31話 涙の行方
巨大化したドヘルズペインとの戦いを終え、陸徒たちは再び道場内へと戻る。
損傷した庭の処理については、長峰結が公安を通じて手配することとなった。道場の周辺にも人払いが行われ、先ほどの戦闘を目撃した一般人はいないという。
ひとまず危機は去った。
しかし、二つの世界で相次ぐ異変については、未だ多くの謎が残されている。
外では空が朱く染まりつつある中、道場の中央に全員が円を描くように座る。
陸徒の隣にはステラ。その向かいには波美と那琴が。そして雫と結も加わり、これまでに得られた情報を整理することとなる。
「さてと。それじゃ、話を始めようか」
結が軽く手を叩く。
「日本で起きている事件だけでも手一杯なのに、異世界の方でもいろいろ起きているみたいだからね。私にもわかるように説明してくれると助かるな」
「あぁ。その前に、喬介さんにも聞いてもらった方がいいと思う」
陸徒はスマートフォンを取り出し、喬介へ電話をかけた。
数回の呼び出し音の後、通話が繋がる。
『陸徒か』
「喬介さん。今、話せるか?」
『問題ない。群馬で事件が起きたそうだな』
「もう知ってるのかよ」
『長峰から、事前に情報を得ている』
「話が早くて助かる。向こうで起きたことも含めて、聞いてほしい」
陸徒はミドラディアスへ転移してからの出来事を、順を追って説明した。
最初に異変が起きたのは、工業大国エリシオン。
何もない空間から、日本に存在する戦車が現れ、エリシオン城を襲撃した。
『戦車の種類は確認できたのか』
「そこまではわからない。ただ、誰かが操縦している様子はなかった。自分で判断して動いているみたいだった」
『無人制御か』
「それだけじゃない。その後、エルグランドの常闇の森では、巨大な人型ロボットまでもが出てきた」
『ロボット?』
「あぁ。二本の腕と脚を持っていて、俺たちの時代じゃ見たこともないほど精巧な造りだった。自動で動いて、武器まで使ってきた」
電話の向こうで、喬介が沈黙する。その奥からは微かにキーボードを叩く音が聞こえてきた。
すでに分析を始めているのだと判断し、陸徒は構わず話を続ける。
「戦車もロボットも、なんとか撃破した。だけど、倒した直後に黒い渦が現れて、残骸を全部回収していったんだ」
『こちらに残されることを嫌ったか。証拠隠滅、あるいは再利用が目的と考えられるな』
「ソニカが術を使い、ロボットの残骸にこっちでいう発信機をつけたんだ。その反応を調べたら、残骸はエリシオンにあるプレサージュへ運ばれていた」
『プレサージュ……』
喬介の声が、わずかに低くなる。
「かつて魔信教団の本部があった街。しかも常闇の森では、魔信教団のものとよく似た黒いローブを着た奴らにも襲われた」
『教団は二年前に解体されたはずだ』
「ソニカとレグナムも、そう言っていた。教団の本部も閉鎖されているはずだって」
陸徒は腰元に置いたラディアセイバー・ゼノの柄へ視線を落とす。
「プレサージュの件については、ソニカたちが調べることになった。エルグランドからも、アーシェラ女王と魔騎士隊が対応すると思う」
『妥当な判断だ。元教団幹部であれば、内部の構造や術式も把握している』
「俺たちは、ある人物が関与しているんじゃないかって考えた」
『デオル・ヴォクシードか』
陸徒が名を告げるより先に、喬介が答えた。
「やっぱり、喬介さんもそう思うか」
『かつて魔信教団を率いた人物だ。閉鎖された本部へ出入りする手段を知り、教団の残党を動かせる可能性もある』
「あの時、デオルは魔族化した空也に殺された。でもレクサスは、空也の手で殺された人たちを全員生き返らせた。その対象にデオルが含まれているなら、生存は確実」
『そのとおりだ。現時点で最も疑わしい人物なのは間違いない』
喬介はそこで一度言葉を止めた。
『だが、今回の異変すべてをデオルの仕業と決めつけるのは早計だ』
