3話 欠片とともに
石畳の街道の先にそびえ立つ、鉛白色の巨城。
その周囲には堅牢な城壁が広がり、大小様々な建物が並ぶ城下町を囲っている。
かつて陸徒たちが異世界ミドラディアスへ迷い込み、最初に訪れた場所。そして長きに渡る冒険の始まりとなった地——アルファード城。
陸徒は声を失ったまま、その景色を目に焼きつけていた。異世界のはずなのに、まるで懐かしい故郷へ帰ってきたかのような安堵を覚える。
この世界で出会った人々。ともに旅をした仲間たち。笑い合ったことも、傷つき涙を流したことも、昨日の出来事のように鮮明に蘇ってきた。
「本当に……戻ってきたのね」
隣に立つステラも、普段の勝ち気な表情を忘れていた。風に揺れるブロンドの髪を押さえながら、桃色の瞳を潤ませている。
日本で暮らしていた二年間。
あちらでの生活にもすっかり馴染み、学校へ通い、友人もできた。それでもステラにとって、生まれ育ったこの世界は紛れもない故郷である。
「空の色も、風の匂いも……あの時のまま」
「あぁ。俺も、なんだか昨日までここにいたような気がしてきた」
「昨日なわけないでしょ。二年も経ってるのよ」
「わかってるって。そういう気分だって話だよ」
「相変わらず言葉が足りないのよ、アンタは」
感慨深い空気も長くは続かない。
いつもの調子で言い合った二人は、互いの顔を見合わせると、同時に小さく笑った。
「とりあえず、城に向かうか。シェリルたちにも会いたいしな」
「そうね。ゲートクリスタルの異変について、向こうでもなにかわかっているかもしれないわ」
ステラが視線を落とす。
手のひらの上には、二人をこの世界へ導いた青白い欠片があった。
先ほどまで強い光を放っていたが、今は役目を終えたように静かな瞬きを見せている。
欠片を小さなバッグへ収め、二人はアルファード城へ向かって歩き出した。
城下町へ近づくにつれ、行き交う人々の姿が増えていく。
露店から響く商人たちの威勢のよい声。荷車が石畳を進む音。漂ってくる焼き菓子の甘い香り。現代の日本とはまるで違う景観だが、陸徒にとってはどれも懐かしいものだった。
「街も変わってねぇな」
「当然でしょ。二年程度で国の景観が一変するわけないじゃない」
「でも、前より人が増えてないか?」
「魔族との戦争が終わって、各国との行き来も盛んになったのかもしれないわね。ほら、あそこにエルグランドの商人もいる」
ステラが指差す先には、装飾の施された杖を背負う数人の旅人がいた。
衣服の意匠や携帯している魔術書から、魔術大国エルグランドの者だと判断したようだ。
「さすがだな。俺には全然わからん」
「これくらい見ればわかるでしょ。まったく、しっかりしなさいよね」
「はいはい。天才はすごいすごい」
「ちょっと、なによその言い方!」
騒がしく言葉を交わしながら歩くことしばらく。
二人は城門前へ辿り着いた。
巨大な門の両脇には、槍を携えた門兵が立っている。
陸徒とステラが近づくと、二人の門兵は警戒するように姿勢を正した。
「止まれ。城へ何用だ?」
「えっと、シェリル王女に会いに来たんだ」
「王女殿下に? 面会の約束はあるのか?」
「いや、そういうのはないんだけど……。陸徒が来たって言えば、たぶんわかってもらえると思う」
「陸徒?」
門兵は怪訝な顔で名を繰り返した。
だが、もう一人の門兵が陸徒の顔を凝視すると、次第に目を大きく見開いていく。
「ま、待て。その顔立ち……陸徒という名。まさか、二年前に魔族からこの世界を救った、神剣の使い手では!?」
「えっ、あぁ。たぶん、その陸徒で合ってる」
「やはり! では、隣にいらっしゃる方は……」
門兵たちの視線がステラへ移る。
ブロンドの髪と桃色の瞳。そして小柄ながらも尊大な立ち姿。
一人が何かに気づいた途端、驚愕の表情を浮かべた。
