10話 公安の女
「ここは……」
目前には駅舎。
周囲には高層ビルや家電量販店が並び、壁面を色鮮やかな広告が覆っている。
「秋葉原。ちゃんと着いたわ!」
ステラは空間転移術の成功を確信し、得意げに胸を張った。
「本当に琵琶湖から一瞬で来ちまったな」
「当然よ。これで証明されたわね。こっちの世界でも、空間転移術は使える!」
「でも、どうして急に使えるようになったんだ?」
「それは……」
ステラはゲートクリスタルの欠片へ視線を落とす。
「たぶん、この欠片が関係している。ミドラディアスへ渡る前は使えなかった。でも、欠片を手に入れてから戻ってきた今は発動できる」
「欠片が二つの世界を繋いで、こっちでも法術を使えるようにしているってことか」
「まだ仮説よ。詳しいことは後で調べる必要があるわね」
二人が話していると、周囲から妙に多くの視線を感じ始めた。それは明らかにステラへと集中しているが、当然と言うほかなかった。
ブロンドの髪と桃色の瞳を持つ、外国人と見紛う美少女。さらに青い宝石が煌めく銀の十字架を模した、聖杖パステリアウィッシュを携えている。
秋葉原という場所柄、その姿は別の意味で注目を集めていた。
「あの子、なんのキャラ?」
「新作ゲームのコスプレじゃないか?」
「衣装は普通っぽいけど、杖の完成度すごくない?」
周囲の人々が足を止め、次々とステラへ視線を向ける。
中にはスマートフォンを取り出し、写真を撮り始める者までいた。
「えっ? ちょっと、なによ?」
ステラは困惑しながら辺りを見回す。
「すみません! 写真一枚いいですか?」
「その杖、手作りですか?」
「なんのイベントに出るんです?」
数人が一斉に話しかけてくる。
ミドラディアスでは天才法術士として注目を集めることに慣れていたステラだが、今の状況は意味が違った。
「ちょ、ちょっと待って! これはコスプレじゃないし、パステリアウィッシュは本物の聖杖よ!」
「設定も作り込んでる!」
「すごい、かわいい!」
「設定じゃないわよ!」
否定すればするほど、周囲の関心が強くなっていく。
「おいステラ、ここから離れるぞ!」
「離れるって、どうやって——」
「いいから来い!」
陸徒はステラの手を掴むと、人々の間を縫うように走り、大通りから脇道へ入る。
「ちょっと陸徒! 引っ張らなくても走れるわよ!」
「だったら早くしろ! このままだともっと人が集まってくるぞ!」
ステラは顔を赤くしながらも、握られた手を振り払おうとはしなかった。
二人は細い路地へ入り、さらに奥へ進む。
人通りが途絶えた場所まで来ると、息も絶え絶えにようやく足を止めた。
「はぁ、はぁ……なんだったのよ、あの人たち」
「その杖をコスプレ道具だと思ったんだろ。場所が場所だからな」
「こんな神聖な杖を、作り物と勘違いするなんて失礼しちゃうわ!」
「かといって、本物の法術士だって説明しても信じてもらえないだろ」
「まったく、こっちの世界は面倒ね」
ステラは髪を整えながら、不満げに頬を膨らませる。
その時、路地の奥から湿った音が聞こえた。ペタペタと何かが硬い地面を這うような。
続いて、獣のものとは異なる荒い呼吸が響く。
「……陸徒」
「あぁ。なにかいる」
二人はすぐに表情を引き締めた。
陸徒はラディアセイバーの柄へ手を掛け、ステラは聖杖を構える。
睨むその先。建物の影から、人に似た異形が姿を現す。
鳩羽色の肌に覆われた病的に痩せ細った体。異様に後方へ突き出た頭部と、血のように赤い目。裂けた口元からは鋭い牙が覗き、粘ついた涎が地面へ垂れている。
「こいつ……ドヘルズペイン!?」
陸徒は、ミドラディアスで戦ったモンスターの名を口にする。
「似ているけど、少し違うわ」
ステラはかつてそれに誘拐されたことを思い出し、わずかに顔を歪ませながらも、目の前の奇怪な生物を観察する。
だからこそ瞬時に識別した。姿はドヘルズペインに酷似しているが、両腕が異様に長く、指先には昆虫の鎌を思わせる湾曲した爪が生えている。
ギィィィッ!
