41話 悲しき勝利
「今ので倒せたのですか?」
「まだよ!」
土煙の中から、細い触手が飛び出した。
ステラは咄嗟に封壁を前方へ展開する。
だが触手は寸前で軌道を変え、壁を迂回して回り込んできた。
「なっ——」
触手の先端がステラの脇腹へ叩きつけられる。
「きゃあっ!」
体が勢いよく地面へ投げ出された。
パステリアウィッシュは手放さなかったものの、衝撃で息が詰まる。
「ステラさん!」
「来ちゃ駄目!」
駆け寄ろうとした雫を、大声で制止させる。
土煙を突き破り、肉塊が再び姿を現した。先ほどよりも表面が膨れ上がり、無数の細い触手が生えている。
その一本が雫の足首へ巻きついた。
「えっ……!」
バランスを崩され、体が地へ伏せる。
さらに別の触手が伸び、刀を握る右腕へ絡みついた。凄まじい力で締め上げられ、宝刀水鏡が手から落ちそうになる。
「は、放してください!」
雫は左手で刀を支え、必死に抵抗する。
肉塊は彼女を引き寄せようとした。 表面に浮かぶ八つの顔が、一斉に口を開く。
「一緒に……なれ……」
「お前も……こっちへ……」
「嫌ですわ!」
雫は刀を持ち替え、足首へ巻きつく触手を切断した。
解放された勢いで地面を転がり、すぐに立ち上がる。だが切断した触手から飛び散った液体が、雫の肩へ付着した。
「熱っ……!」
道着の一部が煙を上げ、皮膚へ焼けるような痛みが走る。
「雫!」
起き上がったステラが、雫の前へバリアプレートを展開した。
続けて襲いかかってきた触手が、封壁へ激突する。
「傷を見せて!」
「この程度なら、まだ戦えますわ」
「強がってる場合じゃないでしょ!」
ステラは祈りを込めながら雫の肩へ手をかざす。
―其は傷を癒すそよ風の調べ―
「治癒!」
温かな光の粒子が傷を包み込んだ。
完全に治癒させる時間はない。痛みを和らげ、戦える程度まで傷を塞ぐ。
「アタシの後ろから出ないで」
「ですが、それでは攻撃が……」
「一度立て直すの! アイツ、斬ってもすぐに傷が塞がってる」
雫がこれまでに何度か与えてきた傷は浅くない。
それにもかかわらず、肉塊の表面は少しずつ再生していた。切り離された肉片も本体へ戻り、失われた部分を補っている。
「一撃で、再生できないほどの傷を与えるしかないわ」
「ですが、あの巨体を一撃で斬るなど……」
「アタシが隙を作る」
ステラは敵を睨みながら答えた。
「アンタは、持てる力を全部一撃に込めなさい」
「できますの?」
「誰に聞いてるのよ」
手にした聖杖を見せつけるような仕草で、得意げに不敵な笑みを浮かべる。
「アタシは天才法術士よ。あの程度の化け物、動きを止めるくらい簡単なんだから」
「また無茶をなさるおつもりでは?」
「陸徒みたいに言わないでくれる?」
「ですが……」
「心配する暇があったら、技に集中しなさい」
ステラはパステリアウィッシュを両手で握り、敵の正面へ進み出る。
「アンタの一撃に、全部託すから」
雫はステラの背中を見つめた。
小柄な少女。それでも、その背中は不思議なほど大きく頼もしいほどに感じられた。
「承知しましたわ」
雫は宝刀水鏡を鞘へ収める。
腰を深く落とし、右手を柄へ添えた。
相手を一撃で斬り伏せるための抜刀の構え。呼吸を整え、心を静めていく。
「来なさい、化け物!」
煽りの大声とともにステラが聖杖を地面へ打ちつける。
肉塊の八つの顔が、同時に咆哮した。無数の触手が伸び、ステラへ襲いかかる。
「封壁!」
前後左右へ、複数の封壁が出現する。
触手の攻撃を受け止めながら、四方から肉塊を取り囲んだ。
怪物は封壁を破壊しようと、巨体を激しく動かす。強い打撃音とともに、前方を阻む壁へ亀裂が走らせた。
「まだよ!」
ステラは聖杖を掲げ、さらに法力を注ぎ込む。
亀裂が光に覆われ、瞬く間に塞がった。四方の封壁が、少しずつ内側へ狭まっていく。
けたたましい咆哮をあげながら肉塊が暴れ、触手をバリアプレートへ何度も叩きつける。
鉄杭を打ち込んだような音が鳴るたび、凄まじい衝撃が法力を通じてステラへ伝わった。
「くっ……!」
ステラの口元から、細い血が流れる。
すでに触手の一撃を受け、脇腹を痛めている。深手とまではいかずとも、我慢に難い苦痛だ。それでも、聖杖を下ろさない。
「ステラさん!」
