18話 シルビアとルビィ
果ての見えない真っ暗な空間。
右側には、すべてを焼き尽くす炎。
左側には、永遠に閉ざす氷。
その中央に、シルビアは一人で立っていた。
やがて炎の中から、巨大な竜の顔が現れる。
燃え盛る鱗と、黄金色の瞳。
氷の奥からも、もう一体の竜が姿を見せた。
蒼白色の鱗と、冷たく透き通った瞳。
火竜と氷竜。
双竜剣に宿る二つの意思。
——また我らの力を求めるか。
火竜の声が空間を震わせる。
——代償を忘れたわけではあるまい。
氷竜の声が静かに響く。
「忘れてないさ」
シルビアは無表情に近い眼差しで二体を睨む。
「お前たちの力を受け入れたせいで、アタイは昔の記憶を失った」
——弱き記憶など不要。
火竜が炎を噴き上げる。
——迷いを抱く過去は、剣を鈍らせる。
氷竜の周囲に鋭い氷柱が生まれる。
シルビアの脳裏へ、断片的な映像が流れ込んできた。
花の咲く庭園。
木剣を握る幼い手。
剣と盾を携えたクラウス。
設計図を抱えて優しく笑うトーマ。
父と母。
エリシオン城で過ごした日々。
それらの景色へ炎と氷が迫る。
記憶を焼き払い、再び消し去ろうとしている。同時に蒼い氷が広がり、思い出を永遠に閉じ込めようとしていた。
「やめな」
シルビアの低い声が止める。
——力を望むならば、捨てよ。
——王女ルビィの記憶を。
「断る」
両竜の瞳が鋭くなる。
——ならば、逆も選べる。
氷竜の声。
——シルビアとして積み上げた記憶を捨て、かつてのルビィへ戻れ。
火竜が大きく口を開く。
炎の中へ、今度はシルビアとして過ごした日々が映し出された。
一人で世界を旅した五年間。モンスターを斬り、盗賊を叩き伏せ、困っている人々を助けた。
そして、仲間との出会い。
ラフェスタで海賊を蹴散らし、陸徒へ勝負を挑んだ。
アルファードでは不審者扱いされ、拘束された。
ステラやモコとくだらない言い争いをした。
シルフィの天然ボケに幾度となく突っ込みをした。
皆と力を合わせ、バサラと死闘を繰り広げた最終決戦。
どれもシルビアという名で得た、大切な記憶だ。
——このまま力を解放すれば、シルビアは消える。
——そしてルビィが、完全な姿で戻るであろう。
「アタイが消えて、昔の王女様に戻るって?」
シルビアは鼻を鳴らして吐き捨てた。
「ふざけるんじゃないよ」
——選ばぬのならば、力は与えぬ。
——人間の器に、二つの生は共存できぬ。
「選ぶ必要なんてない」
シルビアは炎と氷へ一歩踏み込んだ。
熱が肌を焼き、冷気が手足の感覚を奪う。
それでも、彼女は歩みを止めない。
「ルビィの記憶も、アタイのものだ」
庭園で花へ水を与えた記憶。
兄から剣を教わった日々。
守られるだけではなく、誰かを守りたいと願った心。
「シルビアの記憶も、アタイのものだ」
本当の名前も過去もわからないまま、それでも双竜剣と旅を続けた日々。
荒っぽくても、自分の力で生き抜いた時間。
仲間たちと出会い、守るべき新しい場所を得た記憶。
「どっちかを捨てろだって?」
シルビアの両手に、炎と氷が紡いで二本の剣が現れる。
「それを決めるのは、お前たちじゃない」
右の紅、左の蒼を順に振り払って構える。
アメジスト色の瞳が、強烈な光を宿した。
「ルビィも、シルビアも、全部アタイだ!」
火竜が咆哮する。
氷竜が翼を広げる。
炎と氷が、一斉にシルビアへ襲い掛かった。
「アタイの記憶を、勝手に焼くんじゃない!」
クリムゾンゼストを振るう。
火竜の炎を、紅の刃が切り裂いた。
「アタイの心を、勝手に閉じ込めるんじゃない!」
ブルーアイシスが閃く。
迫り来る氷が、蒼の斬撃によって粉々に砕け散る。
——我らへ逆らうか。
「当たり前だ!」
——我らなくして、お前は存在し得なかった。
「だからなんだってんだ!」
シルビアは二体の竜へ走る。
「力をくれたことには感謝してる。お前たちは今まで一緒に戦ってきた相棒だ」
燃え盛る右と、凍てつく左。
二本の剣が、シルビア自身の意思へ呼応するように輝きを強める。
「けど、主が誰かは思い知らせてやるよ!」
双竜剣を交差させる。
「お前たちがアタイを選ぶんじゃない!」
紅と蒼の剣閃が、巨大な十字を描いた。
「アタイが、お前たちを使うんだ!!」
剣から放たれた光が爆ぜる。
炎と氷に包まれた二体の竜が、同時に咆哮した。