異形が甲高い声を上げ、四つん這いになって地面を蹴る。
「速いっ!」
瞬く間に距離を詰め、長い腕を陸徒へ振るってきた。
彼は後方へ跳びながらラディアセイバーの柄を抜いて叫ぶ。
「来い、ラディアセイバー!」
柄に光が灯され、蒼白色の刀身が生まれようとした——その瞬間。
プシュッと、空気が抜けるような、小さな音が路地へわずかに響いた。
異形の額に小さな穴が開く。
頭部が後方へ跳ね、勢いを失った体が陸徒の目前で地面へ倒れ込んだ。
「な、なにが起きた?」
続けて同じ音が二度。
異形の胸部へ正確に穴が開き、黒い煙が噴き出す。
奇怪なモンスターは一度痙攣すると、そのまま煙となって消滅した。
「今のは、銃弾……?」
ステラが攻撃の飛んできた方向へ顔を向ける。
路地の入口。そこに、黒いスーツを着た一人の女性が立っていた。
年齢は20代後半ほど。
ワインレッドの長い髪を高い位置で束ねたポニーテールと、琥珀色の瞳を持つ。右手に握られているのは、先端へ細長い筒状の部品が装着された拳銃。
女性は周囲に人がいないことを確認し、拳銃をスーツの内側へ収めた。
緊迫した状況とは不釣り合いな、柔らかな笑みを浮かべながら近づいてくる。
「いやぁ、危ないところだったねぇ。二人とも怪我はない?」
「アンタ、誰よ」
ステラは警戒を解かず、聖杖の先を女性へ向ける。
「そう怖い顔しないでよ。私は一応、味方だからさ」
女性は肩をすくめる。
そしてスーツの胸元から身分証を取り出し、二人へ見せた。
「警視庁公安部、長峰結。よろしくね」
「公安!?」
陸徒が目を丸くして食い気味に声を上げた。
「って、それさらっと言っていいのかよ! 公安って、自分から名乗るようなもんじゃないだろ?」
「時と場合によるかな。今回は隠しても仕方ないし」
「軽いな……」
「よく言われる」
結は笑いながら身分証をしまう。
おおらかで親しみやすい態度だが、その立ち位置に隙はない。
先ほどの正確な射撃。周囲へ気配を悟らせず接近した身のこなし。ただの気の抜けた女性ではないことは明らかだった。
「それに、君たちの素性はもう知ってるからね。陸徒くん、ステラちゃん」
「なっ……」
二人の表情が凍りつく。
「どうしてアタシたちの名前を知ってるのよ!」
「調べたから」
「そんな簡単に答えんなよ!」
眉間に皺を寄せながら困惑する二人を、結は気に留めることなく交互に見た。
「一之瀬陸徒くん。19歳、大学一年生。二年半前、兄弟と友人を含む四人で、立入禁止区域となっていた鉱山へ不法侵入。その直後、全員が一時的に行方不明となった」
「うっ……」
「約六ヶ月後、ひょこっと全員自宅へと帰ってくる。外傷はなく、行方不明期間の記憶も一時的に失われていた。警察は集団遭難として処理したけど、不自然な点が多すぎる」
淡々と流暢に語られる過去を聞かされ、陸徒は顔を引きつらせた。
「不法侵入の件、まだ記録に残ってんのかよ……」
「公的な記録は、そんな簡単に消えないよ」
「そこ気にしてる場合じゃないでしょ!」
半ば呆れ顔のステラが陸徒を睨む。
「それで、アタシのことも調べたっていうの?」
「もちろん。ステラ・レイアフォードちゃんは現在15歳。中学三年生。学校の成績はトップ。全国模試では一位の超優等生」
「あら。よくわかっているじゃないの」
「で、表向きはイギリスからの長期留学生として登録されている」
「そ、それは……」
「出生記録はある。パスポートも在留資格も、書類上は問題ない。でも、それ以前の生活記録が不自然なくらい少ない。イギリスにいたとされる時期の学校、医療、家族関係。調べるほど、辻褄の合わない点が出てくる」
あくまで笑みは残したままだが、彼女の琥珀色の瞳は細くしっかりとステラを見据えている。
「極めつけは、二年前まで日本に存在した形跡がないのに、陸徒くんが鉱山から戻った時期とほぼ同時に現れ、何食わぬ顔で中学生として生活していること」
聖杖を握るステラの手に力が込められる。
「公安では、アタシが何者だと考えてるの?」
「複数の仮説がある。偽造された身分で入国した工作員。特殊な事情で保護された人物。そして、もっとも荒唐無稽なものでは——」
一呼吸置き、一瞬落とされた視線が再びステラへ向けられる。
「この世界の人間ではない可能性」
陰湿な雰囲気の路地裏で、乾いたように空気が張り詰めた。
陸徒はラディアセイバーの柄へ手を添える。
ステラも結を睨み、いつでも法術を発動できるように身構えた。
「そんな怖い顔しなくても大丈夫だよ。今のところ、君たちを拘束するつもりはないから」
「今のところってなんだよ!」
「こっちだって、いきなり異世界人を逮捕するほど無謀じゃないって。そもそも、なんの容疑で捕まえればいいのかわからないし」
「随分あっさりと信じるのね」
