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リセット  作者: ナオ


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49話 闇スロ

 最初は、無視するつもりだった。

 

 池袋の夜は声を掛けてくる人間でできている。

 

 居酒屋。

 ガールズバー。

 キャバクラ。

 メンエス。

 何でもいいから足を止めさせたい声が、駅を出たところから少しずつ濃くなる。

 

 だから大村拓海も、普段なら見ないふりをする。

 

 目を合わせない。

 歩幅を変えない。

 そのまま抜ける。

 

 それが一番楽だと知っていた。

 

 でも、その夜は少し違った。

 月末で、珍しく金があったからだ。

 

 仕事の案件が1本きれいに終わって、臨時で入った金もある。

 

 大村拓海29歳。

 

 池袋の小さい印刷会社で営業をしている。

 給料は高くない。

 

 でも今月は少しだけ浮いていた。

 浮いている時、人は普段なら曲がらない方へ曲がる。

 

「お兄さん」

 声を掛けてきた男は、怪しい雰囲気は感じられなかった。

 

 髪型も普通。

 服も黒いだけ。

 派手じゃない。

 

 だから逆に、池袋の夜では浮かない。

 拓海は足を止めなかった。

 

 男は少しだけ歩幅を合わせてきた。

 

「カジノかスロットどうですか」

 

 その言い方が妙に軽かった。

 隠す感じがない。

 そこが逆に生っぽかった。

 

 拓海は少しだけ歩く速度を落とした。

 男はそこを見て続ける。

 

「昔のありますよ」

「4号機あります」

 

 4号機。

 その単語が少し耳に残った。

 

 学生の頃、先輩に連れられて古いスロットの話を聞いたことがある。

 

 詳しくはない。

 

 でも、その言葉が“分かるやつには分かる”感じで投げられたのは分かった。

 

「どこっすか?」

 

 気づいたら、そう聞いていた。

 男は少しだけ笑った。

 

「近いです」

「ただ、うち最初のルールだけあって」

「入店するなら最初に1万からです」

 

 拓海はそこで男を見た。

 

「見るだけは」

「ないです」

「最初は1万入れてもらって、そこからスタートです」

 

 その言い方がやけに自然だった。

 高いとも安いとも思わせない。

 遊ぶならそれくらい、という顔で言う。

 

「最低1万からなんですか?」

 

 拓海が聞くと、男は肩をすくめた。

 

「冷やかしいるんで、入ったら何もやらないは無理です」

 

「あと、うちそういうシステムなんで」

 

 そういうシステム。

 曖昧な言葉だった。

 でも、それ以上説明する気もなさそうだった。

 ちゃんとまずい場所ほど、入口だけ妙に簡単で、ルールだけ変に固い。

  

「……じゃあ1万だけ」

 

 そう言うと、男は短くうなずいた。

 

「案内しますね」

 

 西口の明るい通りから1本入る。

 飲み屋の客引きが減る。

 コンビニと、閉まったシャッターと、古い雑居ビルが増える。

 

 池袋は1本ずれるだけで、急に夜の質が変わる。

 騒がしいだけの通りから、静かにまずい通りへ変わる。

 

 連れて行かれたのは、看板の出ていない古いビルだった。

 

 1階は閉まったままの不動産屋。

 エレベーターは古い。

 上へ行く途中、鏡に映った自分の顔が少しだけ間抜けに見えた。

 

 引き返すなら今だとも思った。

 でも、そう思う時にはもう引き返しにくい。

 5階で降りる。

 細い廊下。

 つきあたりのドア。


 男がインターホンを押すと、強烈な光が照らす。

 

「ご新規1名ご案内です」


 扉の鍵が開く音がする。 

 中へ入ると、すぐに空気が変わった。

 

 煙草。

 機械の熱。

 古いカーペットの匂い。

 派手ではない。

 

 でも、ちゃんと閉じた空気だった。

 

 入口横のカウンターに、40代くらいの男が座っていた。

 

 笑い方は穏やかだった。

 

「初めてですか?」

 拓海がうなずくと、男は淡々と説明した。

 

「レートは40円です」

 

「最初は1万から」

 

「台を決めてもらってから、そこへ入れます」

 

 レート40円。

 その言い方が妙に本物っぽかった。

 ゲームセンターでも、普通のパチスロ店でもない。

 

 ちゃんと別の場所の言葉だった。

 

「今日はスロットでいいですか」

 

 拓海はうなずいた。

 奥の部屋にはスロット台が並んでいた。

 今の店ではあまり見ない古い筐体。

 画面の感じも、音も、光り方も、どれも少し時代が古い。

 

 4号機、と男が言っていた意味がそこでやっと分かった。

 

