38話 怒りのステラ
朝霧に包まれた森の中を、ステラは駆けていた。
片手には聖杖パステリアウィッシュ。もう一方の腕には、雫の愛刀である水鏡を抱えている。
地面に残された複数の足跡は、森の奥へ向かっていた。同じ方角へ続く微弱な魔力の残滓を探りながら、ステラは木々の間を縫うように進む。
「雫……!」
あの時何者かが、川原で魔術を使った。その直後に雫の姿が消えたのならば、彼女が自分の意思であの場を離れたとは考えにくい。
しかも雫は、宝刀水鏡を小屋に置いたままだった。日本刀を手にしていれば、並の人間へ簡単に後れを取るような少女ではない。武器を持っていなかったところを狙われたのだ。
「アタシが、もっと早く起きていれば……」
胸の奥へ、後悔だけがしつこく広がる。だが今は、自分を責めている場合ではない。
雫がどこへ連れ去られたのか。無事でいるのか。それを一刻も早く確かめなければならなかった。
「絶対に助けるっ!」
決意の言葉を噛みしめ、ステラは足を止めない。
足跡は森の奥へ向かうにつれ、徐々に不鮮明になっていた。落ち葉に覆われた場所では、わずかな窪みしか残っていない。空気中の魔力も薄れ始めている。
「このまま見失ってなるものですか……」
パステリアウィッシュの先端から法力の粒子を散りばめる。方々に霧散した小さな光の玉が、消えかけた微弱な魔力の残滓をも拾い集める。
ステラは意識を集中させて索敵をする。完全には消えていない。微かな魔力の流れが、木々の間を通ってさらに奥へ続いている。
その時、前方の茂みから、低い唸り声が聞こえる。
「今度はなによ!」
草木を掻き分け、狼に似た獣型のモンスターが姿を現した。
青黒い体毛と異様に発達した四肢。口元からは長い牙が覗き、赤い瞳が獲物を求めるように輝いている。
一体ではない。左右の茂みから、さらに二体が姿を現した。三体のモンスターは、ステラを取り囲むようにゆっくりと距離を詰めてくる。
「悪いけど、アンタたちに構ってる暇はないの」
ステラは足を止めることなく、パステリアウィッシュを前方へ突き出した。
一体のモンスターが牙を剥き、正面から飛びかかる。
「邪魔よ、どきなさい!」
金色の光が瞬く。
「封壁!」
ステラの前方へ出現した封壁が、空中のモンスターへ激突した。その体を正面から弾き飛ばし、後方の木へ叩きつける。
左右からも、残る二体が襲いかかってきた。たじろぐことなく、ステラは聖杖を横へ振り払う。
バリアプレートが彼女を中心に回転し、二体のモンスターをまとめて薙ぎ払った。獣たちは地面を転がり、木々の間へ消えていく。
「追ってきたら、今度はその程度じゃ済まさないから!」
倒れたモンスターへ目もくれず、その場を駆け抜けた。
今のステラの前では、雫のもとへ続く道を阻むものなどなかった。
森のさらに奥。木々の少ない、開けた空間へ出る。その中央には、石造りの古い建物が存在していた。
苔に覆われた外壁。崩れかけた屋根。幾つかある窓には鉄格子が嵌められ、正面の扉も分厚い木材で補強されている。
住居には見えない。古い砦か、使われなくなった監視所のような建物だった。
「ここね」
地面に残された足跡は、正面の扉へ続いている。空気中へ残る魔力も、建物の内部から微かに漂っていた。
近くには何人もの人間が出入りした痕跡がある。雫を連れ去った者以外にも、仲間がいる可能性は高いだろう。
だがステラは躊躇しない。宝刀水鏡を抱えたまま、迷わず建物へ向かっていく。
一方、場所は石造りの建物内部。
その一角である、陽光のほとんど届かない狭い部屋へ、雫は囚われていた。
両手首には硬い鉄の枷が嵌められている。そこから繋がった鎖は天井より吊るされ、雫の両腕を頭上へ縛り上げていた。足は床へ届いているものの、身動きを取ることはできない。