警戒を崩さず、ステラは怪訝な顔を見せる。
「そりゃ、目の前で奇妙な怪物が煙になって消えたからね。それに——」
結は聖杖パスタリアウィッシュへ視線を移した。
「さっき君たち、駅前になにもない空間から突然現れたでしょ?」
「見てたのか!?」
「正確には、付近の防犯カメラが捉えてた。二人が現れてから、ここへ来るまでの行動も確認済み」
「仕事が早いわね……」
ステラがやや緊張の混じった苦い顔をする。
「日本の各地で起きている異変について、公安はすでに動いているの」
結の表情から、先ほどまでの軽さがわずかに消えた。
「博物館前に出現した赤黒い巨人。滋賀県の琵琶湖付近で確認された大型の獣。そして、今倒した人型の化け物。似たような目撃情報が全国から上がり始めている」
「やっぱり、ジャイアントボア以外にも……」
「ただし、そのほとんどは公表されていない。目撃者から事情を聞き、映像や投稿が拡散する前に回収。現場も事故や野生動物による被害として処理している」
「そんなこと、いつまでも隠し通せるのか?」
「無理だろうね」
あっさりとした答え。
現状は異変の出現数は少ない。だから公安の力だけで処理できている。だが、このまま頻度が増えれば、いずれ公にも知られる。
結はそれまでに原因を突き止めようと動いていた。
「それで、アンタはここでなにを調べていたの?」
ステラの問いに、結は路地の奥へ視線を移す。
先ほどモンスターが消滅した場所には、黒い染みのような痕跡が残っていた。
「謎の殺人事件」
「殺人?」
陸徒の表情が険しくなる。
「ここ一週間、都内で三人の遺体が発見されている。いずれも大量の血液を失った状態で、体には鋭い爪と牙のような傷があった」
「それって……」
「ドヘルズペインと同じよ」
ドヘルズペインは、若い人間の生き血を好む。
かつてミドラディアスでも人里へ忍び込み、人々を連れ去る事件を起こしていた。
「さっきのモンスターは、アタシたちが知っているドヘルズペインと少し姿が違った。でも、人の血を求める性質まで同じなら……」
「殺人事件の犯人は、あいつらってことか」
陸徒は拳を強く握り締める。
「公安では初め、特殊な思想を持つ人間による連続殺人と見ていた。でも現場を調べるうち、人間には不可能な痕跡がいくつも見つかった」
腰に手を当てながら、結は再び陸徒とステラへ向き直る。
「そこで今朝、付近の監視映像に奇妙な人影が映った。追跡して、この辺りを捜索していたところへ、君たちとあの化け物が現れたというわけ」
「つまり、アンタもあのモンスターを追ってたのね」
「そういうこと」
頬を緩ませた結の軽い笑みが戻った。
「でも、正直困ってたんだ。銃弾は効くけど、どれだけ撃てば完全に倒せるのかわからない。死体は煙になって消えるから、証拠が残らず科学的な分析もできない」
「だから、事情を知ってそうな俺たちに声を掛けた?」
「話が早くて助かるよ」
陸徒とステラは顔を見合わせた。
ゲートクリスタルの欠片が二人を秋葉原へ導いた理由。おそらく、この周辺で起きている連続殺人事件と異世界のモンスターが関係しているだろう。
目の前にいる長峰結は、公安としてすでに事件を追っている。情報収集力も行動力も高く、日本で調査をする上では頼もしい存在となるはずだ。
「ステラ、どうする?」
「決まってるでしょ」
ステラは聖杖を地面へ軽く突き、結を真っすぐ見据えた。
「その殺人事件、アタシたちにも調べさせて」
「いいの?」
「元々、そのために欠片がアタシたちをここへ導いた可能性が高いわ。それに、ミドラディアスのモンスターが人を襲っているなら、放っておくわけにはいかない」
「俺も同じ意見だ」
陸徒はラディアセイバーの柄を握る。
これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない。自分たちも捜査に協力する選択肢以外はなかった。
「交渉成立だね」
結は満足そうに笑い、二人へ右手を差し出した。
「改めてよろしく。異世界帰りの剣士くんと、異世界から来た天才法術士ちゃん」
「やっぱり全部ばれてんじゃねぇか……」
「それと、ちゃん付けしないでくれる? アタシは子供じゃないんだから」
「15歳は、十分子供だと思うけどな」
「なんですって!?」
「はいはい。喧嘩は後にして、まずは現場へ移動しようか」
緊張感を保てぬほどの軽い調子で、結は路地の出口へ歩き出す。
陸徒とステラは少しばかり不安を感じながらも、その後を追った。
公安が秘密裏に捜査していた、謎の連続殺人事件。
異世界より現れた奇怪なモンスター。
そして、陸徒たちの素性をすでに把握していた長峰結。
ゲートクリスタルの欠片によって導かれた東京の地で、二つの世界に跨る新たな事件の捜査が始まろうとしていた。




