2話 戦いの再来
血しぶきが散り、陸徒の視界を赤く染める。
唇を震わせながら、蒼白に戦慄した顔で佇んでいたが、すぐに膝から力を落としてしまった。
「……」
声にならない息。
だがその時、どさりと重い音が響いた。
「いったた……」
陸徒はハッとして我に返り、声のしたほうへ駆け寄る。
そこには、体を掴まれたステラが、ブラッディオーガの太い腕ごと地に落ちていた。
「ステラッ! 大丈夫か!?」
「う、うん。なんとかね」
胸を撫でおろすのも束の間。急いでブラッディオーガの指を引きはがし、ステラを解放して安全な場所へ距離を取る。
片腕を失った巨体は、呻き声をあげながら噴き出す血を抑えていた。
「いったい、なにが起きたんだ?」
陸徒が目を凝らしながら辺りを見回した。
するとブラッディオーガの背後、砕けたコンクリートの粉塵が巻き起こる奥に、薄らと見える人影がひとつ。
「まったく、自分の彼女くらいしっかりと守りなさいよね」
聞き覚えのある声とともに、輪郭が明瞭して砂煙が風で吹き飛んだ。
同時に、亜麻色の長いポニーテールと赤いリボンを靡かせ、勝気な顔が陸徒を見ていた。
「波美っ! お前なんでここに。それにまさか——」
「危ないっ!」
陸徒の右側から迫りくる気配。
ステラが咄嗟に叫ぶが——
「ふんっ!」
ゴンッと金属のようなものに衝撃が走る音が鳴る。
目の前に立つ人影——波美ではない。ブラッディオーガから振り下ろされたもう片方の拳を、濃紫色の大剣が防いでいた。
「油断大敵だぞ。陸徒」
「喬介さんもか!?」
「兄ちゃんっ!!」
続けて今度は後方から空也が駆けつけてきた。
「空也までっ? どうしてみんな——」
「説明は後でするよ。とにかく今は、あのモンスターをやっつけないと」
「大丈夫。ここはあたしとお兄ちゃんに任せてっ!」
「任せてって、あのブラッディオーガを? ってか、二人が持ってる武器って……」
ダメだ。情報量が多すぎる。
陸徒は半ば混乱しかける状態を緩和させようと、こめかみを指で押し込んでから、ひとまず二人の動向を見据えることにした。
「はぁぁぁっ!!」
波美が地を蹴る。
その両手には、甲に琥珀色の金属がはめ込まれた黒いグローブが装着されていた。
ブラッディオーガは怒りの咆哮を上げ、巨大な拳を振り下ろす。だが波美は素早くそれをかわして懐に飛び込んだ。
「爆裂どっかん拳!」
相変わらずネーミングセンスは稚拙だが、波美の振るった拳が敵の腹部に当たってめり込む。
太鼓で叩いたかのような重低音が鳴り響くと、ブラッディオーガは衝撃によって込み上げてきた体液を口から吐き出した。
波美は汚いものを見るように顔を歪ませながら、すかさず後方に跳んで離れる。
矢継ぎ早で喬介が動いた。
両手で担ぎ上げられている濃紫の大剣が閃いて走る。ブラッディオーガは、波美から受けた攻撃によって体が自由に動かずよろめいていた。
「終わりだ」
喬介が踏み込んだ横薙ぎが、ブラッディオーガの胴体を捉えた。
直後、紫の剣閃が水平に走ると同時に、上下に切断されたブラッディオーガが黒い煙とともに消滅。
辺りに静寂が訪れた。
陸徒は目を見開いたまま、大きく息を吐いていた。 視界に映るのは、壊れた車や散乱するガラスの破片。砕けたコンクリートに、折れた鉄柱。
逃げ惑っていた人々の声は遠くなり、代わりに救急車やパトカーのサイレン音が近づいてくる。
「……えっと、とりあえず先に礼を言おう。助けてくれてありがとな」
「いいってこと。あたしたち、仲間、でしょ?」
波美は右肩を回しながら、陸徒たちのもとへ歩み寄ってきた。その後ろから喬介も澄ました顔で歩いてくる。
「それにしても、なんでブラッディオーガなんかがこの世界にいるんだよ。波美たちだって、どうやってここがわかったんだ? あと、その武器はいったいなんなんだよ!?」
「ちょっと陸徒、落ち着きなさい。まずは一つ一つ情報を整理するわよ」
