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54話 スペリオルヴァイパー

 紫色の光を放つヴァイパーブレイドを握り、喬介は静かに刀身を見つめていた。

 二年という時を隔てても、手に伝わる感覚は変わらない。

 暗黒竜の鱗から造られた紫黒色の刀身。強大な闇の力と、剣の奥底に宿る確かな意思。


 ——待ち侘びたぞ。


 重く低い声が、喬介の頭へ直接響いた。

 ヴァイパーブレイドに宿る暗黒竜の意思が、かつての主へ語りかけている。


「二年ぶりだな」


 喬介が小さく返す。

 突然独り言を発したような様子に、波美とマイアが振り返った。


 ——二年、か。我にとっても短くはなかった。


「俺が戻ると思っていたのか?」


 ——無論だ。我が認めた者が、あの程度で消えるはずがない。


「元いた世界へ帰ったんだぞ。再びここへ戻ってこられたのも単なる偶然だ」


 ——それでも、現に貴様は戻った。


 暗黒竜の声には、揺るぎない確信があった。


 ——再び我を手に取るためにな。


「随分な自信だ」


 ——それは貴様も同じであろう。


「否定はしない」

「お兄ちゃん、誰と話してるの?」


 懐かしげに薄らと笑みを浮かべている喬介。その顔を覗き込んだ波美が、不思議そうに尋ねた。


「ヴァイパーブレイドに宿る暗黒竜だ」

「暗黒竜?」

「あぁ。俺の頭へ直接語りかけている」

「剣とお話しできるの?」

「会話というより、互いの意思を伝えているだけだ」


 マイアはヴァイパーブレイドの輝きを見つめ、静かに頷いた。


「やはり、この剣は喬介さんを主として認めているのですね」


 ——主、だと?


