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29話 巨大吸血殺人鬼

 水瀬雫に案内され、陸徒たちは剣道場の中へ入った。

 板張りの広い空間には、普段であれば竹刀のぶつかる音や、稽古に励む者たちの掛け声が響いているのだろう。

 しかし今は、重苦しい静寂だけが漂っていた。壁際には防具や竹刀が整然と並べられている。

 それらを眺める雫の表情にも、先ほどまでの華やかな笑顔はなかった。


「事前に話は聞いているけど、ここでなにがあったのか詳しく聞かせてくれ」


 陸徒の言葉に、雫は袴の前で両手を重ねた。


「この道場へ通っていた生徒が、一人亡くなりましたの」

「亡くなった……」

「高校一年生の男の子でした。幼い頃から剣道を続けていて、稽古を休むこともほとんどない、とても真面目な子でしたわ」


 雫は視線を落とす。


「いつも元気に挨拶をして、誰よりも早く道場へ来ていたのに……」


 その声が、わずかに震えた。


「遺体が発見されたのは、昨日の早朝です。道場の裏手にある倉庫の近くで倒れていました」

「死因は、やっぱり……?」


 陸徒の問いに、雫は一瞬だけ言葉を詰まらせる。


「体中の血が、ほとんど抜かれていたそうです」


 秋葉原で発見された遺体と同じ。

 それを聞いた全員の表情が険しくなる。


「例の吸血殺人事件と同一犯。結の情報は間違いなかったようね」


 ステラが誰もいない方向を睨みながら腕を組む。


「群馬県警は、他殺事件として従来どおり捜査を続けております。ですが、通常の殺人事件ではない可能性があるとして、別の方々も動いているようですわ」

「公安か」


 視線を陸徒に留めたまま、雫は小さく頷いた。


「事件について公にはしないよう、私にも強く言い渡されております。道場もしばらく休みにするように、と」


 現場に警察車両や規制線が見当たらなかったのも、公安の動きによるものだった。

 余計な騒ぎを起こさず、モンスターの存在を世間から隠すため、すでに表向きの処理が進められているのだろう。


「口外したら駄目なんじゃないのか?」


 陸徒が尋ねると、雫は彼の手を握ったまま微笑む。


「皆様には事情を説明しても構わないと、長峰様から伺っております。それに陸徒様は、信用できるお方ですもの」

「会ったばかりなのに、なんでそこまで信用できるんだよ」

「私の目を見て、真剣に話を聞いてくださいました。悪いお方でないことは、すぐにわかりますわ」

「そ、そうか……」

「いつまで手を握ってるのよ」


 ステラの冷たい声が飛ぶ。

 雫は名残惜しそうに陸徒の手を離した。

 その様子を見ていた波美は、何かを察したようにステラへ目を向ける。


「ステラちゃん、また怖い顔してる」

「怖くないわよ」

「そ、そう?」


 どう見ても機嫌が悪そうだったが、波美はそれ以上触れなかった。


「ところで、那琴はどこ行った?」


 陸徒が周囲を見回す。

 先ほどまでともに行動していた那琴の姿が見当たらない。


「ここにる」


 小太刀を鞘に納めながら、那琴が道場の裏手の入口から現れた。


「倉庫の周辺を調べたが、異様な臭いと、ごく微かな気配が残っている。琵琶湖で遭遇したモンスターと、よく似たものだ」


 那琴の調査は、ここに現れたのが秋葉原でのドヘルズペイン亜種であることを、強く裏付けるものだった。

 悲しみに沈んだ瞳を曇らせながら、雫は両手を強く握りしめていた。


「私が、ここにいれば……」


 唐突に呟いた雫に、視線が集まる。


「あの日は、学校の用事で稽古へ来ることができませんでした。もし私が道場にいたら、あの子を守れたかもしれません」

「それは違う」


 後悔を滲ませた彼女の言葉を、精悍な顔で陸徒がきっぱりと否定した。


