35話 初めての野宿
戦闘終了の落ち着きも迎えてきた頃合い、ステラと雫は周辺の探索を続ける。
最初に目指したのは、平原の先に見えていた小高い丘。そこからならば、広い範囲の領地を望める。アルファード城や近隣の街を発見できるかもしれない。あるいは、ゲートクリスタルが二人を導いた理由に繋がる異変を発見できる可能性もあった。
しかし丘の頂上へ辿り着いても、見渡す限りに広がっているのは平原と森林ばかりだった。遠方には山脈らしき影が霞んで見えるものの、城の姿も、人が暮らす街や村も確認できない。
「なにも見えませんわね」
雫が目元へ手をかざし、周囲を見渡す。
「そうね……」
ステラはバッグからゲートクリスタルの欠片を取り出した。
相変わらず、光も熱も発していない。まるで電池切れのスマートフォンのようにひんやりと冷たい。転移を終えてから、完全に沈黙したままだった。
「ともかく、今日はこの周辺を探す。暗くなる前に、休める場所も見つけないと」
「野宿をするのですか?」
「街も村も見当たらないんだから仕方ないでしょ」
「私、野宿は初めてですわ」
「でしょうね。見るからにお嬢様って感じだもの」
「ステラさんは、経験がおありですの?」
「陸徒たちと旅をしてた時に、何度もね」
何気なく答えたあと、ステラは自分から陸徒の名を出したことに気づく。雫は何も言わなかったが、わずかに興味を示したような気がした。
それから二人は、丘を中心に周辺を探索した。
木々の間や大きな岩の裏。草原を横切っている獣道。近くに人が立ち寄った痕跡がないか、一つずつ調べていく。
しかし異変へ繋がるものは見つからない。それどころか、人間が暮らしている形跡すら確認できなかった。
時間だけが、刻一刻と過ぎていく。空を照らしていた太陽は次第に傾き、辺りを赤紫色の光で染め始めていた。
「もうじき日が暮れますわね」
「わかってる」
ステラは焦りを滲ませながら答える。
夜になれば視界が悪くなる。モンスターに襲われる危険も増し、これ以上の探索は難しい。せめて雨風を凌げる場所を見つけなければならなかった。
「ステラさん。水の音が聞こえませんか?」
「水?」
二人は足を止め、耳を澄ませた。
風に揺れる草木の音へ混じり、確かに水の流れる音が聞こえる。
「向こうね」
音を頼りに歩いていくと、やがて平原を横切る川へ辿り着いた。
川幅はそれほど広くなく、歩いて渡れる程度で、澄んだ水が緩やかに流れている。河原には大小様々な石が並び、対岸には深い森が広がっていた。
「綺麗な川ですわね」
「水も飲めそう。これで野宿する場所さえあれば——」
ステラは川に沿って視線を動かす。
すると少し下流へ向かった先に、木材で造られた小さな建物があることに気づいた。
「あれ、小屋じゃない?」
足元の丸石に躓かぬよう注意しながら、足早に建物へ近づく。
小屋は簡素な造りで、長い間使われていないのか、外壁の一部が色褪せていた。人が生活するための家ではない。狩人や旅人が一晩を過ごすために造られた、野宿用の小屋のようだ。
木製の扉を開けると、内部には二人が横になれる程度の空間があった。壁際には毛布が数枚置かれ、古びた机と椅子もある。部屋の隅には水汲み用の桶まで残されていた。
「少し埃っぽいけど、外で寝るよりはマシね」
「屋根と壁があるだけでも、十分ありがたいですわ」
「今日はここで一晩過ごしましょう」
「はい」
二人は手分けして小屋の中を片づけることにした。
雫が箒で床の埃を掃き、ステラは毛布を外へ運んで法術の風を当てる。それから河原で枯れ枝を集め、小屋の前に小さな焚き火を作った。
食事については、丘の周辺で見つけた木の実しかない。ステラが食べられる種類だと判断したものを二人で分けた。
雫は初めこそ見慣れない木の実を警戒していたが、口にしてみると甘酸っぱい味が広がった。
「意外と美味しいですわね」
「アルファード領じゃ、珍しくもない木の実よ。旅をしてた時にもよく食べたわ」
「そうなのですね」
「でも、これだけじゃお腹は膨れないわね」
「一晩くらいでしたら我慢できますわ」
