55話 古塔に潜むもの
エルグランド城を出発してから、数刻が経過。
喬介、波美、マイアの三人は、城の北西に広がる荒野を進んでいた。
街道を外れた先には背の低い草と乾いた岩ばかりが続き、人の通った形跡はほとんどない。
「まだ着かないの?」
波美が額の汗を拭いながら尋ねた。
「もう間もなくです」
マイアは地図へ目を落とし、穏やかに答える。
「この先の丘を越えれば、古塔が見えるはずです」
「エルグランドから結構離れてるんだね」
「はい。普段は、近づく方もほとんどいません」
「なにもない場所だからか?」
喬介が前方を警戒しながら聞いた。
「それもあります。古塔そのものにも、価値のある品は残されていないと聞いておりますので」
「じゃあ、遺跡を調べる人も来ないの?」
「過去に何度か調査されたそうですが、特に重要な発見はなかったようです」
「そんな場所から急に闇の魔力が出たんだよね」
「はい。ですから、ティアナさんも不自然だと判断されたのでしょう」
マイアの声には焦りこそないものの、周囲へ向ける眼差しから油断は感じられなかった。
「マイアさん、疲れてない?」
「私は大丈夫です。波美さんこそ、お疲れではありませんか?」
「あたしも平気。これくらいなら全然余裕だよ」
「無理はなさらないでくださいね」
「もう、マイアさんってば心配しすぎ」
「申し訳ありません。ですが、なにかあってからでは遅いですから」
柔らかな微笑みを浮かべるマイアへ、波美も笑い返す。
その少し前を歩いていた喬介が、丘の上で足を止めた。
「見えた」
波美とマイアも丘を上り、前方へ目を向ける。
広大な荒野の中央に、一つの石造りの塔が立っていた。
「あれが古塔です」
「思ってたより低いね」
「元から低層の建物だったのか?」
「詳しいことはわかっておりません」
マイアは崩れかけた塔を見つめる。
「上部が失われているようにも見えます」
現地へと到着。
悠久の時を経た石壁には無数の亀裂が走り、蔦や苔に覆われていた。
塔の天辺は、地上から見上げただけでもすぐに確認できる。喬介の言葉のとおり、元からその高さだったのか。あるいは、かつて存在した上層部分が崩れ落ちてしまったのか。現状の外観だけでは判断できなかった。
「入口に扉がない」
波美が目を凝らす。
「扉だけでなく、枠もほとんど崩れているようですね」
「誰でも入れる状態か」
喬介は腰に携えたスペリオルヴァイパーへ手を添えた。
今のところ、暗黒竜からの反応はない。
「まずは周囲を調べる」
「中へ入る前に、周りの安全確認だね!」
波美がお得意の人差し指を立てたウィンクを見せる。
三人は互いの位置を確かめながら、古塔の周辺を調べ始めた。
喬介は地面に残る足跡を探す。しかし人間や大型のモンスターが通った形跡はなく、最近になって土を掘り返した様子もなかった。
「お兄ちゃん、こっちはなにもないよ」
「こちらも、異変は見当たりません」
塔の裏手を調べていたマイアが戻ってくる。
「魔力の気配もなしか?」
「えぇ。ただ、ティアナさんが確認された反応は、とても微弱なものだったそうです」
「これだけ近くにいても感じないほどか」
「あるいは、今は消えているのかもしれません」
「城へ俺たちを誘い戻した後、反応が消えたと?」
「その可能性もございます」
マイアは、神妙な顔で塔の周りを目配せしている喬介の顔を見つめる。
「ですが、罠と決まったわけではありません。あまり悪い方向へ考えすぎないほうがよろしいかと」
「警戒するに越したことはない」
「はい。喬介さんの仰るとおりです」
「じゃあ、どうするの?」
波美が両手を広げて前に出しながら、扉の失われた入口へ目を向けた。
「このまま帰る?」
「いや、現状は収穫ゼロだ。中に入って調べる」
「私が先頭を歩きましょうか?」
「俺が行く」
「ですが……」
「闇の魔力があるなら、こいつが先に反応するかもしれない」
喬介は剣の柄を握る。
「マイアは後方を頼む」
「わかりました。どうか、無理だけはなさらないでください」
「無理をするつもりはない」
「喬介さんは、そう仰りながら危険な役目を引き受けますから」
「今回は必要な判断だ」
「はい。ですから、止めはいたしません」
