ー兵士が増えると、ご飯も増えるー
マリーが本を開くと、マトリスが足元へやってきた。
「今日は、曹操のお話です」
「コッ」
「関羽に温かいお酒を用意して、董卓を追いかけて、危ないところを助けられた人ですね」
マトリスが座るのを待ち、マリーは続きを開いた。
「その曹操が、大勢の兵士を率いるようになります。ただ、人が増えれば、それだけで安心というわけでもないのです」
*
董卓を倒そうと集まった連合軍が、ばらばらになった後。
曹操は、自分の軍を率いて、各地で戦っていた。
そんな頃、兗州という土地が、大勢の黄巾の軍に攻められた。
「えんしゅう、と読みます。今日は、曹操が守ることになる土地だと覚えてくださいね」
マトリスが首を傾けた。
「黄巾の軍は、前にも出てきましたね。黄色い布を目印にしていた人たちです」
最初の大きな反乱が抑えられても、各地に残った集団まで、すべていなくなったわけではなかった。
暮らしに困る人も、まだ大勢いた。
兗州を守っていた人物は、彼らとの戦いで命を落としてしまう。
困った兗州の人々の中から、曹操に来てもらい、軍をまとめてほしいという声が上がった。
「土地を守る人が必要だったのですね」
こうして曹操は、兗州へ迎えられた。
*
けれど、名前だけ土地の責任者になっても、敵が帰ってくれるわけではない。
曹操は、黄巾の軍と戦わなければならなかった。
相手は人数が多い。
曹操の側も、最初から順調だったわけではなかった。
苦しい戦いを続けながら、相手の様子を探り、降伏するよう働きかける。
やがて、黄巾の軍は曹操に降ることになった。
「コケッ!」
「はい。大勢の相手が、武器を置きました」
マトリスが胸を張る。
「ですが、ここで、おしまいではありません」
降伏してきたのは、戦える兵士だけではなかった。
その人たちと一緒に移動していた、家族もいる。
子供もいれば、年を取った人もいた。
曹操は、その大勢の人々を受け入れることになったのである。
「戦いが終わっても、お腹はすきますからね」
マトリスが、ぴたりと動きを止めた。
「そこは、気になりますよね」
*
曹操は、降伏した者たちの中から、戦える人を選び、自分の軍に加えた。
この兵士たちは、青州兵と呼ばれるようになる。
「せいしゅうへい。もともと青州という土地から来た集団だったので、そう呼ばれました」
兵士が増えれば、守れる場所も増える。
大きな敵と戦う力にもなる。
だが、それだけ、用意しなければならないものも増えた。
武器。
着るもの。
寝る場所。
そして、毎日の食べ物。
「十人分のご飯と、千人分のご飯では、必要なお鍋も違いますね」
「コッ」
「千人分を一つのお鍋で作ろうとしたら、かき混ぜるだけでも大仕事です」
マトリスが、マリーの手元を見た。
「私は、作りませんよ?」
曹操が自分で鍋を振るうわけではない。
けれど、食べ物が届くようにすることは、軍を率いる者の大事な仕事だった。
「兵士を集めるだけならできても、その人たちを食べさせ続けるのは、また別の難しさがあるのです」
*
軍の食べ物は、兵糧と呼ばれる。
「ひょうろう、といいます。戦いのお話で、これから何度も出てきますよ」
兵士がどれほど強くても、何日も食べずには戦えない。
馬にも、餌がいる。
遠くへ軍を進めるなら、食べ物を運ぶ人や、荷車も必要になる。
その道を敵にふさがれれば、困る。
食べ物をしまった倉が焼かれても、困る。
「だから、目の前の敵を倒すだけが戦いではないのですね」
マトリスは、横に置かれた自分の餌の器を見た。
それから、一歩だけ器へ近づく。
「誰も奪いませんから、大丈夫です」
曹操が迎えられた兗州も、長い戦乱の中にあった。
畑を耕す人が逃げてしまえば、作物は取れない。
作物が取れなければ、兵士も、町の人も困ってしまう。
「今日の食べ物だけでなく、次に収穫できるようにすることも考えなければならないのです」
マリーは、本の上で指を動かした。
「この食べ物の問題には、曹操も、この先ずっと向き合うことになります」
*
もちろん、曹操一人で、何もかもできるわけではなかった。
兵士を率いる者。
作戦を考える者。
土地の様子を調べ、仕事を進める者。
そうした仲間も必要だった。
「そこで、今日は、もう一人だけ紹介します」
マトリスの首が、少し下がった。
「一人だけです。そんなに身構えなくても大丈夫ですよ」
名前は、荀彧。
「じゅんいく、と読みます」
荀彧は、曹操を支える大切な相談相手になった。
どの人に仕事を任せるか。
どの土地を大事にするか。
曹操が軍を率いて出かけている間、留守をどう守るか。
目の前の戦いだけでなく、その先のことまで考える人物だった。
「曹操が、あちらで戦って、こちらで相談を聞いて、倉の中まで数えていたら、眠る時間がなくなってしまいますからね」
「コケ」
「任せられる人がいるのは、心強いことです」
*
こうして曹操は、守る土地と、大勢の兵士、そして支えてくれる仲間を得ていった。
董卓を追いかけ、敗れて逃げた頃とは、少しずつ変わってきたのである。
「今日は、曹操が強くなる準備を進めたお話でした」
マリーは、しおりを手に取った。
「ただ、力がついてきたところへ、とても悲しい知らせが届きます」
曹操の父が、旅の途中で殺されてしまうのだ。
その知らせは、曹操を激しく怒らせることになる。
「次は、その怒りが、どこへ向かってしまったのかというお話です」
マトリスが、器のそばから振り返った。
「ええ。少し、つらいお話になります」
マリーは本を閉じ、足元へ置かれた器を見た。
「でも、今日のご飯は、安心して食べてくださいね」
マトリスは、しばらくマリーを見上げていた。
やがて器へ向き直ると、こつ、こつ、と、いつもの音を立て始めた。