 暗黒竜の声へ、不満そうな響きが混じる。


 ——我は誰にも従わぬ。この男が我を扱うに足ると認めているだけだ。


「主という呼び方は気に入らないらしい」

「誇り高い存在なのですね」

「傲慢なだけだ」


 ——貴様には言われたくないものだ。


「お互い様だな」


 喬介の口元がわずかに上を向く。

 その時、ヴァイパーブレイドの紫色の光が、喬介の腕へ向かって伸びた。


 ——妙なものを身につけているな。


「妙なもの?」


 ——腕にある、その紛い物だ。


 暗黒竜が指しているのは、喬介の右腕へ装着された機動用のバンドだった。

 日本へ戻った喬介が独自に開発した、ヴァイパーブレイド弐式。ミドラディアスで得た知識を基に、蛇剣の機構を日本の技術で再現した試作武装である。


「これのことか」


 ——我の力と形を模しているようだな。


「日本でも戦えるように作った」


 暗黒竜は、バンドの内部へ意識を巡らせるように沈黙した。

 やがて、満足したような低い笑い声が響く。


 ——悪くない出来だ。


「お前に褒められるとは思わなかった」


 ——貴様一人で組み上げたにしては、よくできている。限られた力を機構によって刃へ変え、蛇剣として制御するとはな。


「まだ試作品だ。連続では使えないし、出力も安定しない」


 ——当然だ。我を模しただけの武器が、我と同じ力を得られると思うな。


「自分から褒めておいて、それか」


 ——悪くないと言っただけだ。だが、所詮は紛い物であることには変わりない。


「ずいぶん偉そうだね」


 暗黒竜の声を直接聞くことのできない波美が、喬介の説明を聞いて頬を膨らませた。


「ヴァイパーブレイド弐式は、お兄ちゃんが一生懸命作ったんだよ」

「怒っているのか?」

「当たり前でしょ。紛い物なんて失礼だよ」


 ——ほう。威勢のよい娘だ。


「波美の声が聞こえるのか?」


 ——剣を通じて、周囲の声は聞こえている。


「だったら、直接言い返してみるか?」


 ——その必要はない。我が正真正銘の力を示せばよい。


 暗黒竜の意思が、ヴァイパーブレイドの奥で大きく脈打った。


 ——ならば……その紛い物も我が一部としてやろう。


「どういう意味だ?」


 喬介が問いかけた直後、ヴァイパーブレイドから紫色の光が伸びる。

 光は蛇のように腕へ絡みつき、ヴァイパーブレイド弐式のバンドを包み込んだ。


「お兄ちゃん!」

「喬介さん、腕から離してください!」

「待て。大丈夫だ」


 喬介が左手を二人へ向ける。

 しばらくして、バンドが低い機動音を鳴らした。内部に蓄えられていたエネルギーが、紫色の光となって引き出されていく。


「エネルギーを吸収しているのか?」


 ——人の世が生み出した力か。魔力とは異なるが、興味深い。


 バンドから、最後の機動エネルギーが抜き取られる。

 表面を走っていた光が消え、ヴァイパーブレイド弐式は完全に沈黙。それと引き換えに、本体であるヴァイパーブレイドの刀身が眩い紫色の光を放ち始めた。


「お兄ちゃんの弐式が……」

「どうするつもりだ、暗黒竜」


 ——見ていろ。


 紫色の輝きが部屋全体へ広がった。

 刀身を構成する竜鱗が、一枚ずつ生き物のように動きだす。

 紫黒色に染められた片刃の曲形が両側へ伸び、表面へ新たな紋様が刻まれていった。

 鍔も、柄の末端から竜の尾を模した意匠が伸び、蛇のように柄全体へ絡みついた。


「剣が、変わっていく……」


 波美が目を見開く。


「暗黒竜の力と、弐式の機構が融合しているのでしょうか」


 マイアも胸元に手を添え、固唾を飲むような顔で変化を見守っている。

 やがて強い光が収まり、喬介の手には新たな剣が握られていた。

 暗黒竜の鱗から造られた紫黒色の刀身。蛇腹状に分かれた刃には、これまでよりも濃密な闇の力が宿っている。そして柄には、蛇を象るように巻きついた竜の尾が意匠として刻まれていた。

