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魔法使いの妻  作者: M38
第2章
20/25

第19話

――ガラガラガラガラッ……!


アレックスは帝都に着くまで、膝の上からわたしを下ろそうはしなかった。


「アレックス……帝都に着いたわよ。そろそろ……」

「シェリー……帝都には、小さい頃に来たきりかい? ひどく変わったろ。特に今度の皇帝になってから、華やかさが加わった。物資の流通もスムーズにいくようになり、見慣れない異国の食べ物まで持ち込まれるようになったんだよ。宮殿の屋根をごらん。去年、塗り替えられたばかりなんだよ」

「…………」


 去年レイラと来たとは、とても言えなかった。わたしは新婚初日からアレックスに嘘をついてしまった。これでは先が思いやられるわ。


「アレックス、婚姻届を役所に出さないと……」

「それは式のあと、ローレンが持っていったよ。手続きが省けると言って」

「ローレンが? 彼は役所に知り合いでもいるの?」

「……確実に届けてくれるよ。奴のことはもういいよ。ぼくたちをこの陰謀うず巻く帝都に縛り付けた張本人だ」

「陰謀?」

「シェリー……ノースウィッチが動き出した。隙をついて帝都に何人も潜入している。奴らは利口だ。一般人となんら変わらぬ姿をしている。まだ帝都で悪さはしてないが、それも時間の問題だ。地方で悪事を働きながら、とうとう帝都まで乗り込んできたんだ。油断できない……」

「恐いわ……」


 わたしはアレックスの膝に乗ったまま彼に抱きついた。アレックスはやさしく抱きしめ返してくれた。わたしの指には、アレックスから以前もらった金の指輪が輝いていた。


「シェリー……大丈夫だ。誰にも君に危害は加えさせない。シェリーは蚊帳の外にいるといい。だけどこの先、辛い出来事がシェリーを待っているかもしれない。耐えられなくなったら逃げて欲しい……。それもこれも、ノースウィッチを退治するためだ。皇帝が魔法大学で立てた計画がこれから実行されようとしている」

「皇帝が? じゃあ……大学が閉鎖した理由って……?」

「シェリー、国立魔法大学が無くなったことをどうして知ってるんだい?」

「あの……ポールから……」

「ああ、彼から聞いたのか。スペンサー夫人の事件の影響で、計画が前倒しされた。思ったよりノースウィッチの活動が過激でね……。充分な準備ができないまま、ぼくたちの活動は開始させられた。君にも迷惑をかけるかもしれない。シェリー、すまない……これ以上は沈黙の誓いを立てさせられていて、しゃべることができないんだ。破ればぼくは、罰せられる。親族と共に……君もそうなる」

「アレックス……」

 

 アレックスはブルーの瞳を悲しそうに曇らせていた。至近距離で見つめるわたしに、彼の心情が痛いほど伝わってきた。アレックスは妻のわたしにも言えないような複雑な事情を抱えているのだろう。


 アレックスは帝都の自宅が近づくにつれて無口になった。邸宅に降り立つ頃には、アレックスは結婚式のときのようにわたしにそっけなくなっていた。


 そしてそれは、いまだに続いている。大勢の人の前では大げさにわたしを連れ歩き陽気に振る舞うが、従業員たちの前では冷たい素振りをする。なのに、ひとたび2人だけの空間に落ち着くと、とたんに昔のアレックスにもどりわたしを溺愛するのだ。特に2人だけの寝室では、わたしに付きっきりで甘えてきた。


わたしはまったくアレックスを理解できないでいた。彼が精神的におかしいとしか思えなかった。


 帝都の新居は、もともとはアレックスが家族と住んでいた邸宅だ。従業員もそのときの人々が残っていた。さすが王家の従業員だけのことはある。彼らはひどく厳格で、いつもきちっとしていた。メイド長のエヴァは背の高い年配で背筋がキリリと伸びた一見、教師のような容貌の女性だ。アレックスに特に厳しく、朝帰りなどするとわたしの代わりに彼をとっちめてくれていた。





――ガラガラガラガラーッ!


