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リセット  作者: ナオ


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2話 受け子

 バイト募集の文面なんて、だいたい同じだ。

 

 高収入。

 即日。

 簡単。

 未経験歓迎。

 履歴書不要。

 

 それっぽい言葉を並べて、最後にDMくださいと付けるだけで、夜には何件か引っかかる。

 

 その中でも、分かりやすいのがいる。

 

 文が短いやつ。

 句読点がないやつ。

 今すぐ金が必要なのが伝わるやつ。

 

 逆に、変に慎重なやつは飛びやすい。

 

 ビビってるやつは、土壇場でバックレる。

 

 だから1番使いやすいのは、ちょっとだけ壊れてるやつだった。

 

 佐野優斗は、東口のネットカフェの個室でスマホを見ていた。

 

 大学2年、休学中。

 

 そう言うと事情がありそうに聞こえるが実際は単位を落として親に言えなくなって、学費の督促を放置しただけだった。

 

 最初はコンビニ夜勤をやっていた。

 

 でも週4で入っても、延滞した携帯代と家賃補填で消える。

 

 それでFXをやった。

 

 ……すぐ溶けた。

 

 次にオンラインカジノをやった。

 

 ……それも溶けた。

 

 金がない人間ほど、金が増える話を信じる。

 

 それを理解した頃には、口座残高が4桁になっていた。

 

 スマホの通知欄には、未払いの文字がいくつも並んでいた。

 

 カード会社。

 携帯会社。

 家賃保証会社。

 

 親からのLINEは3日前で止まっている。

 

『生きてる?』

 

 その一文に返せないまま、優斗は別のアカウントとのDMを開いた。

 

『今日動ける?』

 

 相手のアイコンは初期設定のままだった。

 名前も記号みたいな英数字。

 

 けれど、振り込まれた金だけは本物だった。

 

 最初は受け取りだけだった。

 

 指定のロッカーから封筒を抜いて、別の場所に置く。

 

 たったそれだけで2万円。

 怖かったが、現金を握った瞬間に理屈が変わった。

 

 やばいかもしれない、から、でも助かった、に変わる。

 

 人間はそこから雑になる。

 

『動けます』

 

 送ると、すぐ既読がついた。

 

『池袋』

『北口』

『20時』

『指示出す』

 

 相変わらず短い。

 

 でも、それで十分だった。

 

 優斗は個室を出て、洗面所の鏡を見た。

 

 目の下に薄いクマ。

 髪は寝ぐせのまま。

 大学生というより、もう少し歳のいったフリーターに見える。

 

 こういう顔の方が街に埋もれる。

 

 それも、やるうちに覚えた。

 

 池袋駅に着いたのは19時半だった。

 

 人が多い。

 

 多すぎて、逆に誰も見ていない。

 

 西口へ抜ける通路の途中、電光掲示板の下で立ち止まり、優斗は次の指示を待った。

 

 スマホが震える。

 

『コンビニ前』

『黒キャップ』

『紙袋受け取り』

 

 周囲を見回すと、すぐ分かった。

 

 店の前に立っている、黒いキャップの男。

 コンビニの白い灯りの下で、煙草を吸っている。

 優斗が近づくと、その男はこっちを見もせずに言った。

 

「優斗?」

 

「はい」

 

「声ちっさ」

 

 男は笑って、紙袋を差し出した。

 

 見た感じ、ただの買い物袋だった。

 

 中身を確認しようとすると、男が軽く顎を引いた。

 

「見なくていい……つーか、見んな」

 

「はい」

 

「今日、受けだけじゃないから」

 

 そこで優斗は顔を上げた。

 

「え?」

 

「だいじょーぶ回収までやるだけ、爺さんから袋受け取って、こっち持ってくるだけのシンプル」

 

「聞いてないです」

 

「今言ってるじゃん」

 

 男の声は穏やかだった。

 怒っていない。

 

 でも、その穏やかさのまま押してくる感じが嫌だった。

 

「いや、俺、そういうのは……」

 

「そういうのって?」

 

「……詐欺とかに近いなら、ちょっと」

 

「近い、って何?」

 

 男は煙草を地面に落として踏み消した。

 

 視線だけが、少し冷たくなる。

 

「お前さ、今さら線引きしてんの?」

 

 優斗は何も言えなかった。

 

 紙袋の取っ手が、手汗で少し滑る。

 

「受けだけならセーフで、回収はアウト?それ、お前の気分の話だろ」

 

「でも、知らなかったし」

 

「じゃあ聞くけど、前の袋は何だと思ってた?」

 

 その言い方が、妙に静かで、優斗は余計に詰まった。

 

 男はスマホを見ながら続ける。

 

「今日だけ単価4」

 

「4万ですか」

 

「そう、終わったら即な!飛ばないなら、だけど」

 

 飛ばないなら。

 

 その一言で、優斗の背中が冷えた。

 

 こいつら、こっちの住所を知ってる。

 口座も、顔写真も、学生証も送ってある。

 

 身分確認だからと言われて、何も考えずに送った。

 

 今になって、あれは逃がさないための札だったと分かる。

 

「無理なら別にいいよ」

 

 男はそう言って、少しだけ肩をすくめた。

 

「その代わり、こっちも考えるから身分出してもらってるし」

 