「どういうことだ?」
『世界の境界を歪ませ、別の世界に存在する物体を送り込む。そのような現象を、人間一人の力だけで引き起こせるとは考えにくい』
「デオルが、なにか別の力を使っている可能性は?」
『否定はできない。だが根拠もない』
喬介の冷静な声が、スマートフォンから響く。
『それに、ゲートクリスタルの欠片がなぜステラを選び、異変の起きる場所へ導いているのか。その原因もわかっていない。デオルの目的とクリスタルの意思が、直接結びついているとは限らん』
「確かにね」
結が腕を組みながら頷く。
「デオルって人物が事件の一部に関わっていたとしても、別の黒幕がいる可能性は残るわけだ」
『そういうことだ』
黙して耳を立てていた那琴が、静かに口を開いた。
「敵が一つの組織とも限らない。異変を利用し、別々の目的を持つ者が動いている可能性もあるな」
『その見方も必要だろう』
「やっぱり、お兄ちゃんと話が合いそうね、那琴」
波美が二人を交互に見て笑う。
「そうか?」
「どっちも真面目な顔で難しいことを言うから」
『波美。余計な口を挟むな』
「はいはい」
波美は悪びれることなく返した。
『ところで、ステラ』
突然名前を呼ばれ、ステラの肩がわずかに動く。
「……なに?」
『今回の件を、お前はどう考えている?』
「え?」
『黒い渦とゲートクリスタルの関係だ。天才法術士であるお前の意見を聞きたい』
「アタシは……」
ステラは言葉を詰まらせる。
喬介に振られるまで、彼女は一切発言をしていなかった。分析、考察。得意分野であり、自ら率先して動くはずにもかかわらず、先ほどから話し合いの内容はほとんど頭に入っていなかった。
脳裏に浮かぶのは、巨大なドヘルズペインでも、プレサージュへ送られたロボットでもない。
陸徒の腕へ寄り添い、好意を隠そうともしなかった雫の姿だった。
『ステラ?』
「あ、えっと……」
『話を半分も聞いていなかったようだな』
「聞いてたわよ!」
『ならば、俺の質問に答えろ』
「それは……」
再び答えに窮する。
『らしくないな』
喬介の一言が、ステラの胸へ突き刺さる。
「どうした、ステラ?」
陸徒も心配そうに顔を覗き込んだ。
「どこか具合でも悪いのか?」
「違う。なんでもないわ」
「でも、顔色が——」
「ごめん」
ステラは陸徒から顔を背け、立ち上がった。
「ちょっと、風に当たってくる」
「お、おい」
陸徒が声をかける間もなく、ステラは足早に道場を出ていった。
「ステラの奴、どうしたんだ?」
陸徒は開かれた扉を見つめる。
立ち上がろうとはしたが、ステラが一人になりたがっているようにも見えたため、その場に留まった。
「体調が悪いわけではなさそうだけど……」
波美と結も心配そうに扉へ目を向ける。
那琴は何も言わずに立ち上がった。
足音を消し、ステラの後を追って道場を出ていく。
道場の庭の一角には、小さな東屋があった。
先ほどの戦いによる被害を免れ、庭木に囲まれた場所へひっそりと佇んでいた。空はすっかりと黄昏時を迎えようとしており、柱の間からは微かに冷えた空気とともに、柔らかなオレンジの光が差し込んでくる。
ステラは長椅子へ腰掛け、一人俯いていた。膝の上にはパステリアウィッシュが置かれ、その手は杖を強く握りしめている。
「アタシとしたことが……」
小さく呟く。
二つの世界に関わる異変について、重要な話をしていた。
それにもかかわらず、雫のことばかりが頭から離れず、喬介の話さえまともに聞けなかった。
「こんなことで、集中できなくなるなんて……」
「陸徒のことか?」
「っ!?」
突然背後から聞こえた声に、ステラは勢いよく振り返る。
東屋の柱へ背を預け、那琴が立っていた。
「いつからいたのよ!」
「つい先ほどだ」
「忍者だからって、いちいち気配を消して近づかないでくれる?」
「一人にしてほしいと言われた覚えはない」