「シェリー、もうすぐ邸宅だ。膝から下りて」

「アレックス……」


 長い回想から目覚めたわたしは、アレックスの膝から下りようとして少しよろけた。咄嗟にアレックスの腕が伸び、わたしの箒の柄のように細い身体を支えてくれた。元々細かったわたしは、結婚して更に痩せていた。


「シェリー、大丈夫かい?」

「ええっ……ごめんなさい」


 そっけない態度の合間にされるこのようなやさしさに、アレックスがわたしを大切に扱ってくれている様子が見てとれる。何か理由があってこのような態度を取っているのだろうと最初は思っていた。だが、度重なるアレックスの女性とのウワサに、その判断も揺らいでいった。

 新婚初日からベッドを抜け出すようなアレックスだ。しかもその浮気っぷりは日増しに大胆になり、わたしの忠告はすべて無視するようになっていた。


 見た目だって努力している。前よりはマシになったはずだ。人妻なので三つ網は当然やめにした。編み込んでうしろでお団子にまとめている。黒い服はメイド長からの指摘で茶色の地味なドレスに替えた。今日みたいな舞踏会ではきちんとドレスも着こむ。ダンスも踊れるようになったし、もちろん、伊達メガネは完全にはずしている。


 なのに今日だって、あのクレオという黒髪の美女にわたしを痩せたねずみとわたしの悪口を言っていた。以前はそこまでじゃなかった。わたしの容姿をそんな風に揶揄するなんて。


「あっ!」

「シェリー……どうかした?」

「いっ、いいえ! 早く降りましょう! メイド長が迎えに出てるわ。どうしたのかしら? いつも通りの時間なのに……」


 アレックスの問いかけを誤魔化しながらわたしは先に馬車を降りた。そうだ。わたしとしたことがどうして気付かなかったのだろう。クレオというあの黒髪の美女は、アレックスと離宮の魔法学校ではしゃいでいたパートナーとかいう女性ではないか。さっきどうして気付かなかったのだろう。彼女はあのときより仕草も目つきも色っぽくなり、女っぷりが上がっていた。わたしのこのずんどうでぺっちゃんこな身体と平凡な顔立ちとは雲泥の差だ。敵いっこない。帝都の女たちにわたしなんかが。容姿から仕草から何から何まで負けている。


「シェリーさま! 馬車から降りるときは誰かが扉を開けるまで待つようにといつも申し上げているのに……」

「エヴァ、シェリーは疲れてるんだ。それぐらい許してやってくれ。ぼくと馬車の中にいつまでも一緒に居たくなかったんだよ。クレオと一緒にいたからね」

「クレオですって! あの売女と?」

「これはこれは…… らしくないな。そんな言葉遣い?」

「ですが……あの女は有名な……」

「彼女は売春婦じゃない。有名な女優だよ。さあ、シェリー、行こう」

「……はい」


 エヴァや従業員たちの同情と好奇心あふれる眼差しの中を、アレックスと腕を組んだまま通り過ぎ寝室へ向かった。アレックスからはさっきから、強い香水の匂いが漂っていた。普通の家庭の夫人が使うものではない。女優というのは本当のことだろう。アレックスは香水が苦手なはずなのに。あの女の物なら平気なのか。


――パタンッ!