「天才法術士ステラ様……? しかし、ステラ様はアルファード防衛戦で命を落とされたはずでは……」
「その天才法術士ステラ様で間違いないわ。色々あって、生きているのよ」
「い、色々……ですか?」
「説明すると長くなるから、今は気にしなくていいわ」
あまりにも簡潔で強引な説明。
門兵は理解が追いつかず、口を半開きにして立ち尽くしていた。
「お前、城の兵士にまで天才呼ばわりさせてるのかよ」
「うっさいわね。今そんなこと突っ込まなくていいわよ」
「と、とにかく! すぐに王女殿下へお知らせしろ!」
「はっ!」
二人のやり取りもよそに、兵が大急ぎで城内へ駆けていく。
残された門兵は直立不動の姿勢を取り、先ほどまでの警戒が嘘のように深々と頭を下げた。
「大変失礼いたしました。どうぞ、中へお入りください!」
「あぁ。仕事中に悪かったな」
「なにを仰います! 世界を救った英雄をお迎えできるとは、身に余る光栄です!」
「英雄って言われても、なんかむず痒いな……」
陸徒はきまりが悪そうに頬を掻く。
対するステラは、さも当然と言わんばかりに胸を張っていた。
「まぁ、アタシたちの活躍を考えれば、このくらいの反応は当然ね」
「お前は相変わらずだっての!」
門兵に案内され、二人は城内へ入った。
白を基調とした広い廊下。壁に並ぶ絵画や甲冑。天井から吊るされた煌びやかなシャンデリア。何度も歩いたはずの場所だが、久しぶりに目にすると新鮮な感覚さえ覚える。
やがて大きな両開きの扉の前へ到着した。
「陸徒様、ステラ様をお連れいたしました!」
「入れ」
扉の向こうから、低く威厳のある声が返ってくる。
門兵が左右の扉を開けた。
その先に広がるのは、赤い絨毯が真っすぐ敷かれた謁見の間。最奥の玉座には、金と白銀を基調とした礼装を纏う長身の男が座っていた。
ザルディス。
かつてアルファード王宮騎士団長として国を守り、世界最強と謳われた騎士。だが今、その頭には王冠が戴かれている。
そして玉座の傍らには、純白のドレスを身に纏った女性が立っていた。
煌びやかなブロンドの長い髪。慈愛に満ちた眼差し。二年の時を経て、以前より大人びた気品を漂わせている。
見間違えるはずもない。
「陸徒……さん?」
シェリルの青い瞳が大きく開かれた。
震える声が、静かな謁見の間へ響く。
「よぉ、シェリル。久しぶりだな」
「陸徒さんっ!」
王女としての立場も忘れ、シェリルは赤い絨毯の上を駆けてきた。
陸徒の目前で足を止めると、両手を胸元へ寄せ、確かめるように彼の姿を見つめる。
「本当に……本当に陸徒さんなのですね」
「あぁ。ちゃんと生きてるよ」
「よかった……。あれから、もう二度とお会いできないものと……」
シェリルの瞳に涙が滲んだ。
それでも王女として感情を抑えようと、唇を結んで微笑みを作る。
「シェリル様。お久しぶりです!」
「その声……ステラ!?」
「はい。この天才法術士ステラ、無事に帰って参りました!」
ステラは得意げに胸へ手を添える。
シェリルは信じられないとばかりに目を瞬かせていたが、すぐに表情を綻ばせた。
「ステラも生きていただなんて。あぁ……本当によかったです!」
「シ、シェリル様。そんなに泣かないでください。アタシはこのとおり、元気ですから!」
憧れのシェリルを前にすると、普段の傲慢さは鳴りを潜める。
目元を赤くしたシェリルに手を握られ、ステラは緊張した顔で直立していた。
「感動の再会に水を差すようで悪いが、私も忘れてもらっては困るぞ」
玉座からザルディスが立ち上がる。
以前と変わらぬ逞しい頭身。しかし、次期王位継承者だった頃よりも、その立ち姿には一国を背負う者としての風格が備わっていた。
「ザルディス。やっぱり王様になったんだな」
「あぁ。父上より王位を継承して、すでに一年が経つ」
「似合ってるじゃん」
「ふっ。相変わらず王に対しても物怖じせぬ男だ」
