5話 神剣再び
「まったく、先生も大袈裟なのよ。二日もあれば、このアタシが会得できないわけないじゃない」
修行を終え、校舎を出て早々のこと。
聖杖パステリアウィッシュを携えたステラは、得意げな表情で胸を張っていた。
「昨日の夜まで、全然できないって頭抱えてただろ」
「そ、それは術の構造を分析していただけよ! できなくて悩んでたわけじゃないから!」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ」
「なによ、その言い方!」
空間転移術を会得した今、二人は出発前の挨拶と今後の方針を確認するため、再びアルファード城を訪れていた。
「陸徒さん、ステラ。お待ちしておりました」
謁見の間に着くと、シェリルが穏やかな笑顔で迎える。
「空間転移術の習得は、いかがでしたか?」
「もちろん完璧です! この天才法術士ステラ、たった二日で会得してみせました!」
「それは素晴らしいです! さすがはステラですね」
「そ、そんな、シェリル様に褒めていただけるほどのことでは……」
先ほどまで陸徒に対して威勢を張っていた姿はどこへやら。
憧れの王女から素直に称賛され、ステラは頬を赤くしながら目を泳がせている。
そこへ、謁見の間の扉が再び開かれた。
「国王陛下。モコ・フィナルフィ、ただいま任務より帰還いたしました」
抑揚の少ない、落ち着いた声が響く。
「モコ?」
ステラが大きく反応し、扉の方へ振り返る。
そこには、桃色を基調とした軽鎧を身に纏う少女が立っていた。
栗色のツインテールは少し長く伸びている。小柄な体つきも成長し、特殊騎士としての凛々しさが備わっていた。
腰の両脇に装着されているのは、新たに造られた飛翔刃チャクラムベリーサ。翠色の瞳と感情の乏しい表情は、陸徒の記憶にあるものと変わっていない。
「モコ、久しぶりね!」
喜々としたステラに対し、モコはすぐに返事をしなかった。
謁見の間へ一歩踏み込んだ姿勢のまま、ステラを凝視して動かない。
「……ステラ?」
「そうよ。なによ、久しぶりに会ったっていうのに、もうアタシの顔を忘れたわけ?」
「ステラ……」
名を繰り返す声が、わずかに震えていた。
モコは任務の報告も忘れたように、ゆっくりとステラへ近づいていく。
いつものように感情が欠落しているような無表情。だが、翠色の瞳には見る見るうちに涙が溜まっていった。
「ちょっと、モコ……?」
次の瞬間、モコは突然その小さな体を抱きしめた。
「わっ!?」
「……生きてた」
それだけを発すると、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「ステラが、生きてた……」
声を上げて泣き叫ぶわけではない。表情にも、大きな変化は見られない。
それでも頬を伝う涙は止まらず、ステラの服を強く掴んだ両手が震えている。
「モコ……」
ステラも、初めは驚いたまま両手を上げていた。
しかし、やがて表情を和らげると、幼馴染の背中へそっと腕を回す。
「心配かけたわね」
「……二年」
「え?」
「二年の間、ずっと……お墓に行ってた」
ステラの桃色の瞳が揺れた。
明るく騒がしく、自信過剰なステラ。
物静かで感情表現に乏しく、必要なことしか口にしないモコ。
幼い頃から顔を合わせれば言い争い、互いを邪険に扱うことも少なくなかった。それでも二人は、長い年月をともに過ごしてきた幼馴染。不仲に見えても、その間には他人には計れない絆が存在していた。
「アタシのお墓に?」
「任務がない日は、できる限り」
「そう……。アンタ、相変わらず変なところで律儀なのね」
声を震わせながら、モコから顔を隠すように肩へ顎を乗せると、その瞳にも涙が滲んでいた。
「でも、もうお墓に来なくてもいいわ。アタシはちゃんとここにいるから」
「……うん」
「それに、アンタを置いて簡単に死ぬわけないでしょ。この天才法術士のアタシが」
「ステラは一度、本当に死んだわ」
「そ、そうだけど! 今は生きてるんだから細かいことは気にしないの!」
「事実を言っただけ」
「再会して早々、相変わらずねアンタは!」
抱き合いながら、いつもの調子で言い合う二人。
けれどモコはしばらくの間、ステラの体を離そうとはしなかった。
「モコ」
陸徒が声を掛けると、モコはそのまま見上げる。
「……陸徒さんも、生きてて本当によかったです」
「あぁ。あの時、お前が命をかけて守ってくれたおかげで、バサラを倒せたようなもんだ。ありがとな」
その言葉に、モコは瞳を閉じて薄く口角を上げた。頬を伝った雫がきらりと輝く。
シェリルも目元を拭いながら、再会を喜んでいた。
