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リセット  作者: ナオ


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46話 処理

 最初は、消すための仕事だと聞いていた。

 

 流れた動画。

 揉めた客の写真。

 店の女が勝手に撮られたやつ。

 

 そういうのを回収して消して、火がつく前に潰す。

 

 表向きはそうだった。

 実際にも、最初の何件かはそうだった。

 

 リンクを消す。

 投稿を報告する。

 端末を預かる。

 保存先を探す。

 

 それだけなら、まだ掃除に近い。

 

 汚れたものを片づけてるだけだと自分に言えた。

 

 神保遼は、池袋北口の雑居ビル4階で、ノートパソコンの画面を見ていた。

 

 時刻は1時28分。

 

 部屋は狭い。

 机が2つ。

 ルーター。

 外付けSSD。

 吸い殻の詰まった缶。

 冷めた缶コーヒー。

 壁には何もない。

 窓も小さい。

 

 ここは事務所じゃない。

 

 でも、ここで処理されるものは、だいたい表へ出せない。

 

 遼は32歳だった。

 

 元は映像編集の真似事をしていた。

 結婚式の動画。

 店の宣材。

 SNS用の短い切り抜き。

 

 そういう細い仕事をつないでいた。

 技術があるわけではない。

 でも、データの扱いには慣れていた。

 

 どこに何が残るか。

 何を消せば表面だけはきれいになるか。

 そういうことだけは分かった。

 

 池袋の裏で、その技能は思っていたより使い道があった。

 

 最初に回ってきたのは、メンエスの客が勝手に撮った動画だった。

 

 女の顔は半分しか映っていない。

 

 でも店の内装で分かる。

 流れたら面倒だ。

 店長はそう言った。

 

「消せる?」

 

 遼は動画を受け取って、投稿先を探し、コピーを洗い、消せる分だけ消した。

 

 店長は喜んだ。

 金も悪くなかった。

 

 その時点ではまだ、遼も気楽だった。

 

 嫌な仕事ではあった。

 でも、自分は被害を減らす側だと思えたからだ。

 

 そこから少しずつ、中身が変わった。

 消す前に抜くようになった。

 抜くというのは、使えるものだけ別に置くことだ。

 

 顔。

 声。

 ホテルの場所。

 客の腕時計。

 会社の名札が映った瞬間。

 店の裏口。

 スマホの通知。

 

 そういうものを切り出す。

 

 脅しに使える。

 口止めに使える。

 客を黙らせる材料にもなる。

 女を縛る材料にもなる。

 

 全部、使える。

 

 使えるものを、最初から全部捨てるやつはいない。

 

 だから、消す仕事は途中から選別に変わる。

 遼はその変化に、最初は少しだけ抵抗があった。

 

 でも、抵抗は長く続かなかった。

 

 ……金が違ったからだ。

 

 消すだけの時より、抜いて残す時の方が単価が良かった。

 

 しかも頼む側は、そこをはっきり言わない。

 

「一応、念のため取っといて」

「全部消す前に見れる形だけ残しといて」

「こっちで判断するから」

 

 そういう言い方をする。

 だからこっちも、自分は決めていない顔ができる。

 

 ただ保存しただけ。

 ただ切り出しただけ。

 

 そうやって、自分の汚れを少し薄く思える。

 

 今夜の案件も、最初はよくあるやつだった。

 

 北口の店外。

 

 客が勝手に撮った。

 女が気づいて揉めた。

 

 客は削除したと言っている。

 でも怪しい。

 その確認だった。

 依頼は神崎経由。

 

『客のスマホから一回抜いたやつ』

『店にも火の粉来る前に見といて』

『女の顔は多分半分』

 

 遼は共有されたフォルダを開いた。

 

 動画は3本。

 短い。

 ベッドの上。

 女の肩。

 手元。

 笑い声。

 男の息。

 その程度。

 

 でも3本目の後半で、女が一瞬だけ顔を背ける。

 そこで横顔が半分見える。

 

 遼は再生を止めた。

 半分でも十分だった。

 

 店側には、これで女が誰か分かる。

 客側には、これで女に見せられる。

 

 どっちにも使える。

 そういう素材だった。

 

 遼は無意識にタイムコードをメモしていた。

 

 00:42。

 00:57。

 01:11。

 

