25話 もう一人の天才法術士
常闇の森を、一本の光が駆け抜ける。
パステリアウィッシュの先端から放たれる灯を頼りに、ステラは暗い森の中を走り続けていた。
伸びた枝が頬を掠め、地面を這う木の根が何度も足へ絡みつこうとする。それでも速度を緩めることはなかった。
「黒い蔦に覆われた、巨大な枯れ木……」
レグナムから聞き出した目印を探し、周囲へ視線を走らせる。
その時、森の奥から甲高い金属音が響いた。
刃と刃が激しくぶつかり合う音。続いて何かが地面へ叩きつけられ、辺りの木々が大きく揺れた。
「こっちね!」
ステラは進路を変え、音のする方角へ駆ける。
ほどなくして、木々の向こうに異様な枯れ木が姿を現した。
周囲の樹木よりも遥かに大きく、枝葉をすべて失った幹へ、無数の黒い蔦が絡みついている。
そして、その根元では激しい戦闘が繰り広げられていた。
「はあぁっ!」
一人の少女が、鋭い声とともに手にした漆黒のワンドを前へ突き出す。
嵌め込まれた琥珀色の宝石が閃き、紫の光弾が発射。それは黒い影へ直撃し、闇の中で爆発した。
しかし、敵は一人ではない。三つの影が少女を取り囲み、間髪入れず攻撃を仕掛けている。
ステラは足を止め、戦う少女の姿を確認した。
黒いローブを纏い真っ赤な髪を靡かせながら、黄緑色の強気な眼差しを敵へ向けている。
「ソニカ!」
思わずステラの口から名が飛び出してしまう。
「えっ……ステラ!?」
その一瞬、ソニカの意識が正面の敵から逸れた。
黒い影の一人が地を蹴る。袖口から覗いた鈍色の刃が、無防備となったソニカの背中へ迫った。
「危ない!」
咄嗟にステラが杖を掲げようとする。しかし、呪文の詠唱は間に合わない。
刃が振り下ろされる、その直前だった。突然地面が大きく隆起する。
そこから突き出した何本もの木の根が絡み合い、ソニカと黒ローブの間へ分厚い壁を形成した。
振り下ろされた刃は木の根に食い込み、それ以上進むことはない。
「油断は禁物だよね」
低い囁き声とともに、近くの枝の上からルキノが姿を現した。
まるでそこにあった木のように完全に消された気配。誰一人として感じ取ることはできなかった。
ソニカは木の根から距離を取り、ステラを睨みつける。
「キャハハハハ! あいつがいきなり声をかけるからよ! ってか、なんで生きてるのよ。どういうこと?」
「相変わらず耳障りな高笑いね! とにかく話はこいつらを片付けてからよ!」
パステリアウィッシュを構え、ステラは敵へ目を向ける。
影は、ソニカと見紛う黒いローブを纏っていた。木の根から刃を引き抜いた一人が他の二人へ合図を送ると、同時に三方へ散開した。
「ステラ!」
遅れて陸徒が駆けつけ、ステラの隣に並んだ。
すかさずラディアセイバー・ゼノの柄を握りしめると、強い念に応えるように眩い光が迸り、光の刀身が暗闇を切り裂く。
「また一人増えたわね……って、アナタ」
陸徒を一瞥したソニカが目を見開いた。
「よぉソニカ」
「なんで、アナタまで」
「助けに来てやったんだから、少しくらい感謝しろよな」
「キャハハハハ! 頼んだ覚えはないわ」
「ステラといい勝負だな……」
「ちょっと、それどういう意味よ!」
二人の声が重なる。
「やっぱり似てるよ、お前ら」
「似てない!」
再び同時に言い返したその直後、周囲の闇が大きく揺らめく。
「来るよ」
ルキノの声に、全員の表情が引き締まった。
黒いローブの者たちが両手を地面へ向ける。
何かの術だろうか、足元から伸びた影が不自然に広がり、森の暗闇と混ざり合った。
次の瞬間、地面を這う黒が、無数の刃へと姿を変える。
「散れ!」
陸徒の声と同時に、影の刃が四方から襲いかかった。
―其は万物を遮る絶衝の盾となれ―
「魔防壁!」
ステラが即座に詠唱して杖を掲げる。
前方へ展開された半透明の障壁へ、黒い刃が次々と突き刺さった。
衝撃のたびに法術の障壁が波打ち、ステラの腕へ重い負荷が伝わる。
「くっ……なんて数なのよ!」
「なら、元から消してしまえばいいのです」
森の奥から、凛とした声が響いた。直後、眩い光が常闇を照らす。