それは宿り主への怒りでも、逆らいへの苦痛でもない。
長きに渡り待ち続けた、真の主を認める声だった。
エリシオン城西側中庭。
シルビアを包み込んでいた炎と氷が、一瞬にして収束する。
「ルビィ……?」
クラウスは、目の前に立つ妹を見つめた。
外見に大きな変化はない。
真紅の短い髪。小麦色の肌。双竜剣を携えた荒々しい立ち姿。
だが、その瞳だけは違っていた。右目には燃えるような紅、左目には凍てつく蒼が映る。
次第に色は強く輝き、やがて混ざり合って、元のアメジスト色へ戻っていく。
「兄様」
シルビアが少し優しげに口を開く。
クラウスの目が大きく見開かれた。
懐かしくも耳に届いたその呼び方は、幼い頃からルビィが彼へ向けていたものだった。
「記憶が……戻ったのか?」
「あぁ。全部じゃないけどね」
穏やかな響きは一瞬だけ。
シルビアはすぐに、いつもの不敵な笑みを見せる。
「安心しな。アタイはアタイさ」
「ルビィであり、シルビアでもある……ということか」
「そういうことだよ、トーマ兄様」
トーマの瞳にも涙が滲む。
「よかった。本当に……」
「泣くのは後にしな。今は、あの鉄の塊を片付けるのが先だろ」
戦車の主砲は、すでに装填を終えている。
砲身が動力炉へ向けられ、次の一撃を放とうとしていた。
「シルビア、いけるのか?」
「はっ、誰に聞いてんだい」
陸徒の問いを流してすぐ、シルビアは双竜剣を両脇へ広げた。
クリムゾンゼストから炎。
ブルーアイシスから冷気。
これまではどこか不安定で、互いを拒絶し、反発していた二つの力。
しかし今、炎と氷はシルビアの意思によって完全に統制されている。
「ステラ! アタイに防御術を掛けな!」
「命令しないでよ! でも、今だけは言うとおりにしてあげるわ!」
ステラは残された法力を聖杖へ集め、呪文を詠唱する。
―其は頑強なる守護の光―
「鎧衣!」
昼白色の光がシルビアの全身を包み込む。
「陸徒、戦車の動きを止めるよ!」
「あぁ!」
ラディアセイバーを構えながら、陸徒が戦車の左側へ。同時にシルビアは右側へ回り込んだ。
それを追うように戦車の小型砲口が両者へ向けられると、銃弾と砲弾が一斉に放たれた。
「遅いね!」
シルビアはブルーアイシスを一振りした瞬間、目の前に巨大な氷壁が出現。無数の銃弾が受け止められ、氷にめり込んでいく。
続けてクリムゾンゼストを横薙ぎに払う。
炎が竜の姿となって中庭を駆け、戦車の側面へ衝突した。爆炎とともに強固な装甲が赤く広がりながら、形を歪ませる。
「今だ、陸徒!」
「おうよっ!」
陸徒は熱によって脆くなった装甲へ、ラディアセイバーを突き刺した。
「はあぁぁっ!」
光の刀身を横へ振り抜く。
分厚い鉄板が大きく切り裂かれ、内部の機械部品が露出した。
「トーマ兄様! あいつの弱点はどこだい!」
「車体後部から、高い熱反応がある! おそらく動力を生み出している部分だ!」
「それがわかれば十分さ!」
シルビアは双竜剣を胸の前で交差させる。
紅の炎が右腕へ伝い、蒼の冷気が左腕へ這う。二つの力が背後で巨大な竜の姿を形作った。
火竜と氷竜が佇む。今度は彼女の記憶を奪おうとはしない。主の命令を待つ相棒として、静かに咆哮していた。
「行くよ、紅! 蒼!」
二体の竜が翼を広げ、赤と青の粒子が散った。
同時にシルビアは地面を蹴る。炎が背中を押し、氷が足元へ道を作る。
戦車の砲塔が、迫り来る彼女へ向けられた。主砲の奥で光が生まれる。
「ルビィ!」
クラウスが叫んだ瞬間、至近距離から放たれた砲弾が、シルビアへ迫る。
だが彼女は止まらない。
「こんなもんで、アタイを止められると思うな!」
右手のクリムゾンゼストが砲弾を炎で包み、表面を赤く溶かす。
続けてブルーアイシスが急激な冷気が砲弾を凍結させ、亀裂を走らせた。
「はあぁぁぁっ!!」
双剣を同時に叩き込む。
急速な加熱と冷却によって脆くなった砲弾が、空中で粉々に砕け散った。
「砲弾を、斬った……」
恐ろしい武器だと言わんばかりに、陸徒は口を塞げずにいる。
シルビアは砕けた破片の中を駆け抜ける。一気に戦車の後方へ回り込み、高く跳躍した。
戦車を眼下に見据え、紅と蒼の双剣を大きく広げる。
「双竜剣、終の撃——」
炎の竜と氷の竜が、螺旋を描きながら一つに重なる。
「紅蒼竜皇斬!!」
技の名とともに二本の剣が振り下ろされた。
