40話 葛藤での戦い
「たす……けて……」
「苦しい……」
「俺の……体が……」
「ここから……出してくれ……」
身の毛もよだつような、掠れた声の重なりによる不協和音が響く。
盗賊たちの意識が残っているのか。それとも、姿と声だけを模倣しているのか。
「こんなもの……見たことない」
数多くのモンスターと戦ってきたステラでさえ、目の前の光景に絶句するほかなかった。
道場前で戦った巨大なドヘルズペイン。かつて死闘を繰り広げた魔族や、その僕であるアークデーモン。ほかにも、人間へ害をなす恐ろしい存在を幾つも目にしてきた。
それでも、複数の人間を無理やり混ぜて一つにしたような怪物など知らない。単純な凶暴さや強大さとは違う。生き物としての在り方そのものを歪められた、あまりにもおぞましい存在だった。
「ステラ……さん……」
隣から、恐怖に打ち震える声が聞こえた。
ステラは我に返り、雫へ顔を向ける。
彼女の顔からは血の気が失われていた。宝刀水鏡を両手で構えてはいるものの、その切っ先は小刻みに揺れて、鍔元からカタカタとわずかに音が聞こえている。脚も震え、今にも力が抜けてしまいそうだ。
モンスターとの戦いに慣れていない雫にとって、この状況はとても耐えがたいものだった。
「雫、大丈夫?」
「だ、大丈夫ですわ……」
「全然そうは見えないわよ」
雫は気丈に答えようとしたものの、声の震えや表情は簡単に隠せるものではない。
そこへ、肉塊の表面へ浮かぶ顔の一つが、苦痛に歪んだ。
「殺して……くれ……」
「でも……死にたくない……」
「嫌だ……助けてくれ……」
矛盾する懇願が、別々の口から同時に漏れる。
戦慄した雫の手が、さらに強く震えた。刀を握っていなければ、耳を塞いでいたかもしれない。
「雫」
ステラが彼女の前へ出た。
小さな体で庇うように立ち、パステリアウィッシュを構える。
「怖かったら、無理に戦わなくていい」
「ですが……」
「アタシがなんとかする。アンタは離れて、自分の身を守ってなさい」
いつもの強がりだけではなかった。ステラ自身、この怪物を倒せる確信などない。
どのような攻撃を使ってくるのか。そもそも法術や物理攻撃などが通用するのか。何一つわかっていない。それでも雫を、これ以上危険な目に遭わせたくなかった。
盗賊に連れ去られ、恐ろしい思いをしたばかりである。その直後に、このようなおぞましい怪物と戦わせる必要はない。
「下がってて。アタシ一人でも——」
「いいえ」
ステラの言葉を遮り、雫は強く応えた。
震えていた両手へ力を込め、宝刀水鏡の柄を握り直す。
「私も戦いますわ」
「無理しなくていいって言ってるでしょ」
「無理ではございません」
「刀を持つ手が震えてるじゃない」
「怖くないとは申しません」
雫は視線を肉塊へ向けたまま、震える息を吐く。
「今すぐ逃げ出してしまいたいほど、恐ろしいです」
「だったら——」
「ですが、ステラさんは危険を承知で、私を助けに来てくださいました。盗賊が何人いるのかも、どのような場所へ連れ去られたのかもわからなかった。それでも、たった一人で来てくださいましたわ」
ステラの口を止めるように、雫は言葉を並べていく。
「その想いに応えるためにも、私だけ逃げることなどできません」
「雫……」
「それに先ほど、力を合わせてこの状況を乗り越えると申し上げました」
雫は肩の力を落とし、刀を正眼に構える。
「私は剣士です。一度口にしたことを、恐怖を理由に違えるつもりはございません」
声はまだ少しだけ震えていた。それでも、そこに宿る意思は揺らいでいない。
ステラは暫く雫の横顔を見つめる。何を言っても退くつもりはないという想いが、如実に伝わってきた。
