ー留守番の張飛と、取られた徐州ー
マリーが本を開くと、マトリスは机の上の小さなクッションで、羽を整えていた。
「今日は、劉備が徐州を留守にするお話です」
「コッ」
「前に、曹操も留守の間に土地を取られましたね」
マトリスのくちばしが止まった。
「ええ。ですから、留守を誰に任せるかは、大切なのです」
*
徐州を任された劉備に、新たな敵が迫ってきた。
袁術である。
「えんじゅつ、と読みます。以前、孫堅に食べ物を送らず、困らせた人ですね」
袁術は、自分の勢力を広げようとしていた。
その袁術の軍と戦うため、劉備は関羽を連れて出陣することになった。
そうなると、徐州を守る人が必要になる。
残るのは、張飛だった。
「強い人ですから、敵が正面から攻めてくれば、頼もしいですね」
ただし、劉備には心配もあった。
張飛は、腹を立てると、相手を厳しく打ちすぎることがある。
そして、お酒を飲んで失敗することもあった。
「ここからも、『三国志演義』のお話で進めますね」
劉備は張飛に、よく言い聞かせた。
留守の間は、酒を慎むこと。
むやみに人を打たないこと。
人の話を聞いて、徐州を守ること。
「コッ」
「あなたも、お留守番の前には、いろいろ言われますか?」
マトリスは、羽の間へくちばしを入れた。
マリーは、そのまま続きを読むことにした。
*
劉備と関羽が出発すると、張飛は徐州に残った人々を集め、宴を開いた。
そして、こう言ったのである。
兄者から、酒を飲むなと言われている。
だから、今日を最後にする。
今日は、みんなで飲もう。
「コケッ?」
「はい。やめる前に、たくさん飲んでおこうとしたのですね」
マリーは、本の端を押さえた。
「明日からおやつを減らすので、今日はお皿を空にします、と言われたら、私も少し困ります」
マトリスが、おやつの皿を見た。
「お皿は、そのままで結構です」
宴には、曹豹という武将もいた。
「そうひょう、と読みます。曹操とは別の人ですよ」
曹豹は、酒を勧められても断った。
ところが、酔った張飛は、それが面白くなかった。
自分の酒が飲めないのかと怒り、曹豹を打ち据えてしまったのである。
周りの人が止め、ようやく、その場は収まった。
だが、打たれた曹豹の恨みは残った。
*
その頃、小沛には呂布がいた。
劉備を頼ってきて、身を寄せる場所を与えられた、あの呂布である。
曹豹は、その呂布に知らせを送った。
劉備は留守だ。
張飛は酒を飲み、町の守りも乱れている。
今なら、徐州を取れる。
マトリスが、首を伸ばした。
「困りましたね。外にいる敵だけを見ていればよい、というわけではなかったのです」
知らせを受けた呂布は、兵を動かした。
夜の闇に紛れ、徐州へ向かう。
町の内側には、呂布を引き入れようとする者がいる。
門が開かれると、呂布の兵が、なだれ込んできた。
*
張飛が異変に気づいたときには、もう遅かった。
敵は、町の中まで入り込んでいる。
兵士たちは慌て、誰がどこを守るのかも、わからなくなった。
張飛は武器を取り、戦った。
だが、いくら強くても、一人で町中の敵を追い出せるわけではない。
「前のお話では、食べ物がなくて戦えませんでしたね。今度は、守る側のまとまりが崩れてしまったのです」
張飛は、どうにか町から脱出した。
けれど、劉備の家族を連れ出すことができなかった。
家族は、奪われた徐州に残されてしまったのである。
マトリスが、小さく鳴いた。
「ええ。土地だけでは済みませんでした」
*
戦いに出ていた劉備のもとへ、張飛がやってきた。
徐州を取られたこと。
家族を残してきたこと。
張飛は、自分の失敗を伝えた。
出発する前、劉備から、あれほど言われていたのだ。
酒を慎み、人をむやみに打たないように、と。
それを守れず、帰る場所まで失ってしまった。
張飛は、自分を責めた。
そして、命を絶って償おうとした。
劉備は、それを止めたのである。
「コッ」
「失敗したから、あなたもいなくなりなさい、とは言わなかったのですね」
失ったものは、大きい。
だが、張飛まで失えば、それが戻ってくるわけではない。
今いる者たちで、この先を考えなければならなかった。
*
一方、徐州を手に入れた呂布は、劉備の家族に危害を加えず、保護した。
そして、劉備と話をつけようとした。
「……自分で取っておいて、と思いますよね」
マトリスが、マリーを見上げた。
「ただ、劉備も、すぐに呂布を倒せる状態ではありませんでした」
外には袁術の軍がいる。
帰る場所を失った兵士たちは、食べ物にも困る。
ここで呂布とも戦えば、前にも後ろにも敵を抱えることになる。
劉備は、ひとまず呂布と和解した。
家族とも、再び会うことができた。
そして劉備たちは、小沛に身を置くことになったのである。
*
「ここで、場所が入れ替わりました」
マリーは、本の二か所を指さした。
「前は、劉備が徐州を治め、呂布が小沛にいました。今度は、呂布が徐州にいて、劉備が小沛にいます」
「コケッ」
「迎えたお客さまが、家の主人になってしまったようですね」
助けてもらった恩があれば、裏切らない。
そう思いたくても、呂布は徐州を取った。
張飛も、劉備を裏切ろうとしたわけではない。
けれど、任された留守を守れなかった。
「悪いことをしようと思っていなくても、約束を守らなかったために、大変なことになるのですね」
マリーは、しおりを挟んだ。
「そして袁術は、まだ劉備を諦めていません。次は、小沛にいる劉備を攻めようとします」
マトリスが、クッションの上で座り直した。
「そのとき、呂布が少し変わった方法で、戦いを止めるのです」
マリーが本を閉じると、マトリスは、おやつの皿へ首を伸ばした。
「こちらの留守番をお願いするのは、難しそうですね」
皿の上には、果物が一つ残っていた。




