36話 陸徒との思い出
「アタシが陸徒と初めて会ったのは、アルファードよ」
それは、ステラが陸徒たちと出会い、ともに行動するようになった日のことだった。
「陸徒は、その時にはもうラディアセイバーを使ってた。モンスターを相手にしても怯まなかったし、剣の扱いだって慣れたものだったわ」
「やはり、昔からお強かったのですね」
「ラディアセイバーを使いこなして、何度も仲間を守ってた」
ステラは当時の陸徒の姿を思い出す。
真っ直ぐ敵へ立ち向かい、蒼白色の大剣を振るう姿。危険な状況でも誰かを見捨てず、自分が傷つくことも顧みない。
「でも、無茶ばかりするところも今と変わらなかったわ。誰かが危険な目に遭ってると、自分のことなんて考えずに飛び出していくのよ」
「陸徒様らしいですわね」
「少しは自分の身も大切にしなさいって、何度言っても聞かないんだから」
不満そうな口調とは裏腹に、ステラの表情は柔らかかった。
「ある任務でアタシは、陸徒たちと一緒に旅をすることになった」
「陸徒様以外には、どのような方々がいらしたのですか?」
「陸徒の弟の空也。それからシルビアと、モコと、シルフィよ」
ステラは一人ずつ、仲間たちの名を挙げていく。
「それぞれ性格も考え方も違って、旅の間は本当に賑やかだったわ。意見が合わなくて揉めることもあったけど、戦いになれば互いに力を合わせた」
「大切な仲間だったのですね」
「……うん」
少し遠くを見るように、ステラは懐かしんで目を細める。
皆で歩いた道。行く先々で立ち寄った街。仲間たちと交わした言葉。危険な出来事ばかりではなく、笑い合える時間も確かに存在していた。
「でも、その旅の途中で、空也は魔族になってしまった」
「陸徒様の弟さんが……」
「本人が望んだわけじゃない。だけど抗えない運命の歯車に巻き込まれて、人間だった頃とは違う存在になっていったの」
ステラの声が、少しずつ沈んでいく。
「陸徒は、空也を救えなかったって自分を責めた。いつもなら、どれだけ傷ついても前を向こうとするのに……あの時はなにを言っても、簡単には届かなかった」
「それほど弟さんを大切に想っていらしたのですね」
「たった一人の弟だもの。目の前で魔族になっていくのを止められなかったんだから、平気でいられるわけないわ」
空也を失った陸徒の表情。深い喪失感に囚われ、立ち止まってしまった姿。
それを見ているステラの胸も、張り裂けそうだった。
「ステラさんは、陸徒様へなにをなさったのですか?」
「アタシは……陸徒に立ち直ってもらおうとした」
自分に何ができるのかを考えた。
どのような言葉をかければ、陸徒の心へ届くのか。ただ慰めるだけではいけない。
ともに悲しみながらも、再び前へ進めるように支えなければならなかった。
「一人で全部背負う必要なんてないって、何度も伝えたわ。アタシたちがいる。空也のことを諦めてないなら、ここで立ち止まるなって」
「それで、陸徒様は立ち直られたのですね」
「すぐにとはいかなかったけどね」
「それでも、ステラさんが支えになったことに変わりはございません」
「アタシ一人の力じゃないわ。シルビアも、モコも、シルフィもいた。皆が陸徒を支えようとしてたもの」
それでも雫は、穏やかな笑みを浮かべた。
「ステラさんは、陸徒様がお辛い時に傍へいてくださったのですね」
「……まあね」
指で頬を掻きながら、ステラは照れたように顔を背ける。
「そのあと、アタシはドヘルズペインに攫われた」
その言葉に、雫の表情が強張った。
つい昨日、道場で戦った怪物。あのドヘルズペインが、かつてステラを攫ったのだという。
「昨日の怪物に、ですか?」
「あれは、異質なタイプ。通常は人間と変わらない大きさよ」
「でもお一人で、あの怪物に……」
「身動きも封じられたし、さすがのアタシも少しだけ危ないと思ったわ」
「少しだけですか?」
「ほ、ほんの少しよ」
ステラは強がるように答える。
だが本当は、恐ろしかった。仲間たちから引き離され、身動きも取れない。
このまま誰にも見つけてもらえず、怪物の餌食になってしまうのではないか。そんな不安が何度も胸をよぎった。