那琴は東屋へ入り、ステラから少し離れた位置へ腰を下ろす。
「それで、陸徒のことか?」
「別に、そんなんじゃない」
ステラは那琴から顔を背けた。
「いろいろなことが起きすぎて、頭の処理が追いついていないだけよ」
「お前が、その程度で手一杯になるわけがない」
「なによ。アンタにアタシのなにがわかるの?」
「少なくとも、昨日までのお前なら、喬介殿の話を聞き逃すような真似はしない」
至極的を得たその言葉に、ステラは何も返せなかった。
「世界の異変を考えていたのなら、あの場から逃げる必要もない」
「逃げたわけじゃ……」
「ならば、原因は別にある」
那琴はステラの横顔を見つめる。
「水瀬雫か」
ステラの肩がわずかに震えた。
「……どうして、そうなるのよ」
「見ていればわかる。雫が陸徒に近づくたび、お前は明らかに苛立っていた」
「そんなことない」
「巨大なモンスターを、必要以上の力で押し潰すほどに?」
「あれは、早く倒そうとしただけよ!」
「雫が陸徒へ抱きついた直後だったがな」
ステラは唇を噛み、俯く。
那琴は責めるでも笑うでもなく、静かに言葉を続けた。
「お前は、陸徒が雫を選ぶのではないかと恐れている」
「……違う」
「違わない」
「違うって言ってるでしょ!」
ステラは声を荒らげ、那琴を睨む。
しかし、夕日に照らされた桃色の瞳にはすでに涙が滲んでいた。
「アタシは……」
声が震える。
張り詰めていた心の箍が外れ、目元から大粒の涙が零れ落ちた。
「雫の方が、陸徒と歳も近いし……」
ステラは両手で顔を覆う。
「大人っぽくて、スタイルだってよくて……アタシみたいに意地を張ったりしない。お淑やかで、女の子らしくて……」
これまで必死に隠していた不安が、止めどなく溢れ出す。
「陸徒には、ああいう人の方が、お似合いなのかもしれない」
「ステラ……」
「アタシなんかより、ずっと……」
那琴は泣き崩れるステラを見つめ、わずかに目を細めた。
慰めの言葉を探すように少しだけ沈黙する。
やがて、まっすぐな口調で問いかけた。
「それでいいのか?」
「……なにがよ」
「つい先ほど会ったばかりの女に、負けていいのか?」
ステラは涙に濡れた顔を上げる。
「でも、陸徒が誰を好きになるかなんて、アタシが決められることじゃない」
「当然だ。だからこそ、お前自身がどうしたいのかが重要なのだろう」
「アタシは……」
「雫がお前より年上だろうと、大人びていようと関係ない。陸徒がお前と過ごした時間まで、消えるわけではない」
那琴は腕を組み、沈みゆく太陽を一瞥する。
「それに、諦めるにはまだなにも始まっていない。自分の気持ちすら伝えていないのだろう?」
「……うん」
「ならば、勝手に負けたことにするな」
厳しくも温かな言葉だった。
再びステラを向いた那琴は手巾を取り出し、そっと差し出す。
「泣いているだけでは、陸徒に選ばれるものも選ばれないぞ」
「余計なお世話よ……」
そう言いながらも、ステラは手巾を受け取った。
涙を拭い、小さく息を整える。
「ありがとう、那琴」
「礼を言われるほどのことはしていない」
「それでも、ありがとう」
那琴は立ち上がり、東屋の外へ歩き出す。
「戻るか?」
「……ごめん。とりあえず、今は一人になりたい」
「わかった」
小さく頷くと、理由を尋ねることなくその場を離れた。
那琴の姿が見えなくなり、東屋へ再び静寂が訪れる。
ステラは手巾を握りしめながら、深く息を吐いた。
「勝手に負けたことにするな、か……」
少しだけ心が軽くなった気がした。
それでも、すぐに陸徒の前へ戻れるほど気持ちの整理はついていない。
赤くなった目を見られれば、泣いていたことも気づかれてしまうだろう。
しばらく庭の木々を眺めていると、足音が近づいてきた。
「那琴?」
ステラが顔を上げる。
しかし東屋へ現れたのは、今もっとも会いたくない人物だった。
