4話 空間転移術
翌朝。
ステラは二つ目の用事を果たすため、アルファード法術学校を訪れた。
そそくさと校内を進み、辿り着いた校長室の扉を勢いよく開く。
「プリメーラ先生! アタシに空間転移術を教えてください!」
「あらあら。随分と騒がしい生徒が戻ってきたものですわね」
大人びた艶のある声。
机の向こうには、法術学校校長プリメーラ・ヨームシュルクが座っていた。
淑やかな笑みを浮かべているが、突然現れたステラに対しても、かつての生徒を見るような瞳でいる。
「先生、アタシが生きてることに驚かないんですか?」
「今朝、シェリル様から知らせを受けていましたの。それでも、こうして元気な姿を直接見られたことは嬉しく思いますわ」
プリメーラは藤色の長い髪を揺らしながら椅子から立ち上がると、ステラを優しく抱き寄せた。
「お帰りなさい、ステラ」
「……ただいま、先生」
束の間、師弟は静かに再会を喜び合う。
だが優しき校長はすぐに体を離し、ステラの後ろにいる陸徒へ視線を向けた。
「あら。素敵な王子様もご一緒でしたのね」
「ちょっ! 先生、再会して早々なにを言ってるの!」
「だって、以前よりも随分と仲が深まっているように見えますもの」
「そ、そんなんじゃないってば!」
「俺は付き添いで来ただけだぞ」
「陸徒は黙ってて!」
「なんで俺が怒られるんだよ……」
プリメーラは口元を手で隠し、二人の様子を楽しそうに眺めていた。
「それで、空間転移術を教えてほしいとのことでしたわね」
「はい。これからアタシと陸徒は、二つの世界で起きている異変を調べることになったの。でも、ゲートクリスタルの欠片が、いつでも好きな場所へ運んでくれるとは限らない」
「そこで空間転移術を使い、自由に移動できるようにしたい、ということかしら?」
「そのとおりです。さすが先生、話が早いわ!」
期待の眼差しで拳を握っているステラを一瞥し、プリメーラはしばし考えてから窓の外へ視線を移した。
「よろしいでしょう。貴女なら、いずれこの術へ辿り着くと思っていましたもの」
「本当!?」
「ただし、空間転移術は通常の法術とは根本から異なります。目的地の位置を思い浮かべるだけでは発動しません。術者自身の存在を一度この空間から切り離し、光の記憶へ変換した上で、別の場所へ再構築する。少しでも制御を誤れば——」
「目的地ではない場所へ飛ばされるか、最悪の場合、空間の狭間から戻れなくなる」
試験問題を回答するようにステラが真顔で答える。
プリメーラは満足そうに頷いた。
「危険性も承知の上、ということですわね」
「当然。アタシを誰だと思ってるんですか?」
「うふふ。では、その自信が本物か確かめさせてもらいますわ」
こうして、ステラの空間転移術習得のための特訓が始まった。
一日目。
法術学校の訓練場には、ステラの苛立ちに満ちた声が何度も響いていた。
「もうっ! どうして発動しないのよ!」
聖杖パステリアウィッシュを地面へ突き立て、ステラは肩で息をしている。
朝から数十回と呪文を唱えているが、結果は変わらない。杖の先端に光が集まっても、すぐに霧散してしまう。
「焦りは空間の認識を乱しますわ。もっと心を静めなさい」
「わかってる!」
「わかっている者は、そのように声を荒らげません」
「うっ……」
的確な指摘に、ステラは言葉を詰まらせた。
訓練場の端では、陸徒が壁にもたれながら様子を見守っていた。
始めこそ数時間で習得してみせると豪語していたステラだが、日が傾き始めても成功の兆しは見られない。
「ステラ、少し休んだらどうだ?」
「必要ないわ! 今日中に絶対成功させるんだから!」
「でも、もう足元ふらついてるぞ」
「ふらついてなんか——きゃっ!」
言葉の途中で体勢を崩す。
陸徒が慌てて駆け寄り、その体を受け止めた。
「ほら言わんこっちゃない」
「は、離しなさいよ! 一人で立てるから!」
「無理すんなって」
陸徒の腕に抱えられていることに気づき、ステラの顔が急激に赤くなる。
「あらあら。なるほど」
プリメーラは二人を見ながら、何かを思いついたように微笑んだ。
「ステラ。貴女には、術を使って移動したい場所がありますの?」
「移動したい場所?」
「空間転移術に必要なのは、地理的な位置の把握だけではありません。その場所へ自分を繋ぎ止める、強い想い、記憶が必要なのです」
「強い想い、記憶……」
「ただ場所を思い浮かべるのではなく、そこでなにを感じ、誰と過ごしたのか。それを光の記憶として形にしなさい」
ステラはそっと目を閉じ、瞼の奥を見つめる。
シェリルのいるアルファード城。
多くの生徒たちと過ごした法術学校。
両親と暮らした家。
日本の街並や行き交う人々。
陸徒と再会した、紅葉の坂道。
数多の景色が、脳裏を駆け巡る。
「今日はここまでにしましょう。法力だけでなく、頭の中を休ませることも修行のうちですわ」
「でも——」
「急いては事を仕損じます。それとも、天才法術士は休息の重要性も理解できませんの?」
