21話 不思議ちゃん
エルグランド城の正門を潜ったところで、足を止めたレイズベルクが軽く睨むように振り返る。
「俺は警備に戻る。勝手に城ん中をうろつくんじゃねぇぞ」
「俺たちはアーシェラ女王に会いに来たんだって」
「だったら真っ直ぐ謁見の間へ行け。妙な真似しやがったら、今度こそ引っ捕らえるからな」
「だから、なにもしねぇって」
陸徒が両手を胸の前で振りながら苦笑すると、レイズベルクは鼻を鳴らして踵を返した。
そのまま部下のブレイズナイトたちを引き連れ、城壁沿いの巡回へと戻っていく。
「相変わらず騒がしい男ね」
ティアナが息を吐くように呟いた。
「悪い奴じゃないんだけどな」
アクシオは薄い笑みを溢しながら、両手に抱えた買い物袋を持ち直す。
「俺たちは今日は非番なんだ。一度家に荷物を置いてくるよ」
「家……」
陸徒がその一言へ妙に反応し、アクシオとティアナを交互に見た。
「なんだよ」
「いや。本当に一緒に暮らしてるんだなって思ってさ」
「結婚したのだから当然でしょう」
努めて平静を装いながら答えたが、ティアナの頬には再び薄い赤みが差していた。
「まだ信じられないの?」
横からステラの呆れた目が向けられる。
「だって、俺たちが知らない間にアクシオが結婚してたんだぞ。驚くだろ普通」
「私たちにもいろいろあったのよ」
ティアナは長い黒髪を耳へ掛けながら、陸徒たちへ向き直した。
「アーシェラ様への謁見が済んだら、また会いましょう。二人には聞きたいことがたくさんあるわ」
「あぁ。俺もそっちの話を詳しく聞きたい」
「あまり根掘り葉掘り聞かないでくれよ」
いつもの軽口はどこへやら。困ったように後頭部を掻くアクシオとともに、ティアナが手を振りながらこの場を去っていった。
陸徒とステラはお互いに目を合わせてから、城内へと足を進めた。
中へ入るとすぐ、記憶どおりの豪華絢爛な光景が視界に飛び込んできた。
高い天井には幾つもの灯が浮かび、淡い光で大理石の廊下を照らしている。壁には歴代の王族や魔騎士たちを描いた絵画が並び、巨大な窓には色鮮やかな硝子細工が嵌め込まれていた。
陸徒は辺りを見回しながら、二年前の記憶を辿る。
「この城も、派手さは変わってないな」
「たった二年で、そう簡単に変わるわけないでしょ」
「でも、アクシオは結婚してたぞ」
「まだ言ってる」
ステラは肩をすくめる。
案内役の兵士に従って長い廊下を進み、やがて二人は謁見の間へと辿り着いた。
重厚な扉がゆっくりと左右へ開かれ、足元を真っ直ぐに進む赤い絨毯の先。
幾段もの階段を上がった場所に据えられた玉座へ、一人の女性が優雅に腰掛けていた。
雪のように白い肌。長く艶やかなワインレッドの髪。そして、見る者の心まで見透かすかのような紫色の瞳。
エルグランドを統治する女王、アーシェラである。
その傍らには、白と淡い桜色を基調とした鎧を身につけた少女が立っていた。
金色の髪を左右で縦巻きに結び、穏やかな眼差しを陸徒たちへ向けている。
陸徒とステラは玉座の前まで進み、片膝をついた。
「久しぶりだな、アーシェラ」
「ちょっと陸徒! 以前もそうだったけど、少しくらい女王様への態度を改めたらどうなの!」
「構わない。喬介と同じ、それが彼らしさというものだ」
アーシェラはわずかに口元を緩める。
「久しぶりね、陸徒。それにステラ。あなたたちが生きていることは、シェリル王女からの連絡ですでに聞いていた」
「そっか。もう伝わってたのか」
玉座から立ち上がったアーシェラは、二人の前までゆっくりと歩み寄った。
気品に満ちた佇まいは以前と変わらない。だが、その表情には再会を喜ぶ柔らかさがあった。
「直接その姿を見るまでは、半信半疑だったけれど。本当に帰ってきたのだな」
「あぁ。ただいま、って言うのも少し変な気がするけど」
「いいえ。あなたたちにとって、ここも帰る場所の一つなのでしょう?」
女王の言葉に、陸徒は一瞬だけ目を丸くする。そして静かに笑った。
「あぁ。そうかもしれないな」
そのやり取りを見守っていた少女が、陸徒たちの前へ歩み出る。
「お初にお目にかかります。私は光の魔騎士隊長、マイア・プルームスと申します」
