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紫陽花の香りは青くて少しだけ甘い  作者: 海野はな


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8/15

『……今後のご活躍をお祈り申し上げます』


 そこまで読んで、私はふうと息を吐いた。

 第一志望だった会社から届いたのは、お祈りメールというやつだった。すなわち不採用。

 面接の雰囲気や私の受け答え、それから周りのライバルたちの様子から、厳しいことはわかっていた。予想していた通りではあったけれど、やはり落胆はした。

 それでも先に進まなければならない。それが就職を控えた大学四年生というものだ。世知辛い。


「大阪、東京……」


 幸い内定を得ているのだから、と自分を慰め、その二社でもらったパンフレットを手にとる。どちらにするべきか。

 条件を見たときに軍配が上がるのは大阪のほうだった。ネックなのは、ここから遠いということ。


『迷うなら東京にしてよ』


 たけちゃんの言葉を思い出す。とても嬉しかった。私だって、遠距離になりたいわけじゃない。なるべく近くにいたい。可能ならば、今のようにすぐにでも会えるくらいの距離に。

 だけど、それはいつまで続くのだろう。


 たけちゃんが今私たちが通っている大学の大学院に進むつもりなのは知っている。試験があるので絶対ではないけれど、成績がいい彼は受かるだろう。そうすると、彼がここにいるのは私が卒業してから三年。でもそのあとは?

 たけちゃんは卒業したら、どこへ行くの?

 きっと本人にだって、今はわからない。


 それに東京の会社にしたとしても、ここから一時間半ほどかかる。大阪よりはだいぶ近いけれど、それでも今みたいにすぐ会えるという距離でないことは変わらない。


 いろいろ悩んで、葛藤して。

 私は大阪の会社に就職することを決めた。


 そしてその決定を、私は後悔することになる。



「大阪の会社に行くことにしたよ」


 いつものファミレスで日替わりランチのハンバーグをつつきながら、たけちゃんにそう告げたのは九月の終わり。私たちの通っている大学の夏休みはざっくり八月と九月で、もうすぐ後期が始まるというころだった。


 第一志望がダメだったことは、メッセージで伝えていた。そのあとは就活がひと段落した私が実家に帰省していたり、たけちゃんは休みのうちにと張り切ってバイトに励んでいたりしてなかなかスケジュールが合わず、二人で話す機会をもてなかった。決定は自分の口から伝えたほうがいいかなと思っているうちに、ずいぶん先延ばしになってしまっていた。


「それはもう決定?」

「うん。会社にも伝えてある」

「なんで?」

「え?」


 なんでと聞かれると思っていなかったので少し戸惑いつつ、早めに会社側に回答しなければいけなかったから、ということを伝えると、たけちゃんは「違う」と小さく言った。


「そうじゃなくて。なんで相談してくれなかったの?」

「なんでって、最近なかなか会えてなかったし」

「直接会わなくたって連絡はとれるじゃん。スマホ壊れてるわけでもないんでしょ?」


 そうだけど、と言ったあと、言葉が続かなかった。

 たしかに連絡だけなら取ろうと思えばいつだって可能だった。バイト中でもたとえ深夜だとしても、送っておけばたけちゃんは読んでくれて、そのうち返事をくれた。でも……。


「大事なことは、直接伝えたほうがいいと思ったんだよ」

「大事なことこそ、早く伝えるべきじゃないの? なんで勝手に決めるんだよ」


 言い方は静かだけど、たけちゃんが怒っていることは伝わってきた。だけどなんで怒っているのかわからない。


「勝手にって……。相談しなかったのは悪かったかもしれないけれど、私が受けて、受かって、就職する会社なんだよ。たけちゃんの許可が必要なの?」

「そんなことは言ってない」

「言ってるよ」


 そりゃ、就活中にたけちゃんに愚痴を言ったり相談に乗ってもらったりした。だから最終決定前に相談すべきだったのかもしれない。でも最終的に決定を下すのは私なはずだ。なにが間違っていたのだろう。


「東京の会社じゃダメだったの?」

「絶対にダメってことではないけど、大阪の会社の方が条件がよかったし、私がやりたい仕事に近かったから」

「やりたい仕事って、どっちもそうだって言ってなかった? 東京がやりたくない仕事ってわけじゃなかったよね?」

「それはそうだけど」


 やりたくない仕事だったのならそもそもその会社は受けていないのだから、大阪が受からずそこだけだったなら、私はそちらに行っただろう。だけど選択できる状況ならば、その中でいいと思うほうを選ぶのは普通のはずだ。


「大阪に行ったら今みたいには会えなくなるじゃん。それでも大阪なの?」

「たけちゃんどうしたの。そんなに大阪はダメだった? 私だって近いほうがよかったよ。それも考えて、でも大阪にしたの。東京でも時間はかかる。場所見せたでしょう? どちらにしても今まで通りにはいかないよ」

「そうだけど、でも」


 その先が続かなかったのか、たけちゃんは皿に残っていた最後のジャガイモを口に入れる。声を荒げているわけではないけれど、機嫌が悪いのはひしひしと伝わってきた。


「なんで怒ってるの? 相談しなかったことについてなら、悪かったと思ってるから謝るよ。だけど大阪に決めたことについては、たけちゃんなら応援してくれると思ってた」

「応援してないわけじゃない」

「それならどうして? 言いたいことがあるなら言って。わからないよ」


 それから黙ってしまったたけちゃんは、私が食べ終えたのを見て「出よう」と言った。

 ランチ時のファミレスは混んでいる。横目に待っている人がいるのも見えたから、私もそうすべきだと思って、たけちゃんに続いて席を立った。いつものように別に会計をして外に出る。暦上はもう秋に分類されているはずだけど、陽射しが強くてじりじりと暑い。


「ごめん俺、これからバイトだから」

「うん」

「ごめん、ちょっと頭整理する。また連絡するから」


 たけちゃんは自転車にまたがると、そのまま颯爽と去ってしまった。



 一人部屋に戻って考える。なにがいけなかったのだろう、と。

 誰だってそうであるように、たけちゃんにも機嫌が悪い時はある。疲れてる雰囲気の時も、今はそっとしておいたほうがいいかなっていう時もある。

 だけどこんなに、私に対して苛立っているのに、どうしてなのかわからないことはなかった。


 勝手に大阪に決めてしまったから?


 きっといつもの笑顔で、決まってよかったと、そう言ってくれるんじゃないかって思っていた。離れるのは寂しいけど、頑張れと。理解してくれるものだと疑っていなかった。


 なにかメッセージを送ろうかと迷った。だけどなにを書いていいのかわからなかった。ごめんと謝る? それは一体何に対してだろう。迷惑ならかけている自覚はある。頼っている自覚もある。だけど今は、そういうことじゃない気がした。


 スマホを握りしめて、どのくらいが過ぎたのか。私は諦めてそれを机に置いた。


 ピロン、とそれが鳴ったのは、夜も遅くなってからだった。


[今日はごめん。俺が悪かった。また話そう]


 そして連続して送られてきた[おやすみ]のスタンプ。

 夜遅いことに気をつかったのか、それとも今は話す気分じゃないのか。その可愛いスタンプが、その先の会話を求めていないという意味であることくらい、私にもわかった。


 私は[承知した]という文字のついた、ちょっと厳つくて面白い柄のスタンプを送り返した。

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