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リセット  作者: ナオ


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50話 占いビル

 最初は、ただの暇つぶしのつもりだった。


 池袋で待ち合わせまで時間が空いた時、入れる場所はいくらでもある。


 カフェ。

 ファミレス。

 カラオケ。

 ネカフェ。


 でも、その日は雨が降っていた。

 西口の地上は人が多くて、どこも少し湿っていた。


 だから春香は、地下から上がった先の古い雑居ビルへ逃げるみたいに入った。


 ビルの入口には、小さい看板が並んでいた。


 ネイル。

 まつ毛。

 占い。

 パーソナルカラー診断。


 何でも少しずつ入っている、池袋によくある古いビルだった。

 占いの看板だけがやけに明るかった。


『本日すぐ鑑定できます』

『恋愛・仕事・人間関係』

『秘密厳守』


 ……秘密厳守。


 その言葉が少しだけ気になった。


 春香は27歳。

 昼は池袋の外れにある不動産会社で事務をしている。


 派手ではない。

 でも地味でもない。

 生活は普通だった。


 少なくとも、自分ではそう思っていた。


 彼氏はいない。

 前にいた男とは半年前に別れた。

 今は仕事と、たまに友達と飲むくらい。

 家賃も払えている。

 借金もない。


 何かが壊れているわけではない。


 でも、何もかも少しだけ噛み合っていない感じはずっとあった。


 仕事を辞めたいほどではない。

 でも続けたいとも思わない。

 結婚したいかも分からない。

 でもこのままでいいとも思えない。


 そういう、誰に相談しても少し困られる曖昧さだけが溜まっていた。


 占いなんて普段は信じない。

 でも信じていない人間ほど、少し疲れた日に入ることがある。

 信じてないから大丈夫、みたいな顔で。


 春香もそのつもりだった。


 ビルの3階。


 細い廊下。

 白く塗っただけのドア。

 中は思ったより明るかった。

 アロマの匂い。

 安っぽくはないけれど、高級でもない内装。


 受付には女が1人いた。


 40代くらい。

 黒い服。

 笑い方がやわらかい。


「初めてですか」


 春香はうなずいた。


「ちょっと見てもらうだけでも大丈夫ですか」


「もちろんです」


 その返しが妙に早かった。


「20分の簡単なコースもありますよ」


 20分。


 その短さがちょうどよかった。

 深く入りたくない時、人は時間の短い方を選ぶ。

 選んだことで、まだ軽い気持ちのままでいられるからだ。


 案内された部屋は小さかった。


 丸い机。

 向かい合う椅子。

 観葉植物。

 水晶みたいな置物。

 占い師は女だった。


 50代前半くらい。


 髪は長い。

 声は低すぎず、高すぎず、ちょうど聞きやすい。


「今日はどうされましたか」


 春香は少しだけ迷ってから言った。


「別に、大したことじゃないんですけど」


 その前置きで、占い師は小さく笑った。


「大したことじゃない悩みの方が長いんですよね」


 その一言で、春香は少しだけ気が緩んだ。


 分かる気がしたからだ。

 そこで止めればよかったのかもしれない。

 でも人は、分かってもらえた感じがした瞬間に、少しだけ余計なことまで喋る。


 仕事のこと。

 職場の上司のこと。

 前の彼氏のこと。

 最近、何となく眠りが浅いこと。

 結婚に焦っているわけじゃないのに、周りの話を聞くと少しだけ落ちること。


 そういう、友達に話せば笑って流されそうなことばかりを話した。


 占い師はよく聞いていた。

 途中で遮らない。

 うなずき方も自然だった。


 カードをめくる。

 生年月日も聞かれた。

 手相も少し見た。

 でも、実際に春香が覚えているのは占いの結果より、会話の流れの方だった。


「春香さんって、断るの苦手じゃないですか」


 占い師が言った。


 春香は少し笑った。


「まあ、そうかもしれないです」


「あと、ちゃんとして見られやすいですよね」


 その言い方も少し当たっていた。

 大きく外してはいない。

 でも、それ以上に春香は、その言葉が妙に欲しかった。


 自分のことを少しだけ、ちゃんと見抜かれた感じがしたからだ。

 占いは20分で終わった。

 最後に、占い師はカードを片づけながら言った。


「春香さん、今ちょっと狙われやすい時期なんですよ」


「悪い男とか、都合よく使う人とか」


 春香はそこで少し笑った。


「占いっぽいですね」


「占いですから」


 占い師も笑った。

 その空気で終われば、それだけの店だったのだと思う。

 でも会計のあと、受付の女が言った。


「もしよかったら、相性見るの得意な先生もいるんです」


「恋愛とか人間関係、もう少し具体的に見られますよ」


 春香は断った。

 ちゃんと断ったつもりだった。


「今日は大丈夫です」


 受付の女はそれ以上押さなかった。

 でも、その帰り際に、小さいカードを1枚渡してきた。


『何かあれば、こちらへ』


 店の番号じゃなかった。


 女の名前もない。

 でもメッセージアプリのIDが書いてあった。

 少し変だと思った。

 でも、その時は深く考えなかった。

 その週の金曜、春香は職場で少し嫌なことがあった。


 上司に、来月から業務の幅を増やしてほしいと言われたのだ。