「明日も異変が見つからなかったら、食料を探さないと」
夕食と呼ぶには心許ない食事を終えた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。夜空には日本と変わらぬ月が浮かび、その周囲を無数の星が彩っている。
川の流れる音と、焚き火の爆ぜる音。時折、遠くの森から動物らしき鳴き声が聞こえていた。
ステラと雫は小屋の中へ入り、開け放した扉の近くに並んで座る。
焚き火の明かりが、二人の横顔を照らしていた。
「明日は、川の下流を調べてみるわ」
ステラはゲートクリスタルの欠片を眺めながら告げる。
「水場の近くなら、人の住む場所が見つかるかもしれない。異変が起きても、ここから遠く離れすぎずに済むし」
「承知しましたわ」
「それと、モンスターの気配を感じたらすぐに教えること。勝手に戦おうとしないで」
「私も、先ほどと同じ失敗をするつもりはございません」
「どうかしら」
「ステラさんこそ、今度は頭上にもお気をつけくださいませ」
「うっ……」
痛いところを突かれ、ステラは言葉を詰まらせる。
「あれはアンタを気にしてたからでしょ!」
「私を守ってくださろうとした結果ですものね」
「そうやって嬉しそうに言わないで!」
雫は小さく笑った。ステラは恥ずかしそうに顔を背け、焚き火へ小枝を放り込む。
しばらく二人の間に沈黙が流れた。
険悪なものではない。静かな夜に身を委ねるような、穏やかな時間だった。
「ステラさん」
「なに?」
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「内容によるわね」
「陸徒様についてです」
「なんでそうなるのよ!」
ステラの声が小屋の中へ響く。近くの木に止まっていた鳥が驚き、羽音を立てて飛び去っていった。
「もう少し静かに話してくださいませ。モンスターが来てしまいますわ」
「誰のせいよ!」
「私は普通にお尋ねしただけです」
「よりによって、今ここで陸徒の話をする?」
「今だからこそですわ」
雫は真剣な表情でステラを見つめる。
「ステラさんが、このミドラディアスで陸徒様と過ごした時のお話を、聞かせていただけませんか?」
「嫌よ」
ステラは食い気味で即答した。
「どうしてですの?」
「どうしてもなにもないでしょ。アンタはアタシの恋敵なんでしょ?」
「はい」
「そんな相手に陸徒との思い出を話して、アタシになんの得があるのよ」
「得はないかもしれませんわね」
「じゃあ、話す必要もないじゃない」
ステラは腕を組み、そっぽを向く。
しかし雫は諦めなかった。
「私は、陸徒様と出会ってから、まだ一日も経っておりません」
「それで?」
「私が存じているのは、今の陸徒様だけです」
雫は焚き火へ視線を落とす。
揺れる炎が、その瑠璃色の瞳に映り込んでいた。
「ですがステラさんは、二年以上前から陸徒様をご存じなのでしょう?」
「……えぇ」
「私の知らない陸徒様を、あなたはたくさん知っていらっしゃる。どのような旅をして、どのような出来事を乗り越えたのか。私は、それを知りたいのです」
「知ってどうするつもり?」
「陸徒様のことを、もっと深く理解したいのですわ」
雫は迷うことなく答えた。
「好きになった方のことを知りたいと思うのは、おかしなことでしょうか?」
「おかしくは……ないけど」
ステラはわずかに目を伏せる。
正直、雫へ陸徒との思い出を話すことには抵抗があった。二人で過ごした時間。旅の中で交わした言葉。嬉しかったことも、悲しかったことも、自分にとっては大切な思い出である。
それを恋敵へ教えることは、二人だけのものを差し出してしまうように感じられた。
だが雫の表情には、ステラから何かを奪おうとする意図はない。ただ陸徒を知りたいという、純粋な気持ちだけがあった。
「……長い話になるわよ」
「構いませんわ」
「途中で眠くなっても知らないから」
「最後までお聞きいたします」
「本当に変なところで頑固ね」
ステラは呆れたように息を吐く。
それから壁へ背を預け、二年前の記憶を辿った。