マイアは困ったように微笑む。
「ただ、異変を感じましたらすぐに私を頼ってくださいね」
「わかった」
「お兄ちゃん、あたしには?」
「勝手に先へ行くな」
「それだけ?」
「十分だろ」
「扱いが違いすぎない?」
「波美が一番、勝手に動きそうだからな」
「失礼だなぁ」
波美は頬を膨らませながらも、喬介の後ろへついた。
「では、参りましょう」
最後尾にマイアが続き、三人は古塔の内部へ足を踏み入れた。
塔の一階は、外観から想像したとおり狭く、見渡すだけでも状況がわかるほどだった。
円形の空間には崩れた石材が散乱し、壁際に朽ちた木箱が残されている。窓らしき開口部から細い陽光が入り込み、空中を漂う埃を照らしていた。
「本当になにもないね」
「まだ触るな」
木箱へ近づこうとした波美を、喬介が止める。
「触ってないよ。見ようとしただけ」
「近づけば同じだ」
「違うと思うけど」
「私が確認いたしますね」
マイアが二人の間へ入り、朽ちた木箱を慎重に調べる。
剣の鞘を使って蓋を押し上げた。
内部には砂と、形を失った布のようなものしか残っていない。
「危険はなさそうです」
「ほら、大丈夫だったじゃない」
「結果論だ」
「お兄ちゃんは警戒しすぎよ」
「敵が関わっている可能性のある場所だ。これくらいでいい」
「私は、喬介さんの判断が正しいと思います」
「マイアさんまで、お兄ちゃんの味方?」
「どちらの味方というわけでは……」
「冗談だよ」
「波美、遊びに来たんじゃないぞ」
「わかってるってば」
一階の調査は数分で終わった。
隠し通路も、不自然な魔力の痕跡も見つからない。壁に沿うように、上階へ続く石造りの階段が残されていた。
「随分と崩れてるね」
「足元へお気をつけください」
階段の一部は欠け、踏み板となる石も大きく傾いている。
喬介は一段ずつ強度を確かめながら上った。
「俺が踏んだ場所以外には足を置くな」
「了解」
「わかりました」
三人分の足音が、古塔の内部へ反響する。
途中、喬介の足元から小さな石片が落ちた。石は階段の隙間へ吸い込まれ、少し遅れて下から乾いた音が聞こえてくる。
「うひゃぁ、落ちたら危ないね」
「あぁ。壁際を歩け」
「マイアさん、手を貸そうか?」
「ありがとうございます。ですが、この程度でしたら大丈夫です」
「遠慮しなくていいよ」
「それでは、危ない場所だけお願いできますか?」
「任せて」
波美が差し出した手を取り、マイアは崩れた段差を慎重に越えた。
「ありがとうございます、波美さん」
「どういたしまして」
「二人とも、もう来られるか?」
「大丈夫だよ」
「お待たせしました」
二階へ到着。再び手分けして内部を調べる。
だが、そこにも目立った異変はなかった。
さらに上の三階、四階と、各フロアは一階と同程度の広さしかなく、数分もあれば隅々まで調査できる。
「何もないね」
四階の壁を調べ終えた波美が、腰へ手を当てる。
「人が来た形跡すらなさそうな感じ」
「だからこそ不自然だ」
「どうして?」
「なにもない場所から、闇の魔力が検出されたからだ」
「ティアナさんの分析が間違ってた可能性は?」
「あの方が場所を誤るとは考えにくいです」
マイアが穏やかに答える。
「ですが、反応が一時的なものだった可能性はあるかもしれません」
喬介はスペリオルヴァイパーへ意識を集中させる。
「暗黒竜。なにか感じないか?」
——あったら伝えている。
頭の中へ、低い声が返ってきた。
「そうか」
——この程度の廃墟に、我が見落とすほど強い闇はない。
「暗黒竜は?」
首を傾げながら、波美が喬介の剣へ目を落とす。
「なにも感じないそうだ」
「じゃあ、本当に空振り?」
「まだ上が残っている」
喬介は、さらに上へ続く階段を見上げた。
「最上階を調べるまで、判断はできない」
「そうだね。あと少しだし、行ってみよう」
地上階から数えて、五つ目のフロア。
三人は、そこが現在の古塔に残された最上階であると判断した。
「明るいね」
波美が頭上を見上げる。
天井は半分ほど崩れ落ち、大きな開口部から陽光が降り注いでいた。床には崩落した石材が積もり、その隙間から草が伸びている。
