37話 夜明けからの
朝日が昇り始めてしばらく。小屋にある小さな窓から差し込む陽光が、ステラの顔を照らしていた。
「んっ……」
瞼を通す刺激にステラは眉を寄せ、毛布の中で寝返りを打つ。
聞こえてくるのは、穏やかな川のせせらぎと鳥のさえずり。いつもとは違う硬い床の感触に違和感を覚え、ゆっくりと目を開いた。
「そうだ。アタシたち、ミドラディアスに……」
まどろみを残しながら上半身を起こし、目を擦る。
霞む視線の先。そこに映る小屋の扉は少しだけ開いていた。
不審に思い、首を横に振る。昨夜、隣で眠っていたはずの雫の姿がない。
「雫?」
名前を呼んでみるが、返事はなかった。
雫が使っていた毛布は綺麗に畳まれ、壁際へ置かれている。
「外かしら」
ステラは立ち上がり、パステリアウィッシュを手に取る。その時、床に置かれた宝刀水鏡が目に入った。
「刀を、置いたまま?」
雫が武器を持たずに外へ出たことへ、わずかな不安を覚える。
しかし、部屋の隅に置かれていた水汲み用の桶もなくなっていた。
朝食の支度か、その準備をしようと、雫が先に川へ向かったのだろう。
「モンスターがいる世界なんだから、刀くらい持っていきなさいよ」
ステラは呆れてため息をつきながら、宝刀水鏡を拾い上げる。
小屋の外。河辺には、薄い霧が立ち込めている。草木についた朝露が光を反射し、辺りを淡く輝かせていた。
「雫、刀を忘れてるわよ!」
川へ向かって声を上げる。
「近くにいないの?」
首をかしげ、ステラは河原へ下りていく。
昨夜と変わらず、澄んだ水が静かに流れていた。下流、上流と左右を見渡し、辺りに視線を配っても雫の姿はどこにもない。
彼女と思しき人影はおろか、動物の気配すら感じない。対岸へ渡った様子もない。
「どこまで水を汲みに行ったのよ」
口を尖らせて文句を垂れながら、ステラは川沿いを歩く。
やがて少し離れた場所に、何かが落ちていることに気づいた。
小屋に置いてあった木製の桶だ。河原の石の上へ横倒しになり、中に水は残っていない。
「これ……」
ステラは嫌な予感がし、駆け寄った。
取っ手が壊れた様子はない。水を汲んで置いたというより、誰かが途中で投げ出したように見える。
胸の奥が押し付けられるような、不穏なざわつきが広がった。
「雫!」
周囲へ向かって叫ぶ。
「どこにいるの! 返事をしなさい!」
しかし返ってくるのは、川の流れる音だけ。茂みの奥にも、木々の陰にも人の姿はない。
「雫っ!」
先ほどよりも強く大きく呼ぶ。それでも返ってくる声はなかった。
ステラは宝刀水鏡を強く抱え、周辺へ視線を巡らせる。
雫が何も言わず遠くへ行くとは思えない。ましてや刀を小屋へ置いたまま、長時間離れるはずがなかった。
「まさか……」
モンスターに襲われたのか。あるいは、何者かに連れ去られたのか。
最悪の可能性が次々と頭へ浮かんでは、己の顔が徐々に青ざめていくのを如実に感じていた。
「落ち着きなさい。アタシが慌ててどうするのよ」
深く一呼吸しながら自分へ言い聞かせるように呟き、ステラは慎重に辺りを調べ始めた。
河原の石や、川沿いの草。
雫が残した痕跡を見逃さないよう、一つずつ確認する。
桶の近くには、雫のものと思しき足跡があった。小屋の方角から川へ向かって続き、桶が落ちていた場所で一度止まっている。
「ここで水を汲もうとした……?」
さらに目を凝らして周囲を調べる。
朝露に濡れた地面へ、別の足跡が残されていることに気づいた。
雫のものよりも大きく、深い。これは、一人分ではない。複数の何者かが、川の近くを歩いていたのか。
「モンスターの足じゃない。人間の靴の跡……」
アルファードの兵士や旅人が通りかかったのであれば、雫が何も言わずについていくとは考えにくい。刀を小屋に置いたまま、桶を乱暴に投げ出してまで姿を消す理由もなかった。
ステラは足跡の傍へ膝をつき、手のひらを地面へかざした。
「なにか痕跡が残っていれば……」
目に力を込め意識を集中する。
空気中に漂う微弱な魔力。普段であれば気にも留めないほど小さな残滓が、足跡の周囲へ残されていた。
「ここで誰かが魔術らしきものを使ったのね」
ステラは目を閉じ、聖杖パステリアウィッシュへ法力を集める。自分のものと、空気中へ残された魔力を混同しないよう、慎重に痕跡を拾い上げていく。
魔力の残滓は河原から草むらへ続き、その先にある森の方角へ伸びていた。
「見つけた」
ステラは目を強く開きながら勢いよく立ち上がる。
残された魔力は微弱で、時間が経てば完全に消えてしまう。考えるまでもない。追跡するなら、今しかない。
「勝手にいなくなって……本当に世話が焼けるんだから!」
ステラは宝刀水鏡を抱え直す。
胸の奥で、不安が膨れ上がっていた。昨日までなら、雫がいなくなったところで、ここまで動揺しなかったかもしれない。だがともに戦い、一晩を過ごし、互いの気持ちを語り合った。
雫はもう、陸徒を巡るだけの恋敵ではなかった。
「絶対に見つけてあげる」
パステリアウィッシュを握りしめ、ステラは魔力の残滓が続く方角へ目を向ける。
朝霧に包まれた森。その奥に何が待ち構えているのかはわからない。
「それまで無事でいなさいよ、雫!」
ステラは地面を蹴り、森へ向かって走り出した。