「……わかりました」
不服そうに唇を尖らせながらも、ステラは渋々了承した。
その日の夜。
ステラは自宅へと帰っていた。そして陸徒もまた、彼女の家で寝泊まりさせてもらっている。
「陸徒、まだ起きてる?」
部屋の扉をそっと開け、ステラが顔を覗かせてきた。
「あぁ。起きてる」
「入っていい?」
「いいもなにも、ここお前の部屋だろ? ってか、俺の寝床で借りちゃっていいのか?」
「アタシはお父さんとお母さんと一緒に寝るから大丈夫。それに、さすがに……同じ部屋で一緒にってのは、ね」
ステラは話しながら徐々に頬を赤らめ、後半は陸徒が聞き取れないほどの小声となっていた。
「さすがに、なんだ?」
「んなことはどうでもいいの! それよりさ」
「ん?」
アホ毛を揺らしやや改まった様子に、陸徒も眉を上げる。
「陸徒は、怖くないの?」
「怖い?」
「日本にブラッディーオーガが現れたり、またミドラディアスに来ちゃったりしてる、今の状況が」
「そうだな。以前の俺だったら、怖くてパニクってたろうな」
「初めてこの世界に来た時のこと?」
「あぁ。でも、ここで過ごした時間や、仲間たちとの出会いが、俺を強くしてくれた。ステラ、お前もその一人だ」
陸徒の何気ない優しい微笑みが、ステラの瞳に突き刺さる。
「う、うん」
「あ? いつものドヤ顔はどうしたよ?」
「うるさいわねバカ陸徒! さっさと寝なさい!」
半ば強引に捲し立てながら、ステラは慌てて部屋を出ていった。
「なんでまた俺が怒られるんだ……?」
きょとんとした陸徒の呟きとともに、窓の外からの虫の音が鳴り響いた。
二日目。
まだ朝陽が昇って間もない頃から、ステラは訓練場の中央に立っていた。
聖杖パステリアウィッシュを胸元へ寄せ、静かに呼吸を整える。
疲れが残った様子もなく、昨日のような焦りは一切見られない。
少し離れた場所では、プリメーラと陸徒が見守っている。
「準備はよくって?」
「はい」
ステラは短く答え、目を閉じた。
目的地として思い浮かべるのは、法術学校の校長室。
机や本棚の位置を記憶から描く。だが、それだけではない。
初めてプリメーラから法術を教わった日のこと。難題を解き、褒められた時の嬉しさ。最年少で学校を卒業した時の誇らしさ。
場所と記憶が一つに重なった。
杖の先から光が溢れ出す。
昨日とは違う。光は霧散せず、細い帯となってステラの周囲を旋回している。
「そのまま、貴女自身を光へ委ねなさい」
プリメーラの声に従い、ステラは意識をさらに深く沈める。
自分の輪郭が薄れていく。肉体が光へ変わり、この場所から切り離される感覚。未知の浮遊感に恐怖が込み上げるが、それを強引に抑え込んだ。
(アタシならできる。だって、アタシは——)
ステラの桃色の瞳が開かれる。
―其は時空に留まりし光の記憶
いざ我と共に経つ時の旅行者―
「翔転移!」
呪文が完成した瞬間、ステラの全身が眩い光に包まれた。
光は一度強烈な瞬きを放ち、たちまちに収縮して消える。
訓練場から、ステラの姿が忽然と消えていた。
「お、おい。成功したのか?」
「ええ。見事なものですわ」
プリメーラが満足そうに微笑む。
次の瞬間——二人の背後に光が現れた。
空間が揺らぎ、その中から聖杖を携えたステラが姿を見せる。
「ふふん! どう? これが天才法術士ステラ様の実力よ!」
腰へ手を当て、得意げに胸を張る。
見事、校長室への転移を成功させ、そのまま訓練場へ戻ってきたのだ。
「やったな、ステラ!」
「当然よ。たった二日も掛かっちゃったのは、ちょっと不本意だけどね」
「普通は二日で覚えられるような術ではありませんわ。そこは素直に誇ってよろしくてよ」
プリメーラが優しく称える。
ステラは満更でもない表情で鼻を鳴らした。
「これで、ミドラディアスのどこへでも行けるんだな」
「いいえ。自分が一度訪れ、明確な記憶を持つ場所に限られます。それに今のステラでは、同行させられるのは一人が限度でしょう」
「一人……」
陸徒が何気なく呟く。
するとプリメーラは、意味ありげな笑みを浮かべた。
「ですが、今回の旅には十分でしょう。陸徒と二人きりで、世界中どこへでも行けますものね」
「せ、先生っ! 余計なこと言わないでよ!」
「あら。私は術の性能について説明しただけですわよ?」
「絶対わざとでしょ!」
顔を真っ赤にして声を荒らげるステラ。
陸徒は事情を理解できず、首を傾げている。
「なにをそんなに怒ってんだ?」
「アンタも少しは察しなさいよ、このバカ陸徒!」
「だからなんでまた俺が怒られるんだよ!」
二日間に及ぶ特訓の末、ステラは空間転移術を会得した。
聖杖パステリアウィッシュも再び彼女の手に戻り、二つの世界で異変を調査するための準備は整いつつある。
だが、この時の陸徒たちはまだ知らなかった。
境界の揺らぎによって現れたものが、ブラッディオーガだけではないことを。
そしてミドラディアスの別の地でもすでに、新たな異変が起き始めていたことを——。




