39話 おぞましきモノ
「ステラさん!」
雫は涙を流しながら、その名を叫んだ。
「アンタたち……」
ステラの体から、金色に輝く凄まじい法力が溢れ出す。髪と衣服が力の奔流を受け、激しく揺れていた。
「雫に、ひどいことをしたわね」
「なんだ、このガキは!」
残った盗賊が腰の短剣を引き抜く。
「どうやってここへ入った!」
「そんなことは、どうでもいいでしょ」
ステラは男を鋭く睨みつける。
普段の自信に満ちた表情はない。そこにあるのは、大切な者を傷つけられたことに対する、純粋な怒りだけだった。
「アンタたちだけは、絶対に許さない」
「舐めた口を!」
盗賊が短剣を振り上げ、ステラへ襲いかかる。
だが男の刃が届くより早く、ステラはパステリアウィッシュを振り下ろした。
「封壁!」
巨大な一枚の壁が、狭い部屋の中へ出現する。
「なっ……!」
「ただじゃおかないんだからっ!」
ステラが開かれた手を突き出した。
バリアプレートが凄まじい勢いで前進する。短剣を構えていた男を巻き込み、先ほど壁へ叩きつけられた男ごと押し込んだ。
「ぐああああっ!」
二人の盗賊が封壁と石壁の間へ挟まれる。
次の瞬間、激しい音とともに石壁が崩壊した。
バリアプレートは二人を巻き込んだまま壁を突き破り、隣の部屋まで押し流していく。
室内へ土煙が舞い上がった。盗賊は瓦礫の中へ倒れ、そのまま動かなくなる。
「ふん。口ほどにもないわね」
ステラは冷たく言い放つと、すぐに雫のもとへ駆け寄った。
「雫、大丈夫!?」
「ステラさん……」
乱された雫の道着を直し、露出した肩へ襟を掛ける。
「もう平気よ。アイツらにはなにもさせないから」
「来てくださったのですね」
「当たり前でしょ。朝起きたら、刀も持たずにいなくなってるんだもの」
ステラの見上げた先。天井から雫を吊るした鎖が垂れている。
それを睨むと、パステリアウィッシュへ法力を集めた。雫の手首を傷つけないよう、鎖の一点だけを狙う。
念とともに細く収束された光が放たれ、鎖を撃ち抜いた。高い金属音が鳴って鎖が切れ、雫の両腕が自由になる。力を失った雫の体が、その場へ崩れ落ちた。
「雫!」
ステラは咄嗟に彼女を抱き止める。
「怪我はない?」
「手首が少し痛むだけですわ」
「見せて」
鉄枷の擦れた箇所が、赤くなっていた。
ステラは雫の手首へ片手を添える。
―其は傷を癒すそよ風の調べ―
「治癒!」
柔らかな光が傷を包み込み、痛みを和らげていく。
「これで平気なはずよ」
「ありがとうございます……」
「お礼は、ここを出てからにして。今は——」
言葉の途中で、雫がステラへしがみついた。
「ちょ、ちょっと!」
「怖かった……」
震えた雫の声。その言葉が、先ほどまで必死に堪えていた涙を再び呼び起こす。
「とても、怖かったですわ……」
「雫……」
「もう、誰も来てくださらないかと……」
「そんなわけないでしょ」
ステラは戸惑いながらも、雫の背中へ腕を回した。
「アタシを誰だと思ってるのよ。天才法術士のステラよ?」
「はい……」
「アンタ一人を見つけられないほど、間抜けじゃないわ」
「ステラさん……ありがとうございます」
「もう大丈夫だから」
雫の背中を優しく撫でる。その体はまだ小さく震えていた。
暫くして雫が落ち着くと、ステラは床へ置いていた宝刀水鏡を差し出した。
「ほら。アンタの刀よ」
「持ってきてくださったのですね」
「今度から、なにがあっても手放さないこと。ここは日本じゃないんだから」
「はい。申し訳ございません」
雫はそれ受け取り、腰へ差した。
刀を取り戻したことで、少しだけ表情へ力が戻る。
「ここは、あの者たちのアジトでしょうか?」
「多分ね。建物の周りには、大勢が出入りした跡があった」
「では、ほかにも盗賊がいる可能性が……」
「えぇ。今倒したのは二人だけ。仲間がいつ戻ってくるかわからないわ」
ステラは壊れた壁と、部屋の入口を交互に確認する。
「詳しく調べるのは後。今はここから脱出するわよ」
「わかりましたわ」
二人は部屋を出て、石造りの通路を進んだ。
建物の中には幾つもの扉が並んでいる。人の気配は感じられないが、食べかけの料理や無造作に置かれた武器から、盗賊たちが現在も使用していることは明らかだった。
いつ仲間が戻ってくるかわからない。ステラと雫は足音を抑えながら、正面の出口を目指す。
やがて分厚い扉へ辿り着き、ステラが慎重に外の様子を窺った。
