表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫陽花の香りは青くて少しだけ甘い  作者: 海野はな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/19

16

 一年が経ち、また一年が過ぎていき、季節が何度も巡った。

 いつの間にか私は社会人五年目になっていた。


 会社の大先輩に「歳取るごとに一年が早くなる」と言われたけれど、本当にそう感じる。それを言ったら「まだ若いでしょう」って嫌な顔をされそうだけれど。

 大学生だったころは一年がもっと長かったのに、社会人になってから急に時間の流れが変わってしまったみたい。


 たけちゃんと別れてからもう五年も経つなんて、本当に信じられない。だってまだ私は、彼への思いを残しているから。


 失恋に効く薬は時間の経過だという。時間が経つごとに、その人のことを思い出にしたり、気持ちを切り替えたりできるようになるんだって。

 たしかにそれは正しいと思う。別れてすぐのころは毎日がどうしようもなく辛かったけれど、日数を重ねるごとにほんの少しずつ痛みは和らいでいったから。このままゆっくり時が進めば、一年経つころにはきっと狂おしいほどの気持ちはいい思い出に変わっていくんだろう。そう思っていた。


 甘かった。

 私のたけちゃんへの思いは、思っていた以上に頑固だったらしい。



 たけちゃんと別れて一年弱だったころの、社会人一年目も終わりに差し掛かった春先。私は新しい人とお付き合いを始めた。付き合ってほしいと言ってくれる方が現れたから。


 その方に特別な思いはもっていなかった。なにせ、たけちゃんのことがその時点でも好きだったのだ。新しい恋愛をしようなんて思ってもいなかった。だけど彼に対して悪い印象もなかった。

 もし新しい人と付き合ったら、たけちゃんのことを思い出にできるかな。そんな期待もあった。


 私はその彼に、私の事情を話した。学生時代に付き合っていた人がいたこと、彼とは別れたけれどまだ忘れられずに好きなこと、現時点であなたに特別な思いはもっていないこと、だから付き合ったとしても上手くいくかはわかりません。ひどい条件だけれど先に言っておくべきだと思い、そんな内容を伝えて、それでもいいですかと聞いた。彼はそれでもいいですと言った。それでお付き合いが始まった。


 結果から言うと、三か月で別れた。


 悪い人じゃなかった。だけど考え方が合わなかった。

 特に困ったのが、いつでもどこでもメッセージを送ってくることだ。朝は[おはよう]から始まり、昼休憩の間に[今サンドイッチ食べてる。そっちは?]とか送られてきて、仕事が終わるとずっとどうでもいいような話のラリーが続いてしまう。私はもともとそんなにマメな性格ではなく、メッセージも必要最低限なところがあった。それが一日に何通送り合うのだろう。たまになら嬉しいけれど、一日中毎日続くのはしんどかった。

 面倒になって返さずにいると電話がかかってきて、「どうしたの?」とか聞かれる。どうもこうもない。ステーキに付いてくるニンジンが甘いのは許せるかどうかなんて、どうでもいいんだ。[俺は甘いの許せない派]あっそう、だからなんだ。文句言わずに食べろ。


 やり取りの回数を減らしたいとお願いすると、え、迷惑だった? としゅんとした顔をされた。まるで私が悪いみたい。それからしばらくは控えめにはなったけれど、いつの間にか復活していた。

 ハンバーガーに入っているピクルスはスライスか刻みのどっちがいいかなんて、どうでもいいんだ。[俺は刻み派]あっそう、それもいいと思いますけどね。[私はどっちも好きです]と返して、続けて眠い顔のスタンプを送った。スタンプはもちろん、会話終了の合図のつもりだ。そのスタンプにラリーを返してくるな。[粗みじんくらいが一番いいよね]わりと同意するけどそうじゃないんだ。その先の会話は求めてない、寝ますねと言ってるんだ察しろ。


 もう一度言うと、悪い人じゃなかった。デートもどこにいきたいか聞いた上で考えてくれて、私の都合もちゃんと考慮してくれた。楽しいと感じる瞬間がないわけじゃなかった。

 だけど一日デートするのにそんなにみっちり予定組まなくていいと思うし、そのプランを立てるのにメッセージラリーも電話もそんなにしなくていいと思う。


 たけちゃんとなら「ここ行きたいから行かない?」「いいねー」で、あとはスケジュールを合わせればいいだけだったのに。なんでこんなに大変なんだろう。


「そんなこんなで、ごめんなさいと言いました」

「そっか~」


 報告したのは、会社の先輩のちなつさん。三歳上の彼女は入社したときから私にとてもよくしてくれて、仕事面だけでなく大阪に慣れない私を休日にいろんなところへ連れ出してくれたりもした。先輩に対する言い方としては失礼かもしれないけれど、公私共に仲良くしていただいている、本当に感謝、信頼している大好きな先輩だ。


