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リセット  作者: ナオ


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47話 なりすまし

 最初は、返すだけだった。


 飛んだ女の代わりに、客へ1通返す。

 未収を抱えた若い衆の代わりに、先輩へ少し時間をくれと送る。

 配信を消して消えた女の代わりに、常連へ「体調崩してます」と入れる。


 ……それだけ。


 そう言えば、やっていることは少し軽くなる。


 誰かになりすますんじゃない。

 誰かの続きを、ほんの少し代わりに打つだけ。

 瀬戸亮介は、池袋西口の雑居ビル6階で、スマホを3台並べていた。


 時刻は1時11分。


 部屋の中には机が1つ。

 椅子が2つ。

 小さい冷蔵庫。

 壁際に積まれた段ボール。

 窓は曇っていた。


 この部屋に来る人間は少ない。


 でも、この部屋から出ていく言葉は多かった。


 亮介は30歳。


 昔は求人広告の原稿を書いていた。

 風俗店。

 メンエス。

 バー。

 居酒屋。

 言い方ひとつで、汚いものも少しだけましに見える。


 そういう仕事だった。


 文面を整えるのがうまいと言われた。


 柔らかくするのも。

 言い訳をもっともらしくするのも。

 怒ってる相手を少し待たせる文に変えるのも。

 全部、同じ技術だった。

 だから今の仕事も、そこまで遠くないと思っていた。


 違うのは、署名だけだ。

 昔は店の名前で書いた。


 今は、本人の名前で書く。


 ……それだけ。


 亮介が初めてなりすましをしたのは、北口のメンエスで飛んだ女の件だった。


 客がしつこかった。

 毎日LINEが来る。

 電話も来る。

 店にも来る。


 でも本人はもう池袋にいない。


 そこで店長が言った。


「1回だけ返してくれない?」


 亮介はその時、少しだけ笑った。


「何て?」


「体調悪いとか、実家帰ったとか、そのへんで」


 そのへんで。

 それくらいなら、別に誰でも打てる気がした。


 実際、すぐ打てた。


『ごめんなさい、今ちょっと体調崩してて……落ち着いたらまた連絡します』


 たったそれだけ。


 女の名前で送り、既読がつき、客からは長文が返ってきた。


『心配してた』

『無理しないで』

『待ってる』


 その文を見た時、亮介は少しだけ妙な気分になった。


 向こうは本気で、その女が返してきたと思っている。

 でも実際は、自分が打った。

 そのズレが少し気持ち悪かった。

 でも、それ以上に便利だった。


 そこで1回流れを止められるからだ。


 客を少し待たせられる。

 怒りを薄くできる。

 その間に本人をもっと遠くへ逃がせる。


 それから仕事は増えた。

 飛んだ女の恋人役。

 失踪した若い衆の言い訳。

 配信をやめた女の体調報告。

 トラブルを起こした黒服の詫び文。


 全部、本物の本人より少しだけまともな文章にする。


 そこが肝だった。


 本物はだいたい余計なことを書く。

 感情が出る。

 嘘が雑。

 黙る方が早いのに、言い訳を増やして自滅する。

 

