33話 襲い掛かるもの
木々の間から望む平原を、二人並んで見渡す。
「まずは、アタシたちがいる場所を特定しないとね」
「周囲の景色だけでわかるのですか?」
「ミドラディアスの土地なら、大体は知ってるわ。アタシは天才法術士なんだから」
ステラは得意げに胸を張り、近くの草木や岩肌へ目を向ける。
地面に生えている草の種類や、所々に置かれたような紫色を帯びた岩。遠方に見える山脈の輪郭。
それらを一つずつ記憶と照らし合わせていく。
「見たところ、ここはアルファード領のどこかね」
「アルファード領?」
「シェリル様が王女を務めている国よ」
「シェリル、王女……?」
雫の表情がわずかに変わる。
「陸徒がこの世界に来て、もっとも世話になった人。って言ったらいいのかしら」
「そうだったのですね。でしたらシェリル王女も、陸徒様のことが……?」
「はぁ? なんでそうなるのよ」
「陸徒様はとても格好良くて、すてきなお方ですから」
「シェリル様をアンタみたいな惚れっぽい好色女と一緒にしないで」
ステラは不満そうに唇を尖らせた。
雫だけでも厄介だというのに、ここでシェリルまで恋敵として意識されては話が余計に拗れかねない。
「まぁ、アルファード城へ行けば、シェリル様に助けを求められるわ」
「でしたら、すぐにお城へ向かいましょう」
「それが選択できたらの話よ」
ステラはバッグへ手を添える。
欠片は、異変の発生する場所へ自分を導いている。
今回、映像は見えなかった。それでも日本からミドラディアスへ転移させた以上、何らかの意味があるはずだった。
「異変は、この近くで起きるかもしれない」
「ここから離れてしまえば、それを見逃す可能性があるのですね」
「えぇ。なにもわからない状態で、下手に移動するのは危険だわ」
「ですが、このまま待っているだけというわけにも……」
「わかってる。まずは周辺を調べて、それから——」
ステラの言葉が途切れ、険しい表情へと変わる。
近くにある茂みが、不自然に揺れた。
「ステラさん?」
「静かに」
パステリアウィッシュを構えながら、ステラは一点を見つめている。
雫も異変を察し、宝刀水鏡を鞘から抜いた。
風が吹き抜け、平原の草が一斉に揺れる。だが茂みの奥にある気配は、風と無関係に動いていた。
一つではない。複数の何かが、自分たちを取り囲むように移動している。
「やっぱり、そう簡単にはいかないみたいね」
直後、茂みを突き破って二体の巨大な甲虫が姿を現した。
人間の腰ほどまである黒褐色の体躯。頭部から伸びた鋭い角を振り上げ、硬質な羽音を響かせている。
「あれが、モンスター……」
「キラービートルよ。見た目どおり外殻が硬いから、正面から斬りつけても刃が通りにくいわ」
さらに背後の木々から、低い唸り声が聞こえた。
二体の猿に似た怪物が、枝の間から地面へ飛び降りる。
濁った赤い瞳。紫色の体毛に覆われ、人間よりも長く太い腕が地面を踏みしめる。口元から伸びた牙には、粘ついた唾液がまとわりついていた。
「マーダーエイプまで……」
「ずいぶん物騒な名前ですのね」
「名前だけじゃないわよ。凶暴で、獲物を集団で追い詰める程度には頭も働く」
前方にはキラービートルが二体。
背後にはマーダーエイプが二体。
四体のモンスターは、逃げ道を塞ぐように二人を囲んでいる。
「雫。アタシから離れないで」
「承知しましたわ」
「モンスターとの戦いは、人間同士の剣術とは違う。動きや間合いを決めつけないことね」
「ご忠告、ありがとうございます」
雫は刀を正眼に構えて息を吐いた。
次の瞬間、彼女を纏う空気が変わる。先ほどまでの柔らかな雰囲気など微塵も感じられない。
背筋を伸ばし、刃の先を敵へ向けたその立ち姿は、一分の隙もない美しい構えだった。
「言っておきますけれど、守られているだけのつもりはございませんわ」
「どうかしらね。危なくなったら、すぐ下がりなさいよ!」
ステラが聖杖を地面へ打ちつける。
それが戦闘開始の合図となった。
「封壁!」
すぐさま即発型の術を発動。法力の光が集まり、二人の前方へ金色の障壁が出現した。
同時に、一体のキラービートルが突進を始める。角を前方へ突き出し、凄まじい勢いで地面を駆け抜けた。
巨体が障壁へ激突。鈍い衝撃音が響き、キラービートルの動きが止まった。
「そのまま押し返す!」
手のひらを突き付けると、金色の壁が勢いよく前進し、キラービートルの巨体を押し返した。
甲虫は地面を転がり、仰向けになる。
「今よ、腹部を狙って!」
「参ります!」
雫が一気に距離を詰める。
キラービートルが脚を激しく動かして起き上がろうとするが、間に合わない。
両手で柄を握り、外殻に覆われていない腹部へ刀を振り下ろした。