「こちらにいらしたのですね」
「なんでこのタイミングで、アンタが来るのよ……」
ステラは露骨に嫌そうな顔をする。
雫はその反応へ怒ることなく、静かに東屋へ入ってくる。
すでに陽は沈み薄暗くとも、その表情には真剣さが宿って見えた。
「少し、お話ししたいことがございますの」
「アタシは今、一人になりたいんだけど」
「すぐに終わりますわ」
両手を前に揃えながら、雫はステラの正面へ立つ。
「ステラさんは、陸徒様のことがお好きなのですか?」
「なっ……!」
あまりにも直接的な質問に、ステラの顔が一気に赤くなる。
「いきなりなにを言い出すのよ!」
「大切なことですので」
「アンタには関係ないでしょ!」
「関係はございますわ」
喚き立てるステラに構わず、雫は一歩も退かない。
「私も、陸徒様をお慕いしておりますもの」
「会ったばかりじゃない!」
「過ごした時間の長さだけで、想いの強さが決まるのでしょうか?」
「それは……」
「確かに、私は陸徒様と出会ったばかりです。あの方のことを、まだほとんど存じません」
雫は胸元へ手を添える。
「ですが、悲しむ私を励まし、危険な怪物から身を挺して守ってくださいました。そのお優しさと勇敢なお姿に、心を奪われましたの」
「それだけで……」
「私の気持ちは、いい加減なものではありませんわ」
穏やかな口調。
しかし、その瑠璃色の瞳には揺るぎない意志が宿っていた。
「ステラさん。あなたも陸徒様を大切に想っていらっしゃるのでしょう?」
答えられない。
今度こそ否定してしまえば、陸徒に対する気持ちそのものから逃げることになる。
かといって、素直に認める勇気もなかった。
「アタシは……」
「今すぐお答えいただく必要はございません」
雫は背筋を伸ばし、ステラをまっすぐに見つめる。
「ですが、私は遠慮いたしません」
「え?」
「陸徒様に振り向いていただけるよう、これから精一杯努めます」
そして、凛とした笑みを浮かべた。
「ステラさん。あなたへ正式に、宣戦布告いたしますわ」
「せ、宣戦布告って……!」
ステラは戸惑いに目を見開く。
つい先ほど那琴に慰められ、少しだけ落ち着いたばかり。
そこへ当の雫から、正面切って恋の勝負を挑まれてしまった。
「アンタ、本気なの?」
「もちろんですわ」
「本当に会ったばかりなのよ?」
「何度尋ねられても、答えは変わりません」
雫は自信に満ちた微笑みを浮かべる。
「ちょっと待って。アタシはまだ、なにも——」
その時だった。
ステラの肩掛けバッグの中から、青白い光が漏れ出す。
「っ!?」
ゲートクリスタルの欠片が、強い輝きを放っていた。
「また、このタイミングで……!」
ステラは急いで欠片を取り出し、両手で握る。
目を閉じ、その波動へ意識を集中させる。
しかし前回と同じく、脳裏に目的地を示す映像は浮かばなかった。
「駄目……なにも見えない!」
「ステラさん、それは?」
「ゲートクリスタルの欠片よ。これが、アタシたちを異変の起きる場所へ——」
説明の途中で、欠片から放たれる光が急激に強まった。
「ちょっと待ちなさい! 陸徒を呼んでくるから!」
ステラは東屋から出ようとする。
しかし、すでに足元へ青白い法陣が広がっていた。
「これは、いったい……」
雫も異変に気づき、周囲を見回す。
「アンタは離れて!」
ステラが雫を押し出そうと手を伸ばす。
その腕を、光が包み込んだ。同時に雫の体も青白い輝きに覆われる。
「どうして雫まで!?」
「ステラさん!」
「陸徒——!」
助けを求める叫びが道場の庭へ響く。
だがその声が届くより早く、光は二人の姿を完全に飲み込んだ。
空間が大きく歪む。
次の瞬間、ステラと雫は東屋から跡形もなく消え去った。
夜の帳もすでに下りた静けさ漂う中、長椅子の上に残されたのは、那琴から借りた一枚の手巾だけだった。