「集中しなさい! アタシなら平気よ!」
肉塊の下へ、もう一枚のバリアプレート差し込むように出現させる。続けて頭上にも巨大な封壁が形成された。
全方位障壁。六枚のバリアプレートが、肉塊の動きを完全に封じ込める。
「これで……どう!?」
ステラは全力で聖杖を振り下ろした。
左右の封壁が同時に迫り、無数の触手を肉塊へ押しつける。
怪物の巨体が圧縮され、動きが止まった。だが完全には倒せていない。金色の壁の内側で、肉塊は今も激しく蠢いている。
「雫、今よ!」
「はい!」
雫は目を見開いた。
鞘へ収めた宝刀水鏡へ、全ての意識を集中させる。
怪物の姿ではない。そこへ取り込まれ、苦痛に喘ぐ八人の人間を見つめた。
盗賊である彼らは、自分へ危害を加えようとした。決して許される行為ではない。それでも、このような姿へ変えられ、永遠に苦しみ続けていいはずがなかった。
「どうか、この苦しみが終わり……」
右足が、地面を強く踏みしめる。
「安らかに眠ってください」
雫が地を蹴った。
一瞬で間合いへ踏み込み、右手が宝刀水鏡の柄を握る。それと同時に、ステラが敵を取り囲んでいた封壁を全解除させた。
「水瀬流剣術奥義——」
鞘から解き放たれた刃が、朝の光を反射する。
「鏡花水月!」
雫の姿が、敵の正面から消えた。
次の瞬間、幾重もの斬撃が肉塊を駆け抜ける。速すぎる刃は一筋の光へ変わり、縦横から異形の巨体を切り裂いた。
雫は肉塊の背後へ着地する。
水鏡を振り払い、静かに鞘へ収めた。鍔が鞘口へ触れ、澄んだ音が響く。
同時に、肉塊の表面へ無数の斬撃痕が走った。巨体が細かく分断される。
「ア……アア……」
八つの顔から、弱々しい声が漏れた。
雫は振り返らない。瞼を閉じ、静かに言葉を紡ぐ。
「おやすみなさい」
肉塊の表面へ浮かんでいた顔から、苦痛の表情が消えていく。まるで長い悪夢から解放されたように、八人は静かに目を閉じた。
直後、異形の巨体が黒い煙となって崩れ始める。切り分けられた肉片も再生することなく、風に溶けるように消えていった。
ステラは張り詰めていた力が抜け、片膝を地面へついた。
「ステラさん!」
雫が慌てて駆け寄り、その体を支える。
「大丈夫ですか?」
「これくらい……平気よ」
「口元に血がついておりますわ」
「ちょっと力を使いすぎただけ。休めば治るわ」
ステラは袖で口元を拭い、怪物の消えた場所へ目を向けた。
黒い煙はすでに薄れ、朝の森へ静寂が戻りつつある。
「終わったのですね」
「えぇ」
雫は宝刀水鏡の柄へ手を置き、わずかに俯く。
「私は、あの方々を救えたのでしょうか」
「元の姿には戻せなかった」
ステラは偽りの慰めを口にしなかった。
「でも、苦しみからは解放できたと思う」
「そうだとよいのですが……」
「最後に、あの人たちの顔を見たでしょ。少なくとも、もう苦しんではいなかったわ」
「……はい」
雫は目元へ浮かんだ涙を拭う。
ステラは立ち上がると、肉塊が消滅した場所へ歩み寄った。
地面には、黒く焼け焦げたような痕跡だけが残されている。黒い渦も、いつの間にか消えていた。
「生きている人間を吸い込んで、別の生き物に作り変える……」
ステラの表情が険しくなる。
「これが、今回の異変なのですね」
「多分ね。でも、まだ終わったとは限らない」
ゲートクリスタルの欠片は、今も反応していない。
黒い渦を生み出した者。人間を怪物へ変えた未知の力。その正体も目的も、何一つわかっていなかった。
「こんなことをした奴が、この近くにいるかもしれない」
虚空を睨み、ステラはパステリアウィッシュを強く握りしめる。
「絶対に見つけ出して、二度と同じことができないようにしてやるわ」
「私も、お力になります」
雫がその隣へ並ぶ。
「今回のような悲劇を、繰り返させるわけにはまいりません」
「えぇ。二人で突き止めるわよ」
ステラと雫は、怪物の消えた場所をまっすぐに見据えた。
二人の周囲では、何事もなかったかのように朝の爽やかな風が吹いている。しかし黒い渦がもたらす異変は、確実にその姿を変え始めていた。
異なる世界の物を送り込むだけではない。人間を取り込み、命そのものを歪め、新たな怪物へ作り変える力。
そして、その恐るべき異変は、これで終わりではなかった。




