6話 忍の末裔
肌を撫でる湿った風。
木々の葉が揺れ、重なり合う音が耳へ届く。
土と水が混じったような匂いを感じ、陸徒はゆっくりと目を開けた。
「……森?」
頭上には枝葉が広がり、そこから木漏れ日が差し込んでいる。
周囲には大小様々な木々が生い茂っているが、遠くから車の走行音も聞こえていた。
ミドラディアスの森ではない。日本へ戻ってきたことは間違いなかった。
「陸徒。ちゃんと着いてるわね?」
「あぁ。そっちも大丈夫そうだな」
隣には、聖杖パステリアウィッシュを手にしたステラが立っている。
ミドラディアスの法術士が持つ杖は、日本の小さな森にはひどく不釣り合いだった。
「それで、ここはどこなんだ?」
「ちょっと待って。今調べるから」
バッグから取り出したスマートフォンで位置情報を確認したステラは、画面と周囲を交互に見比べた。
「……滋賀県みたいね」
「滋賀? 随分遠くへ飛ばされたな」
「現在地は、琵琶湖の近くにある小さな森。少し歩けば湖岸へ出られると思うわ」
「琵琶湖か……」
陸徒は木々の隙間へ目を向ける。
遠くから、微かに水が岸へ打ち寄せる音が聞こえていた。
東京の博物館でも、二人が最初にゲートクリスタルを発見した鉱山でもない。欠片は明確な目的を持つように、陸徒とステラを滋賀県まで移動させた。
「ってことは、シェリルの予想が当たったのかもしれないな」
「この近くで、なにか異変が起きている」
ステラは手を広げて視線を落とす。
ゲートクリスタルの欠片は、弱いながらも規則的に明滅している。まるで二人へ進むべき方向を教えているようだった。
「光が強くなる方角を探してみましょ」
「あぁ。ただ、その杖は目立ちすぎるな」
「仕方ないでしょ。パステリアウィッシュは、喬介の造った武器みたいに消したりできないんだから」
「誰かに見つかったら、コスプレだって言い張るしかないか」
「こんな完成度の高い杖を、コスプレ道具なんかと一緒にしないでよ!」
「そこ怒るのかよ」
言い合いながらも、二人は警戒を怠らず森の中を進んでいく。
幸い、人が頻繁に出入りする場所ではないようだ。地面には踏み固められた細い道があるものの、雑草が伸び、しばらく整備された形跡もない。
陸徒は腰元へ手を下げる。刀身なき柄は、しっかりと主とともについてきている。
現状武器として使うことはできない。それでも柄を握っているだけで、不思議と体の奥に懐かしい感覚が蘇ってきた。
「なにか感じる?」
ステラがその様子に気づく。
「いや。ラディアセイバーからはなんも。ただ……」
「ただ?」
「誰かに見られてるような気がする」
周囲を睨みながら陸徒が足を止めた。
先ほどまで聞こえていた鳥の声が、いつの間にか消えている。風も止まり、森全体が息を潜めたような静寂に包まれていた。
ステラも異変を察し、聖杖を両手で構える。
「アタシも感じる。魔力とは違うけど、なにかが近くにいるわ」
「右か?」
「いいえ。前方よ」
二人は道の先へ視線を集中させる。
木々の奥。降り注ぐ陽光と枝葉の影が混じる場所で、何かが動いた。初めは風に揺れた木の枝かと思われた。だが、次第にそれは明確な人影の輪郭を作り出す。
陸徒たちの存在に気づいているのか、一定の距離を保ったまま佇んでいる。
逆光のため顔までは確認できない。しかし、その手には何か長い物が握られていた。
「誰だっ!」
張り上げた声と同時にラディアセイバーの柄を抜き、刀身のないそれを構えた。
ステラも杖の先端を人影へ向ける。日本では法術を使えない。それでも、いつ戦闘が起きても動けるように身構えていた。
人影は答えない。ただ、陸徒の手にあるラディアセイバーを見つめるように、ゆっくりと顔を上げる。
次の瞬間——
森の中に、鋭い光が走った。
「陸徒っ!」
ステラの高い声が響く。
人影の手元から放たれた一閃は、枝葉の隙間を縫い、陸徒の顔を目掛けて一直線に迫ってきた。
「なっ!?」
あまりの不意を打たれた攻撃に、陸徒は反射的にラディアセイバーの柄を構える。