紅と蒼の巨大な剣閃が戦車の後部装甲を切り裂き、内部へ侵入していく。
直後、動力部で炎と氷が衝突した。それらの反作用により生まれた光が膨張する。
戦車の巨体が内側から持ち上がり、鈍色の装甲板が四方へ弾け飛んだ。
―其は万物を遮る絶衝の盾となれ―
「魔防壁!」
鼓膜を襲う大爆発。それを予測していたステラの詠唱が、術を完成させていた。
熱風と黒煙が中庭を覆い尽くし、視界を赤黒く染める。
しばらくして煙が晴れると、そこに動く戦車の姿はなかった。
砲塔は車体から外れ、主砲も根元から折れている。無限軌道や装甲板は激しく歪み、原形を留めないほどに破壊されていた。
その残骸の上。
紅と蒼の煌めきを放ちながら、シルビアが悠然と立っていた。
「シルビア!」
陸徒たちが駆け寄る。
「お前、大丈夫なのか?」
「あぁ。ちと疲れたけどね」
シルビアは双竜剣を鞘へ納める。
「記憶は?」
クラウスが不安げに問う。
「覚えてるよ。昔のことも、今のことも」
「私が誰かわかるか?」
「クラウス兄様。昔のアタイへ剣を教えた堅物の兄貴。それで満足かい?」
丁寧な呼び方と、荒々しい言葉遣い。二つの人格が無理なく一つへ重なった答えだった。
クラウスは安堵したように目を閉じて頷く。
「シルビア、アンタ本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって言ってるだろ。しつこいねぇ」
「心配してあげてるのに、その言い方はなによ!」
「ははっ。いつものシルビアだな」
見慣れたやり取りに陸徒が笑う。
「なんだい。文句ある?」
「いや。安心しただけだよ」
戦いの終結に、周囲の兵士たちから歓声が上がる。
だが、トーマだけは破壊された戦車の残骸を注視していた。
「やはり、ミドラディアスのモンスターではないから、黒い煙となって消えはしない」
「こいつは俺たちの世界で造られた機械だからな」
「……ならば、詳しく調べれば、どのようにこちらへ現れたのか手掛かりが得られるかもしれない」
一呼吸の間、考えを巡らせたトーマは技術者たちへ振り返る。
「残骸を回収する準備を! 内部に危険な物が残っている可能性がある。決して素手では触れないように!」
王子の指示に、技術者たちが動き始める。
その時——
戦車の残骸の中心に、黒い点が現れた。
「待って!」
制止させるステラの声が響いた。
黒い点は周囲の光を吸収し、急速に広がっていく。
間もなく人間よりも大きな漆黒の渦となり、空間を歪ませながら回転し始めた。
「あの渦は!」
「秋葉原で、ドヘルズペインの亜種が現れた時と同じものよ!」
渦から強烈な吸引力が発生する。
破壊された装甲板が浮き上がり、次々と闇の中へ飲み込まれていく。
砲塔。無限軌道。主砲。周囲へ飛び散っていた細かな部品までもが、ほとんど残らずに吸い寄せられた。
「まさか、残骸を回収しているのか!?」
「全員、渦から離れて!」
付近にいた兵士や技術者は、強風に耐えながら後退する。
最後に戦車の車体が持ち上がった。巨大な鉄塊が形を歪ませるように黒い渦へ吸い込まれ、跡形もなく消えていく。
役目を終えた渦は急速に縮小。
最後には黒い点となり、何もない空間へ溶けるように消滅した。
中庭に残されたのは、破壊された城壁と、砲撃によって穿たれた無数の穴だけ。
「証拠を全部持っていかれちまった……」
陸徒は渦の消えた場所を睨む。
「まるで、誰かが都合の悪い物を回収したみたいね」
ステラの言葉に、一同の表情が強張る。
異変によって偶然、戦車がミドラディアスへ転移しただけなのか。
それとも、何者かが意図的に現代兵器を送り込み、破壊された後に回収したのか。
現時点で、答えは出ない。
ただ一つ確かなこと。
二つの世界を繋ぐ黒い渦は、モンスターだけでなく、人間の造り出した兵器すら運ぶことができる。
そしてその力は、世界同士の境界を越えて新たな脅威を生み出している。
エリシオン城を襲った戦車は撃破された。
同時にシルビアは、長く失われていた王女ルビィの記憶と、旅の中で積み上げてきたシルビアとしての人生を、自らの意思で一つに重ねた。
しかし、戦いは終わっていない。
紅と蒼の双竜が認めた真の主。ルビィであり、シルビアでもある一人の剣士は、黒い渦が消えた空間を鋭く睨み続けていた。