ザルディスは玉座の前から歩み寄り、陸徒の肩へ力強く手を置いた。
「よく戻った、陸徒。それにステラ。二人が無事であったこと、心より嬉しく思う」
「あぁ。ただいま」
「ただいま戻りました!」
しばし再会の喜びを分かち合った後、陸徒たちは日本で起きた出来事を説明した。
博物館へ移されたゲートクリスタル。
そこからステラの手元へ飛んできた欠片。
そして、突如出現したブラッディオーガ。
「まさか、そちらの世界にミドラディアスのモンスターが……」
シェリルは口元へ手を添え、表情を曇らせる。
ザルディスも玉座へ戻ることなく、腕を組みながら考え込んでいた。
「俺たちは、この欠片が原因だと考えている」
ステラがバッグからゲートクリスタルの欠片を取り出す。
青白い輝きを見たシェリルは、小さく息を呑んだ。
「間違いありません。ゲートクリスタルの一部です」
「やっぱりわかるのか?」
「はい。わたくしたちも、スカイラインに安置されているゲートクリスタルを調査していたところなのです」
「調査?」
陸徒が眉をひそめる。
「数日前より、ゲートクリスタルから不穏な気配が発せられるようになった」
穏やかながらも重々しい声でザルデイスは答えた。
「今のところ目に見える変化はない。結晶にも傷一つなく、以前と同じ姿を保っている。だが、付近にいる魔術士や法術士が、これまでにない力の揺らぎを感じ取っている」
「それって、アタシが博物館で感じた波動と同じものかもしれないわ」
「わたくしも、そう考えています」
シェリルはステラの手にある欠片を見つめた。
「本来、ゲートクリスタルは二つの世界を繋ぐだけでなく、その境界を安定させる役割も持っています。その双方に異変が起きているのならば、世界と世界の隔たりが不安定になっている可能性があります」
「そのせいで、ブラッディオーガが日本へ飛ばされたってことか」
「現時点では、断定できません。ですが無関係とも思えません」
謁見の間に緊張が走る。
一体のブラッディオーガだけならば、波美と喬介の力で倒すことができた。
しかし、それが始まりに過ぎなかったとすれば。より凶悪で多くのモンスターが日本へ渡る可能性もある。反対に、向こうの物や人間が、本人の意思とは関係なくミドラディアスへ飛ばされることも考えられた。
「陸徒さん、ステラさん。お二人にお願いがございます」
シェリルは決意を固めたように顔を上げた。
「その欠片を使い、二つの世界を行き来しながら、各地で起きている異変を調査していただけないでしょうか」
「俺たちが?」
「はい。ミドラディアスの者だけでは、そちらの世界を調べることはできません。反対に、陸徒さんたちだけでは、こちらで起きている全ての異変を把握するのは困難です」
「欠片に選ばれたステラと、両方の世界を知る陸徒。二人でなければ果たせぬ役目だ」
ザルディスも、国王として二人を真っすぐ見据える。
陸徒はステラへ視線を向けた。彼女もまた、陸徒を見返している。
言葉にする必要はない。互いの意思はすでに決まっていた。
「あぁ。俺たちにできることなら、やってやるよ」
「当然ね。この天才法術士であるアタシが、世界の異変を解明してあげるわ!」
「ありがとうございます!」
シェリルが安堵の笑みを見せる。
ところがステラは、人差し指を立てて二人の前へ突き出した。
「でも、その前に二つほど用事を済ませたいわ」
「用事?」
陸徒のオウム返しにステラは一瞬だけ表情を曇らせると、城の窓から見える町並みへ視線を移した。
「まずは、家に帰る」
その短い言葉が意味するものに、シェリルはすぐ気づいた。
「そう、ですね。ご両親は今も、ステラが亡くなられたものと……」
「はい。アタシだけなにも知らずに向こうで楽しく暮らして、ずっと待たせたままにはできないです」
ステラはバッグの紐を強く握った。