しかし、そこに敵の攻撃を受け止める刀身はない。回避しようにも、気づいた時にはすでに目の前まで到達していた。
―其は万物を遮る絶衝の盾となれ―
「魔防壁!」
突然呪文の詠唱が響き、陸徒の目前に純白に輝く半透明の壁が出現する。
直後、迫り来る一閃が障壁へ激突。甲高い金属音とともに眩い火花を散らした。
攻撃の正体は、細長い鉄製の針だった。障壁に弾かれ、落ち葉の積もった地面へ突き刺さる。
「今のは……」
陸徒は目を見開いたまま、自分を守る光の壁へ手を伸ばした。
紛れもない法術。かつてミドラディアスで、幾度となくステラに守られた時と同じものだった。
「ステラ、お前……法術が使えてるぞ!」
「そんなのアタシが一番わかってるわよ!」
聖杖パステリアウィッシュを突き出したステラ自身も、驚きを隠せずにいる。だが今は、法術が発動した理由を考えている余裕などない。
障壁を維持したまま、鋭い視線を前方の人影へ向けた。
「アンタ、いったい何者よ! いきなり攻撃してくるなんて、どういうつもり!?」
人影は何も答えず、木々の間からゆっくりと歩み出した。
葉緑の隙間から差し込む陽光がその姿を照らす。
現れたのは、一人の少女だった。
年齢は陸徒より少し下か、同程度に見える。鮮やかな紫色をした短い髪。左側には水色の小さな髪留めが付けられている。鋭い眼差しを作る瞳は、先を見通すような深い藍色。
そして何より目を引くのは、その装いだった。臙脂色と桜色を基調とした、体の動きを妨げない軽装。腕には籠手。腰には帯と小さな道具袋が装着され、足元も動きやすさを重視した造りとなっている。
現代風の意匠が加えられているものの、陸徒の知識にある姿と照らし合わせれば、答えは一つしかなかった。
「忍者……いや、女だから、くノ一ってやつか?」
「…………」
少女は否定も肯定もせず、陸徒たちを警戒したまま見据えている。
その右手には、鈍色の光を放つ小太刀が携えられていた。
「ってか、お前! ここが人目の少ない森だからって、日本でそんな物騒なもん持ち歩くなよ!」
「陸徒。今、気にするところはそこじゃないでしょ」
「いや、気になるだろ! 喬介さんは銃刀法違反にならないようにって、わざわざ武器を消せる装置を造ってたんだぞ!」
「それとこれとは話が別よ!」
緊迫した場面にもかかわらず、陸徒の突っ込みによってわずかに空気が乱れる。
小太刀を構えていた少女も、ほんの一瞬だけ怪訝な表情を浮かべた。
「……お前たちこそ何者だ」
落ち着きのある低く、冷静な声。
少女は小太刀の切っ先を二人へ向けたまま問いかける。
「その杖。それに先ほどの光る壁。手品の類ではないな」
「手品ですって?」
ステラの眉がつり上がる。
「これは法術よ! アタシが長年の研鑽の末に極めた、由緒正しき神秘の力なんだから!」
「長年って、お前まだ15歳だろ」
「年齢なんて関係ないでしょ! 今はアタシのことじゃなくて、この女の正体を調べるのが先よ!」
ステラは陸徒をぴしゃりと遮り、少女の姿を観察する。
小太刀。忍び装束。先ほど放たれた鉄の針。現代の日本では、博物館か時代劇でもなければ目にする機会のないものばかりだ。
「ただのコスプレじゃないわね」
「当然だ」
「なら、質問を変えるわ。この森でなにをしていたの?」
「それを話す前に、その手にある物を見せろ」
少女の視線が、ステラの左手へ向けられる。
そこには青白く瞬くゲートクリスタルの欠片が握られていた。
「この欠片を知っているの?」
「知らない。だが、そこから不穏な気を感じる」
睨むような答えに、ステラの表情が変わった。
「不穏な気……。アンタ、それを感じ取れるのね」
「数日前から、この琵琶湖周辺で正体不明の気配が発生している。私はその原因を探っていた」
小太刀を構えたまま、少女は静かに言葉を続ける。
「そして先ほど、森の中に強い光が現れた。駆けつけてみれば、見慣れない武器を持つ男と、奇妙な杖を携えた女が立っていた」
「それで、俺たちを異変の原因だと思ったのか?」
「少なくとも、無関係には見えなかった」
「だからって、いきなり攻撃するか普通!?」