 自分でも嫌になるくらい手が慣れていた。

 仕事っていうのは、本当に慣れたところから先に悪くなる。

 

 神崎から追いメッセージが来る。

 

『使えそう?』

 

 遼は少しだけ考えてから返した。

 

『顔は薄いです』

 

『でも部屋と声で十分』

 

 既読がつくのは早かった。

 

『じゃあ切り出しだけ先やります』

 

 遼は動画を別トラックへ置いて、使えるところだけ切った。

 

 女の横顔。

 男の声。

 ベッド脇の荷物。

 ホテルのカードキー。

 全部、数秒だけ。

 

 数秒だけで、人は十分に詰む。

 

 長い証拠より、短い証拠の方が使いやすい時がある。

 

 見せやすいからだ。

 遼はそのことを、だんだんよく知るようになっていた。

 

 作業の途中、別件のフォルダも通知で上がってきた。

 

 配信者の切り抜きだった。

 顔出しなしの女が、うっかり窓に映りこんだ瞬間を抜いたもの。

 

 それも処理待ちの箱に入っている。

 

 消すためじゃない。

 まず値段を見るためだ。

 

 本人へ返すか。

 客へ渡すか。

 店へ持たせるか。

 その判断が先にある。

 

 遼はそこまで考えてから、少しだけ煙草を吸いたくなった。

 

 廊下へ出る。

 非常階段の踊り場は暗い。

 

 下の階から、誰かの笑い声だけが少し聞こえる。

 池袋の夜は、こういう声がやけに多い。

 

 笑ってるやつ。

 酔ってるやつ。

 怒ってるやつ。

 泣いてるやつ。

 

 でも、そういう表の音の裏で、もっと静かな処理が進んでいる。

 

 遼の仕事はいつもそうだった。

 大きな事件の顔をしていない。

 ニュースにもならない。

 

 ただ何かが流れそうになった時に向きを変える。

 

 消すか。

 残すか。

 売るか。

 使うか。

 

 ……それだけだ。

 

 部屋へ戻ると、神崎じゃない番号から着信が来ていた。

 

 知らない番号。

 でもこういう時間にかけてくるやつは、だいたい関係者だ。

 

 出ると、女の声だった。

 若い。

 でも震えてはいない。

 

「神保さんですか」

 

「誰?」

 

「今日のやつの件で」

 

 そこで遼は少しだけ黙った。

 女側だと分かったからだ。

 

「ミナって言えば分かりますか」

 

 ……分かった。

 さっきの動画の女だ。

 

「何?」

 

 遼は短く聞く。

 ミナは少しだけ息を吸ってから言った。

 

「私のやつ、まだどっかに残ってますよね」

 

 その聞き方で、遼は少しだけ面倒を感じた。

 でも、その面倒の中に少し別のものもあった。

 

 この女は、誰に聞けばいいかまで辿ってきたのだ。

 

 その執念は少し珍しい。

 

「知らない」

 

 遼がそう言うと、ミナはすぐ返した。

 

「嘘ですよね」

 

 その言い方が妙に真っすぐで、遼は少しだけ笑いそうになった。

 

 裏の人間と話す時、たいていのやつは最初もっと怖がる。

 

 でも本当に追い詰められたやつは、逆にそこを飛ばすことがある。

 

「消したって言われたんですけど」

 

「でも、向こうの話し方が変わったんで」

「多分、残ってるんですよね?」

 

 遼は椅子に座り直した。

 こういう時、一番まずいのは正直に近いことを言うことだ。

 

 でも完全に切るのも、後でこじれる。

 

「残ってても、俺の判断じゃない」

 

 そう返すと、ミナは少しだけ黙った。

 

「じゃあ誰の判断なんですか?」

 

 その問いは正しかった。

 でも正しい問いほど、この辺では答えが曖昧になる。

 

「それ聞いてどうすんの?」

 

「どうもしないです」

「ただ、どこまで残ってるかだけ知りたい」

 

 遼はモニターの上のタイムコードを見た。

 00:42。

 00:57。

 01:11。

 

 さっき自分で切ったやつだった。

 

 知りたい。

 その気持ちは分かる。

 自分がどこまで見られているか、人は知りたい。

 

 でも知ったところで、多分もっと嫌になるだけだ。

 

「顔は半分」

 

 遼は少しだけ言った。

 

「声も入ってる」

 

