53話 光と闇の再会
「喬介……さん?」
「マイア」
彼女の名を口にした喬介は、まるで固まったかのように立ち尽くす。その表情には、普段あまり目にすることのないような、わずかな緊張が見え隠れしていた。
「本当に……喬介さんなのですか?」
「あぁ」
光の騎士マイアは、胸元に手を当てながら目を見開いたまま喬介を見つめる。
一歩。さらに一歩と、確かめるように距離を縮め、目の前で立ち止まった。
「夢では、ないのですね」
「見ればわかるだろ」
「二年前にも、なにも告げずに突然いなくなりましたから」
「悪かった」
「謝罪の言葉だけで済ませるおつもりですか?」
「俺だって、好きで帰ったわけじゃない」
「わかっています」
気丈に答えた直後、マイアの瞳から涙が溢れた。
「ですが……もう二度と、お会いできないと思っていました」
「マイア……」
「いつか戻るかもしれないと、何度も考えました。けれど、世界を越えてしまった方が、再び戻れる保証などありません。それでも、私は……」
声が震え、自分の意思とは裏腹に言葉が呑み込まれてしまう。
「俺はここにいる」
俯き加減のマイアに、喬介が優しく静かに告げた。
「今は、それで十分だろ」
「……はい」
マイアは人差し指で涙を拭い、柔らかに微笑んだ。
「お帰りなさい、喬介さん」
「ただいま」
二人のやり取りを見ていた波美は、マイアの顔をじっと見つめた。
かつて魔族ディアブロに敗れ、喬介が絶望的な状況の中、消息を絶った。
その後、瀕死の彼を見つけその命を繋ぎ止めた者。ようやく、その存在が目の前の女性と重なる。
「マイアさん」
「はい?」
「お兄ちゃんを助けてくれたのって、マイアさんだったんだよね?」
マイアは少し驚いた後、静かに頷いた。
「ええ」
「やっぱり……」
肩から力を抜くように息を吐き、波美は深く頭を下げた。
「お兄ちゃんを助けてくれて、本当にありがとうございました」
「波美さん、頭を上げてください」
「でも、マイアさんがいなかったら、お兄ちゃんは……」
「私は、すべきことをしただけです」
「それでも、あたしにとっては命の恩人です」
「波美さん……」
「お兄ちゃんを見つけてくれて、諦めないでくれて、本当にありがとう」
マイアは少し困ったように、それでも嬉しそうに微笑む。
「礼を言われるようなことではありません。私は喬介さんに生きていてほしかった。それだけです」
その言葉に秘められた想いへ、波美は気づいた。
しかし何も言わず、もう一度だけ頭を下げる。
「喬介さん」
一拍置かれた後、マイアがわずかに表情を正す。
「あなたへ返さなければならないものがあります」
「俺に?」
「ヴァイパーブレイドです」
名を耳にした途端、喬介の表情が変わった。
「あの剣が、ここにあるのか?」
「はい」
「二年前、俺たちが日本へ戻された時、アルファードの戦場へ残したはずだ」
「戦いが終わった後、アルファードからエルグランドへ返還されました」
「そうだったのか」
「本来、あの剣はベイオスさんが使っていたアストラルウェポンです。エルグランドで保管すべきだと、ザルディス王が判断されたのです」
「今はどこに?」
「ベイオスさんの部屋です」
マイアは廊下の奥へ目を向け、その方向へ手を差し出した。
「ご案内します」
ベイオスが生前に使用していた部屋は、二年前とほとんど変わらぬ姿で残されていた。
簡素な寝台。整然と並べられた書物。壁へ掛けられた闇の騎士の外套。
中央にある黒塗りの木製台の上には、これ見よがしにと、あるものが置かれている。
「ヴァイパーブレイド……」
喬介はゆっくりと近づいた。
暗黒竜の鱗から造られた、紫黒色の蛇剣。かつてベイオスが振るい、その死後は喬介を新たな主として認めた武器だった。
「ずっと、ここにあったんですか?」
波美がマイアの顔を覗き込むように問うと、彼女は小さく頷いた。
