいう。」
「そうそう」
「……いないと思います。日光を浴びたら灰になる人型の生き物とかありえないでしょう」
「現実的だねえ。けど僕らはこの世界について表層を知っているに過ぎない。何が起きても何がいてもおかしくないんだぜ」
そういう足立さんは少し気分が高揚しているらしい。そうこう話しているうちに一つの研究室のような独房のような場所に着いた。白く広い部屋は取調室のような形をしていて、部屋の中央あたりの大きな硝子板が部屋の奥と私たちを隔てている。奥の部屋は一際白く、綺麗ではあるが生気を感じさせない。ただひたすらに無機質な空間、見る者の心を蝕む石綿の檻だった。その中には様々な機器が配置され雑多に積み上げられている。
部屋の端から中央へと伸びるコードの流れに沿うように目を遣ると、時が止まってしまったかのような感覚に襲われた。
硝子の向こう側、奥の部屋の中央には見目麗しい少女が鎮座していた。椅子に座る姿はさながら磁器人形で、肌は青磁のような白さで部屋と同化してしまいそうなほどである。流れる長い髪は月明りのように薄く透き通った金色で、赤い瞳は少女の血を固めて宝石にしてしまったかのような鮮やかさを持ち、目を合わせた者を吸い込んでしまいそうな深さで私を見つめ返してきた。私と変わらないくらいの年に見えるのに、少女のあどけなさの裏には慈母のような温かさが確かにあった。それでいてあらゆる要素を俯瞰して彼女を見ると娼婦のような妖艶さを漂わせていて、なぜか背徳的な気分になってしまう。
機器は忙しなく端子を光らせ、低く唸りながら熱を排出しているというのに彼女の存在がこの空間一体を静謐で包んでいた。先ほど感じた重苦しい感覚はどこへ行ったのか。彼女を見てから奥の部屋の空気が真綿のように軽くなった。見つめ返してきた瞳をのぞき込み思わず見惚れてしまった私は、かろうじて計測器の音で我に返る。
「………えっと、この子は?」
「それらしい言葉で表すなら吸血鬼」
「…………は、…え?」
「君に頼みたい業務っていうのはね、彼女とお友達になってもらうこと」
まるで意味が分からない。私の頭の中は彼女の肌よりも白くなり、電池を抜かれたおもちゃのように思考停止した。
「で、つまりどういうことです」
「順を追って説明するね」
「お願いします」
私たちは奥の休憩スペースに移動した。何が何だかわからない私は困惑しながら足立さんに説明を頼む。
「まず彼女のことだけど厳密に言うと吸血鬼じゃない。けど一般的な人間でもない。他に適切に表現する言葉がないから便宜的に吸血鬼という呼称が使われている。で、なんで彼女がここにいるかというと結論から言えば彼女が僕らの研究のサンプルだからだね。」
「研究ってなんのです?」
「みおちゃんはさ、『不死の薬』って知ってる?」
「始皇帝とかギルガメシュ王とか、沢山の為政者や英雄なんかが探してた薬ですよね。けどなんで今その話を?」
「そうそう。地域によって呼び名とか細かいところは違うけどね。でまあ、彼女がその薬の材料なの」
足立さんはとんでもない事実を突きつけてきた。まるで脳に直接電流を流されたかのような衝撃が走る。
「……ここってそんな物の研究もしてたんですか」
「まあね。一応極秘のプロジェクトだから知らなくて当然だよ」
「ていうか、あんな伝説上でしか聞いたことのないものが作れるんです!?…寿命をいっぱい延ばすっていうならまだ、百歩譲ってわかりますけど!不死は意味わかりませんよ!!」
整理が追い付かない頭へ言葉の意味が後から追い付いてきて、思わず叫んでしまった。足立さんがなんかへらへら笑っている所為で一瞬私がおかしいのかと思ってしまったが、おかしいことを言っているのはむしろ目の前の24歳成人男性である。とんでもないことを言っている自覚がないんだろうか。何だろう。私は夢の中にでもいるんだろうか。
『不死の薬』は昔から時の権力者が求めては儚くも夢破れてきた代物だ。そんな伝説やおとぎ話でしか聞かないようなものが本当に作れるのだという。オーバーテクノロジーが過ぎるのではなかろうか。
「現段階だと不完全な理論があるだけで完成品も失敗作ばかりだけどね。ただ、一応完全な完成品があったらしい記録はある。僕らはそれを目指してるわけだ。で、僕らは『不死の薬』を作る前段階として、彼女に採血とか健康診断を行って吸血鬼の生態を調べてるの。それで彼女の出生や過去についても知っておきたいんだけどなかなか話してくれないんだよね」
「…それで友達、ですか」
「そうそう。同年代の女の子だと彼女も心を開いてくれるかと思って。あ、一応特別業務の範疇だからお給料出るよ」
他人を懐柔してお金をもらうというのは、何とも形容し難い嫌な気分だが……しかし背に腹は代えられない。それに私自身あの少女のことが気になっている。一目惚れではないがどうにも心惹かれてしまうし、正直全然理解が追い付いていないが私の知的好奇心が刺激されていることもまた事実である。この程度のことでビビる私ではない、はず。
「…………わかりました。引き受けまth!」
……やはり内心怖いのか変に力んでしまった。当然だ。こんな荒唐無稽な話を聞いて驚いたり怖がったりしないほうが怖い。