レグナムを支えたマイアが、クラドセフィーロの槍を掲げていた。
穂先から放たれた聖なる輝きが周囲へ広がり、地面を埋め尽くしていた影の刃を一瞬にして掻き消す。
「闇よ、退きなさい!」
光に晒された黒ローブたちが、怯むように足を後方へずらした。
タイミングを見計らい、陸徒が間合いを一気に詰め、ラディアセイバー・ゼノを横薙ぎに振るう。
黒ローブの男は腕から伸ばした闇の刃で受け止めたが、光の刀身に触れた途端、その刃は硝子のように砕け散った。
「そんなもんで、こいつを止められるかよ!」
陸徒は相手の懐へ踏み込み、光の刃を斬り上げる。
黒ローブの胸元へ一閃が走り、その体が大きく後方へ吹き飛ばされた。
その隙間を縫い、別の者が背後から陸徒を狙う。
「させないわ!」
ソニカがワンドから紫の光弾を連続で放つ。
黒ローブは身を翻して光弾を避けるが、その着地点を読んでいたステラが杖を突き出した。
「封壁!」
生み出された黄金の壁が、突如地面に敷かれる。
着地した黒ローブは、外部干渉を弾く摩擦ゼロの床で滑り、無様に顔面を強打して倒れた。
「今よ、ソニカ!」
「キャハハハハ! アナタに言われなくてもわかってるわ!」
ソニカはワンドに念を集中し、紫の光を収束させて巨大な球を作り出す。
「これでも食らいなさい!」
放たれた光はビーム砲の如く発射され、倒れた黒ローブへ直撃。紫色の閃光が弾け、その体は勢いよく枯れ木の幹へ叩きつけられた。
残る一人は、光を放ち続けるマイアへ狙いを定めていた。地面へ沈み込むように姿を消し、背後に突如出現する。
狡猾な口元を見せながら闇の刃を生み出し、その無防備な背中へ振り下ろす。
「不意打ちはワタシの十八番——」
黒ローブの耳元で、不気味な声が囁いた。
「勝手にマネされちゃ、困るなぁ」
「っ!?」
気づいた時、すでに黒ローブの首元へ、鈍色に煌めいた大鎌の刃が添えられていた。
そしてメルファサイスに施された蔦模様の装飾が動き出し、伸びながら黒ローブの体に纏わりついていく。
「闇に隠れるなら、森を選ぶべきじゃなかったね」
ルキノが指を軽く曲げる。
蔦が急激に締まり、黒ローブの者は声を上げる間もなく地面へ崩れた。
さほどの時間を要せず、三人のうち二人が戦闘不能となった。
「手応えがなさすぎる」
陸徒はラディアセイバー・ゼノを構え直し、最初に斬り飛ばした黒ローブを見る。
相手は傷を負いながらも立ち上がり、片手を自分の背後へ伸ばしていた。
空間が陽炎のように踊って黒く歪む。
「逃げるつもりよ!」
「待ちやがれっ!」
陸徒が地を蹴るが、黒い空間は瞬く間に広がり、黒ローブの体を飲み込む。
剣を振るった時、光の刃は何もない空間を通り過ぎるだけだった。
「ちっ、またあの黒い空間か……」
消えた場所を睨みつけながら、光の刀身を解く。
「渦とは少し違うね」
ルキノは黒い空間があった場所へ近づき、地面へ指を触れた。
「向こうからなにかを呼び寄せるためじゃない。自分だけが別の場所へ逃げるための道。空間転移に近いかな」
「追うことはできるか?」
「もう閉じちゃったから無理だね」
指先に付着した黒い魔力を眺め、わずかに琥珀色の目を細めた。
その間に、マイアは倒れた二人を確認する。しかし、すでに息はなかった。
「……闇の力に、生命力そのものを使っていたようです」
悲しげに目を伏せる。
「負ければ命を失う術だとわかっていながら、戦っていたのでしょう」
「そこまでして、なにを企んでやがるんだ」
眉間に力を入れながら、陸徒は刀身の消えた柄を腰へ戻した。
「ソニカ!」
レグナムが傷ついた体を引きずるように駆け寄った。
「無事だったか」
「キャハハハハ、見ればわかるでしょ。あの程度の奴らに、この天才法術士が負けるわけないじゃない」
「一人で追っ手を引き受けておいて、よく言うよ」
「アナタが足手まといだったからでしょ」
「誰を逃がすために傷を負ったと思っている」
「キャハハハハ、なによ。恩着せがましいわね」
二人は互いに睨み合う。
だがレグナムの顔には、ソニカの無事を確認できた安堵が浮かんでいた。
「それより、ステラ!」
