ー奪われた馬と、曹操への道ー
マリーが本を開くと、マトリスは机の上の小さなクッションに、丸く収まっていた。
「前のお話では、呂布が弓の腕で、劉備と袁術の軍の戦いを止めましたね」
「コッ」
「けれど、今度は、その呂布が劉備を攻めてきます」
マトリスが、首を伸ばした。
「忙しいですね。助けてもらったと思ったら、もう次の心配です。今回も『三国志演義』のお話を続けますね」
*
小沛に落ち着いた劉備は、再び力を蓄えようとしていた。
兵を集め、町を守る備えを整える。
いつまでも、誰かに助けてもらってばかりではいられない。
だが、近くにいる呂布にとっては、それも気になることだった。
劉備の兵が増えれば、それだけ強くなる。
今は小沛にいても、いずれ徐州を取り返そうとするかもしれない。
「もともと、劉備から取った土地ですからね」
マリーは、本の端を押さえた。
「取られたほうは忘れませんし、取ったほうも、取り返されないか心配になるのです」
*
そんなとき、馬をめぐる事件が起きた。
呂布の側で買い入れた馬が、運ばれてくる途中で奪われたのである。
戦に使う馬は、大切だった。
人を乗せて走る。
荷物を運ぶ。
急ぎの知らせを届ける。
たくさんの兵がいても、必要な馬がそろわなければ、思うように動けない。
「草を食べてくれるからといって、どこにでもいる馬を、すぐ戦に連れていけるわけではありません」
「コッ」
「人を乗せることや、大きな音にも慣れていなければ困りますからね」
その馬を、まとめて奪った者がいた。
張飛だった。
マトリスの羽が、少しふくらんだ。
「ええ。また張飛です」
*
知らせを聞いた呂布は、怒った。
劉備を助け、袁術の軍を帰らせたばかりなのだ。
それなのに、今度は自分の馬を奪われた。
呂布は兵を率い、小沛へ向かった。
劉備は驚いた。
馬のことを、知らなかったのである。
何かの間違いではないか。
そう考えて張飛に確かめると、張飛は、奪ったことを認めた。
しかも、張飛にも言い分があった。
呂布は、自分たちの徐州を取った。
それなら、こちらが馬を取ったところで、何が悪い。
「コケッ」
「張飛の中では、前のお話が終わっていなかったのですね」
徐州を奪われた恨みは、残っていた。
けれど、それで馬を奪えば、呂布との争いがまた始まってしまう。
困るのは、張飛一人ではなかった。
*
劉備は、馬を返して収めようとした。
だが、張飛は引かなかった。
呂布も、怒りを収めない。
とうとう二人は、武器を手にしてぶつかった。
呂布も強い。
張飛も強い。
激しく打ち合っても、簡単には勝負がつかなかった。
だが、二人の勝負が続いている間にも、小沛の危険は大きくなっていく。
「張飛が呂布に負けなければ、それで町が守れる、というわけではありません」
マトリスが、マリーを見た。
「呂布の後ろにも兵がいますし、小沛の中には、家族や、戦わない人たちもいるのです」
劉備は、関羽と張飛を集め、この先を相談した。
このまま小沛にとどまれば、呂布の軍に囲まれてしまう。
いまの力では、守りきれない。
劉備たちは、小沛を離れることにした。
*
せっかく身を落ち着けた場所だった。
徐州を失い、ようやく次の暮らしを始めたところだった。
それでも、出ていかなければならなかった。
兵をまとめ、家族を連れ、呂布の軍から逃れる。
次にどこへ行くのか。
劉備が頼ろうとしたのは、曹操だった。
マトリスが、首を傾けた。
「覚えていますか。以前、徐州を攻めてきた、あの曹操です」
「コッ?」
「はい。劉備は、徐州を助けるために曹操と戦いました。今度は、その人に助けを求めるのです」
前に戦った相手だから、絶対に頼れない。
そう決めてしまえば、行き先はますます少なくなる。
曹操と劉備には、呂布という共通の相手もいた。
曹操も以前、留守の間に呂布に土地を奪われ、苦しめられている。
「呂布に困らされたことなら、二人とも、よく知っているのですね」
*
曹操は、やってきた劉備を迎え入れた。
すぐに追い払ったり、捕らえたりはしなかった。
劉備には、人を引きつける力がある。
関羽や張飛のような、強い武将もついている。
味方になれば、頼もしい相手だった。
けれど、曹操の側にも、心配する者がいた。
劉備は、いつまでも人の下にいる人物だろうか。
今は困って頼ってきていても、いずれ大きな力を持つかもしれない。
「迎えるほうも、ただ喜んでいればよいわけではないのですね」
それでも曹操は、劉備を受け入れた。
こうして劉備たちは、曹操を頼り、再び立て直すことになったのである。
*
マリーは、少し前のページへ指を戻した。
「劉備は、困っていた呂布を迎えました。その呂布に徐州を取られ、今度は自分が曹操を頼っています」
マトリスは、黙って本を見ていた。
「助ける側と、助けてもらう側が、何度も入れ替わりますね」
しかも、助けてくれた人と、ずっと味方でいられるとも限らない。
呂布は劉備を救った。
そのあとで、劉備のいる小沛を攻めた。
張飛は、劉備の大切な仲間だった。
けれど、その行動が、劉備たちの居場所を危うくした。
「強い味方がいるだけでは、安心できないのですね」
マリーは、しおりを挟んだ。
「次は、曹操のお話です。降参した相手を迎えたあとで、大変なことが起きます」
マトリスが、クッションの上で足を動かした。
その拍子に、敷いてあった布の端がずれた。
マトリスは、くちばしで引っ張り、座り直そうとする。
引くたびに、反対側が少しずつはみ出した。
「落ち着ける場所を整えるのも、なかなか大変ですね」
マリーは布の端を直し、本を閉じた。




