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紫陽花の香りは青くて少しだけ甘い  作者: 海野はな


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3/18

 試しに付き合ってみるのも悪くない。

 そんな軽い気持ちで始まったたけちゃんと私の関係は、意外にも順調に続いた。


 サークル終わりに二人でごはんを食べに行き、試験シーズンには一緒に勉強。


 たけちゃんがあの映画が気になると言ったので一緒に見に行き、私が博物館に行きたいと言って付き合ってもらう。


 私もたけちゃんもそれなりには真面目なタイプなので大学には真面目に通っており、サークル活動もあって、バイトもしている。だから二人で過ごす時間は多くはない。だけどどこかに行くならお互いに声をかけ、予定が合えば一緒に行った。


 予定が合わなければ、無理に合わせることはしなかった。それが気楽でよかったのかもしれない。なんとなく緩い雰囲気のまま、喧嘩することも束縛することもなく、日々は過ぎていった。


 たけちゃんといるのは、居心地がよかった。気を使わずに何でも話せたし、逆に話すことがなくて沈黙が続いても、別に気まずいと思わなかった。小さいころからずっと一緒にいたような、兄妹みたいな感じ。いや、私の方が年上だから、姉弟か。


 わたしもたけちゃんも上京しての一人暮らしだったから、自然とお互いの家にも行き来するようになった。だけど同じ部屋にいても、恋人らしい雰囲気になるわけでもなかった。一応付き合っているということにはなっているけれど、友人関係に近かったと思う。


 そんな私たちだったけれど、ほんの少しずつ、進んではいた。


 いつの間にか、たけちゃんは私のことを「ゆかさん」ではなく「ゆか」と呼ぶようになった。そして私は、たけちゃんの名前が「ひろたけ」であることを知った。「何でひろちゃんじゃないの?」と聞いたら、小さいころに近所に「ひろきくん」がいたからと教えてくれた。みんなひろきくんのことをひろちゃんとかひろくんって呼んでたから、自分はたけちゃんになったんだって。



 ダメだったら別れればいい、なんて言っていたのに別れ話になることもなく、いつの間にか、一年近くが過ぎていた。


「ゆか、次の土曜日あいてるって言ってたよね? デートしよう。紫陽花が綺麗な神社があるんだって」

「デート? あれ、土曜はたけちゃんがバイトあるんじゃなかった?」

「先輩とシフト交換して、休みになった」


 そう言いながら、たけちゃんはスマホで検索してその神社のサイトを私に見せる。ちょっと時間はかかるけれど、行けない距離ではなさそうだ。いいね、と返事をすると、彼はまたスマホを操作して私に見せた。ラーメンが写っている。


「帰りにここ行きたい。神社から徒歩十分」

「どっちが本命?」

「どっちもですよ~。雑誌に載ってたラーメンが美味しそうすぎて行きたくなって調べてみたら紫陽花が出てきたから都合がいい、なんてことはないんですよ。どっちもです」


 急に丁寧語になったたけちゃんに笑いつつ、私もラーメンは好きなので「いいね」と返した。


 迎えた土曜日は、なんとなく予想していた通り、やっぱり雨だった。


[たけちゃん、雨だよ。どうする?]


 スマホに文字を打ち込むと、すぐに返事がきた。


[紫陽花って雨の日のイメージだし、いいんじゃない?]

[そうだね、行こっか]


 駅で待ち合わせ、それから電車とバスに揺られて約五十分。目的の神社にたどり着いた。雨の日なのに駐車場はいっぱいのようで、混雑というほどではないけどそこそこ人もいる。


 最初の鳥居をくぐり、境内に向かう階段を上る。両側に紫陽花が咲いている。すごいね、なんて言いながらるんるん気分で進む。

 だけど余裕ぶっていられたのも最初だけだった。


「たけちゃん、この階段、普通のより一段が高くない?」

「高い。そして長い。終わりはどこ」


 いつの時代だかわからない年季の入った石の階段は、高さや幅が違うところがあって歩きにくい。踊り場といったらいいだろうか、ところどころの平らな場所にベンチが置かれていて、人生の大先輩方が休んでいる。ちょっと休みたいとは思ったけれど、さすがにどいてもらうわけにはいかない。


「明日は筋肉痛」

「俺も」

「たけちゃん、おぶって」

「無茶言うな」


 もちろん冗談である。たけちゃんだってわかっているから、笑いながらもぶっきらぼうに返してくる。


「スニーカーにして正解だったわ。ヒールだったら本当におぶってもらわなきゃだったよ」

「裸足で歩け」

「ひどい~」

「おんぶしろとかいう奴と、ひどいのはどっちだよ」


 たけちゃんが珍しく「デート」なんて言葉を使うから、ちょっとはおしゃれするべきだろうかと迷ったのだ。だけど雨が降っていたし、ラーメンだし、と思って普段通りにした。本当によかった。

 

 ぜぇぜぇ言いながら長い階段を上り切る。

 その瞬間に、鮮やかな色彩が目に飛び込んできた。


「わぁ~!」


 色とりどりに咲き乱れる紫陽花たち。奥に小さく見えるのが本殿だろう。右には小さな祠、左には大きくはない池があって、その周りにも紫陽花が咲いている。

 きっと生涯忘れない、と思えるくらいに美しい風景が、そこには広がっていた。


「想像以上に紫陽花だらけだな」

「すごいね!」


 私がそう感嘆の意をもらすと、たけちゃんがふっと笑った。


「文学部ならこういうとき、もうちょっと詩的な表現するんじゃないの?」

「しません。すごいと思ったらすごい、綺麗と思ったら綺麗と言うのです。素直に表現すること、それもまた文学……」

「違くない?」


 笑いながら歩みを進める。


 紫陽花の中に咲く人々の傘の色。しとしとと降る雨の音。

 花に近付いてみれば、葉に乗る滴が丸く、小さく世界を映している。

 のんびり進むカタツムリに、飛ぶアマガエル。


「これこそ風情だね!」


 私が断言すると、たけちゃんがからからと笑う。


「笑うところじゃなくない? たけちゃんにはわびさびがわからんのかね」

「どこがわびでなにがさび?」

「それ聞いちゃう?」


 たけちゃんはまた笑う。それも合わさって、きっと風情でありわびさびだ。そうに違いない。


「たけちゃん、見て見て。この紫陽花、綺麗なピンクだよ」

「あぁ、土壌がアルカリ性なんだな」

「え?」


 なぜか急に真面目な顔になったたけちゃんは、花をしげしげと見つめている。


「土の酸性度合いによって咲く紫陽花の色が変わるんだよ。酸性なら青っぽくなる」

「へぇー」

「リトマス試験紙とは反対なんだ。面白いよな」


 正直、何が面白いのかよくわからない。私はただ「紫陽花綺麗だね」「そうだね」って会話をしたかっただけなのに、なぜリトマス紙の話になってしまうのか。


「隣り合って咲いているのに色が違うのは不思議だよな。自然とそうなるのか、何かをまいて人工的に色を変えているのか」

「変えられるんだ。何をまくの?」

「卵の殻とかミョウバンとか? そういう製剤も売ってるらしいよ」

「へぇー」

「要は土壌の酸度を調整すればいいわけだから……」


 ここは「綺麗だね」って共感すればいいんだよ、と言うべきか、そんなこと知っているなんてすごいねと褒めるべきなのか。とりあえず聞いているフリをしながら適当に相槌を打っておく。

 たけちゃんは理学部、私は文学部。こういうところでは、きっとこの先も分かり合えない。

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