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紫陽花の香りは青くて少しだけ甘い  作者: 海野はな


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「え、え。えぇ? なんでここに?」


 すごくきょどっているたけちゃんを見たら少しだけ気持ちが落ち着いて、ゆっくり答える。


「えっと、あの、ね、隣の会場の展示会に来てて、それで時間が余ったから、こっちにも来てみたの。誰でも入れた、から……」

「あ、なるほど? そうなんだ」

「私は分野が違うけど、たけちゃんは本業かな、なんて思ってたら本当にいて、すごくびっくりしてる」

「あ、うん。あの、ここ、俺が勤めてる会社で」


 たけちゃんはチラッと社名の載ったブースの看板を見る。「そうなんだ」「うん」そして少しの沈黙。


「ええと、元気にしてた?」

「あぁ、うん。たけちゃんも?」

「うん」


 また沈黙。

 話したいことがいっぱいあるのに、本当にいっぱいあるのに、何も出てこない。もっと聞きたいことも、しゃべりたいことも、たくさんあるはずなのに。


「これから大阪戻るの? っていうか今も大阪?」

「うん、今も大阪だけど、帰るのは明日。今日は東京」

「今日は東京……。じゃあ、さ、この後ごはんでも行かない? せっかく久しぶりに会えたんだし、さ。予定が合えばだけど……」


 飛び上がりそうな鼓動を隠して、私はチラッとちなつさんを見た。ちなつさんと一緒にごはんを食べる話をしていたから。彼女は二ッと意味ありげに笑う。


「いいよ、行ってきな。うちらはいつでも行けるし。もう今日見るべきところには行ったし、このまま解散にしよ?」

「いいんですか?」

「もちろん。明日は朝八時にホテルのロビーに集合。商談があるから、社会人としてそこは譲れないけど、いい?」

「ちなつさん、大好きです」


 真顔でそう言うと、ちなつさんは私の耳元に口を近づけて、手で隠しながらこっそり「大好きは彼に言いな?」と囁いた。

 そしてちなつさんはたけちゃんにニコリと笑顔を向けると、私に軽く手を振って去っていく。


「行っていいって」

「みたいだね」

「たけちゃん、仕事は?」

「あっ、ごめん! 誘ったはいいけど、まだあった……」

「全然いいよ。こっちは今日はもう予定ないから。何時ごろ終わる?」

「えっと」


 スマホを取り出して時間を確認するたけちゃんに、彼の先輩と思われる男性がすすすっと近づいてきて、ニヤリと笑った。姿かたちは全然違うけど、なんだか雰囲気がちなつさんと似ている気がする。


「あと五分だよな」

「え、でも、まだ」

「いやいやあと五分で終わる予定だったから。もう今日はたけの仕事ないから」

「え、え?」

「さっさと行け。上司命令だから。ただし明日はちゃんと来い」


 たけちゃんは目を丸くして、彼にお礼を言っている。そして私の方を向いた。


「えっと、じゃあ、五分、いや十分。十分待ってくれる?」


 いいんだろうかと思ってたけちゃんの先輩を見ると、彼は私に向かって二ッと笑った。やっぱりちなつさんと同じオーラを感じた。


「私は急がないから、ゆっくりでいいよ。この会場を少し見て回ってから、入口付近で待ってる」

「わかった。すぐ行くから」


 ここを離れたらたけちゃんはこないんじゃないか、なんて少しだけ不安になりつつ、それでも気分が上がるのを抑えながら、なにも目に入らないくせにゆっくりと半周してから会場を出た。入口近くの椅子に座ってスマホに目を落とす。文字が全然頭に入ってこない。


 たけちゃんと何を話そう。うきうきするような切ないような、それでいて話すのが少し怖いような。


「おまたせ」


 たけちゃんはすぐ来た。懐かしい声に顔を上げる。以前と変わらない笑顔に切なくなった。いや、社会人になってちょっとだけ顔つきが大人っぽくなったかな。


「待ってないよ。仕事抜けて大丈夫だったの?」


 さっきのやりとりからすると、おそらく本当はもう少し仕事時間が続いたのだろう。私のために早くしてくれたようだった。


「もともと展示会はあと三十分くらいで終わるし、お客さんも少なくなってたから大丈夫だと思う。それにさっきの感じだと、今戻ったら逆に怒られる」


 ふふっと笑いながら、入口にあるポスターを見る。たしかにもう終わりの時間は迫っていた。


「とりあえず移動しようか」


 行き先も決まらないまま、展示会場の出口に向かう。歩きながら、たけちゃんの姿を観察した。


「たけちゃんが仕事用のスーツ着てるの、初めて見た」

「あぁ、そうだよね」

「似合ってるよ」

「だろ?」


 謙遜したり否定しないで当然のように言うので、笑ってしまった。


「いつもスーツなの?」

「いや、今日は展示会だから。普段は商談とか特別な事がなければ服装の指定はなくて、楽な格好してる」


 さっきはなにを話していいかわからなくて沈黙してしまったけれど、一度話し始めるとスムーズで、以前に戻ったような錯覚に陥る。


「ゆかも今日は展示会だからスーツ?」

「そう。普段は綺麗めの私服? スーツじゃないし制服もないんだけど、さすがにジーパンとかはダメな雰囲気」

「服選びが大変そうなやつ」

「そうそう。あれ、もしかして雨降ってる?」


 天井がある通路から外が見えた。いろんな色の傘が咲き、地面が濡れている。


「降ってるね。朝は晴れてたのに」


 なんだかおかしくなった。

 たけちゃんといるときは、なぜか雨ばかり降る。

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