不可解な点を片っ端から並べる陸徒に、ステラが穏やかな口調で挟んできた。
内心は彼女もいち早く知りたがっている事柄であろうが、ここぞという時は冷静に順序立てて分析しようと動く。
「まず、アンタたちがここに来たのって、空也が原因でしょ?」
ステラはいつもの得意げな様子で、空也へ細い視線を突きつけた。
「えっ、よくわかったね」
空也は眼鏡の縁を摘みながら、目を大きく開いている。
「当たり前じゃない。アタシを誰だと思ってるの?」
「相変わらずだね。そうだよ、僕が波美さんと喬介さんをここに連れてきたんだ」
陸徒が自宅から出かけて行くのを、弟の空也は知っていた。無論、その理由と行き先も。
空也自身もゲートクリスタルの件は気にかけていたが、ひとまずこのことを喬介へと報告していた。
「お前たちがゲートクリスタルを見に行くと知って、なにか嫌な予感がしてな。俺もクリスタルを見に来たかったんだが、こいつの試作型の完成に手間取ってしまった」
「さっきから気になっていたんだけど、それって……まさか」
喬介の腕には、紫色をした金属製のリストバンドが装着されている。小さなボタンや液晶のパネルなどがあり、見るからに精密な機構のものであるとわかる。
そこから伸びるように手に携えられているのは、蛇の牙を思わせる湾曲した刃。
「ヴァイパーブレイドを模して作った。まぁ称するとすれば、ヴァイパーブレイド弐式といったところか。そして、波美の持っているものも——」
「ラウムブリット改よ!」
波美の腕にも、喬介のものと同じ機構、意匠をした琥珀色のバンドが装着されていた。
「話したいこと、聞きたいこともあるだろうけど、この場に留まるのは……」
空也が眉をひそめて辺りを見回している。
遠くから聞こえていたサイレン音も、すぐ近くまで来ていると思えるほどに、響き渡っていた。
「このまま警察の取り調べを受けるのは面倒よ」
「説明したって誰も信じやしない」
「なおさら、奴らの世話になるわけにはいかないな。ひとまず場所を変えよう」
博物館の場所からしばらく歩き、住宅街へ少し入った公園へと辿り着く。
人気は少なく、遠くを走るパトカーのサイレン音が微かに聞こえている。
喬介は周囲を見回し、小さく息を吐いた。
「ここなら、大丈夫だろう」
喬介と波美の手には、武器が携えられていない状態だった。
「なぁ、さっき現場を離れる時、二人の武器が消えたように見えたんだが、どうなってんだ?」
「それは——」
「超音波の放射圧を利用した、物質の実体化でしょ?」
ステラがドヤ顔を決め込む。
その発言に、言いかけていた喬介がわずかに驚きを見せていた。
「ふっ……さすがだな。これは光学式超音波実体武装というものだ」
言いながら喬介は、腕のバンドへ軽く触れた。
すると、彼の手元に光の粒子が散りばめられ、先ほどの濃紫の大剣が模られる。
再びバンドへ手を添えると、粒子が霧散して武器が消えた。
「日本じゃ、武器の携帯は銃刀法違反になってしまうからな」
「と言われて実演を見せられてもなぁ……」
波美と空也はさておき、陸徒でも理解の及ぶ機構ではなかった。
「アンタ、ミドラディアスの魔術理論を応用したわね。であれば、こっちの世界の技術と素材を使えば、できなくもないことだわ。いずれにしても、たった二年でこれだけのものを造るなんて……」
一度見ただけで、ステラは喬介の作品がどのようにしてできたのか言い当てる。同時に、それを実現させた喬介の能力の高さに改めて驚きを示していた。
喬介もまた、ステラの分析力を評価するように、顎を摩りながら真剣な表情を見せている。
「だが、これは完成品じゃない試作段階だ。連続使用もできないし、出力もまだ安定しない」
「でもブラッディオーガを倒してた」
「波美が殴った後だったからな」
「まぁ、あたしの一撃が決め手だったわね!」