 亮介はそこを整える。


 削る。

 丸める。

 少し弱らせる。

 少しだけ未練を残す。


 そうすると、相手はまた待つ。


 人は完全に切られるより、少しだけ繋がってる感じの方が長く引っ張られる。


 今夜の依頼は、配信者だった。


 顔出しなし。

 でも客と揉めて消えた女。

 投げ銭をかなり入れていた男がいて、その男が今、少し危ない。

 家も会社もあるタイプらしい。


 でも、その手の男ほど面倒になると長い。


 怒鳴る。

 泣く。

 待つ。

 脅す。

 そして……全部やる。


 依頼は神崎経由だった。


『名前はユラ』

『本名違う』

『配信アカ消えた』

『客が2人うるさい』

『1人は切って、1人は待たせたい』


 亮介は送られてきたログを開いた。


 メッセージ履歴。

 投げ銭履歴。

 通話の時間帯。

 客の文面。


 こういうのを見ると、その関係がどこまで行っていたかだいたい分かる。


 1人目はもうだめだった。


 文が長い。

 怒りと被害者意識が強い。

 こういう男は切るしかない。


 もう1人は違った。


 敬語。

 少し気持ち悪いくらい丁寧。

 でも未練が強い。


 待たせるならこっちだった。


 亮介は先に切る方から考えた。

 本当に終わらせたい相手には、返さない方がいい時もある。


 でも今回は返す。

 返した方が、相手が変な希望を持たずに折れるからだ。


『急に消えてしまってごめんなさい、配信のことも、個人的なやり取りも全部ここで終わりにしたいです!これ以上連絡をもらっても返せません』


 女の文面にしては少し整いすぎている。


 でも、こういう男は、むしろその整い方にやられることがある。

 冷たく、でも感情を残さず切られる方が効くからだ。


 次に、待たせる方を書く。


 こっちは逆だ。


 完全に切ってはいけない。

 少しだけ希望を残す。

 でも会わせない。

 本人はもう戻さない。


『ごめんね……今ほんとに色々あって少しだけ時間ほしい、嫌いになったとかじゃないから、そこだけは誤解しないで』


 亮介は打ってから、少しだけ文を削った。


 多すぎると嘘っぽい。

 少なすぎると切れた感じが出る。

 こういう加減が、たまに仕事になる。


 送信。


 既読。


 返事は早かった。


『分かった』

『待つ』

『落ち着いたらでいい』


 その3つで十分だった。


 亮介は画面を見ながら、少しだけ息を吐いた。


 これで1人は切れた。

 1人はまだ繋いだ。

 本人は何もしていない。


 でも、もう関係の温度だけはこっちが握っている。

 そこがなりすましの一番気持ち悪いところだった。


 殴らない。

 脅さない。

 でも、相手の気持ちの向かう先だけを偽物で調整する。


 それで十分、人は静かに狂う。


 2時前、別件が来た。

 今度は若い衆だった。


 昨日から連絡を切っている。


 先輩が怒っている。

 でも今、本人は埼玉に逃がしている最中。


 その間だけ、本人のふりをして入れる。

 内容は短くてよかった。


『すみません、今日中には折り返します』


 それだけ。


 短いほど本人っぽい時もある。


 先輩から返る。


『今日中な』


 ここで長文はこない。


 男同士の上下は、そのへんが楽だった。

 面倒なのは、家族の方だ。


 母親。

 恋人。


 そういう相手は、文章の揺れに気づきやすい。


 亮介はそれも知っていた。

 1度だけ、飛んだ女の母親役に返したことがある。


 あれは少し面倒だった。

 母親は文の長さより、呼び方を見る。

 句読点の位置も見る。


 絵文字を使わないだけで、少し違和感を持つ。

 だから、そういう時だけは本人の過去ログを長く読む。


 「お母さん」なのか。

 「ママ」なのか。

 「ごめん」か。

 「ごめんね」か。


 人はそういう小さいところで家族をやっている。


 それを盗んで打つのは、さすがに少し嫌だった。

 でも金にはなった。

 嫌なものほど、単価がいい時がある。


 3時過ぎ、亮介は少しだけ眠くなった。

 でも机の上のスマホはまだ光っている。


 配信者。

 若い衆。

 飛んだ女。

 客。

 恋人。

 家族。


 全部、誰かの言葉の続きを、別の誰かが待っている。

 その間に入って、本人じゃない文章で縫い合わせる。


 それが今の仕事だった。


 画面の向こうで待っている人間は、本物の相手が返していると思っている。


 そこが一番まずい。


 なりすましっていうのは、嘘をつくことじゃない。

 相手の中の「まだこの人と繋がっている」を、偽物で延命することだ。

 その気持ちの延命だけで、人は仕事にも行くし、金も入れるし、待ち続ける。


 朝方、1本の着信が来た。


 非通知だった。

 出ると女の声だった。

 少し枯れている。


「瀬戸さん?」


「誰?」


「ユラです」


 亮介は少しだけ黙った。

 本物だと分かったからだ。


「何?」


「さっきの、送ったでしょ」


「どっち?」


「待たせる方」


 亮介は椅子に座り直した。


「何で分かった」


「私、あんな言い方しないから」


 その一言が、少しだけ刺さった。


 たしかにそうかもしれないと、亮介も思ったからだ。


「別に困ってないならいいじゃん」


 そう言うと、ユラは少し笑った。


 笑ったというより、息みたいだった。


「困ってるよ」


「だってさ、あれ送ったら向こう、また待つじゃん」


 亮介は返さなかった。

 その通りだったからだ。


「切るならちゃんと切ってよ」


 ユラは言った。


「待たせるの、一番だるいんだよ」


 その言葉で、亮介は少しだけ画面を見た。


 さっき送った文面。

 少しだけ希望を残したやつ。

 自分で書いたやつ。


 あれは確かに、相手を折らないための文だった。

 でも、相手を守るためじゃない。

 こっちの都合のためだった。

 本人が言うと、急にその気持ち悪さが濃くなる。


「じゃあ今から切る?」


 亮介が聞くと、ユラは少し黙ってから言った。


「……もういい」


「今さらごちゃごちゃしても面倒だし」


 その「もういい」も、この辺ではよく使われる。


 本当に良いわけじゃない。

 ただ、これ以上自分の感情を使うのが面倒になった時に出る言葉だ。


「でもさ」


 ユラが少しだけ声を落とした。


「私じゃない私で、人のこと振らないでほしい」


 それで電話は切れた。


 亮介はしばらく、机の上のスマホを見ていた。

 神崎から新しい依頼が来ている。

 また誰かの代わりに返す仕事だ。


 文面も多分、もう打てる。

 でも少しだけ手が止まる。


 本物じゃない私。

 その言い方が、思っていたよりあとに残ったからだ。

 亮介はこれまで、なりすましを技術だと思っていた。


 文章の癖を真似る。

 温度を合わせる。

 相手を繋ぐ。

 

 それだけ。


 でも本当は違うのかもしれなかった。

 もっと嫌なことをしているのかもしれない。


 誰かの人生にある「終わった」とか「切れた」とか「嫌いになった」を、本人の代わりに偽物で処理している。


 そうすると、本当に終わるべき関係まで少し腐る。

 切れるべき感情まで変な形で残る。


 そこが多分、一番まずい。

 

 外が少し明るくなってきた。

 池袋の朝は、夜の残りを少しだけ隠した顔で始まる。


 電車が動く。

 コンビニに制服の店員が入る。

 通勤の人間が歩く。


 その全部の裏で、夜のうちに送られた偽物の言葉だけが、まだ本物みたいな顔で誰かのスマホに残っている。


 亮介は次の依頼を開いた。


 カーソルが点滅している。

 名前を打つ。

 口調を寄せる。

 句読点を少し減らす。

 絵文字は使わない。


 それだけで、また別の誰かになれる。

 なりすましっていうのは、多分そういう仕事だった。


 人の人生を奪うほど大げさじゃない。


 でも、人の言葉だけを抜いて、別の場所で使い回すには十分だった。

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