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紫陽花の香りは青くて少しだけ甘い  作者: 海野はな


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 そのあと、たけちゃんから連絡はなかった。

 私からも連絡しなかった。


 卒論で忙しくなったから。やることがいっぱいあって、連絡したところできっとスケジュールは合わないから。合わせたところで、また前日になってダメだったって言われるかもしれないし。


 どれも、言い訳だ。

 いろんな理由を思い浮かべては心の中で言い訳を重ねて、意地を張っているだけ。


 同じ大学に通っているとはいえ、私とたけちゃんは学部も学年も違う。使っている棟が違うので、構内でばったり会う確率は低かった。共通点だったサークルも私はすでに引退している。お互い顔を合わせることはなく、日々は過ぎていった。


 なんとなくで始まった関係は、こうして、なんとなく終わっていくのかな。


 そんなことを思った。

 別れたいわけじゃなかった。すれ違って、お互い傷つけあって。それでもまだ私はたけちゃんが好きだった。


 だけどこの拗れた関係のまま物理的に距離ができて、上手く続いていくとも思えなかった。遠距離になっても、簡単には会えなくなっても、きっと変わらない関係でいられる。少し前まではそう信じて疑わなかったのに、今ではそんな未来が全く見えなくなっていた。



 その状態のまま年を越し、一月末。卒論を提出し終えて余裕ができた私は、ようやくたけちゃんに連絡を入れた。予定が合えば、久しぶりにごはんでも食べようよ。卒論終わったから、私は予定を合わせられるよ、と送った。

 なんとなく距離が開いている私たちだけど、別れ話をしたわけじゃない。まだ付き合っているのなら、食事くらいいいはずだ。


 返事は思いのほか早くきて、その翌日に会うことになった。

 場所はいつものファミレス。夕食には少し早い時間帯、店内は空いていて、私たちは奥まった席に座った。


 店のタブレット端末でいつものハンバーグを入力すると、たけちゃんにそれを渡す。彼もまた、いつものハンバーグのようだ。他のメニューを頼むこともあるけれど、結局ハンバーグに落ち着く。

 タブレットを横向きにして私に見えるように置き、注文画面を開き「いい?」と確認される。そして私は「OK」と言う。たけちゃんが注文ボタンを押す。いつもの流れ。


「この前は美術館、行けなくってごめん」


 たけちゃんはまずそう口にした。

 何事もなかったように適当に会話を合わせているほうが楽なはずなのに、彼が思うことだってたくさんあるはずなのに、ちゃんと「ごめん」と言うあたり、たけちゃんらしいなと、そんなところが好きだよと、そう思った。


「うん。私こそ、無理言ってごめん」


 言いたいことはいろいろあった。

 どれだけ楽しみにしていて、そのために準備をして、私にとって特別な一日だったのか。それを「バイト」の一言でダメにされて悔しかったこと。行けなかったことだけじゃなくて、それだけその一日の重みの認識がたけちゃんと違ったことや、バイトを優先させたことで私の気持ちが踏みにじられた気がして悲しかったのだ、ということ。


 きっと以前の関係だったら、私はこう思っていたんだよと、しっかり伝えただろう。喧嘩になったとしても、言いたいことをぶつけただろう。だけど、もう言えない。


 それはきっと、たけちゃんも同じなんだろう。

 バイトを代わらざるを得なかった理由も、言い訳も不満も思うところもたくさんあるはずなのに、言わない。


 なんでも言い合える関係が変わってしまったことが、ひどく寂しかった。


 それからしばらく、ハンバーグをつつきながらお互いなんでもないようなことを話した。卒論を提出して、結果はまだだけどまあ卒業できるでしょうということ。学部が違うので参考にはならないと思うけれど、一年後に卒論を書くはずのたけちゃんに自分の失敗談を伝えてみたり。たけちゃんからは、バイト先の例のひどい社員が異動になったことや、サークルの状況なんかを聞いた。


 以前に戻ったような楽しい会話をもっとしたかったけれど、ハンバーグは残り一切れ。

 私は本題を切り出した。


「あのさ、私もうすぐ卒業だから、卒業旅行に行きたいと思ってるんだ。一緒に行ってくれない?」


 場所も日程も決まってないけど、まあ近場で一泊くらいかな。

 軽い感じでそう続けて、たけちゃんの顔を見る。彼は思った通り、少し困った顔をしていた。


「ごめん、お金ない」

「お金は私が払うよ。付き合ってもらうんだし、これから社会人になるし」

「ごめん、時間もとれない」

「……そっか」


 それで察せられないほどには、鈍くはなかった。どこに行きたいのかとか、何をするのかとか、そういった話はいっさいすることなく断られたんだ。わかりたくないけど、それがどういうことなのか、私でもわかる。


「ねぇ、たけちゃん。私たち、もうダメなんだね?」


 たけちゃんはわたしと目を合わせた。きっと振られるのは私なのに、なぜか泣きそうな顔に見えたのは気のせいだろうか。


「もうすぐゆかは大阪へ行ってしまう」

「うん」

「俺は大阪に行ける余裕はきっとない。会えなくなる」

「うん」

「会えない中で今の状態で付き合い続けても、上手くいくと思えなくて……」

「うん、そうだね」


 それから視線を下げて、彼は「ごめん」と言った。

 言いたいことはいっぱいあったのに、私は「そっか」としか言えなかった。



 それからどうやって自分の部屋にたどり着いたのか、記憶がない。その夜、私はひとりで泣いた。涙は自然と流れ続けた。いろんな思いが頭を巡っては、通り過ぎていく。


 私たちの関係が終わったことは理解していた。

 きっとそうなるんだろうと覚悟もしていた。

 だけどまだ、私はたけちゃんが好きだった。

 

 別れたくないと言えば、そうなった?

 もっと、たけちゃんの側にいたいって言ったら?

 きっとなんとかなるから、遠距離やってみないって聞いたら?


 結果は変わらなかっただろうと気づいているのに、そんなことが頭から離れてくれない。


 わかっているのは、こうして泣いている私を慰めてくれるたけちゃんは、もういないということ。

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― 新着の感想 ―
小説でしかないようなラブコメも普通に好きなんだけど、この作品のように現実の恋愛に近くて共感できるラブコメは最高ですね。面白いです。
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