「本当に頑固ね。ま、わかったわ。そこまで言うなら、力を貸してもらう」
「はい」
「でも、勝手に無茶をしないこと。アタシの指示は絶対に聞きなさい」
「承知しましたわ」
雫は一度瞼を閉じた。
刀の切っ先をぴたりと静止させて大きく息を吸い込む。そして、ゆっくりと吐き出した。
恐怖を消そうとするのではない。心の中にある恐怖を認め、それに支配されないよう精神を整えていく。
剣を持つ者にとって、動揺は刃を鈍らせる。祖父の道場で、この鍛錬は何度も繰り返してきた。相手が人間であろうと、見たこともない怪物であろうと変わらない。自分が斬るべきものだけを見定める。
雫が再び目を開いた。瑠璃色の瞳からは、先ほどまでの怯えが消えている。手と脚の震えも止まっていた。
「いつでも参れますわ」
「いい顔になったじゃない」
ステラも表情を引き締め、目の前の怪物を見据える。
「アタシの法術は守りが主体。だから——」
「攻撃は私の役目。ですわね?」
「そう。でもアンタはアタシが必ず守る。だから、隙を見つけたら迷わず斬りなさい」
ステラは雫へ顔を向けた。
「お願いね、雫」
「お任せくださいませ」
二人は同時に前方へ向き直る。
肉塊の表面が大きく脈打った。盗賊たちの八つの顔が、一斉に口を開く。
「アアアアアアアアアアッ!」
複数の咆哮が重なり、大気を震わせた。
地面に転がる石が跳ね、周囲の木々から鳥たちが一斉に飛び立つ。それが、戦闘開始の合図となった。
「参ります!」
雫が地面を蹴る。
宝刀水鏡を右脇へ構え、一直線に肉塊へ接近した。
巨体ゆえに、動きは鈍い。敵の攻撃が始まる前に間合いへ入れば、先手を取れる。
完璧な間合いへ踏み込んだ。ところがその瞬間、肉塊へ埋め込まれた一人の顔が彼女へ向けられる。
「助けて……くれ……」
「っ!」
雫の目が見開かれ、一瞬の躊躇いが生まれた。
振るわれた刃は肉塊の表面を浅く斬って通りすぎる。
「嫌だ……斬らないでくれ……」
「もとに……戻して……」
戦いの覚悟は確実にできていた。
しかし盗賊のものと思しき歪な声は、雫の心を強く翻弄させている。
その隙をつき、肉塊の表面が盛り上がって赤黒い触手が勢いよく伸びた。
「雫、避けて!」
ステラの声で、雫は我に返る。
迫る触手を視界へ捉え、咄嗟に身を捻った。
触手の先端が、雫の頬を掠める。間一髪だった。もし遅れていれば、顔面をまともに打ち抜かれていたに違いない。
雫は横へ転がり、すぐに立ち上がる。そこへ続けて二本目の触手が振り下ろされた。
「封壁!」
二人の間へ金色の障壁が出現する。
触手が激突し、重い音が響いた。壁の表面へ亀裂が走る。
「一旦こっちへ!」
ステラは聖杖を振り上げ、封壁を前方へ押し出した。触手を弾き返し、雫が離脱するための道を作る。
雫は素早く後退し、ステラの隣へ戻った。
「ごめんなさい。私……」
「躊躇っちゃ駄目よ」
「ですが、あの方たちは助けを求めています」
肉塊へ向かって刀を構えながら問いかける。
「どうにかして、もとの姿へ戻すことはできないのですか?」
「わからない」
「ステラさんの法術なら……」
「無理よ。少なくとも、法術に人間同士を融合させる力なんてない。もとへ戻す方法も知らないわ」
「それでは、このまま斬るしかないのですか?」
肉塊から、新たな触手が生え始める。
一本。そして二本と、地面を這うように伸び、二人を取り囲もうとしていた。
「方法を探す時間なんてないわ」
ステラは唇を噛む。
自分も、本当にこれでいいのかはわからない。盗賊たちが生きている可能性はある。あの黒い渦の性質を詳しく調べれば、もとへ戻す手段が見つかるかもしれない。
