44話 後悔の先で
「雫っ!」
自らの叫び声とともに、ステラは目を覚ました。
勢いよく上半身を起こし、荒い呼吸を繰り返す。額には汗が滲み、胸の奥では心臓が激しく脈打っていた。
「しず、く……?」
すぐさま周囲を見渡す。
しかし、そこに雫の姿はなかった。当然、ソニカも。
異形の改造人間も、常闇の森北側の山麓にあったアジトも、どこにも見当たらない。
頭上に広がっているのは、雲一つない青空だった。ミドラディアスの薄紫がかった空とは違う。目に映る色も、空気の匂いも、二年間暮らしてきた日本のものだった。
「日本に……戻ってきたの?」
ステラは胸元へ手を当てる。
そこにあるゲートクリスタルの欠片からは、既に青白い光が失われていた。今は何事もなかったかのように沈黙している。
「どうしてよ……」
ステラは欠片を強く握る。
「どうしてアタシだけなのよ!」
最後に見た雫の姿が、鮮明に脳裏へ蘇る。
意識を失ったソニカを背に庇い、宝刀水鏡を構えていた。目の前には、人間と機械を無理やり融合させた改造人間。
ステラの法力が尽き、閉じ込めていたバリアプレートは全て砕けた。その直後、ゲートクリスタルの欠片がステラだけを光で包み込んだのだ。
「戻らないと……」
パステリアウィッシュを支えにして立ち上がろうとする。しかし全身から力が抜け、ステラは片膝をついた。
「くっ……」
改造人間との戦闘で負った傷。肉塊との戦いから続く疲労。そして限界まで法力を使い果たした反動。体は、すぐに動ける状態ではなかった。
それでもステラは再び立ち上がり、左右に視線を走らせる。
そこは、何もない広大な平地だった。地面の大半は土が剥き出しになっており、所々に工事用の重機が置かれている。
大型の油圧ショベル。ロードローラー。資材の運搬に使われるダンプ。いずれも動きを止め、人の気配もない。
敷地の外周には金属製の囲いが設置され、工事関係者以外の立ち入りを禁じる看板が立てられていた。基礎工事すら完了していない状態だ。
「工事現場……?」
見覚えのない場所だった。
なぜ、ゲートクリスタルが自分をここへ転移させたのか。考えても答えは出ない。
だが今のステラにとって重要なのは、その理由ではなかった。
「お願い……もう一度反応して」
欠片を両手で包み込み、祈るように胸元へ寄せる。
「アタシを雫のところへ戻してよ……!」
だが、欠片は依然として黙ったまま。
ステラはパステリアウィッシュを握り直し、空間転移術を使おうとした。しかし銀色の十字架に嵌め込まれた青い宝石には、わずかな光さえ灯らなかった。
法力がまったくと言っていいほど残っていない。それ以前に、空間転移術だけでは異なる世界へ移動できない。
日本とミドラディアスを繋いでいるのは、ゲートクリスタルの力である。いくら雫のもとへ戻りたいと願っても、今のステラには何をすることもできなかった。
「雫……」
その名を呟いた時、ポケットの中にあるスマートフォンが鳴った。
ステラは慣れた手つきで取り出し、画面を確認する。表示されていた名前は、長峰結だった。
「もしもし!」
『やぁ、ステラちゃん。ご無事でなにより』
聞こえてきたのは、いつもどおりの緩く大らかな声。
「結! アタシ——」
『おっと。随分と慌ててるね。まずは深呼吸しようか』
「そんな場合じゃないの! 雫がミドラディアスに残ってる!」
『雫ちゃんが?』
「黒い渦から化け物が出てきて、仲間のソニカも倒されて……アタシだけがクリスタルに転移させられたの!」
ステラは息を切らしながら、起きたことを伝える。
結は途中で口を挟まず、全てを聞いていた。
『なるほど。そいつは、かなりまずい状況だねぇ』
「だから今すぐ戻らないと!」
『気持ちはわかるけど、クリスタルが反応しないんでしょう?』
「そうだけど……!」
『それなら、今のステラちゃんが一人で動いてもミドラディアスへは戻れない。まずは陸徒くんたちと合流しよっか』
軽い口調ではあるものの、その判断は冷静だった。
「陸徒たちが来るの?」
『ちょっと訳ありでね。予めそっちに向かわせていたんだ。そこで、ステラちゃんのスマホからGPSの反応が出たから、すぐに電話したってわけ』
「結は来ないの?」
『私は私で、ちょっと面倒な調査の途中なのさ』
「調査?」
『例の一連の事件を追っていたら、面白くない名前に辿り着いてね』