 詳しくない拓海でも、昔っぽい圧みたいなものは感じた。

 

 その古さが変に魅力的だった。

 

 客は多くない。

 3人か4人。

 みんな喋らない。

 でも完全に静かでもない。

 

 小さめに設定されたスロット台の音量とリールとボタンの音、時々小さい舌打ちだけが部屋に残る。

 

 台の上には、小さいポップが何枚か刺さっていた。

 

『本日おすすめ』

『高設定っぽい動きあります』

『夕方から右肩上がり』

 

 手書きみたいな雑な字だった。

 露骨に「高設定」とは言わない。

 

 でも、匂わせる。

 

 その加減が嫌にうまかった。

 確定じゃない。

 

 でも、打てば期待したくなる。

 打たせるには、それで十分なのだろう。

 

 部屋の隅には、小さい冷蔵庫と棚があった。

 

 缶ビール。

 ペットボトルの水。

 お茶。

 缶コーヒー。

 カップ麺。

 スナック菓子。

 菓子パン。

 おにぎり。

 レトルトのつまみみたいなものまである。

 

 拓海がそっちを見ると、若い店員が言った。

 

「飲み物と食べ物は自由です」

「気にしないで食べてください」

 

 その言い方が、妙に場慣れした店っぽかった。

 遊ぶ場所というより、長く居させる場所なのだと思った。

 

 拓海は空いていた台の前で止まった。

 若い店員が来る。

 

「これいきます?」

 

「はい」

 

 拓海がそう言うと、店員は短くうなずいた。

 

「じゃあ最初1万お願いします」

 

 拓海は財布から1万円を出した。

 

 店員はそれを受け取ると、台の横に移動する。

 

 そこに小さい鍵穴がついていた。

 普通の店では見ない位置だった。

 店員はポケットから細い鍵を出す。

 

「失礼します」

 

 そう言って鍵を刺し、ひねる。

 カチ、と乾いた音がして、台のクレジット表示が増えた。

 25。

 もう1回。

 50。

 また回す。

 75。

 そんなふうに、1000円分ずつ増えていく。

 拓海はその表示を見ていた。

 1万を入れたのに、1000円分ずつ増える見せ方が、妙に生々しかった。

 

 金が溶ける形が、最初からちゃんと目に見える。

 店員は10回分きっちり回して、最後に鍵を抜いた。


250。

 

「最初はこれで」

 

「足りなくなったらアップで言ってください」

 

 アップ。

 

 その言い方がもう店の中で決まった言葉みたいだった。

 

 拓海は最初、軽い気持ちで回した。

 

 1万は高い。

 でも今月は少し余裕がある。


 ちょっと遊んで帰ればいい。

 それに勝てば倍のレートだから、勝てばデカい。

 

 そう思っていた。

 

 数分後、当たった。

 本当に最初の方だった。

 

 拓海は一瞬、声が出そうになった。

 

 横の客もちらっと見る。

 

 店員の若い男も少しだけ目をやる。

 

 その視線で、拓海は急に熱くなった。

 見られている。

 

 しかも、悪い意味じゃなく、少しだけ“引きがあるやつ”を見る感じで。

 

 人は知らない場所で少し勝つと、自分が受け入れられた気になる。

 

 それが一番危ない。

 

 ……最初の1万で当たり。

 

 しかも古い台の音と演出が妙に気持ちいい。

 拓海はその時点で、もう少しだけ続けるつもりになっていた。

 

 最初に勝つと、人は帰る理由を失う。

 取り返すためじゃない。

 まだ行ける気がするからだ。

 

 飲み物を1本取る。

 缶コーヒーはぬるかった。

 

 でも、無料で置いてあるものを飲みながら打つと、少しだけ自分が常連側へ入った気になる。

 

 それもまた店の仕掛けなんだろうと思った時には、もうだいぶ馴染み始めていた。

 

 30分後、出た分はほとんど消えた。

 

 でもさっき当たった感触が残っている。

 

 あれがあると、次も来る気がする。

 その“次も”だけで人は長く座る。

 

 台の上のポップが目に入る。

 

『本日おすすめ』

『高設定っぽい動きあります』

 

 っぽい。

 その曖昧さが、逆に今の自分には都合よかった。

 

 確定じゃないから、まだ自分の引きだと思える。

 店員の若い男は何も言わない。

 

 でも拓海がクレジット表示を見る回数だけは、多分見ていた。

 

 奥のカウンターの男も、たまにこっちを見る。

 

 助言もない。

 煽りもない。

 でも、見ている。

 

 その見られ方が少し気持ち悪くて、逆に拓海は意地になった。

 

 ここで立つのは、負けた側に見える気がした。

 