「相手は、この世界に存在しないモンスターだ。普通の人間が戦えるような奴じゃない。下手したら、お前も一緒に殺されていたかもしれない」

「陸徒様……」

「自分を責めたって、亡くなった子は喜ばないだろ。悪いのは、そいつを殺した奴だ」


 雫は顔を上げ、陸徒を見つめる。

 その瑠璃色の瞳が揺れ、次第に潤んでいった。


「私を、心配してくださるのですか?」

「そりゃ心配するだろ。お前まで死んでいたかもしれないんだから」

「あぁ……なんてお優しいのでしょう」


 両手を胸元で重ね、うっとりと陸徒を見上げる。


「やはり陸徒様は、私が思ったとおりのすてきな殿方ですわ」

「いや、普通のことを言っただけで……」

「そこまでにしてもらえる?」


 陸徒の背後から、低い声が聞こえた。

 ステラがパステリアウィッシュを握りながら、二人のやり取りを睨んでいる。


「どうした、ステラ」

「別に。話が長いと思っただけよ」

「そんなことないだろ」


 応えながら陸徒が首をかしげると、ステラの頬がわずかに引きつった。


 その時、道場の外から不気味な振動が響いた。空気そのものが歪むような、低く耳障りな音。

 全員が一斉に出入口へ顔を向ける。


「この気配……!」


 那琴が即座に小太刀を抜いた。


「外よ!」


 ステラを先頭に、一行は道場を飛び出す。


 庭先の空間に、黒い点が浮かんでいた。

 それは瞬く間に大きくなり、周囲の景色を巻き込みながら巨大な渦を形成する。


「黒い渦!」

「皆、離れろ!」


 陸徒の声に従い、一斉に距離を取る。

 渦の奥から、何かを引きずるような音が聞こえた。

 続いて青白い腕が地面へ伸び、鋭い爪を突き立てる。


 姿を現したのは、ドヘルズペインに酷似したモンスターだった。

 ただし、秋葉原で遭遇したものとは大きさがまるで違う。

 象にも匹敵するほどの巨体。痩せ細った胴体には不釣り合いな長い手足を持ち、裂けた口から無数の牙を覗かせている。


「で、でかすぎるだろ!」

「同じ種類でも、個体によって大きさが違うみたいね」


 巨大なドヘルズペインが、天を仰いで咆哮する。

 道場と、隣接する大きな家屋の窓ガラスが激しく震え、周囲の空気へ生臭い臭気が広がった。


「来るぞ!」


 全員が一斉に戦闘態勢へ入る。

 ステラはパステリアウィッシュを構え、那琴は小太刀を正眼に据える。

 陸徒もラディアセイバー・ゼノの柄を両手で握った。

 強い意志に呼応して、柄から眩い光が迸る。光は一本の刃を形成し、神剣の新たな姿を顕現させた。


 その隣で、波美が左腕につけたバンドのスイッチを押す。


「ラウムブリット改、起動!」


 機械音とともにデバイスが展開。

 不可視の振動から生まれた琥珀色の光が粒子となり、波美の両腕を纏う。それが瞬く間に形成され、格闘戦を補助する手甲が出現した。

 波美は自分の装備と陸徒の剣を見比べ、興味深そうに目を輝かせる。


「りっくんの剣、それラディアセイバー? なんか前と違う。あたしのと同じ仕組みなの?」

「似てるように見えるけど、こいつは機械じゃない」

「光で武器を作るところは一緒じゃない?」

「まあ、見た目はな」


 二人の会話を聞いていた雫は、ラディアセイバー・ゼノへ目を奪われていた。


「あら、陸徒様も剣士でしたのね!」


 雫の顔が一気に明るくなる。


「神秘的な剣を持つ剣士……私たちは剣によって結ばれる運命だったのですわ!」

「勝手に運命を作らないでくれる?」


 ステラが横から言い放つ。

 しかし雫は気に留めず、腰へ差していた木刀を抜いた。


「雫、お前まで戦う必要はない。どこかに隠れてろ」

「いいえ。陸徒様とともに、私も戦います」


 雫は木刀を構え、柔らかく微笑んだ。