「誰なのよ?」
『それは喬介くんから聞いておくれ。手元の資料を共有してある』
結は、どこか勿体ぶるように笑う。
『それより、ステラちゃんはそこで大人しく待っていること。見知らぬ工事現場を一人でうろついて、またなにかに巻き込まれたら大変だからねぇ』
「子供扱いしないでよ。スマホの地図を使えば、今いる場所くらいわかるわ」
『元気に言い返せるなら少しは安心だ。それじゃあ、陸徒くんたちが着くまで待っていて』
「……わかったわ」
『いい子だ。なにかあったら、すぐに連絡してね』
それだけ告げると、結は通話を切った。
ステラはスマートフォンの地図を開く。現在地として表示されているのは、神奈川県の西部だった。
周囲には山林や住宅地が点在しているが、この場所だけは広大な建設予定地になっていて、一般車両や通行人の姿はほとんど見かけない。
ステラは工事現場の入り口付近まで移動し、金属製の囲いへ背を預けた。結の言うとおり、今は陸徒たちを待つしかない。時間が過ぎるほど、雫への不安は強くなっていった。
ソニカは意識を取り戻しただろうか。雫は一人で改造人間の攻撃を凌げただろうか。レグナムとラグレイトが戻っていれば、二人を助けてくれるかもしれない。
それとも、既に——。
「駄目……」
ステラは首を横に振る。
必ず戻る。あれは別れではない。少しの間、離れるだけ。そう信じなければ、何もできなくなってしまう。
一時間ほどが経過した頃。
工事現場の外から、一台の乗用車が近づいてきた。
入り口付近で停車すると、助手席の扉が開く。
「ステラ!」
真っ先に飛び出してきたのは陸徒だった。
「陸徒……」
ステラがゆっくりと立ち上がる。
陸徒は勢いよく駆け寄り、その両肩へ手を置いた。
「大丈夫なのか? 怪我は?」
「アタシは平気よ」
「平気なわけないだろ。服にも血がついてる」
「これくらい、大したことないって言ってるでしょ」
強がるステラの姿を見て、陸徒はわずかに息を吐いた。
「それでも、生きててよかった」
ステラは少しだけ目を逸らす。生きててよかったという言葉を素直に喜べず、何も返せなかった。
乗用車の扉が次々と開かれ、陸徒の後ろからほかの者たちも近づいてくる。
「ステラちゃん!」
波美が心配そうに駆け寄った。その後ろには、喬介と空也。さらに見慣れた忍装束を纏い、鈍色の小太刀を腰へ差した那琴もいる。
「無事でよかったよ。りっくん、ずっと落ち着かなかったんだから」
「波美、それは今言わなくていいだろ」
「兄ちゃん、車の中でも何度も結さんに連絡して、ステラのことを聞いていたからね」
「空也まで言うか!」
皆の声を聞いても、陸徒が自分のことをひどく心配してくれていたと耳にしても、ステラの表情は晴れなかった。
その違和感から、陸徒はすぐに、この場にいるべき人物が欠けていることに気づく。
「雫は?」
名を聞いた瞬間、ステラの肩が震えた。
「……ミドラディアスよ」
「一緒じゃないのか?」
「アタシだけが……ここに転移させられたの」
堪えていた涙が、ステラの瞳から溢れ出す。
「ソニカのアジトへ戻ったら、黒い渦が現れたの。そこから、戦車とロボットの残骸を人間と融合させた怪物が出てきた」
「人間と……?」
空也が表情を強張らせる。
「アタシと雫とソニカで戦った。でも、すごく強くて……ソニカが倒されちゃった」
ステラは途切れそうになる声で、その後の出来事を伝えた。
「——そして最後に見た時、雫は一人であの怪物へ立ち向かっていった……」
その場にいた全員が、目を見開いたまま言葉を失った。
「アタシのせいよ」
ステラは俯き、両手を強く握る。
「アタシがもっと強かったら、ソニカを倒されずに済んだ。法力さえ尽きなければ敵を倒せた!」
「ステラ、それは違う」
「違わない!」
陸徒の言葉を遮り、ステラは叫ぶ。
「雫を置き去りにしたのよ! あの時欠片を捨ててでも残ればよかった……」
「欠片がステラを強制的に転移させたんだろ?」
「だからって……!」
涙が次々と頬を伝う。
「雫はアタシを生かすために残ったの! 死ぬつもりだった! アタシにはわかるのよ……あの時の雫が、どんな覚悟をしてたのか……!」
かつてステラ自身も、大切な者を守るために命を投げ出した。
あの時の自分と雫は、同じ目をしていた。だからこそ、最後に浮かべた笑顔の意味がわかってしまう。自分の命を捨てる覚悟を決めた者の笑顔だった。