「ねぇモコ。ところでアンタ、なんの任務に行ってたの?」
ようやく体を離したステラが問いかける。
モコは手の甲で涙を拭うと、普段と変わらぬ無表情へ戻った。
「アルファード領北部に出現したモンスターの討伐です」
「モンスター? それは、今回の異変と関係しているのか?」
陸徒が表情を引き締める。
モコは小さく首を横へ振った。
「不明です。周辺地域では目撃されない種類でした。ただし、ミドラディアスに存在しないモンスターではありません」
「生息域の異なるモンスターが、突然北部に現れたということです」
横からシェリルが補足してきた。
「これまでにも、モンスターがなんらかの理由で生息域から離れることはございました。しかし今回のものは、目撃される直前まで一切の痕跡がなかったそうです」
「まるで、突然その場へ現れたみたいね」
ステラは顎へ手を添え、考え込む。
「日本に出現したブラッディオーガと同じく、空間を越えて飛ばされた可能性があるってことか」
「ええ。まだ断定はできませんが、その可能性も含めて調査を進めています」
再会の喜びで和んでいた空気が、再び緊張へ包まれる。
二つの世界で、同時に起こり始めた不可解な現象。偶然の一致と考えるには、あまりにもできすぎている。
「それと、陸徒さんたちが次に調査すべき場所についてですが——」
シェリルの視線が、ステラの持つ小さなバッグへ向けられた。
「ゲートクリスタルの欠片。それが、お二人を次なる異変の場所へ導くのではないかと考えています」
「欠片が?」
「はい。欠片は博物館でステラを選ぶように、その手元へ現れました。そしてブラッディオーガが出現、討伐した後、お二人をアルファードへ導いています」
ステラはバッグから青白い結晶片を取り出す。
今は弱く瞬いているだけで、特に変化は見られない。
「欠片自体に意思があると?」
ザルディスが玉座から問いかける。
「そこまでは、わたくしにもわかりません。ですが、ゲートクリスタルは二つの世界のパワーバランスを保つ存在です。境界に生じた異変を正そうとしているのであれば、欠片が必要な者を必要な場所へ運んでいるとも考えられます」
「つまり、次にこの欠片を使った時、アタシたちが到着するのは——」
「異変が起きている場所、あるいはその近くである可能性が高いということです」
ステラは手のひらの欠片をじっと見つめた。
日本へ戻るだけならば、元いた博物館へ移動するはず。しかしシェリルの予測が正しければ、今度は全く異なる場所へ転移させられる可能性がある。
「どこへ行くのかわからないってのは、ちと怖いな」
「今さらなにを言ってるのよ。アンタ、最初にミドラディアスへ来た時だって、行き先も知らずに飛ばされてきたんでしょ?」
「あの時は自分の意思じゃなかっただろ」
「今回は自分の意思で飛ぶんだから、少しは堂々としなさいよね」
「お前は平気なのか?」
「当然でしょ。アタシにはパステリアウィッシュもある。それに、今回は——」
ステラは途中で言葉を止め、陸徒へ一瞬だけ視線を向ける。
「今回は?」
「……なんでもない! とにかく、どこへ飛ばされたってアタシがなんとかしてあげるわ!」
「はいはい。頼りにしてるよ、天才法術士様」
「ふんっ。始めからそう言えばいいのよ」
満足そうに胸を張るステラをよそに、陸徒はわずかに表情を落とした。
今の彼には戦う手段がない。数々の強敵と渡り合った神剣ラディアセイバーは、すでに手元から失われている。
日本に戻ればステラの法術も発動しない可能性が高い。ブラッディオーガのようなモンスターが待ち受けていた場合、二人だけで対処できる保証はなかった。
「陸徒さん。くれぐれも無茶だけはなさらないでくださいね」
「あぁ。わかってる」
「本当にわかっていらっしゃいますか? 陸徒さんは、ご自分のことになるとすぐ無茶をされますから」
「前にも同じようなこと言われた気がするな……」
「以前、何度もそうされたからです」
シェリルがわずかに頬を膨らませる。
穏やかな口調ではあるが、陸徒の自己犠牲的な行動を今でも案じているようだ。
「大丈夫ですよ、シェリル様! 陸徒のことはアタシがしっかり監視していますから!」
「おい。監視ってなんだよ」
「アンタは少し目を離すと、すぐ一人で突っ走るでしょ。だから、これくらいでちょうどいいのよ」
「陸徒さん。ステラを悲しませる行動は慎んでください」
抑揚のない声が挟んでくる。
「モコまでなにを言ってんだよ」
「事実です」
「そうよ。よく言ったわモコ!」
陸徒は三人から集中する視線に耐え切れず、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「わかったよ。絶対に一人で勝手な行動はしない。これでいいだろ?」