 断れない話し方だった。


 給料はほとんど変わらない。

 でも責任だけは少し増える。


 春香は帰り道、妙に疲れていた。

 その時、ふと財布の中のカードを思い出した。


 何となく、メッセージを送った。


『この前見てもらった春香です』


 本当に、それだけ。

 ……すぐ返事が来た。


『覚えてます』


『その後どうですか?』


 返事が早いのは、たまに怖い。


 でも弱っている時は、それが逆にありがたい。

 春香は少しだけやり取りを続けた。

 仕事のことを話した。

 また少しだけ、前の彼氏のことも。


 女はすぐ返した。


『今、無理して判断しない方がいいです』


『そういう時期です』


『春香さんは、人に利用されやすいので』


 利用されやすい。


 その言葉が妙に残った。


 上司のことも。

 前の彼氏のことも。

 少しだけそこへ重なったからだ。

 それから数週間、春香はたまにその女へ連絡した。

 占いというより相談だった。


 女は否定しない。


 ただ、少しずつ質問が具体的になる。


『上司は何歳ですか』


『既婚ですか』


『前の彼は今も連絡ありますか』


『家族とはどのくらい会ってますか』


『1人暮らしですよね?』


 そこで少し違和感があった。


 でも、その違和感を上回るくらい、女の返事はちょうどよかった。

 優しすぎない。

 説教もしない。

 でも、少しだけ自分を特別に見てくれる感じがある。

 そこへ人は弱い。


 ある日、女が言った。


『もしよかったら、知り合いの先生紹介できます』


『占いっていうより、もっと現実的なアドバイスができる方で』


 春香はそこで少し迷った。

 でも、断らなかった。

 今思えば、その時点でもう占いじゃなくなっていた。


 紹介されたのは男だった。

 先生ではなく、「相談に強い人」とだけ言われた。


 会ったのはビルの中ではなかった。

 西口のカフェ。

 男は30代後半くらい。


 スーツではないが、きれいな服を着ている。


 営業っぽい笑い方だった。


「春香さんのこと、少し聞いてます」


 最初のその一言で、春香は少しだけ嫌な感じがした。

 でも、何をどこまで聞いているのかは聞き返せなかった。


 男は占いの話をあまりしなかった。

 代わりに言う。


「今の職場、あんまり良くなさそうですよね」


「あと、人間関係も切り替え時かも」


 その言い方は、占いより現実っぽかった。

 でも現実っぽいぶん、怖さも薄い。


 春香は少しずつ話した。

 仕事のこと。

 将来の不安。

 転職したい気持ち。

 このままだとずっと中途半端なままな感じ。


 男はよく聞いた。

 そして、最後に言った。


「実は、春香さんみたいな人に合う仕事知ってます」


 その瞬間、春香はやっと少し身構えた。


「仕事?」


「はい」


「相談聞く側とか、接客寄りで」


「無理にじゃないです」


「ただ、春香さんって人の話ちゃんと入れられるんで」


 その褒め方が、占い師の言い方と似ていた。

 そこで少しだけ、線がつながった気がした。

 このビルは、多分、占いだけの場所じゃない。


 人の悩みを聞く。

 弱いところを拾う。

 その弱さに合う別の入口を出してくる。

 恋愛かもしれない。

 仕事かもしれない。

 金かもしれない。


 形は違っても、やっていることは同じなのかもしれなかった。


 春香はその日うまく断った。


「今は大丈夫です」


 男も引いた。


「そうですよね」


「必要になったらで」


 その引き方が、逆に嫌だった。

 無理に押さない方が、人は自分で戻りやすいからだ。


 そのあと、春香は女からのメッセージを少しずつ無視するようになった。

 でも、完全には切れなかった。

 返さないと、向こうは時々ちょうどいい文を送ってくる。


『最近しんどくないですか』


『あの上司、春香さんにはきついと思います』


『また何かあったら言ってください』


 それが、本当にタイミングよく来る。


 仕事で嫌なことがあった日。

 元彼から連絡が来た日。

 母親に結婚のことを言われた日。

 偶然かもしれない。

 でも偶然にしては、少しだけ気持ちが悪い。


 ある晩、春香はそのビルの前をまた通った。


 雨上がりだった。


 看板は前と同じだった。


 占い。

 まつ毛。

 ネイル。

 何でもない顔をして並んでいる。


 でも今の春香には、あそこが少し違って見えた。


 占いビルっていうのは、多分、未来を当てる場所じゃない。

 今うまくいっていない人間が、何を欲しがっているかを聞き出す場所なのだ。


 恋愛か。

 仕事か。

 承認か。

 逃げ場か。


 それが分かったら、次の人間につなぐ。


 ……それだけだ。


 ビルへ入っていく若い女が1人いた。


 少し疲れた顔だった。

 春香はその背中を少しだけ見た。


 止めようとは思わなかった。

 止めたところで、何て言えばいいのか分からなかったからだ。


 占いのふりをした入口が、この街にはいくつもある。

 そして一番まずいのは、入る側も別に救われたいわけじゃないことかもしれない。


 ただ、少しだけ自分を分かってくれる言葉が欲しいだけだ。


 そういう夜の人間にとって、池袋はちょうどよく出来すぎていた。

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