「シェリー……疲れたろう。もう、寝よう」

「アレックス……」


 部屋に戻るとアレックスはわたしをドレスのまま抱き上げ、フカフカの寝台の上に下ろした。グレーのドレスがベッドカバーの上に広がる。この瞬間だけは、孤児のわたしでもお姫さまになったような気分になれる毎晩の習慣だ。


「シェリー……君をパーティや舞踏会に連れていきたくない。ずっとここに閉じ込めておきたいよ……」

「アレックス……でも、あなたはその間に羽根を伸ばしてあちらこちらの花を愛でるのでしょう……? アレックス……あなた……? 具合でも……?」


 わたしに覆いかぶさるアレックスの顔に月光が差し込んでいた。ひどく蒼い顔をしている。瞳の色がわたしの着ているドレス同様くすんだ色をしていた。


「シェリー……ぼくには任務がある。ひどい任務だ……。君を絶対に巻き込みたくない」

「それは、なに……? ああ、そうね。あなたは沈黙の誓いを立てさせられているのよね……。ねえ、アレックス……結婚ってひどく悲しいものね。毎朝、従業員に挨拶をして邸宅を見てまわり、手紙や書類のチェックをしてからお茶会やサロンに出掛ける。そして毎夜、毎夜のパーティや晩餐会。あなたは領地で取れた作物の輸出の会談。わたしはせっせと近所づきあいや夫人会のメンバーとのお付き合いで、本を読もうにも恋愛小説ばかり進められるわ。ねえ、アレックス、あなたの本当の望みはなに?」

「ぼくの望み、それは君の幸せな未来、それだけだ。そのためにこの国は平和でなくちゃダメなんだ。ぼくたちのふるさとレイク国の平穏。それは孤児院や君の友人たちの幸せにつながる。ひいてはシェリーの……。ぼくの意思に関係なく、ぼくの魔法の能力は国の安泰に使われている。ぼくは国の奴隷だよ」

「アレックス……一緒に幸せになりたいわ」

「おおっ……シェリー……アダブカダブラ……」


 アレックスがキスするときのいつもの呪文。こどもの頃からそれは変わらない。他の女たちにも、同じ呪文を唱えているのだろうか。





「んっ……? アレックス……?」


 明け方、目が覚めた。となりに居るはずの夫がいない。こういったことはよくある。朝になるとむせるようなおしろいや香水の匂いと共に戻ってくる。アレックスの本心がわからない。彼はいったい、どういうつもりなのだろうか。


「ハアーッ……」


 まだ結婚して3ヶ月しか経っていない。なのに、何度も別れようと思っていた。人間なんて感情で生きる動物だ。野生の獣よりも始末が悪い。頭では理解しているつもりだった。アレックスは結婚前に何度もわたしに辛ければいつでも逃げ出していいと言った。そんなことがあるわけないとわたしは思っていた。でも、結婚したらそんな毎日の連続だった。アレックスを深く愛すれば愛するほど、裏切り行為は辛い。たとえそれが任務のためだとしても、耐え難いものがある。


特にここ最近の女の付けているおしろいと香水の匂いのキツイ事といったら。魔法大学のパートナーと知り、よけいに相手の女のことが憎くなってきた。あの気の強そうな目つき。女とは言えないほど敏捷な身のこなし。どれをとっても気に入らない。


――カタンッ!


 ベッドサイドのサイドテーブルの引き出しを開けた。そこには例の金の鍵が入れてある。ときどきこうして星明かりに透かして眺めている。今日もキラキラと黄金色に輝いていた。美しいゴールドを見つめていると、自然と心が落ち着いてくる。記憶はまったくないけれど、わたしが孤児院に捨てられていたときも、金の鍵はこうしてわたしに寄り添ってくれていたのだろう。アレックスとわたしの窮地を2度も救ってくれたこの鍵は、わたしにとっていったいどういう存在なのだろう。





――ギシッ!


 今日は女の匂いがしてこない。その代わり、水の匂いがした。雨が降っているんだろうか。


――スッ……。


「シェリー……」

「…………」


 アレックスは朝帰りしたときいつも、ハリネズミのように硬いわたしの髪を撫でつける。わたしは寝たフリをしたままそれを黙って甘受する。ハリネズミヘアーは1つに編んで押さえつけているけれど、こんな硬い髪を撫でてもザラザラしているだけで一向に気持ちよくないはずだ。女優のように香油の効いた良い匂いだってまったくしていないのに。





――ピピピピーッ! チチッ!