マイアは両手を胸元で揃え、丁寧に頭を下げた。
「陸徒だ。よろしく」
「アタシはステラ。天才法術士よ」
「ふふっ。お二人のお話は、以前から聞いております」
「俺たちのことを?」
「はい。喬介さんから」
その名を口にした時、彼女の黄色い瞳がわずかに揺れた。
懐かしさと、胸の奥にしまい込んだ何かが滲むような、静かな変化だった。
「喬介さんは……今、どうしているのでしょうか」
「無事だよ。俺たちと一緒に日本へ戻って、今は普段通りの生活を送ってる」
「そう、ですか……」
胸元へ添えた手がゆっくりと握られ、マイアは安堵するように息を吐いた。
「ただ、今回の異変については、向こうで独自に調べている。もしかしたらすでに、俺たちよりも詳しい情報を知っているのかもしれないけど」
「やはり、彼らしいですね」
マイアは困ったように、それでいてどこか愛おしむように微笑んだ。
「なにも言わず、危険なことまで一人で背負おうとしてしまう。昔から、変わっていないのですね」
「よくわかってるな」
「……少しだけ、一緒に旅をしましたから」
控えめな短い答え。
だが、その声音には言葉以上の想いが込められていた。
「どうか、ご無事で」
聞かせる相手がここにはいないとわかっていながら、マイアは静かに願う。
やがて表情を引き締めると、再び騎士としての佇まいへ戻った。
「それで、二人がここを訪れた目的は、今言っていた異変の調査ね?」
頃合いを見たアーシェラの問いに、陸徒は頷いた。
「あぁ。ゲートクリスタルの欠片に導かれて、俺たちは日本とミドラディアスを行き来している。エリシオンでは、俺たちの世界の戦車が現れた」
「その報告も受けている。意思を持つはずのない鉄の兵器が、誰に操られるでもなく城を襲撃した、と」
「倒した後、黒い渦が現れて残骸をほぼ全部吸い込んだ。日本でモンスターが現れた時も、同じような渦を見ている」
アーシェラは目を細め、わずかに思案する。
「境界が綻び、本来そこに存在しないものが、互いの世界へ流れ込んでいる……シェリル王女はそう推測していたわ」
「今のところは、そう考えるしかないわね」
ステラも腕を組み、神妙な面持ちを浮かべている。
「エルグランドで、なにか変わったことは起きてない?」
「幸い、エリシオンのような大きな異常は確認されていない。ただし——」
一拍置かれ、女王の視線が鋭くなる。
「昨日、城外の哨戒に出ていたヨルムとヴァーソから、妙な報告が届いている」
「妙な報告?」
「エルグランド周辺の複数箇所で、闇の魔力の残滓が確認されたそうよ」
その言葉を耳にしたマイアの表情が、わずかに曇った。
「闇の魔力……」
「けど、魔族はもう滅びている」
「そう」
小さく頷き、アーシェラは迷いなく答える。
「だからこそ、警戒する必要がある。単なる魔術の痕跡なのか、それとも今回の異変と関係しているのか。今の段階では判断できない」
「残滓は一ヶ所ではありません」
マイアが静かに補足してきた。
「互いに離れた場所で確認されています。しかし、そこに何者かがいた形跡はなく、戦闘が起きた様子もなかったそうです」
「闇の魔力だけが、その場に残されていたってことか」
「はい」
陸徒は眉を寄せる。
正体不明の闇。それが複数箇所へ意図的に残されているのだとすれば、何かの前触れかもしれない。
「今日はティアナも非番にしているが、明日からは残滓の分析に加わってもらう予定だ」
「あの人なら、なにかわかるかもしれないわね」
女王の瞳が、陸徒とステラを順に見据える。
「あなたたちも、しばらくエルグランドに滞在するといい。ゲートクリスタルの欠片が次の場所を示すまでは、時間があるのでしょう?」
「あぁ。そのつもりだ」
「城下町にある宿を、無償で利用できるよう手配しておく。異変について進展があれば、すぐに知らせよう」
「助かるよ」
「女王として当然の計らいだ。あなたたちは、二つの世界のために動いているのだから」
謁見を終えた二人は、マイアに見送られながら部屋を出た。
扉が閉まる直前、陸徒はふと振り返る。
マイアは胸元へ手を添えたまま、どこか遠くを見るような瞳をしていた。