「何人もの闇の騎士が手に取ろうとしました。ですが、誰一人として扱うことはできませんでした」
「剣を抜けなかったのか?」
「手に取ることはできます。しかし内なる暗黒竜は応えず、闇の力すら引き出せずにいました」
「それで、闇の騎士隊長の後任も決まってない。ということなのね」
「それだけが理由ではありません。ですが、大きな理由の一つです」
マイアは壁に掛けられた黒い外套を見つめる。
「ベイオスさんの死後、闇の騎士隊長の座は空席のままです。そしてヴァイパーブレイドも、新たな主を認めることもありませんでした」
「二年も……」
「まるで、誰かを待ち続けているようでした」
誘われるように、喬介が剣の前へ立つ。
その瞬間、手を伸ばすより先に、ヴァイパーブレイドの刀身へ紫色の光が灯った。
「お兄ちゃん……!」
光が強まり、部屋全体を淡い紫色へ染めていく。
ヴァイパーブレイドがふわりと、置かれていた台から浮かび上がった。引かれ、吸い寄せられ、空中を移動しながら喬介のもとへ近づいてくる。
それを迎え入れるかのように、喬介が右手を差し出す。柄は迷うことなく、その手の中へ収まった。
「俺を覚えていたのか」
刀身が紫色の煌めきを放つ。
喬介の呼びかけへ応じるように、一度だけ強く脈打った。
「やはり……」
マイアは胸元へ手を当て、安堵して小さく息を吐く。
「この剣は、あなたを待っていたのですね」
「俺を?」
「二年間、誰一人として認めなかった。けれど、あなたが戻った途端、自らその手へ帰った」
喬介はヴァイパーブレイドを握り、静かに刀身を見つめた。
かつてともに戦った武器。異世界へ残してきたはずの過去が、柄の感触と一緒に再び蘇ってくる。
「この剣が認める闇の騎士は、今も喬介さんだけなのです」
「俺は騎士じゃない」
「わかっています」
「この世界の人間ですらない」
「それも、承知しています」
マイアは寂しげに眉を垂らした。
「ですが、もし……」
一度は言葉を止めようとする。
それでも胸に秘め続けてきた願いが、抑え切れずに零れ落ちた。
「あなたが、このままエルグランドへ残ってくださったなら……闇の騎士隊長として、この国にいてくださったなら、どれほど心強いでしょう」
口にした直後、マイアは目を大きくして我に返った。
「申し訳ありません」
「なぜ謝る?」
「叶うはずのない願いです。喬介さんには、日本での生活があります。帰りを待つ方々もいるでしょう」
「…………」
「再会できただけでも、十分に喜ぶべきなのに。それ以上を望むなど……」
「マイアさん」
波美がやや訝しげな顔で呟いた。
「困らせるつもりはありませんでした。今の言葉は忘れてください」
マイアは一度首を左右に振ったあと、笑顔を作る。だが、その表情には隠し切れない寂しさが滲んでいた。
波美は、ヴァイパーブレイドを握る兄の横顔を見つめる。
「お兄ちゃんは……日本へ帰るよね?」
喬介は答えなかった。
「今回の異変が終わったら、あたしと一緒に帰るんだよね?」
「…………」
「お兄ちゃん?」
喬介はヴァイパーブレイドを握ったまま、部屋の窓へ目を向ける。
その先に広がるのは、エルグランドの街並み。かつて自分が守り、仲間たちとともに戦った国。
口を開くことなくただ黙って、遠くを見つめていた。その沈黙が何を意味するのか、波美にはわからない。だからこそ、胸の奥へ小さな不安が生まれた。
再び喬介を認めたヴァイパーブレイド。今も空席となっている闇の騎士隊長。そして喬介の帰りを、二年間待ち続けていたマイア。
もしかすれば兄は、この世界へ残ることを選ぶのではないか。
「お兄ちゃん……」
再びの呼びかけにも、喬介は答えなかった。
その手にある蛇剣だけが、かつての主との再会を喜ぶように、静かな紫色の光を放ち続けていた。