しかし目の前の怪物は、自分たちへ殺意を向けている。捕らえて調べることも、意思の疎通を図ることなど不可能に近い。
「これ以上苦しませないためにも、倒すしかない」
「しかし……」
「この化け物を倒すことが、今のアタシたちにできる唯一のことよ」
ステラは肉塊へ浮かぶ八つの顔を見つめる。
「そうすればきっと、この人たちを苦しみから解放することができる」
「解放……」
「姿だけじゃない。体も意識も無理やり混ぜ合わせて、こんな化け物に変えた」
パステリアウィッシュを握る手へ力が入る。
ステラの桃色の瞳へ、激しい憤りが浮かんでいた。
「こんなことをした奴は、絶対に許さない」
世界の境界を歪ませている存在。
異世界の兵器を送り込み、黒い渦で残骸を回収した何者か。そして今度は、生きた人間を吸い込み、おぞましい怪物へ作り変えた。
「誰がなんのためにやってるのか知らない。でも、必ず見つけ出す」
ステラは聖杖を敵へ向ける。
「こんなふうに命を弄ぶ奴を、アタシは絶対に認めない!」
肉塊が再び咆哮する。五本の触手が地面を叩き、一斉に二人へ襲いかかった。
ステラが複数の封壁を展開する。
一枚目が正面から迫る触手を防ぐ。二枚目と三枚目が左右を固め、横から回り込もうとした触手を受け止めた。
「今よ、雫!」
「はい!」
雫は歯を食いしばり、封壁の隙間から飛び出した。
肉塊へ向かって一直線に駆ける。
「痛い……」
「助けてくれ……」
「斬らないで……」
八つの口から、懇願する声が漏れる。
胸が締めつけられる。それでも、今度は足を止めなかった。
「ごめんなさい……!」
雫は涙を浮かべながら、宝刀水鏡を振り下ろす。
刀身が肉塊の表面を深く切り裂いた。黒い血が噴き出し、複数の顔が同時に悲鳴を上げる。
「アアアアッ!」
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい!」
雫は刀を返し、もう一度斬りつけた。
肉塊の一部が切り離され、地面へ落ちる。だが落ちた肉片はすぐに液状化し、本体へ戻ろうと地面を這い始めた。
肉塊の内部から新たな触手が飛び出す。
雫は後方へ跳び、一撃目をかわした。二撃目へ刀を合わせ、斜めへ受け流す。
しかし三撃目が死角から迫っていた。
「させないっ!」
ステラの作り出した小型の封壁が雫の側面へ出現する。
触手の一撃を受け止め、その軌道を逸らした。
「ありがとうございます!」
「お礼は後! 正面から来るわよ!」
肉塊全体が収縮する。
直後、巨体が地面を滑るように二人へ迫った。
「こんな動きまで!?」
ステラは四枚のバリアプレートを重ねる。
肉塊が封壁へ激突した。凄まじい衝撃がステラの両腕へ伝わる。
「くぅっ……!」
地面を踏みしめるが、勢いを完全には止められない。
靴底が土を抉り、ステラの体が後方へ押されていく。
「ステラさん!」
「アタシのことはいいから、斬りなさい!」
雫は敵の側面へ回り込む。
刀を低く構え、横薙ぎに振り抜いた。刃が肉塊の表面を切り裂く。
さらに踏み込み、連続して斬撃を浴びせていく。一撃ごとに黒い血が飛び散り、盗賊たちの悲鳴が響いた。
「痛い!」
「やめろ!」
「死にたくない!」
「ごめんなさい……!」
雫の瞳から、涙が零れる。
それでも刀を止めない。ここで止めれば、ステラまで危険に晒す。何より、この人々の苦痛をさらに長引かせてしまう。
「どうか、お許しください!」
雫が大きく踏み込み、肉塊を縦に斬り裂いた。怪物の巨体が大きく揺れる。
ステラはその瞬間を見逃さなかった。
「一気に押し返す!」
重ねていたバリアプレートを前方へ動かす。
肉塊の巨体が押し戻され、石造りの建物の壁へ激突。外壁へ無数の亀裂が走り、石片が周囲へ飛び散った。