壁際には、さらに上へ続いていたと思われる階段があった。しかし途中から先は完全に失われ、薄紫がかった空だけが見えている。
「上にも階があったんだね」
「恐らくは」
マイアが崩れた天井を見つめる。
「長い年月の間に、上層部分が失われたのでしょう」
「調べられるのはここまでか」
喬介は入口付近に立ったまま、フロア全体へ視線を巡らせる。
「目に見える範囲にはなにもないな」
「未だに闇の魔力も感じませんね」
——我も同じだ。
暗黒竜からも否定の意思が返ってくる。
中央付近には瓦礫が少なく、円形の床が露出していた。しかし不自然な紋様や、魔法陣らしきものは見当たらない。
「マイアさんや暗黒竜もわからないなら、本当に気のせいだったんじゃない?」
言いながら波美がフロアへ足を踏み入れる。
「待て。まだ安全だと決まったわけじゃない」
「入口から見てるだけじゃ、調べられないでしょ」
「俺が先に行く」
「さっきから、お兄ちゃんばっかり先頭じゃない」
「それでいい」
「よくないよ。あたしだって戦えるんだから」
「波美さん、どうかお気をつけて」
マイアが柔らかく呼びかける。
「床が崩れる可能性もあります。まずは足元を確かめながら——」
「大丈夫。ここは他より頑丈そうだよ」
波美はそそくさとフロアの中央へ近づいていく。
——その時。喬介の腰元で、スペリオルヴァイパーが強く脈打った。
「っ……!」
紫色の光が鞘の隙間から漏れ出す。
それまで何の反応も示さなかった暗黒竜の意思が、突然激しく揺れた。
——止めろ。
頭へ響いた声には、明確な警戒が含まれている。
——その娘を中央へ近づけるな!
「波美、止まれ!」
「えっ?」
喬介の強い語気に、波美が大きく反応して振り返る。
その足が、フロア中央の床を踏みしめた。
次の瞬間。彼女の足元から、黒い光が溢れ出した。
「な、なに、これ……!」
床全体へ複雑な紋様が走る。
何もなかったはずの石床を覆い尽くすように、巨大な黒い魔法陣が展開された。
「波美さん、こちらへ!」
マイアが手を伸ばす。
「早く離れろ!」
喬介も波美へ駆け寄ろうとした。
しかし魔法陣の広がる速度のほうが速い。黒い光は波美の足元からフロア全体へ走り、喬介とマイアの下を通過した。
「くっ……!」
直後、喬介の体が動かなくなる。
足だけではない。剣を抜こうとする右腕も、波美へ伸ばそうとした左手も、見えない力によって固定されていた。
「お兄ちゃん……体が……!」
波美も、その場から一歩も動けない。
「これは……拘束の魔術でしょうか……」
マイアが必死に腕を動かそうとする。
だが指先すら、わずかに震わせることしかできなかった。
「マイア、無理に動くな」
「ですが、このままでは……」
「力を込めるほど、拘束が強くなっている」
喬介は足元へ視線を落とす。
黒い魔法陣は不気味な光を放ち、三人の影へ絡みついていた。
——罠だ。
暗黒竜の低い声が、頭へ響く。
「見ればわかる」
——闇の魔力を隠し、獲物が中央へ入った瞬間に起動する仕掛けか。我の感知をも欺くとはな。
「お兄ちゃん、ごめん……」
波美が苦しげに声を漏らす。
「あたしが勝手に進んだから……」
「謝るのは後だ」
「でも……」
「今は、ここから抜け出す方法を考えろ」
喬介は動かない右腕へ力を込める。
鞘の中でスペリオルヴァイパーが紫色の光を放つものの、柄まで手が届かない。
「喬介さん」
マイアが静かに呼びかける。
「なにか、聞こえませんか?」
三人が言葉を止める。
風が崩れた天井を通り抜ける音。古塔の壁から、小石が落ちる音。それらに混じり、どこからか硬い足音が響いていた。
一歩。また一歩と、何者かが、動きを封じられた三人へ近づいてくる。
喬介は言うことをきかない体をどうにかしようと、目だけを階段の方向へ動かす。だが黒い魔法陣は、獲物を捕らえたことを告げるように、さらに強い闇の輝きを放った。
どうにか視界を向けたその時、鈍色が陽光に照らされ、眩い輝きを突き付けてきた。
「……?」
「えっ?」
眩惑から解放された瞬間、喬介とマイアが怪訝な顔で鈍色の正体を捉える。
それは、二人にとって見覚えのあるもの。
直後、大鎌を手にした一人の女が、深緑色の髪を靡かせながら姿を現した。