波美が拳を出して得意げな顔を見せると、戦いから続いていた緊張感が少し和らぐ。
しかし、喬介の表情はすぐ神妙なものへ戻った。
「とはいえ、事態は深刻だ」
空気が再び締まり、眉をひそめた視線が喬介へ集まる。
「ブラッディオーガが日本へ現れた原因」
一時の沈黙。
「ゲートクリスタル」
そして空也が薄く息を吐いた。
ステラは視線を落とし、握りしめていた手を開く。そこには、淡い空色に輝くクリスタルの欠片が、微かな瞬きを見せていた。
「この欠片が反応した直後に、ブラッディオーガが現れたわ」
「なら、無関係ではないな」
「つまり、なんらかの理由で、ゲートクリスタルによってブラッディオーガが、ミドラディアスから転移された。と?」
「おそらく。世界の境界に、なにか起きているのかもしれない」
「境界……」
陸徒が虚空を睨みながら呟く。
その時、ゲートクリスタルの欠片が再び強く輝いた。
「この光、またか!?」
「ちょうどいい」
陸徒が身構えているところへ、喬介は目を閉じて頷いた。
「異変の原因がなんなのか、試す時がきたようだ」
「試す?」
「この欠片で、ミドラディアスへ行けるかどうかってことね?」
訝しげな顔の陸徒をよそに、ステラは会話をするかのように手のひらで光る欠片を見つめている。
それから喬介と目を合わせてお互いに頷いた。
「俺は残って、今日の実践データをもとに武器の再調整をする。空也は他の場所でモンスターの出現や異変がないか調べてくれ。もしなにかあった時は、波美とともに現地へ」
「うん、わかった」
「オーケー、任せてっ!」
二人とも勝気な顔を見せつけているが、遊び半分などではない。ミドラディアスでの経験があったからこそ、若年ながらもその覚悟が感じられていた。
「ほら陸徒、ぼさっとしてないで行くわよ」
「は?」
「喬介の話、聞いてなかったの? アタシたちがミドラディアスに行って調査をするの」
「もう、りっくん。いつまでも平和ボケしてちゃダメだよ」
はじめは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた陸徒だが、すぐさま状況を理解して表情を戻す。
「日本で原因を探るのは俺たち」
「ミドラディアスでの調査は俺たち」
喬介と陸徒が交互に言う。
「兄ちゃん気をつけてね。こっちのことは任せてよ」
「あぁ。よろしく頼む!」
そう言って陸徒は、ステラの隣へと立つ。
彼女の手にあるゲートクリスタルの欠片が、青白く輝きを増しているようだ。
「陸徒、掴まって」
「わかった」
陸徒はステラの手首にそっと触れる。
彼女は一瞬だけ目を逸らした。
「べ、別に変な意味じゃないからね。転移のために必要なだけだし」
「まだなにも言ってないだろ」
「言いそうな顔をしてた」
「してねぇよ」
そのやり取りを見ながら、波美が嬉し悲しみとも取れぬような複雑な表情をしていた。
「二人とも、しっかりね。あと、シェリルたちにもよろしく伝えておいて」
すぐさま、わずかな作り笑いにも似た顔で陸徒たちに手を振る。
欠片を持ったステラの手から光が広がった。
二人の視界が白く染まっていく。
最後に見えたのは、手を振る波美と、静かに頷く空也、そして相変わらず表情の薄い喬介の姿だった。
次の瞬間、二人は光に呑まれた。
視界を覆う純白の空間だったのはほんの数秒ほど。
直後、陸徒とステラの肌を、爽やかな風が撫でた。土の匂いや草の揺れる音。遠くで響く鳥の歌。
「……っ」
陸徒はゆっくりと目を開ける。
そこにあるのは、コンクリートのビルやアスファルトではない。
記憶から呼び起こされるような、薄らと紫がかった青の異色の空。石畳の街道の先にある、見覚えのある城壁。
そして、遠くに見える鉛白の城。
「ここは……」
陸徒は目を見開きながら呟く。同時に胸の奥が震えた。
この景色、忘れるはずがない。
「アルファード、城……戻ってきた……のか」