 1時間後、最初の1万はきれいに消えた。

 拓海はそこでようやく手を止めた。

 でも席を立てなかった。

 さっきの当たり方が頭に残っている。

 もう1回くれば戻る気がする。

 

 その時、店員の若い男が近くを通った。

 

 拓海は少しだけ迷ってから言った。

 

「……アップで」

 

 声に出した瞬間、少しだけ嫌な感じがした。

 自分から言ったからだ。

 頼まれたわけじゃない。

 勧められたわけでもない。

 自分から、足りないぶんを足してくださいと言った。

 

 店員は短くうなずいた。

 

「1でいいですか」

 

 その1が1万円だと、もう店の中では説明抜きで通じていた。

 

「はい」

 

 店員は金を受け取ると、また台の横へ鍵を刺した。

 カチ。

 25。

 カチ。

 50。

 カチ。

 75。

 その乾いた音がやけに耳に残る。

 機械に金を食わせているというより、自分の判断が1000円ずつ減っていく音みたいだった。

 店員は1万分をきっちり入れ終えて、鍵を抜いた 。

 

「どうぞ」

 

 それだけ。

 

 追加してからは、勝たなかった。

 

 正確には、少し出ることはある。

 でも戻る前に飲まれる。

 その繰り返しだった。

 

 気づけば酒も少し入っていた。

 

 棚からカップ麺を取って食っている客もいる。

 その雑さが、妙に場を長くする。

 

 時間感覚が薄くなる。

 

 ただ遊んでいるだけの夜みたいに見えてくる。

 

 そこがまずい。

 終電はとっくにない。

 時間だけが進む。

 他の客は入れ替わる。

 

 でも、拓海の台だけずっとそこにある。

 そういうふうに感じる時、人はだいたいもう負けている。

 

 深夜3時を回る頃、また足りなくなった。

 拓海は少しだけ躊躇した。

 

 でも、もうここでやめると1万も追加分も、そのまま沈む。

 

 そう思った。

 だからまた、自分から言う。

 

「アップで」

 

 今度は前より自然に出た。

 そこが一番まずかった。

 店員がまた金を受け取る。

 

 鍵を刺す。

 

 75。

 100。

 125。

 150。

 数字が増えるたび、まだやれる気がする。

 でも実際には、その増えたぶんだけ深く座る時間が伸びているだけだった。

 

 カウンターの男が近づいてくる。

 

「大丈夫そうですか?」

 

 その言い方が穏やかで、逆に寒かった。


 つまり、今の自分がどの辺まで沈んでいるか、向こうはもう見えている。

 

 そして、そのちょうどいいところで止めるつもりなのだ。

 

 深くしすぎない。

 でも嫌な額にはする。

 

 そういう店なんだと、そこでようやく分かった。

 

 最後はほとんど何も起きなかった。

 出ない。

 戻らない。

 時間だけが進む。

 拓海は台の前で座ったまま、自分の中の熱が少しずつ冷えていくのを感じていた。

 

 そして冷えた時には、金額だけがちゃんと残る。

 カウンターの男がまた来た。

 

「どうしますか?もう少し行きますか?」

 

 笑顔が冷たく感じる。

 払えなくはない。

 でも、月末にはちゃんと響く。

 そのくらいの額だった。

 最初の1万。

 アップ2回。

 全部そこへ繋がっていた。

 

「今日はそろそろ」

 

 拓海が言うと、男はうなずいた。

 

「ですよね」

「じゃあ明日待ってます」

 冗談で言ってるのはわかるが、その言い方があまりにも自然で拓海はそこで初めて本当に寒くなった。

 また明日。

 

 つまり、店の中の遊びが、もう店の外の話に変わっている。

 

「会員カード作りましたよ」

 

 男は穏やかに言った。

 

「次はインターホン押して、これ見せてくれたら開けますね」


 入店する為のルール。 

 最初の1万もルール。

 アップもシステム。

 

 全部、最初から線路みたいに敷いてあったのだ。

 拓海はそこでようやく、本当にまずいところまで来たと分かった。

 

 でも、そう思った時にはだいたい遅い。

 

 最初に西口の路上で「カジノどうですか」「スロットありますよ」と声を掛けられた時点で、もう少し先の顔まで見ておくべきだった。

 

 4号機が並ぶ薄暗い部屋。

 高設定を匂わせるポップ。

 飲み物も食べ物も自由。

 レート40円。

 台を決めたあとで1万を渡す。

 

 鍵穴に鍵を刺して回されるたび、1000円分ずつクレジットが増える。

 

 少し勝つ。

 飲まれる。

 足りなくなったら自分から「アップで」と言う。

 そして最後に、お金を出す。

 

 全部、初めから1本で繋がっていたのだ。

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