鋭い刃が深々と食い込む。キラービートルは耳障りな声を上げたあと、黒い煙となって崩れ始めた。
「倒せましたわ!」
「油断しない! 次が来る!」
もう一体のキラービートルが、側面から雫へ突進する。
雫は刀を引き抜いたものの、避けるには距離が近すぎた。
「させないっ!」
再びステラは封壁を展開する。
雫とキラービートルの間へ割り込んだ壁が、その角を受け止めた。
「ステラさん!」
「早く離れなさい!」
雫が横へ跳んで距離を取る。
ステラは聖杖を振り抜き、障壁を武器のように回転させた。縁がキラービートルの脚を薙ぎ払う。
体勢を崩したところへ、もう一枚の障壁を出現させて上空から叩きつける。そのまま地面との間に挟み込んだ。
硬い外殻へ亀裂が走り、関節部から軋む音が鳴る。キラービートルはじたばたと脚を動かしてもがいていたが、やがてそれも止まる。
力尽きて圧死した瞬間、黒い煙へと変わった。
「すごい……障壁を武器としてお使いになるのですね」
「防ぐだけが封壁の使い方じゃないわ。攻撃に転用するくらい、アタシにとっては朝飯前よ」
得意げに答えた直後、背後からマーダーエイプが飛びかかってくる。
「危ない!」
咄嗟に雫がステラの前へ出た。
振り下ろされた太い腕を、宝刀水鏡の刀身で受け止める。
金属に衝撃が走る甲高い音。
「くっ……」
刃と拳がぶつかりあった瞬間、刀の角度を変えて相手の突進力をいなした。
腕を切り裂かれながら、マーダーエイプは雫とステラの真横を通り過ぎていく。
雫はすぐさま反転して踏み込んだ。
「はああっ!」
バランスを崩して転倒したマーダーエイプ。起き上がろうとするも、刀を構えた雫の姿は目の前だった。胸元へ、鋭い横薙ぎを繰り出される。
刃が硬い筋肉を切り裂いた。しかし傷は浅い。怪物は怒りの咆哮を上げ、長い腕を振り回す。
雫は身を低くして攻撃をかわし、懐へ潜り込んで下段から刀を振り上げる。
今度は刃が脇腹を深く切り裂いた。大量の黒い血を撒き散らしながら、マーダーエイプがよろめく。
「これで、終わりですわ!」
雫は刀を返し、怪物の首元へ渾身の一撃を叩き込んだ。
頭部が吹き飛ぶと同時にマーダーエイプの体が崩れ、黒い煙へ変わる。
「さすがね。あの時もそうだったけど、剣の腕は本物だわ」
モンスターとの戦いに慣れていないとはいえ、雫は幼い頃から剣術を学んできた人間である。
動揺さえ抑えれば、並の人間より遥かに強い。
「当然ですわ。水瀬家の剣術を、侮っていただいては困ります」
「戦う前は、額から汗を垂らしていたくせに?」
「あれは、相手の力を見極めようとしていただけです」
「強がっちゃって」
「ステラさんこそ、私のことばかり気にしていてよろしいのですか?」
「別にアンタを気にしてるわけじゃ——」
言葉尻でステラの顔が突然強張る。そして慌てるようにして周囲を見回した。
キラービートル二体と、マーダーエイプ一体。
倒したのは三体だけである。
「もう一体は?」
姿が見えない。
最初に背後へ現れたはずのマーダーエイプが、いつの間にか消えていた。
「逃げたのでしょうか?」
「違う。アイツらは獲物を簡単に諦めないわ」
ステラは聖杖を握り直す。
草むらや岩陰へ目を向けるが、怪物の姿はない。
雫を守りながら戦うことへ意識を向けすぎて、迂闊にも敵の動きを見失っていた。
その時、ステラの頭上で木の枝がわずかに撓る。マーダーエイプは逃げたのではない。戦いの最中に木へ登り、枝葉の陰へ身を潜めていたのだ。
赤い瞳が、真下にいるステラを捉える。
「ステラさん、上です!」
「えっ?」
雫の声に、ステラが顔を上げる。
すでにマーダーエイプは枝から飛び降りていた。
回避も障壁の展開も間に合わない。振り下ろされた太い腕が、ステラの肩から背中へ叩きつけられた。
「きゃああっ!」
小さな体が地面へ投げ出される。
パステリアウィッシュが手から離れ、草むらの中を転がった。
「ステラさん!」
雫が悲鳴に近い声を上げる。
ステラは地面へ倒れたまま、動かない。
その傍へマーダーエイプが着地し、とどめを刺そうと腕を振り上げる。
「させません!」
雫は地面を蹴り、二人の間へ飛び込んだ。
振り下ろされた怪物の腕を刀で受け流す。すぐさま刃を返し、その手首へ斬りつけた。
マーダーエイプは怒りに任せ、もう一方の腕を横薙ぎに振るう。
雫は咄嗟に後方へ跳んだが、避けきれない。
「くぅっ!」
腕が脇腹を掠め、体勢を崩して地面へ膝をつく。
それでも刀を手放さなかった。
「雫……」
ステラは全身へ激痛が走る中、薄く目を開ける。
すぐには立ち上がることができない。だが、自分を庇う雫の背中が、霞む視界の中に映っていた。