「はい。約束ですよ」
シェリルはようやく柔らかな笑顔へ戻る。
出発の準備は整った。
ステラが聖杖パステリアウィッシュを握り、もう片方の手にゲートクリスタルの欠片を乗せる。
「それじゃ、行くか」
「ええ。今度は日本のどこへ出るのかしらね」
陸徒がステラの隣へ並ぼうとした、その時だった。
謁見の間に、金属が震えるような低い音が響く。
「……なんだ?」
陸徒は足を止め、辺りを見回した。
音は次第に大きくなっていく。空気が震え、赤い絨毯の上に淡い蒼色の光が集まり始めた。
「陸徒、下がって!」
ステラが咄嗟に聖杖を構える。
モコも腰のチャクラムベリーサへ手を伸ばし、ザルディスは玉座の傍らに立て掛けられていた剣を抜いた。
光の粒子は、陸徒の目の前で渦を巻いている。やがて一点へ収束すると、甲高い音とともに何かが落下し、乾いた金属音が、謁見の間に響いた。
「これは……」
陸徒は音の正体へ視線を向ける。
そこには蒼色と白銀の装飾が施された、一本の剣の柄だけが転がっていた。
「まさか……?」
陸徒は吸い寄せられるように歩み寄り、柄を拾い上げる。
手に触れた瞬間、微かな鼓動のような振動が掌へ伝わった。
見間違えなどではない。刀身を失い、柄だけとなっていても、その感触は記憶の中にあるものと同じだった。
「どうして、これが……」
「それは確かに、神剣ラディアセイバーです」
シェリルも驚愕した表情で、陸徒の手元を見つめている。
「でも、ラディアセイバーは二年前の戦いで……」
モコの言葉に、ザルディスが重々しく頷いた。
「陸徒がその力を全て解放し、バサラを葬った時。神剣は役目を終えたかのように粉々に砕け、その全てが光となって消滅した」
漆黒の雲と化したバサラ。
仲間たちが倒れ、最後に残された力で、ラディアセイバーを全解放。光の一閃でバサラを打ち倒した代償として、陸徒自身も神剣とともに消滅した。
「粉々になって消えたはずの神剣が、どうして今になって陸徒さんのもとへ……」
シェリルの声に不安が滲む。
「陸徒さん」
モコが柄を凝視しながら口を開いた。
「その剣は、危険が迫った時に陸徒さんを選んだと聞いています」
「最初に俺がこいつを手にした時のことか」
「はい。であれば、再び現れた理由も同じなのでは?」
謁見の間にいる者たちの表情が強張った。
かつてラディアセイバーが石の姿から蘇ったのは、ゲートクリスタルが砕け、魔族復活の危機が迫っていた時。
今再び陸徒のもとへ現れたということは、それほどの脅威が二つの世界へ近づいている可能性を示していた。
「ただの偶然、ではなさそうね」
ステラが陸徒の隣へ立ち、柄だけの神剣を見つめる。
「ゲートクリスタルに異変が起き、欠片がアタシたちを導いた。そして今度は、消滅したはずのラディアセイバーまで戻ってきた」
「だが、刀身はない。この状態では剣として扱うこともできん」
ザルディスの言うとおりだった。
陸徒は試しに力を込めてみるが、柄から刀身が現れることなどない。以前のように、地形属性を吸収する気配も感じられなかった。
「ま、今は使い方がわからなくても、こいつが俺のところへ戻ってきたのには、なにか意味があるはずだ」
柄を強く握り締め、陸徒は挑むような鋭い眼光を見せつける。
「だったら、持っていく。異変を追っていけば、ラディアセイバーが現れた理由もわかるかもしれない」
「陸徒さん。どうかお気をつけて」
「あぁ。シェリルたちも、こっちのことを頼む」
「任せておけ。ミドラディアスで新たな異変が確認され次第、可能な限り情報を集めよう」
ザルディスが国王として力強く答える。
陸徒はラディアセイバーの柄を腰へ差し込んだ。現代の衣服に剣の柄だけを装着した姿は少し不格好だが、手放すという選択肢はなかった。
ステラは聖杖パステリアウィッシュを胸元へ引き寄せ、ゲートクリスタルの欠片を握る。
「モコ」
「なに?」
「またすぐに戻ってくるから。今度はアタシのお墓じゃなくて、ちゃんと家に会いに来なさいよ」
「わかった」
表情は薄いが、ゆっくりと頷いた。
陸徒がステラの手首へ触れると、ゲートクリスタルの欠片が、呼応するように青白い輝きを強めていく。
「シェリル様、ザルディス王。行って参ります!」
「行ってくる。モコも元気でな」
「陸徒さん、ステラ。ご無事で」
二人の視界が純白に染まり、謁見の間の景色が薄れていく。
最後に見えたのは、不安を抱えながらも笑顔で見送るシェリル。
腕を組み、堂々と立つザルディス。
そして、普段と変わらぬ無表情ながら、わずかに寂しげな目をしたモコの姿だった。
次の瞬間、陸徒とステラは光の中へと消えた。