 電話の向こうで、ミナが息を止めたのが分かった。

 

 その無音だけで、少しだけ嫌な感じがした。

 

「……消せないんですか」

 

「全部は無理」

 

「じゃあ何のための処理なんですか?」

 

 その一言に、遼は少しだけ言葉を失った。

 

 ……何のため?。

 

 今さらそこを聞かれると、自分でも答えがきれいに出てこない。

 

 面倒を小さくするため。

 でも誰の面倒かと聞かれれば、女じゃないことも多い。

 

 店。

 客。

 男。

 フロント。

 

 そのへんだ。

 

「火を大きくしないため」

 

 遼はそう言った。

 言ってから、自分でひどいと思った。

 

 火を大きくしない。

 つまり、小さく燃やす分には構わないと言っているのと同じだからだ。

 

 ミナはしばらく黙っていた。

 それから言った。

 

「じゃあ、私が燃えるのはいいんですね」

 

 遼は何も返せなかった。

 その通りだとも、違うとも言いにくかった。

 

 この仕事はそういうものだ。

 

 全部を消す力はない。

 でも全部を守る気もない。

 

 延焼だけ防いで、芯は残す。

 

 それが処理と呼ばれているだけだ。

 ミナは最後に小さく言った。

 

「分かりました」

 

 それで電話は切れた。

 

 遼はしばらく画面を見ていた。

 神崎からまた催促が来ている。

 

『まだ?』

 

 遼は戻る。

 

 切り出しデータを圧縮する。

 フォルダ名を変える。

 送信準備をする。

 手は止まらない。

 止まらないから、余計に気分が悪い。

 

 作業が早い時ほど、自分の中で何かが減っている感じがする。

 

 そこへ、別件がまた1つ落ちてきた。

 今度はホテルの防犯カメラ切り抜きだった。

 

 廊下を歩く客と女。

 時間。

 部屋番号。

 無音。

 

 それだけ。

 

 でも、それだけで十分なやつがいる。

 

 遼はファイルを開いて、また必要なところだけ抜いた。

 

 肩。

 歩き方。

 エレベーターの位置。

 

 顔はなくても構わない。

 裏で使う材料は、いつも中途半端な方が便利だ。

 全部見せると終わってしまう。

 

 半分だけ見せると、相手は勝手に残りを想像する。

 

 そこが一番効く。

 明け方近く、作業は一通り終わった。

 

 送るフォルダ。

 残すフォルダ。

 保留フォルダ。

 削除済みの見せかけフォルダ。

 

 遼のデスクトップには、それが並んでいた。

 どれも名前だけはきれいだった。

 

 cleanup。

 archive。

 temp。

 

 実態よりずっとまともな名前にするのも癖だった。

 

 遼は最後に、さっきのミナの動画をもう一度開いた。

 

 必要はなかった。

 でも開いた。

 横顔が半分だけ映る。

 

 笑っていたのか。

 困っていたのか。

 その中途半端な表情が、一番あとまで残るやつだった。

 

 神崎に送る前に、遼は一瞬だけそのファイルを消そうかと思った。

 

 本当に一瞬だけ。

 でも消さなかった。

 消さない理由は単純だった。

 

 もし後で「ない」となった時、自分の方が面倒だからだ。

 

 そういう保身で、いつも最後の一線が残る。

 だから、この仕事は消す仕事にはならない。

 

 遼は送信を押した。

 進行バーが伸びる。

 

 100%になる。

 

 それで終わりだった。

 終わりのはずだった。

 でも本当は、こういう仕事に終わりはない。

 

 データは消せる。

 投稿も落とせる。

 端末も壊せる。

 でも一度、使えるものとして切り分けた瞬間に、人の恥とか恐怖は、ただの素材に変わる。

 

 そこから先は消去じゃない。

 管理だ。

 遼はモニターを閉じた。

 

 外は少し白んでいる。

 

 池袋の朝は、夜の続きみたいな顔で始まる。

 

 コンビニの店員が交代する。

 始発の客が歩く。

 清掃の車が入る。

 

 その全部の裏で、夜のうちに選別されたものが、昼には何もなかったみたいな顔で残る。

 

 盗撮処理っていうのは、証拠を消す仕事じゃない。

 

 誰にとって残しておくと一番得かを決める仕事なのかもしれないと遼はその朝、少しだけ思った。

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