「助かるよ。けどあんまり気負わないでね。ただ彼女と仲良くなってくれればそれでいいんだ、無理に情報を訊き出そうとしなくてもいい。さて、それじゃあ早速よろしく」
妙な高揚と不安を感じつつも休憩スペースを後にした。
私たちは先ほどの研究室に戻って来た。微動だにせず座る少女はやはりどこか艶っぽい。
「入るよー」
そうい言うと足立さんは奥の部屋へと続く扉を開けた。
「検査終わり?」
「うん。しばらくは無いからゆっくりしてて」
「そう」
そう答える少女の姿からは感情が感じられない。けれど機械のように色が無いのではなく、透き通っていて目に見えないだけのように感じる。いずれにせよ何を思っているのかわからないのは事実である。現状ではたとえ前者でも後者でも同じことだ。
私が彼女と仲良くなれば彼女の色もまた見えてくるのだろうか。彼女の瞳は紅く輝くばかりで何も映してはいない。
「でさ。前から同年代の子と話してみたいって言ってたでしょ?だから連れてきたよ。彼女、うちの研究員のみおちゃん」
機器を片付けながら話す足立さんに名前を呼ばれ自己紹介する。
「遠野みお。高校二年生。よろしく」
「高校二年生……学校、通ってるんだ。高校って何するの。勉強?ブカツって何?」
あったそばから質問攻めである。しかしこう見るとただの人間にしか見えない。からかわれているわけではないのはわかっているけど、どうしても人間にしか見えない。
「…あ、ごめん。いきなり沢山訊いちゃった」
いざ話してみると思いのほか人間らしい感じがする。ますます吸血鬼だなどと信じられなくなってきた。自分の知りたいことに関しては前のめりになるのだろうか。
「っ、えっと、高校は勉強するところ。部活っていうのは…そうだな、自主的に文化的な活動をするところ、かな」
「…文化的って言うと音楽とか絵画に触れて美的感覚や感性を磨くの」
「運動する部活もあるよ。何だろう、勉強とは別に各々興味のあることについて挑戦したり探究したりするって言ったほうがいいかな」
「なるほど」
緊張するとうまいこと説明できない。というか身近にあるものほど説明が難しい、私はそんなこと考えたことも無かった。
満足したのか少女は会話する前の、相手に何も感じさせない石英のような雰囲気に戻ってしまった。
「じゃ、僕は別の仕事があるからまたあとで来るよ」
そう言うと機器の片づけを終わらせた足立さんはどこかへ行ってしまった。
しばらく沈黙が続く。流れる空気はゆったりとしていて居心地は悪くない。しかし冬の朝の窓ガラスのように曇っていて、先が見えないことにほんの少しの不安を感じる。
それからしばらくして少女が口を開いた。
「……新介に言われてきたんでしょ。私の過去を探ってほしいって」
いきなりそんなことを言うのだから驚いた。この少女は全て見抜いているらしい。まあ先ほど姿を見せてからすぐにいなくなって、またやって来て「話し相手だ」と言われて多少なり警戒しないほうがどうかしている。そりゃ作戦を練っているとも思われる。足立さんはこういうところが抜けているというのだ。それはそうとして足立さんを下の名前で呼ぶ人を久々に見た。
バレているようなので白状する。隠しても良いことはないだろう。
「…うん」
「やっぱり」
彼女の顔には何の色も無い。まるで当然だ、と言わんばかりの無表情。彼女の纏う空気は何ら変わりない。
「…けどそれだけじゃないよ。なんとなく貴女のこと、気になってたし。言い訳がましいけど」
「なんで」
「綺麗だったから」
「………口説いてる?」
「…や、そんなつもりはないけど」
自覚は無かったがどうもそう捉えられたらしく、初めて彼女の纏う空気が乱れた。彼女は何とも面妖な顔をしている。……まずかっただろうか。
「素直」
「?」
「あなたは飾り気のないひと。わかるの、そういうの」
そう呟く彼女の顔はどこか遠くを見つめているようで、落ちる寸前の線香花火のような危うさがあった。
それから彼女とは小一時間程度他愛ない話をした。彼女の様子は相変わらずだったが会話が楽しかったのか、ほんの僅かながら柔らかな空気を感じた。
「……よかったらまたお話して。みおや新介の望むことは教えてあげられないかもしれないけど」
「うん」
「あ。わたし、茜。名前教えるの忘れてた」
「よろしく、茜」
「こちらこそよろしく、みお」
どうにも不思議で、妖精か何かを相手にしているような気分だがきっかけは掴んだ。お金のこととか、過去の話は一旦忘れよう。しばらくはただこの不思議な少女のことを知りたい。話してみたい。自分でもなぜかわからないが久々に楽しいと思える目的ができた。
こうして私と吸血鬼の奇妙な関係が始まった。
初めましてセイガイハです。初投稿になります。初心者故拙いところもあると思いますが楽しんでいただけると幸いです。意見・感想、誤字脱字等の間違い、質問等々ありましたらどうぞお気軽に投稿ください。不定期での投稿になるかと思います。早い時は某赤い人もかくやという勢いで投稿するかもしれませんが、遅い時は蝸牛もびっくりするくらいの速度での投稿になるかもしれません。執筆時に聞く音楽がマンネリ化してきましたのでオススメの音楽がある方はお教えください。