「急所からは外していた。防げなければ、そのまま身動きを封じるつもりだった」
「顔のすぐ横に飛んできたぞ!」
「動かなければ当たらない位置だ」
「いやいや怖ぇよ!」
陸徒が顔を引きつらせながら声を荒らげる。
少女は悪びれた様子もなく、淡々と返した。
ステラは二人の会話を聞き流しながら、少女の立ち姿へ目を凝らしていた。
隙のない構えと乱れのない呼吸。相手の動きを観察する鋭い目。見かけだけの装いではない。本当に戦闘の訓練を受けた者だと分析する。
「名前は?」
「先に名乗るのが礼儀ではないのか?」
「いきなり針を投げてきた人に、礼儀を説かれたくないわね」
「……それもそうだな」
小さく息を吐き、少女はしばし考えを巡らせてから小太刀を下ろした。
だが鞘へ納めることはなく、いつでも動けるように右手へ携えたままだ。
「望月那琴。かつて甲賀の忍であった、望月家の末裔だ」
「甲賀の、忍?」
オウム返しをして、陸徒がわずかに眉を寄せた。
「本物の忍者の子孫ってことか?」
「忍の技と役目を、家で受け継いでいるだけだ。今の時代に、かつてと同じ忍の組織が存在するわけではない」
「それでも、小太刀やら針やらは本物なのね」
「あぁ」
「やっぱり物騒じゃねぇか!」
再び突っ込んだ後、陸徒は一呼吸した。
「まぁいい。俺は陸徒、こっちはステラだ」
「ちょっと、勝手にアタシの紹介を済ませないでよ!」
「話が進まないだろ」
不満げなステラをよそに、陸徒は自分たちの事情を説明する。
ステラが異世界ミドラディアスの出身であること。
二年半前、陸徒たちがゲートクリスタルによって異世界へ渡ったこと。
最近になって二つの世界の境界に異変が起き、現代日本へミドラディアスのモンスターが出現したこと。
そして、その原因を調査するため、ゲートクリスタルの欠片に導かれてこの森へ転移してきたこと。
あまりにも現実離れした内容。普通ならば、冗談か作り話だと一蹴されてもおかしくない。
しかし那琴は一度も口を挟まず、真剣な顔で最後まで聞いていた。
「異世界、か」
「信じられないのも無理ないけど、全部本当よ」
「いや。信じよう」
あまりにも早い返答に、今度は陸徒とステラが目を丸くする。
「信じるのか?」
「実際に、そのステラという娘は見たこともない力を使った。それに、お前たちはなにもない空間から突然現れた。私自身、この周辺で通常とは異なる気配を感じ取っている」
言いながらステラの持つ欠片へ視線を移す。
「全てを信じるに足る証拠とは言えない。だが、頭から否定する理由もない」
「思ったより話のわかる人ね」
「お前たちが敵でないことも理解した。先ほどの攻撃については謝罪する」
那琴は小太刀を鞘へ納めると、深々と頭を下げた。
「悪かった」
「まぁ、こっちも怪しまれるような格好だったしな。俺なんか剣の柄だけ腰に差してるし」
「柄だけの剣……。それにも、微かな気を感じる」
澄んだ藍色の視線がラディアセイバーへ向けられる。
「こいつのこともわかるのか?」
「正体まではわからない。ただ、今は眠っているように感じる」
「眠っている……」
陸徒は腰から柄を抜き、その姿を見つめた。
刀身はなく、力を込めても何も起きない。だが完全に力を失ったのではなく、何かのきっかけを待っているのだとすれば。
那琴の表現は、不思議と的を射ているように思えた。
「いずれにせよ、このまま立ち話を続ける場所ではないな」
那琴は周囲の木々へ目を配る。
「この近くに私の実家がある。そこで詳しい話を聞かせてほしい」
「実家?」
「旅館を営んでいる。ここから歩いて行ける距離だ」
「旅館!?」
途端にステラの表情が明るくなる。
「ってことは、温泉もあるの?」
「あぁ。小さいが、露天風呂もある」
「行くわよ陸徒!」
「切り替え早すぎるだろ!」
「詳しい話をするためよ! 別に温泉へ入りたいからじゃないんだから!」
「聞く前から自分で言ってんじゃねぇか」
ステラは陸徒の言葉を無視し、那琴の隣へ並ぶ。
先ほどまでの緊迫感は、すでに跡形もなく消え去っていた。




