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紫陽花の香りは青くて少しだけ甘い  作者: 海野はな


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9/13

[昨日はごめん。一日考えたけど、俺が悪かったと思う。次会うときに話す。いつ空いてる?]


 そんな文が送られてきたのは、大阪に行くと告げた翌日の夜のことだった。気になってモヤモヤした一日を過ごした私は、話してくれるつもりがあることにまずはホッとした。


 数日後に会って話を聞くと、どうやらお互い考えがすれ違っていたらしいことがわかった。

 たけちゃんは私の就職を「二人のこと」として考えてくれていて、にも関わらず私が何も話さずさっさと一人で進めてしまうことに不満を持っていたらしい。

 私のほうは就職は「私のこと」だと思っていて、ずいぶん頼ってしまって申し訳ないという認識だった。愚痴も言いまくってしまったし、話していないとか相談していないとは全く思っていなかった。むしろできるかぎり迷惑をかけないように気を付けていた。


「それからさ、これは完っっっ全に言い訳なんだけど、バイト先でトラブル続きでイラついてたのもある」

「なにがあったの?」

「まず、新人に教えてたんだけど急にこなくなった。次に、社員が俺の責任だと言い出した。さらに、責任取ってその新人分のシフトも入れと命じられた」

「はぁ? それはひどいね」

「でしょ。その新人、なんかやばそうだなと思ってたから社員にも報告してたのに丸投げされててさ、いざいなくなったら俺のせいだよ。やってられない。シフトだって急には入れないしさ」


 夏休みの間二か所でバイトをしながら勉強もサークル活動も参加していたたけちゃんは、そもそもスケジュールに空きがあまりなかった。いきなりシフト増やせは無理があるだろう。


「今はもっと上の社員さんが間に入ってくれて一応落ち着いたんだけど、この前は揉めに揉めてる時だったんだよね。他にはめちゃくちゃクレーム言ってくる客に当たったり、まあいろいろ重なってて……」

「お疲れ様でございました」

「はい。それでですね。そんなときにですね、大阪に決定って言われて、なんでいきなり相談もなく決定事項? 会えなくなるのをわかってそっち選んだの? って思いましてね」

「はい」

「気分も落ちてたから、俺のことはどうでもいいのかと思ったりもしてしまいましてね」

「そんなわけないじゃん」

「それで、なんというか、爆発してしまったわけです。お詫び申し上げます」

「ふふ」


 暴れたわけでもないのに爆発というところとか、言い方とかが面白くて、それからホッとしたのもあって、私は笑ってしまう。


 それを喧嘩と呼ぶのかわからないけれど、こうして私たちはひとまず仲直りというやつをした。


 ……はずだったのだけど。


 すれ違いの日々は、残念ながら終わらなかった。



 夏休みが終わり、学生生活も残り半年となった私は、ゼミと卒業論文で思っていた以上に忙しくなっていた。就活にさいた時間分の学業をここで埋め合わせるかのように大学にいる時間が長くなり、長期間続けてきたバイトも辞めることになった。

 そしてここでもし卒論に合格がでなければ、せっかく勝ち取った内定も取り消しだ。世知辛い。


 たけちゃんは学業、バイト、サークルと相変わらず忙しく動き回っていた。

 大学院へは奨学金を借りて進学するつもりらしく、研究室に所属する四年生になると忙しくなるからと、今のうちにバイトにはなるべく入っておきたい。サークルは三年生がメインの代なので、運営や雑用がたくさんある。そして勉強をおろそかにしたら大学院に受からないからと、そちらも手を抜けない。


 そんな状態でスケジュールが合うはずもなく。

 二人で出かける頻度は著しく落ちたし、会ってもごはんを食べて解散というような短時間になっていた。


 そして、そんな日々に二人とも気が立っていたのだと思う。

 些細なことで喧嘩をするようになった。気安い関係だからこそ思ったことをなんでも言ってしまい、たけちゃんの機嫌を損ねたり、逆にちょっとしたことで私がカチンときてしまったりした。


 どちらかがイラつくとそれが伝染して、売り言葉に買い言葉、和やかに会話をしていただけだったはずなのに、いつの間にか言い合いになってしまう。


 言い合いをしては謝って謝られて。それが続いて、気が付くと意地を張るようになってきて……。

 それでもあの日までは、仲直りができていた。



 その日は二人でスケジュールを合わせ、久しぶりに出かける予定を立てていた。行き先は近くの美術館。私もたけちゃんもあまり美術に興味はないのだけれど、特別展をやっているということで、見にいってみようという話になったのだ。


 私は久しぶりのデートをとても楽しみにしていた。

 前日の夜、少し遅くまで大学で粘って課題をひとつこなすと、部屋に戻ってなにを着て行こうかとクローゼットを開けた。季節は冬になっている。マフラーも必要だろうか、でも美術館の中は暑いかもしれない。


 わくわくしながら服を選んでいると、スマホが鳴り始めた。メッセージではなく通話のようで、画面をみるとたけちゃんからだとわかる。なんとなく、嫌な予感がした。


『ゆか? 今大丈夫?』

「うん。どうかしたの?」

『ごめん、明日行けなくなった』

「……え? えっと、なんで?」

『バイト先の人が体調崩しちゃったらしくて、代わりに出てほしいって……』


 一瞬頭が白くなった。

 たぶん一年前の私だったら、じゃあしょうがないねと、そう言っただろう。だけど今はあっさり諦めることができない。

 だって明日は、学生のうちに気軽に行ける、残り少ないデートの日のはずだったから。


「なんで、なんでなの。それ、たけちゃんじゃないとダメなの?」

『え? うん、他にいなくて』

「私、久しぶりに出かけるの、楽しみにしてたんだよ。そのためにちょっと無理して課題早く終わらせて、明日に備えてたんだよ?」

『ごめん。別の日に埋め合わせするから』

「別の日って、いつ? 特別展は明日までだよ?」

『特別展は無理かもしれないけど、別のに行けばいいじゃん。もともとそんなにすごい興味があったわけじゃないよね?』


 そうだけど、とは言いつつ、私はもう感情を抑えられなくなった。

 ごめんと言われた時点で、きっともう私が言い募ったところで明日行かないのは決定だろう。だからなにを言ったところで変わらないのに、それでも止められない。


「私、もうすぐ卒業なんだよ。ここにいるのもあとわずかだし、二人とも学生で、こっちで行けるのって、もう何回もないんだよ。残り少ない貴重な一日より、バイトが大事なの?」

『ごめんって。悪いとは思ってるけど、しょうがないじゃん。なんでそんなに理解してくれないの?』

「しょうがないって、なに。理解って、なに。私とすごす一日なんて、どうでもいいんだ?」

『そんなこと言ってない』

「言ってるよ。……もういい!」


 私はたけちゃんが何かを話しているのを聞かず、電話を切った。

 明日のために予定を調整した。課題も頑張った。もう次はないかもしれないって思ったから。その大事な一日を、しょうがない、で片付けてほしくなかった。


 クローゼットを閉めて、ずるずるとしゃがみこむ。バカみたい。私だけうきうきして、楽しみにして。


 再びスマホが鳴った。たけちゃんからだとわかったけれど、私は出なかった。

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