その視線の先に誰がいるのか。陸徒にも、なんとなく察することができた。
「アンタ、他人のことはそうやって気づけたりするのに、どうして……」
陸徒の表情を見ていたステラから、早速指摘が入る。
「なんの話だよ」
「ほらやっぱり」
「んだよわけわかんねぇ。まぁいずれにせよ、マイアのことを喬介さんに言ったほうがいいのかな」
「余計なことを言わない方がいいんじゃない? ああいうのは、本人の口から伝えるものよ」
「やけに詳しいんだな」
「い、一般論よ!」
ステラは顔を赤くし、早足で廊下を進んでいく。
城の出口へ向かう途中。
陸徒たちは、廊下の一角で一組の男女が話している姿を見つけた。
女は、腰まで届くマスカット色の髪を揺らし、豊かな体つきを淡い色のローブに包んでいる。見た目だけならば、すれ違う者の多くが振り返るほどの美人だった。
その前に立つ若い魔術士の男は、頬と耳を赤らめながら必死に言葉を紡いでいる。
「あの、シルフィさん。もしよければ、今度の休日に僕と食事でも……」
「あらぁ、お食事ぃ?」
「は、はい。城下町に新しい店ができたんです。評判もいいみたいで」
「新しいお店……あっ、そういえばぁ、私のお部屋の植木鉢から新しい芽が出たのよねぇ」
「え?」
「でもなんの芽だったか忘れちゃってぇ。お水をあげすぎるとよくないのかしらぁ?」
「あ、いや……僕は植物には、あまり詳しくなくて」
「そうなのねぇ。じゃあ、一緒に調べましょう?」
「えっと……食事の話は……」
「食事……あらぁ、お腹が空いたのかしらぁ?」
会話が一向に噛み合わない。
男は何度か話を元へ戻そうと試みたが、そのたびにシルフィの返答は別の方向へ逸れていく。
しばらくして、とうとう肩を落とした。
「……すみません。やっぱり、なんでもありません」
「そうなのぉ?」
男は深々と頭を下げ、その場から逃げるように去っていった。
シルフィは不思議そうに首を傾げている。
「どうしたのかしらねぇ?」
「そりゃ諦めるわ」
ステラの呟きが聞こえたのか、シルフィがこちらへ顔を向けた。
数秒ほど陸徒とステラを見つめ、やがて菜の花色の瞳を大きく見開く。
「あらぁ……?」
ゆっくりと近づいてきたかと思えば、二人の顔を交互に覗き込む。
「もしかして、陸徒ちゃんと、ステラちゃんなのぉ?」
「久しぶり、シルフィ」
「本当にぃ?」
シルフィは自分の頬を軽く抓ると、痛みを感じたのか、わずかに眉を寄せた。
「これは、夢じゃないのねぇ!」
次の瞬間、瞳を潤ませながら両腕を広げて二人をまとめて抱きしめてきた。
「わっ!」
「ちょ、ちょっとシルフィ!」
「よかったわぁ。二人とも、生きていた。本当に嬉しいわぁ」
柔らかな腕に強く包み込まれる。
陸徒の顔は、ちょうどシルフィの豊かなふくらみに埋もれる状態になっていた。
「む、むぐっ……!」
どうにか顔を上げようとするものの、簡単には抜け出せない。
ようやく解放された時には、陸徒の顔が真っ赤に染まっていた。
「陸徒ちゃん、大丈夫ぅ?」
「あ、あぁ……平気」
「陸徒」
隣から、鋭くも低い声が聞こえた。
振り返ると、ステラが満面の笑みを浮かべている。
ただし、その目はまったく笑っていない。
「随分と嬉しそうね」
「ち、違う! 今のは不可抗力だろ!」
「へぇ。顔を真っ赤にしておいて?」
「息ができなかっただけだ!」
「どうだか」
ステラは頬を膨らませ、陸徒から顔を背ける。
そんな二人を見たシルフィは、何かに気づいたように瞬きを繰り返した。
「あらあらぁ。ステラちゃんも変わらないのねぇ」
「な、なによ」
「頑張ってねぇ」
彼女は柔らかな笑みを浮かべ、ステラの両手を握る。
「なっ……ア、アタシは別に! 陸徒とは、そういうんじゃ……!」
「うふふぅ」
「なんで笑うのよ!」
「いいえ、なんでもないわよぉ」
シルフィは楽しそうに微笑むばかりだった。
その後、陸徒たちはシルフィと少し立ち話をした。
彼女は現在も城に仕える宮廷魔術士として、様々な研究や任務をこなしているらしい。
相変わらず会話は時折思いもよらぬ方向へ飛んだが、その穏やかで不思議な雰囲気は以前と何も変わっていなかった。