「でも、陸徒が助けに来てくれた」
夜空を見上げたステラの声が、自然と優しくなる。
「危険なのに迷わず飛び込んできて、アタシを見つけてくれた。絶対に助けるって言ってね」
「陸徒様は、やはり勇敢な方ですわ」
「ただの無鉄砲よ。一歩間違えたら、陸徒まで殺されてたかもしれないんだから」
そう口にしながらも、あの時に感じた安堵は今も覚えている。
陸徒の姿を見た瞬間、胸を覆っていた恐怖が消えていった。きっと彼なら助けてくれる。そう信じることができた。
「それからも皆で行動した。何度も敵と戦って、いろいろなことが起きて……最後には、陸徒と魔族になった空也が戦うことになった」
焚き火の中で、薪が大きく爆ぜた。
雫は口を挟まず、じっとステラを見つめて次の言葉を待っている。
「陸徒は、最後まで空也を諦めなかった。相手が魔族になっても、弟であることに変わりはないって思ってたんでしょうね」
「空也さんは、元に戻られたのですか?」
「……あの時は、戻らなかった」
ステラの指先へ力が入る。
あの戦いを思い出すだけで、今も胸の奥が締めつけられた。
「魔族になった空也は強かった。陸徒もラディアセイバーで必死に戦ったけど、簡単に止められる相手じゃなかった」
「それでも、陸徒様は戦い続けたのですね」
「空也を放っておくなんて、あの馬鹿にできるわけないでしょ」
そして、空也の攻撃が陸徒へ迫った瞬間。
ステラは考えるよりも先に、その間へ飛び込んでいた。
「アタシは、陸徒を庇った」
雫の瑠璃色に輝く瞳が大きく見開かれる。
「それは……」
「空也の攻撃を受けて、アタシは命を落としたわ」
淡々と話したつもりだった。
しかし、ステラの声はわずかに震えている。
「命を……」
「えぇ。一度はね」
「ですが、ステラさんは今、ここにいらっしゃいます」
「そのあと、アタシは生き返ったの。だから今もこうしていられる」
「そのような簡単な言葉で済ませられることではございません!」
雫が珍しく声を上げた。
その瞳には、すでに涙が浮かんでいる。
「陸徒様を守るため、ご自分の命を犠牲になさったのですか?」
「犠牲になろうなんて考えてなかったわ。気づいた時には、体が勝手に動いてたの」
「それは、陸徒様を心から大切に想っていたからでしょう?」
「……そうかもしれない」
今のステラには、それを否定できなかった。
あの時も今も、陸徒は誰よりも大切な存在である。
「陸徒様は、どれほどお悲しみになったのでしょう」
「ずっと自分を責めてたって、あとから聞いた。空也のことも、アタシのことも……全部自分のせいだって」
「そう……ですか」
雫の頬を、涙がきらりと伝う。
ステラは驚いたように彼女を見つめた。
「どうしてアンタが泣くのよ」
「だって……あまりにも悲しいではありませんか」
「最後には生き返ったんだから、もういいでしょ」
「結果だけの問題ではございません。ステラさんも陸徒様も、とてもお辛い思いをなさったのでしょう?」
「それは……まあね」
雫は指先で涙を拭う。
「皆様と旅をなさっていたお話は、とても楽しそうでした。陸徒様を励ましたところでは、立ち直ってくださってよかったと思いました。ステラさんを助けに来てくださったお話も、本当に素敵でしたわ」
「感情移入しすぎじゃない?」
「ステラさんがお話しするからです」
「アタシのせいなの?」
「情景が目に浮かぶようでしたもの」
再び涙を拭いながら、雫は優しく微笑んだ。
「ですが、羨ましいですわ」
「どの話を聞いたら、そんな感想になるのよ」
「命を落としたことではございません!」
雫は慌てて首を振る。
「ステラさんは、陸徒様とともに多くの時を過ごしてこられたのですね」
「長いようで、今から思えば短い間だったわ」
「それでも私には、決して埋めることのできない時間です」
ともに旅をし、笑い、時には意見をぶつけ合った。互いに助け合い、命を懸けて守り合った。
その積み重ねは、昨日陸徒と出会ったばかりの雫にはない。
「陸徒様の強さだけでなく、弱さもご存じなのですね。多くの出来事を乗り越え、かけがえのない思い出を共有していらっしゃる。それが羨ましいのですわ」