「それに、いざとなったら陸徒様が助けてくださいますもの」

「いや、そういう問題じゃ——」


 陸徒が言い終えるより先に、巨大な腕が振り下ろされた。


「散れ!」


 那琴の合図に全員が左右へ飛ぶ。

 怪物の拳が地面へ叩きつけられ、土と砕けた石が激しく舞い上がった。


「先手必勝よ!」


 波美が真っ先に飛び出した。

 日本へ帰ってきてからも竜の力は健在。そう思わせるかのような素早い動きで、一瞬にしてドヘルズペインの懐へ潜り込む。

 地面を踏み込み、左右の拳を順に振るった二連撃を腹部へ叩き込んだ後、腰を捻って巨体の顎へ強烈な回し蹴りをお見舞いした。


「はあぁっ!」


 空気を弾く鈍い衝撃音が鳴り、怪物の頭が大きく仰け反る。

 そこへすかさず那琴が駆ける。

 低い姿勢から波美の横をすり抜け、敵の右脚へ小太刀を走らせた。


「遅い」


 鈍色の一閃が水平に煌めく。

 青白い皮膚が切り裂かれ、黒い血が飛び散った。


「今よ、りっくん!」

「あぁ!」


 波美の声に応じ、陸徒が後へ続いた。

 ラディアセイバー・ゼノを下段へ構え、怪物の左脚を斬り上げる。光の刀身は硬い皮膚をものともせず、深い傷を刻み込んだ。

 ドヘルズペインが苦痛の声を上げ、長い腕を振り回す。陸徒は剣の腹で受け流し、その勢いを利用して体を回転させた。


「こいつも食らえ!」


 横薙ぎの一撃が、怪物の脇腹へ直撃する。


「すばらしい剣捌きですわ……」


 雫は頬を染め、陸徒の戦う姿へ見入っていた。


「見惚れてないで、戦うなら集中しなさい!」


 ステラの怒声で、雫は我に返る。


「そうでしたわ。私も参ります!」


 木刀を両手で握り、怪物との間合いを詰める。

 振り下ろされる爪を横へかわし、手首へ鋭い一撃。返す動作から踏み込み、胴へ打ち込む。

 動きには迷いがない。間合いの取り方も正確で、相手のわずかな隙を逃さなかった。


「すごい。あの大きさを前にしても、全然怯んでない」

「剣道の腕は本物みたいだな」


 波美は目を丸くしながら感心し、那琴も雫の動きを認めているようだ。

 しかし、いくら技が優れていても、得物は木刀。怪物の強固な皮膚へ何度打ち込んでも、十分なダメージを与えられない。


「やはり、木刀では……」


 雫は一度後退し、悔しげに己の武器を見つめる。

 すると何かを決意したように、道場へ顔を向けた。


「少しお待ちくださいませ!」

「おい、どこへ行くんだ!」


 陸徒の声を背に、雫は道場の中へ駆け込んでいく。


「なにを考えているの、あの子」

「わからない。とにかく、戻るまで俺たちで食い止めるぞ!」


 ドヘルズペインが大きく息を吸い込む。

 口の奥から、赤黒い光が漏れ始めた。

 予感を察知したステラが即座に呪文を詠唱する。


―其は万物を遮る絶衝の盾となれ―

「魔防壁(エスタシルド)!」


 半透明の障壁が展開された直後、怪物の口から黒い衝撃波が放たれた。

 正面からぶつかり、障壁全体が大きく波打つ。


「くっ……!」

「ステラちゃん!」

「これくらい、どうってことないわ!」


 ステラは両足を踏ん張り、法力をさらに注ぎ込む。


「今のうちに行くよ、那琴!」

「承知した!」


 波美と那琴が左右へ分かれ、怪物の注意を引く。

 その隙に陸徒が正面から飛び込み、ラディアセイバー・ゼノを胸部へ振り下ろした。

 光の剣閃が黒い衝撃波を切り裂く。胸元へ大きな傷を受けたドヘルズペインが、地響きを立てながら後退した。


 そこへ、雫が道場から戻ってくる。

 彼女が手にしていたのは、厳重な鞘へ収められた一本の日本刀だった。

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