 以前のヴァイパーブレイドの面影を残しながら、より洗練された姿へ進化している。


「これが……」


 喬介が掲げるように剣を構える。

 重さはほとんど変わっていない。しかし手へ馴染む感覚は、以前よりも強かった。

 まるで剣と腕の境界が失われ、自らの一部になったかのようである。


 ——我が闇の力と、貴様が生み出した人の世の機構。


「それを融合させたのか」


 ——あぁ。紛い物も、我が取り込めば真なる力となる。


 闇の力を宿す剣さながらに、色彩は禍々しさこそ感じられるものの、刀身から放たれる澄んだ輝きは所持者の心を表しているかのようだ。


「それで、この剣もヴァイパーブレイドと呼べばいいのか?」


 己の顔が映り込む刃の奥を見つめるように喬介が問う。


 ——否。


 暗黒竜の声が、強く頭へ響いた。


 ——我が力は、以前よりも高位へ至った。もはや、かつての蛇剣とは異なる。


「なら、なんと呼ぶ?」


 刀身から紫色の闇が溢れ、巨大な蛇竜の輪郭を形作る。


 ——スペリオルヴァイパー。それが、この剣の新たな名だ。


「スペリオルヴァイパー……」


 喬介が名前を口にした瞬間、剣の輝きが一段と強くなる。新たな進化を象徴するかのように、暗黒竜の力が部屋の空気を震わせた。


「すごい力……」


 波美は驚きながらも、嬉しそうに笑う。


「よかったね、お兄ちゃん」

「弐式は使えなくなったけどな」

「でも、それより強い剣になったんでしょ?」

「恐らくは」


 ——恐らく、ではない。比較することすら無意味だ。


「本人もこう言ってる」

「自信だけなら誰にも負けなさそうだね」

「なんだか、喬介さんに似ているような気がします」


 マイアがわずかに微笑む。


「俺はここまで偉そうじゃない」

「十分に似ていると思うよ」

「波美まで言うのか」


 張り詰めていた部屋の空気が、少しだけ和らぐ。

 その時、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。


「喬介殿!」


 一人の兵士が、扉を叩くより先に部屋へ飛び込んでくる。


「アーシェラ女王陛下が、至急お呼びです!」

「なにかあったのか?」

「私は、内容を聞かされておりませんので。とにかく、今すぐ謁見の間へ。波美殿とマイア殿もご一緒願います」




 兵士に促され、三人が謁見の間へ戻ると、アーシェラはすでに玉座から立ち上がっていた。

 傍らには複数の騎士が控え、仮設の盤面に広げられた地図を押さえている。


「来たわね」

「あぁ。いったいなにがあったんだ?」

「先ほど、新たな闇の魔力反応が確認されたと、ティアナから報告が入った」


 喬介は眉を寄せる。


「執務室に行った時は、そんな報告は受けていなかったが」

「反応が検出されたのは、貴方たちが部屋を出た後だ」

「タイミングよく急に現れるものなのか?」

「……あるいは、それまで隠されていたものが表へ出たのかもしれない」


 アーシェラは地図上の一点を指差す。するとその箇所に赤色の光が浮かび上がった。

 彼女の魔力操作によるもののようで、指の動きに合わせて光が微動している。


「場所は、エルグランドより北西。街道を外れ、そのまましばらく進んだ先だ」

「ここにはなにがあるんですか?」


 波美が目に力を込めて光の指す場所を見つめている。


「遺跡となった古塔がある」

「古塔?」

「いつの時代に建てられたものか、正確にはわかっていない。長く使われておらず、周辺を訪れる者もほとんどいない場所だ」

「そこから闇の力が出ているのか」

「あぁ。不自然な魔力反応が確認された」

「デオルに関係しているのでしょうか」


 マイアの問いに、アーシェラはわずかに目を細める。


「現時点では断定できぬ。だが今までなにも確認されなかった遺跡から、この時期に闇の力が検出されたのだ。無関係とは考えにくい」

「雫ちゃんたちが、そこに囚われている可能性は?」

「それも否定できない」


 顎に指を添えた波美の表情が曇る。


「だったら、すぐに調べないと」

「あぁ」


 喬介はスペリオルヴァイパーの柄へ手を置いた。


「俺たちが行く」

「そのつもりで呼んだ」


 アーシェラは喬介と波美へ視線を向ける。


「喬介、波美。北西の古塔へ向かい、闇の魔力反応の正体を調べなさい」

「わかった」

「任せてください」

「あくまで調査を優先だが、デオル本人、あるいは魔信教団の残党が潜んでいる可能性も考えられる」

「戦闘も構わないと?」

「相手の戦力が不明な点が気掛かりだが——」

「お兄ちゃんとあたしなら、誰が相手だろうと負けないわ!」

「私も同行します」


 勝気な顔で拳を前に出している波美をよそに、マイアが一歩前へ出てきた。

 同時に、アーシェラから細い眼差しが、彼女へ向けられる。


「ティアナさん以外の魔騎士隊長は任務に出ていますが、この状況でエルグランドから人員を出さないわけには——」

「お前も任務があるだろう。いいのか?」


 喬介の問いに答えるかのように、マイアはアーシェラへ向き直り、片膝をつく。


「アーシェラ様。私に、喬介たちへの同行をお許しください」

「理由を聞こう」

「先ほども申し上げましたように、二人だけで向かわせるわけにはまいりません」

「それだけか?」


 あえて聞いてきたような言い方に、マイアは一瞬だけ言葉を止めた。

 視線が、スペリオルヴァイパーを携える喬介へ向けられる。


「……喬介さんが戻って早々、再び姿を消すことを見過ごしたくありません」

「俺は勝手に消えたりしない」

「二年前はそうでした」

「あれは強制的に帰らされたようなもんだ」

「理由がなんであれ、私たちを残していなくなったことに変わりはありません」


 マイアは真剣な表情を崩さない。


「それに、あなたが無茶をした時、止める者も必要ですよ」

「波美がいる」

「お兄ちゃんは、あたしが止めても聞かない時があるから」

「おい波美」

「マイアさんが一緒なら、あたしも安心かな」

「お前はどっちの味方なんだ」

「お兄ちゃんの味方だから、心配してるんだよ」


 アーシェラは三人のやり取りを黙って見つめていた。

 マイアを同行させれば、城の守りから重要な戦力が一人抜ける。一方で、正体不明の闇の力が待つ古塔へ、喬介と波美だけを向かわせる危険も無視できない。

 少しばかりの沈黙の後、アーシェラは決断を下した。


「マイアの同行を許可する」

「アーシェラ様!」


 マイアは深く頭を下げた。


「ただし、喬介への私情のみで動くことは許さぬ」

「承知しております」

「本当か?」


 喬介が尋ねる。


「どういう意味です?」

「そのままの意味だ」

「私は任務と私情を分けられます」

「さっき、俺が消えるのを見過ごせないと言っただろ」

「それも任務の一部です」

「ちょっと無理やりな気もするけど」


 波美が小さく笑う。


「でも、マイアさんが一緒に来てくれるのは嬉しいよ」

「私もです。波美さん、よろしくお願いします」


 二人が言葉を交わす中、喬介は地図上の古塔を見つめる。


「準備が整い次第、出発する」

「わかった」


 アーシェラの声が、謁見の間へ響いた。


「先ほどまで存在しなかった反応が、突如として現れたのだ。貴方たちを誘い出す罠である可能性もある」

「わかっている」

「異変の正体を突き止め、必ず三人で戻ること」

「承知しました」


 マイアが答え、波美も力強く頷いた。

 喬介は新たに生まれ変わった蛇剣へ手を添える。

 スペリオルヴァイパーは、古塔から発せられる闇の力を感じ取っているかのように、鞘の中で微かな紫色の光を放っていた。


 ——面白い。


 暗黒竜の声が、喬介の頭へ響く。


 ——我らが再び巡り会った直後に、新たな闇が現れるとはな。


「偶然ではないかもしれない」


 ——ならば、確かめればよいこと。


「そのつもりだ」


 アーシェラは喬介の独り言にやや訝しげな顔をし、彼の腰元に納められている、姿を変えた暗黒竜の剣へ視線を移す。

 言葉を発するでもなく、思慮の読めないような表情でただ見つめているだけだった。


 エルグランド北西に残る、遺跡となった古塔にて、突如検出された不自然な闇の魔力反応。

 その報告が何を意味するのか、今はまだ誰にもわからない。

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