「雫になにかあったら……アタシ……」
「勝手に負けたことにするな」
落ち着いた声が、ステラの言葉を遮った。
「那琴……」
「雫は強い」
短く断言し、那琴はステラの前へ立つ。
「剣の腕だけではない。恐怖に呑まれず、守ると決めたもののために立ち続けられる。そういう強さを持った女だ」
「でも、相手は……」
「どれほど強い敵であろうと、雫が生きることを諦めたと決まったわけではない」
「死ぬ覚悟をしてたのよ!」
「死を覚悟することと、死を望むことは違う」
那琴の瞳は、真っ直ぐにステラの桃色を見つめる。
「お前を生かすために残ったのなら、雫はお前との約束も守ろうとするはずだ」
「約束……」
「再び会うと約束したのだろう?」
ステラはハッとしたように目を見開き、那琴の藍色に光る目を見返す。
那琴は表情をほとんど変えない。それでも、その声にはステラを気遣う温かさがあった。
「異世界へ転移する前は、互いを敵視していた。だが今は違うらしい」
「雫は……アタシを友人だって言ったの」
「そうか」
「アタシだって、やっと……あの子のことを、恋敵だけじゃなくて大切な友達だって思えたのに……」
「ならば、なおさら信じろ」
那琴は静かに言い切る。
ステラは涙を拭い、彼女の顔を見つめた。
「本当に、無事だと思う?」
「私ならそう信じる」
那琴の言葉に、迷いはなかった。
そこへ陸徒がステラの隣へ立つ。
「那琴の言うとおりだ。俺たちも一緒に雫を探す」
「陸徒……」
「必ずミドラディアスへ戻って、雫とソニカを見つける。ステラ一人に背負わせたりしない」
陸徒の強い意志を感じる言葉に、皆も合わせて深く頷いた。
ステラはもう一度涙を拭う。不安が消えたわけではない。だからって、自分を責め続けているだけでは雫を救えない。
「みんなありがとう。アタシ、絶対に見つけてみせる」
胸元で欠片を握り締め、ステラの表情が精悍なものへと変わった。
「それで、結が調べてた人物って誰なの?」
ステラは腕を組みながら喬介へ顔を向ける。
「この場所にも関係があるんでしょ?」
喬介は軽く頷いてから、周囲に広がる工事現場を見渡した。
「まず、ミドラディアスではデオルが暗躍している可能性が、ますます濃厚になっている」
「追跡玉が、魔信教団の本部跡を示していたからね」
「あぁ。デオルの生存は、ほぼ確実と見ていい。教団本部跡に残された未知の魔力も、黒い渦と無関係ではないだろう」
「デオル本人が直接操っているのか、または協力者がいるのか……ということね」
「そうだ。そして日本では、別の人物の影が浮かび上がった」
喬介は足元へ視線を落とす。
「この工事現場だが、表向きは、様々な情報を管理するためのデータセンターが建設される予定になっている」
ステラは、動きを止めた重機や積み上げられた建設資材へ目を向ける。
「でも、工事はほとんど進んでないように見えるわね」
「計画の規模に対して、進捗があまりにも遅い。公安は建設計画そのものが、別の目的を隠すためのものではないかと疑っている」
「別の目的って?」
「まだわからない。だが、この工事に関与している人物の側近が、これまで日本で起きた異変の現場にいた」
全員の表情が険しくなる。
「ミドラディアスへ送り込まれた戦車やロボットに関係する場所。群馬の道場で起きた事件。そのほか、黒い渦の痕跡が確認された場所」
喬介は結から得た情報を順に語る。
「公安が防犯映像、目撃証言、通信記録を洗い直した結果、同じ人物の痕跡が幾つもの現場で見つかった」
「それが、ここの工事に関わってる人の側近」
「一度や二度ならともかく、複数の現場に現れている。異変の監視、あるいは確認をしていたと考えるべきだ」
「あぁ。結さんも同じ見解だ」
陸徒が自分のスマートフォンを見せつけながら言った。
「現状ではまだ断定はできない。だが少なくとも、何らかの形でデオル、あるいは黒い渦と繋がっている可能性がある」
ミドラディアスでは、デオル。
日本では、この工事に関与している謎の人物。
二つの世界で起きている異変が、同時に一つの線で繋がろうとしていた。
「その人物の名前は?」
「公安が辿り着いた者の名は」
ステラが核心へと迫ると、喬介は全員の顔を見渡し、静かに口を開いた。
だがその時——
「待て」
那琴の低い声が、喬介の言葉を遮った。