「だから、お父さんとお母さんに会いに行く。ちゃんと、この姿を見せてくる」
ステラの生家は、アルファード城下町の北西部にあった。
二階建ての小さな家。白い壁には蔓草が伸び、窓辺には色鮮やかな花が咲いている。
家の前まで来たステラは、扉を見つめたまま立ち止まっていた。
「どうした。入らないのか?」
「わかってるわよ」
強気に返すものの、扉へ伸ばそうとした手が震えている。
二年もの間、両親は娘の死を受け入れ、悲しみとともに暮らしてきた。突然姿を現して、簡単に信じてもらえるのだろうか。それ以前に、どのような顔をして会えばよいのかわからなかった。
「ステラ」
「なによ」
「俺はここで待ってた方がいいか?」
「……一緒に来て」
普段の彼女ならば、迷わず一人で入ると言い張るはず。
だが今は、小さな声で陸徒を頼った。
「あぁ。わかった」
精悍な顔で陸徒が隣に立つ。
ステラは一度深く息を吸い、意を決して扉を叩いた。
「はい。どちら様でしょうか」
家の中から、女性の声が返ってくる。
やがて扉が開き、一人の婦人が姿を見せた。
「……え?」
婦人はステラを見た瞬間、瞳を大きく開いた。
手にしていた布袋が地面へ落ち、中に入っていた果物が転がっていく。
「お母、さん……」
ステラの声も細く震えていた。
「ステラ……? そんな、まさか……」
「うん。アタシよ。ちゃんと、生きてる」
母親は幽霊でも見るような顔で、娘へ恐る恐る手を伸ばす。
指先がそっと頬に触れた。温かな肌の感触。それが幻ではないとわかった途端、母親の両目から涙が溢れ出した。
「ステラッ!」
娘の小さな体を、強く抱きしめる。
「お母さん……ごめん。帰るのが遅くなって、ごめんなさい……!」
ステラも母親の背中へ腕を回した。抑えていた感情が決壊し、幼い子供のように声を上げて泣いている。
騒ぎを聞きつけ、家の奥から父親も姿を現した。初めは言葉を失っていたが、やがて妻と娘を包み込むように抱きしめる。
陸徒は少し離れた場所に立ち、三人の再会を静かに見守った。
自信過剰で、傲慢で、いつも自分を天才だと言い張る少女。
けれど今のステラは、長い旅を終えてようやく家へ戻ることができた、ただ一人の娘だった。
しばらく家族三人で話をした後、ステラは両親と陸徒とともに、庭の外れへと出た。
穏やかな陽光が降り注ぐ中、そこにはステラの名が刻まれている墓標があった。その傍らには、青い宝石がはめ込まれた、銀色の十字架を模した杖が立て掛けられている。
「パステリアウィッシュ……」
ステラは懐かしそうに、その名を口にした。
聖杖パステリアウィッシュ。
法術の効果範囲を広げ、効力を減衰させることなく多くの者へ届ける、唯一無二の力を持つ杖。かつてステラとともに戦い、多くの仲間を守った彼女の武器である。
「あの時、ここで俺は……」
「もう、今さらそんな話する必要ないでしょ。それより」
ステラは両親へ振り返る。二人は静かに頷いた。
墓標の前へ膝をつき、自分自身の名をしばらく見つめる。
そして、パステリアウィッシュへ手を伸ばした。
細い指が柄に触れた瞬間、杖の先端から昼白色の光が溢れ出す。
それは主人の帰還を喜ぶかのように、ステラの全身を優しく包み込んだ。
「ただいま、パステリアウィッシュ」
ステラは杖を手に立ち上がる。
光を浴びたブロンドの髪が煌めき、その表情には天才法術士としての自信が戻っていた。
「やっぱ、それを持ってる方がお前らしいな」
「当たり前でしょ。この杖を扱えるのは、世界でアタシだけなんだから!」
「はいはい。天才法術士様」
「なによ。文句ある?」
「褒めてんだよ」
陸徒が鼻を鳴らしながら笑う。
ステラも照れを隠すようにそっぽを向いたが、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。