 早起きの鳥たちが囀っている。下宿に居たときみたいに早起きするとエヴァに小言を言われるので、そっと片目だけ開いた。


――ドキンッ!


 アレックスの顔が間近にあってビックリして飛び上がりそうになった。彼はブルーの瞳を見開き、至近距離からこちらを見ていた。あの集会室の講義のときのようだ。急に大学時代がなつかしくなった。あの頃に戻りたい。


「おはよう、シェリー……もう少し一緒に居ようよ」

「ええ、いいわよ。アレックス」


――ギシッ!


 わたしはいつものようにアレックスに抱きしめられていた。更に強くわたしを抱き込むアレックス。たくましい胸に顔を埋めるわたし。彼から水の匂いは消えていた。外は晴れているようだ。水の気配は気のせいだったのかもしれない。


「シェリー……君を巻き込まないと誓ったのに……。許して欲しい……ゆうべは、ぼくと一晩中居たと皆に証言してくれるかい……?」

「アレックス……」

 

 どういうことだろう。いまさら、なぜそのようなことをわたしに頼むのか。彼の胸の鼓動がドキドキと脈打っている。アレックスがこんなに緊張しているだなんて。何か非常事態に巻き込まれてしまったのだろうか。


「……あなたはいつも……わたしと一緒のベッドで寝てるじゃない。別々の寝台で寝たことがあって? わたしたちもう、ティーンエイジャーじゃないのよ?」

「おおっ……シェリー! 君は最高の奥方だ。そうだね……ぼくらはもう、こどもじゃない。夫婦だ……アダブカダブラ……」

「アレックス……」


 わたしたちは愛を確かめ合った。結婚してから何度、彼と愛を交わしたことだろう。でも、わたしは知っている。先週末、ローレンがわたしたちの邸宅を訪ねてきたのだ。


「これはこれは……シェリー、見事、大学を首席で卒業してアレックスの妻の地位を獲得したじゃないか。おめでとう。これかれも大いに帝都のために貢献してくれ!」

「ローレン! こっちへ! シェリー……少し通りに出てくる」

「アレックス……? はい……」


 アレックスはわたしに何か言おうとしていたローレンを制し、家を出ていった。そのまま通りに出て裏にまわったようだった。


「……なんだって!」

「だから……!」


 2階に上がって部屋で休んでいると、窓の下からアレックスとローレンの言い争う声が聞こえてきた。話の内容が、聞くともなく聞こえてきた。


「こうなることはわかっていたはずだ! だから何度も、魔法の使えないシェリーメイではなく、スペンサー夫人のような高位の魔女と結婚しろと提案しただろう! シェリーメイとの婚約破棄の言い訳はいくらだって出来たはずだ!」

「シェリーを捨てるなんて、そんな罪なことはできない……。ぼくがすべての危険を背負うからと言って押し切っただろう? ローレンだって承知したはずだ!」

「……あのときとは状況がちがうんだ。ノースウィッチは徐々に北から領土を広げている。最近の帝都で起きたおかしな事件の数々は、あいつらのせいだぞ。北の魔女たちは確実に魔法力を上げている。スペンサー夫人が殺されたことも、その一因となっているんだ!」

「彼女が死んだのはぼくのせいじゃない。裏門に毒が塗られていたということは、ぼくも命を狙われてたんだからな!」

「だが、君は大学を脱走した。あれですべての歯車が狂ったんだ。ノースウィッチの企みを我々が止められないことに、君にまったく責任がないわけじゃないんだからな。いいから、いますぐシェリーをどうにかするんだ!」

「だから断ると言ってるんだ! シェリーと別れるぐらいなら、この手で殺す!」


――キイッ、ガシャーンッ!


 裏門を開け閉めする激しい音が聞こえた。わたしは震えていた。

 指に輝く金の指輪の不思議な文字が、妖しく光っていた。

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