「今は誰もいないみたい」
二人は建物の外へ飛び出す。
開けた空間を抜け、森へ入ろうとした。
「待ちやがれ!」
背後から、荒々しい声が響いた。
足を止めたステラと雫が同時に振り返ると、視界に映る建物の側面から、八人の盗賊が姿を現す。
剣や斧、弓を手にし、二人の逃げ道を塞ぐように広がった。
「やっぱり、仲間がいたのね」
ステラは杖を前に出して構えると、雫も宝刀水鏡を抜き、腰を落とした。
「中にいた二人をどうした!」
「アタシたちに手を出した罰を受けてもらっただけよ」
「このガキ!」
「女二人で逃げられると思うなよ!」
盗賊たちが武器を構え、一斉に距離を詰めてくる。
「雫。アタシの後ろにいて」
「今度は私も戦いますわ」
「無理はしないでよ」
「承知しております」
二人が迎え撃とうとした、その時だった。
盗賊たちのすぐ近くで、空間が大きく歪む。
「なによ、あれ……」
空気が軋み、割れたガラスのように方々へ黒い亀裂が走る。それが瞬く間に広がっては蟠を巻いて集まり、やがて禍々しい渦へ変化した。
とても見覚えのある。戦車やロボットの残骸を回収したものとよく似たあれだった。
「黒い渦……!」
ステラの表情が険しくなり、杖の柄を握りしめながら息を呑む。
盗賊たちも足を止め、不気味な現象を見つめていた。
「なんだ、こいつは?」
全員が身構える。盗賊たちは未知なるものにたじろぎ、騒いでいる。
あの時のように、黒い渦の向こうからモンスターか、異世界の兵器が現れる。ステラはそう考え、雫を庇うように前へ出た。
だが次の瞬間。
黒い渦が激しく回転し、周囲の空気を吸い込み始めた。
「うわっ!」
最も近くにいた盗賊の体が、地面から浮き上がる。
「な、なんだ!」
男はじたばたともがきならが近くの木へ手を伸ばしたものの、その指は届かない。
引きずられるように黒い渦へ吸い込まれ、姿を消した。
「逃げろ!」
残った盗賊たちが、慌てて背を向ける。しかし黒い渦の力は急激に増していた。
一人、また一人と地面から引き上げられ、渦の中へ飲み込まれていく。
「どうなってやがる!」
「助けてくれ!」
盗賊たちは剣や斧を捨て、地面の草や岩へ必死にしがみつく。
それでも抵抗することはできない。八人全員が、次々と黒い渦へ吸い込まれていった。
最後の一人が姿を消すと、周囲へ静寂が訪れる。地面には盗賊たちの武器だけが残されていた。
「いったい、なにが起きましたの……?」
雫は宝刀水鏡を構えたまま、茫然と呟く。
「わからない」
これまでとは違う不可解な状況に、ステラは目を見開いて黒い渦を睨みつけている。
「今までの渦は、倒された物を回収してた。でも今回は、生きている人間を……」
「盗賊たちは、どこへ連れていかれたのでしょうか?」
「プレサージュへ向かったとは限らないわ。追跡玉もついてないし、今のアタシには調べようが——」
ステラはそこで言葉を止めた。
八人を吸い込んだ黒い渦が、消えていない。空間の中に留まり、不規則に形を変えている。
「ステラさん。あの渦、様子がおかしいですわ」
「下がって!」
嫌な予感がしたステラは、咄嗟にバリアプレートを展開し、雫とともに後退する。
黒い渦が、まるで巨大な生物の内臓のように蠢いた。何かを押し出そうとするように、中央が大きく膨れ上がる。
「来るっ!」
次の瞬間、渦の中から巨大な物体が吐き出された。
それは重く、湿った音を鳴らして地面へ落下する。
「なっ……」
ステラは目の前の光景に言葉を失った。
「そんな……」
雫の表情が一気に青ざめ、刀を握る手を震わせる。
現れたのは、巨大な肉の塊だった。
手足と呼べるものはなく、赤黒い肉が幾重にも重なっている。表面には、先ほど吸い込まれた八人の盗賊の顔が埋め込まれていた。
男たちの顔は苦痛に歪み、それぞれが別々の方向へ首を動かしている。
「たす……け……」
「くる……しい……」
「ここから……出して……」
八つの口から、掠れた声が漏れ出す。それらが重なり、不気味な音となって森へ響き渡った。
「まさか……あの盗賊たちを、一つにしたの?」
ステラの額へ冷たい汗が浮かぶ。
肉塊の内側から、骨が軋むような音が聞こえた。表面が大きく脈打ち、八人の顔が一斉に二人へ向けられる。
黒い渦が生み出した異形。まさにクリーチャーと呼ぶべきそれは、複数の口を同時に開き、森の木々を揺らすほどの咆哮を上げた。