「この鎖を外してください!」
雫は必死に体を捻り、鎖を揺らす。
金属同士の擦れる音が、狭い部屋へ響いた。
「こんな真似をして、ただで済むと思っておりますの!」
その近くには、二人の男がいた。どちらも汚れた革鎧を身につけ、腰には短剣を差している。
伸び放題の髪と髭。品定めするように雫を眺める目つきは、見るからに野蛮だった。
「随分と威勢のいい嬢ちゃんだな」
「朝から川の付近を見回ってみりゃ、とんでもない上玉がいたもんだ」
男たちは、顔を見合わせて下卑た笑い声を上げた。
「見慣れねえ格好だ。どこか遠くの国から来たのか?」
「そんなこと、あなた方へ話す必要はございません」
「気の強い女は嫌いじゃねえぞ」
一人の男が、雫の顎へ手を伸ばす。
「触らないでください!」
雫は顔を逸らし、その手から逃れた。
男は不機嫌そうに眉を寄せる。
「状況がわかってねえみたいだな。お前は俺たちに拾われたんだよ」
「拾われたのではありません。あなた方が、卑怯な手を使って私を攫ったのでしょう!」
早朝、雫は水を汲むために川へ向かった。
桶へ手を伸ばした直後、背後に何者かの気配を感じた。振り返ろうとした時には、甘い匂いのする煙を浴びせられていた。
意識が急速に遠のき、目を覚ました時には、この部屋へ囚われていたのだ。
「武器も持ってねえ女が、一人で川をうろついてる方が悪い」
「俺たちが見つけなきゃ、モンスターに食われてたかもしれねえぜ?」
「恩人に向かって、その態度はねえよな」
恩人などではない。男たちは初めから、雫を助けるつもりなどなかった。
粘つくような視線を向けられるたびに、背筋を冷たいものが伝う。
「私を解放してください」
「嫌だと言ったら?」
「仲間が、必ず助けに参ります」
「仲間ねえ」
男の一人が鼻で笑った。
「お前が連れ去られたことにも気づかず、まだ寝てるんじゃねえのか?」
「ステラさんは、そのような方ではございません!」
「そのステラってのが来ても、俺たちの仲間は大勢いる。女一人になにができる?」
「ステラさんを侮らないでください」
雫は男たちを睨みつける。
「あの方は、誇り高き法術士です。あなた方など、相手にもなりませんわ」
「面白いことを言うじゃねえか」
一人の男が雫へ歩み寄る。
その手が道着の襟元を掴み、強引に引き寄せた。
「やめてください!」
雫は体を捻って逃れようとする。だが両手を拘束されているため、抵抗することができない。
道着の襟が乱され、片方の肩からずり落ちる。胸元が露わになり、白く柔らかなふくらみが覗いた。
「やめて……」
震えた雫の声。
勇ましく振る舞おうとする。だがその気持ちとは裏腹に、恐怖が先行して体が動かない。
喉も極度の緊張で強張り、思うように声を出せなかった。
「さっきまでの威勢はどうした?」
男が舌なめずりをしながらいやらしい笑みを浮かべ、さらに手を伸ばしてくる。
「嫌……」
瑠璃色の瞳から、涙が零れ落ちた。
「お願いです。やめてください……」
懇願しても、男は手を止めない。もう一人の男も、壁へ背を預けながら愉快そうに笑っている。
とうとう伸ばされた手が雫へ触れようとした。
その瞬間——
「がっ!?」
男の背後で、空気を切り裂く音が響いた。
銀色の杖が横薙ぎに振り払われ、男の側頭部へ直撃。男の体が宙へ浮いたそのまま、石壁へ叩きつけられて崩れ落ちる。
「な、なんだ!?」
もう一人の盗賊が、驚いて振り返る。
部屋の入口に、一人の少女が立っていた。
大きな十字架を模した聖杖パステリアウィッシュ。その柄を強く握りしめ、鬼のような形相で盗賊を睨みつけている。その桃色の瞳には、激しい怒りが燃え上がっていた。