「……アンタ、嫉妬してるの?」
「いいえ」
ゆっくりと瞬きをして、雫は穏やかに答えた。
「本当に?」
「はい」
「少しくらい、やきもちを焼いたりしないわけ?」
「羨ましいとは思います。ですが、嫉妬するのは違うのではないでしょうか」
「どう違うのよ」
「私が陸徒様の今しか知らないことは、紛れもない事実ですもの」
膝の上で重ねた両手を、雫はじっと見つめる。
「ステラさんと陸徒様が過ごした時間を、あとから出会った私が妬んでも仕方がございません。それに私は、そのような立場にさえ、まだ立てていないと思っております」
「どういう意味?」
「陸徒様は、私の気持ちをまだご存じありません。私は陸徒様から、特別な想いを向けていただいているわけでもございませんもの」
昨日出会ったばかり。雫が陸徒へ一方的に好意を抱いているだけである。
その事実を、彼女自身が誰よりも理解していた。
「ですから過去へ嫉妬するより、これから陸徒様のことを一つずつ知っていきたいのです」
「アタシが陸徒と親しいことを、悔しいとは思わないの?」
「悔しがることに意味はございませんわ」
答えには迷いがない。
「過去を変えることはできません。でしたら私は、今の陸徒様と向き合います」
ステラは何も言わず、雫の横顔を見つめた。
昨日出会ったばかりの男性へ恋をし、その場で自分へ宣戦布告した。ただ惚れっぽく、勢いだけで行動する人間だと思っていた。
だが雫は、自分の立場を冷静に理解している。
「アンタ、歳はいくつだっけ?」
「17歳ですわ」
「アタシより二つ上なだけよね」
「そうなりますわね」
「んの割には、考え方が大人よね」
「そうでしょうか?」
「アタシだったら、絶対に嫉妬するもの」
ステラの脳裏へ、陸徒と親しくする女性たちの姿が浮かぶ。ほかの女性と話しているだけでも、胸の奥が落ち着かなくなる。
雫が陸徒へ抱きついた時など、冷静さを失い、ドヘルズペインへ必要以上の力をぶつけてしまった。
「そうやって考えられるのは、ある意味羨ましいわ」
「私も、まったくなにも感じないわけではございません」
「え?」
「ステラさんと陸徒様の思い出を聞いて、胸が苦しくなったのは事実ですわ」
雫は少しだけ寂しそうに笑う。
「私も、その旅に加わりたかったと思いました。陸徒様のお傍で、皆様とともに戦えたらよかったのに。と」
「雫……」
「ですが、いなかったものは仕方がございませんもの」
「それを受け入れられるところが大人だって言ってるのよ」
「そうかもしれませんわね」
「アタシには真似できそうにないわ」
「ですが、陸徒様をお慕いする気持ちで負けるつもりはございません」
「そこは忘れてないのね」
「もちろんですわ」
雫は迷いのない笑顔をステラへ向ける。
ステラも、つられるように小さく笑った。
「アタシだって、負けるつもりはないから」
「今、陸徒様をお好きだと認められましたか?」
「なっ……!」
ステラの顔が一気に赤くなる。
「み、認めてないわよ!」
「ですが、負けるつもりはないと……」
「今のは言葉の綾! 忘れなさい!」
「それは難しいお願いですわね」
「忘れなさいったら!」
二人の声が、夜の小屋へ響く。
その後も雫は、旅をしていた頃の陸徒について幾つもの質問をした。
戦いの最中はどのような様子だったのか。仲間たちとは、どのように接していたのか。どんな時に笑い、どんな時に怒ったのか。
ステラは呆れながらも、一つずつ答えていった。
いつしか焚き火は小さくなり、薪の燃えかすが静かに崩れる。森から聞こえていた獣の声も減っていた。
二人は毛布へ包まり、並んで横になる。
「おやすみなさいませ、ステラさん」
「おやすみ。明日は早いから、ちゃんと寝なさいよ」
「はい」
暫くすると、雫の規則正しい寝息が聞こえ始めた。
ステラは暗い天井を見上げながら、先ほどの会話を思い返す。
恋敵であることに変わりはない。陸徒を譲るつもりもなかった。それでも雫という少女を、少しだけ理解できたような気がする。
「本当に、変な子……」
小さく呟き、ステラも瞼を閉じた。
こうして、異世界での最初の夜は静かに過ぎていった。