 ちなつさんにはたけちゃんとのことも、今でも好きで失恋を引きずっていることも話している。付き合ってほしいと彼に言われたとき、真っ先に相談したのもちなつさんだった。ちなつさんは、新しい恋をすれば失恋から立ち直れるかもよ、嫌じゃないなら付き合ってみたら、と私の背を押してくれた。だから別れたことも報告したのだ。


「どうしても、堅苦しくて。私のほうが合わせられなかったんです。だから彼には申し訳ないことをしました」


 どうしてもたけちゃんと比べてしまったのだ。

 たけちゃんなら連絡がなくても気にしないのに。たけちゃんなら行きたければ「行く」興味がなければ「行かない」で済んだのに。たけちゃんなら話したければ話せばいいし、話すことがなければ黙っていればよかったのに。たけちゃんなら、たけちゃんなら……。


 ほんの小さいことまでたけちゃんだったらと思ってしまって、本当にダメだった。それは私の事情だから、先に話していたとはいえ私が悪いし、申し訳ないと思う。彼はたけちゃんじゃないし、もちろんたけちゃんの代わりなわけでもない。理解はしているのだ。


「なんだか結局、元彼の良さを再認識してしまって」

「そっか~」


 ちなつさんは静かに話を聞いてくれた。


 別の人とお付き合いを始めたのは、それから一年以上過ぎたころだった。そのときになっても私はまだ失恋を引きずっていて、いい加減に前を向かなきゃだめだと思っていたところ、声をかけてくれる人が現れたのだ。


 結果としては四か月で別れた。

 私は大いに沈んだ。彼も悪い人じゃなかった。でもたけちゃんを思い出すたび、違うと思ってしまったのだ。

 そんな状態だったから、彼にもそれが伝わったんだろう。別れを切り出してきたのは彼のほうだった。私は未練もなく受け入れた。


「話聞いてた限りだし、その彼のことは知らないけどさ、今回の人は別れてよかったと思うよ。なんかゆかちゃんをいいように動かそうとしている感じがあったもん」

「そうですか?」

「そうそう。それにゆかちゃん、付き合ってるのに逆に辛そうだったから。実は心配してた」


 別れをちなつさんに報告すると、あっけらかんとそう返ってきて、私はだいぶ救われた。申し訳ないという気持ちで潰されそうになっていたから。

 そしてちなつさんの次の言葉で、私はもっと救われることになる。


「あのさ、元彼さんのこと、無理に忘れなくてもいいんじゃない? まだ好きならそのまま好きでいいと思うの」

「え?」

「無理に前を向かなくてもいいじゃん。ゆっくり思い出を噛みしめたらいいじゃん。何歳までに絶対結婚! とか決めてるわけじゃないなら、焦らなくていいわよ。そもそも彼氏がいなくてもいいし、結婚しなくてもいいし、ずっと一人だっていいんだから」


 誰かと一緒にいて苦しい思いをするより、一人で好きなことをやるほうが幸せでしょ、と言われ、たしかにと思う。


 そっか、好きなままでもいいんだ。


 それに気がついたら、気持ちがすごく楽になった。

 私、たけちゃんを好きなままでもいいんだ。この思いを捨てなくてもいいんだ。




 そうして気がつけばもう社会人五年目。

 そこから誰ともお付き合いはしていない。代わりに自分がやりたいと思ったことや好きなことをどんどんやるようになったからだろうか、毎日が楽しいと思えるようになった。そしてたけちゃんへの思いは変わらずにもっているけれど、本当に少しずつそれは優しいものになっていき、寂しさや辛さばかりではなくて、たけちゃんが幸せであるといいなと、そう素直に祈れるようになってきた。


 それでもやっぱり今ここにたけちゃんがいたらいいのにとか、好きなことをやっているときに一緒にできたらよかったのにとか、まだ考えてしまうあたり、だいぶ拗らせてはいる。

 だけどそれもまとめて自分なのだから仕方がないと思えるようになって、私は少しだけ、大人になれた気がしている。



 その日私は仕事で展示会に行くため、新幹線で東京に向かっていた。梅雨で大阪はぐずぐずした天気だったけれど、東京に近づくにつれて晴れ間が見えてきている。


 新幹線の車窓から、遠くに紫陽花の群生地が見えた。一瞬で通り過ぎてしまったけれど、赤、青、白っぽいのもあった気がする。たしか花の色は土壌が酸性かアルカリ性か、とかいう理由で変わるんだっけ。たけちゃんがそんなことを言っていたのを思い出す。彼は元気にしているかな。そういえば東京にいるのかな。偶然会っちゃったりして。

 あるはずがないとわかりつつそんな妄想をして頬が緩みそうになって、慌てて表情を戻す。ここは新幹線の中。一人でにやけていたら怪しい人になってしまう。


 まさかそのとき、このあと本当にたけちゃんと再会することになるとは、夢にも思っていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