ソニカは矛先を変え、ステラへ詰め寄る。
「アナタ、どういうことよ! 死んだんじゃなかったの?」
「勝手に殺さないでくれる? アタシは生きてる。見ればわかるでしょ」
「その台詞、今アタシが言ったばかりなんだけど」
「だからなによ」
「相変わらず、生意気な小娘ね」
「アンタにだけは言われたくないわ!」
二人の額がぶつかりそうなほど距離が縮まる。
「本当に、よく似てるな」
陸徒が呆れたように呟く。
「似てないって言ってるでしょ!」
再び二人の声が重なった。
「お二人とも、落ち着いてください」
マイアが二人の間へ入り、穏やかに制する。
「再会できたことは、喜ばしいことではありませんか。言い争いをするために、ステラさんはここまで急いで来たわけではないのでしょう?」
「それは……」
ステラは言葉に詰まり、ソニカから顔を背けた。
「別に、こいつを助けに来たわけじゃないわ。レグナムが心配してたから、仕方なくよ」
「頼んでないわよ」
「アンタは黙ってなさい!」
その様子にマイアは困ったように微笑む。
「素直ではないところまで、似ているのですね」
「マイアまでなに言ってるのよ!」
まるで双子姉妹のような、シンクロした抗議が繰り広げられる。
それを見た陸徒は、思わず苦笑を漏らした。
「ところで」
輪を切ったルキノの低い声が、空気を変えた。
彼女は倒れた黒ローブの傍らへしゃがみ込み、その衣服を指先で摘まんでいる。
「この人たちは、何者なの?」
「それを調べるために、アタシたちもここまで来たのよ」
ソニカは黒いローブへ視線を落とす。
改めて見ると、その衣服は彼女やレグナムが纏っているものと酷似していた。
細かな装飾や胸元の紋様に違いはあるが、形状も色合いも、かつて魔信教団の者たちが身につけていたローブそのものである。
「お前たちの仲間じゃないのか?」
「違うわ」
陸徒の問いにソニカが即座に否定した。
「アタシとレグナムは、二年前に魔信教団を離脱してる。そもそも魔族が滅びた今、教団そのものが存在しているはずがない」
「存在しているはずがない、ね」
ルキノは訝しげに首をかしげる。
「随分と曖昧な言い方をするんだね」
「キャハハハハ、細かく指摘してくるわね。でも、そうとしか言いようがないの!」
「少なくとも、教団を統率する者はもういない」
睨んで言い返すソニカに、己に酔ったような声色でレグナムが付け加える。
ステラはそんな二人の表情をずっと注視していた。
なにかを隠している。いや、真実を全て話していない。そう独白しているような、険しい顔をしていた。
「でも、実際に教団のローブを着た奴らがいた」
陸徒が倒れた者たちを見る。
「えぇ」
ソニカは神妙な顔をして顎に手を添えた。
「少し前、エルグランドの外れで、このローブを着た奴を見かけたのよ」
「それで後をつけたのか?」
「そうよ。そいつは周囲を警戒しながら、常闇の森へ入っていった。怪しいと思ってレグナムと追跡したら、途中で姿を見失い」
「その直後、奴らに襲われた」
歯を食いしばったレグナムの拳に力が入る。
「つまり、誘い込まれた可能性もあるということですね」
マイアの言葉に、ソニカが悔しげに舌打ちした。
「だとしたら、まんまと罠にかかったってわけね」
「教団の名を利用して、お前たちをここへ誘い出した……」
陸徒が思案していた、その時だった。
突然ステラのバッグから、青白い光が漏れ出す。
「っ!?」
半ば慌てながらバッグへ手を入れ、ゲートクリスタルの欠片を取り出した。
これまで沈黙を保っていた結晶が、激しく明滅している。鼓動するように光を放ち、そのたびに周囲の空気が震えた。
「クリスタルが反応してる!」
「なにかが、来る!?」
陸徒が身構え柄を握った直後、枯れ木の前の空間が大きく歪んだ。
黒い点が生まれ、渦を巻きながら急速に拡大する。日本やエリシオンで見たものと同じ、底の見えない黒い渦だ。
その奥から、重い金属音が響いた。
ズン——
巨大な足が地面を踏み締める。
這い出るように現れたのは、全身を鋼鉄で覆われた人型の物体だった。