 脅し方が雑じゃない。

 

 怒鳴らない。

 

 だから余計に逃げ場がない。

 

 優斗は喉の奥が乾くのを感じながら、聞いた。

 

「……どこで受け取るんですか」

 

「それでいい」

 

 男は笑った。

 やさしそうな顔だった。

 そういう顔の人間の方が、人を沈める。

 

 それを優斗は、最近ようやく知り始めていた。

 

 次の指示はすぐ来た。

 

『西口』

『交番前』

『年寄り』

『茶封筒』

 

 優斗は歩いた。

 人混みの中を抜けて、西口の方へ出る。

 

 風が少し冷たい。

 雨が降りそうな空だった。

 

 バスロータリーの向こう、交番の近くに、いかにもという感じの老人が立っていた。

 

 グレーのコート。

 手には古い革の鞄。

 

 周囲を気にして、何度も足元を見ている。

 

 すぐ分かった。

 

 ああ、これだと思った。

 

 これが、ニュースで言ってるやつだと。

 

 でも、気づいたところで何も変わらない。

 優斗は指定された文句を思い出しながら近づいた。

 

「すみません、○○さんから頼まれて」

 

 老人が顔を上げた。

 目が赤い。

 泣いた後みたいだった。

 

「息子は、無事なんですか」

 

 その一言で、優斗の頭が一瞬だけ真っ白になった。

 

 聞いていない。

 そういう設定だと、知らされていない。

 

 でも相手は、完全に信じている。

 

 自分が何の役をやらされているか、その瞬間に理解した。

 

「……自分、受け取るだけなんで」

 

 思わずそう言ってしまった。

 

 老人は怯えた顔で封筒を抱え直した。

 

「いや、でも、さっき電話で……今日中に渡せば、示談になるって……」

 

 優斗は目を逸らした。

 もう帰りたかった。

 4万いらないから終わりにしたかった。

 

 でも、その場でスマホが震えた。

 

『何してる』

『早く』

『カメラ見てる』

 

 息が詰まる。

 見られてる。

 どこからか。

 

 優斗は口の中が苦くなるのを感じながら、低く言った。

 

「早くしてください」

 

 自分の声じゃないみたいだった。

 

 老人の手が震えながら、茶封筒を差し出す。

 

 その封筒は思ったより軽かった。

 

 軽いのに、受け取った瞬間に腕が重くなった気がした。

 

「これで、終わりますよね」

 

 老人が聞く。

 

 優斗は答えられなかった。

 

 答えたところで、どっちにしても嘘になる。

 

 封筒を持って、すぐその場を離れた。

 

 走りたいのに走れない。

 走ったら、本当に犯罪者っぽいと思った。

 

 いや、もうそうなんだけど、と思う。

 

 コンビニの前まで戻ると、黒キャップの男はもういなかった。

 

 代わりに、ゴミ箱の横に立てかけられたビニール傘の下に、紙袋を置けという指示が来る。

 

『置いて離れろ』

 

 優斗は封筒を紙袋に入れた。

 

 手が震えて、うまく入らない。

 

 ようやく押し込んで、その場を離れる。

 

 30歩ほど歩いたところで、また通知が来た。

 

『おつ』

『振る』

 

 それだけ。

 

 数分後……本当に4万円が入った。

 

 アプリの入金通知を見て、優斗は立ち止まった。

 増えている。

 

 口座の数字が。

 あれだけ足りなかった金が、一瞬で増えている。

 なのに、全然うれしくなかった。

 

 西口のモニターでニュースが流れていた。

「高齢者を狙った特殊詐欺が増えています、不審な電話には注意してください」

 

 聞き慣れた文句だった。

 通行人は誰も見ていない。

 

 優斗も、見ないふりをして通り過ぎようとした。

 

 その時、交番の方から、さっきの老人の声が少しだけ聞こえた気がした。

 

 泣いているみたいな、掠れた声。

 気のせいかもしれなかった。

 でも、振り返れなかった。

 

 スマホがまた震える。

 

『明日も動ける?』

 

 たったそれだけの文面を、優斗はしばらく見ていた。

 

 断るなら今だと思った。

 今日で切るなら、まだ間に合うのかもしれないとも思った。

 

 けれど、口座に入った4万円が、その考えを薄くしていく。

 

 家賃に回せる。

 携帯も止まらない。

 ネカフェ代も出せる。

 4万で、今日だけは普通の顔ができる。

 

 優斗は歩きながら、コンビニのガラスに映った自分を見た。

 

 大学生にも、犯罪者にも見えない。

 ただ金のない若いやつにしか見えなかった。

 

 そういう顔が、1番使いやすいのだと、たぶん向こうも知っている。

 

 返事はまだ打たなかった。

 でも、通知を消すこともしなかった。

 

 池袋の夜は、人を急がせる。

 急がせて、考える時間だけを奪っていく。

 

 少し先の喫煙所で、また別の誰かが煙草を吸っていた。

 

 顔は見えなかった。

 

 けれど、その影は、この街でずっと同じ場所に立っている気がした。

 

 優斗はスマホを握ったまま、北口の方へ歩いていった。

 

 雨はまだ降っていない。

 

 通知だけは、いつまでも消さなかった。

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