第17話
衛兵は見慣れた留置場の裏口をあとにして、となりに建つ警察署の正面へ向かっていった。いったい、どこの誰がアレックスに会いにきたというのか。期待より不安のほうが大きかった。まさか殺人事件の捜査に進展があり、アレックスは改めて警察署に抑留されたとでもいうのか。面会人が調査にきた帝都の捜査官だったらどうしよう。
このままアレックスが帝都に護送されてしまったら、もしも、そうなったら――わたしはどこまでもアレックスに付いて行くつもりだ。たとえそれが、ノースウィッチのいる北の果てであろうとも。
「アレックス・カーライルの婚約者を連れて参りました!」
衛兵は警察署の前まで行き、門番にそう告げた。イカツイ門番はわたしをギロリと一瞥すると門を少しだけ開け、顎をクイッとうしろに振った。わたしは門番に一礼し衛兵と一緒に門の中へ足を踏み入れる。警察の玄関前に警察官が立っていた。
「誰だ?」
「アレックス・カーライルの婚約者です」
「名前は?」
「シェリーメイです……」
「こっちだ。ついてこい」
「はい……」
――カツカツ……コツコツコツコツ……!
警官のあとに付いて警察署内に入っていった。たくさんの警察官が立ち働くなか彼らの間を通り過ぎ、奥にある鉄の扉の前まで連れていかれた。
――コンコンッ!
「アレックス・カーライルの婚約者が参りました!」
「どうぞ」
「はい!」
警察官が取ってに手をかけ、銀色の鉄の扉を開けた。
――カチャリッ!
驚いたことに、その扉に鍵はかかっていなかった。
中には、ストレートの長い黒髪の背の高い男がいた。スマートなスタイルを黒の高級な衣装で包んでいた。細身だが、騎士のようにしっかりとした体つきをしている。実際に立派な剣を帯同していた。警察署内で帯剣できるだなんて。やはり、彼は捜査官なのだろうか。男がこちらを振り向いた。
「おやおや、これはこれは……! なんと、お美しい! アレックス・カーライルにふさわしい魅力的な淑女だ!」
「…………!」
年の頃なら二十七、八。ハンサムだが、それだけではない。ひどく魅力的な男だった。グレーの瞳は理知的で、王族なのだろう、振り返ったその身のこなしがひどくエレガントだった。陽気で明るそうなタイプの人間だが、こちらを窺うような視線には一分の隙もなかった。高尚な雰囲気をもっている。高位の魔法使いなのかもしれない。
「ローレン! からかうなよ! シェリーに何かしたら……末代まで呪ってやる!」
「末代までだって? それまで恨みが続けばなっ! これは失礼。お嬢さん、わたしはローレン・シャドー。以後、お見知りおきを」
「ローレン・シャドー? あの……アレックス……?」
わたしは挨拶も忘れ、アレックスたちの様子に唖然としてしまった。ローレンと呼ばれた男のうしろにアレックスが立っていた。今日はどこも鎖で繋がれていないし、口も塞がれていない。彼の声を聞くのは、実に二ケ月ぶりだった。うれしさに涙がこぼれる。
「おやおや……! わたしはとんだお邪魔虫のようだね……! ミス・シェリーメイ!」
「あの……なぜ……わたしの名を……?」
「君の名は、みんなが知ってるよ。アレックスが自慢するからね!」
「ローレン!」
2人の様子から、帝都の魔法大学の知り合いのようだ。それにしてはローレンは、年もいっているし落ち着き払っている。人にものを教えてもらう立場の人間には見えない。
「シェリー……彼は学生じゃないんだ。魔法の教官の……助手だ。だから……中途半端な年齢なんだ」
「そうそう、助手なんですよ。若く見せてるんです。本当はすごーく年なんです! お嬢さん!」
ローレンのからかうような物言いでは、どこまで本当のことか予測できない。でも、彼とアレックスが親しい間柄であることだけはたしかだった。ローレンみたいに立派な人間が助手だなんて。帝都の魔法大学は相当レベルが高いのだろう。
「あの……アレックス……。鎖は……?」
「ああ、ローレンに頼んで外してもらった。肩が凝って仕方ないんでね」
「…………」
想像以上にアレックスは元気だ。何か良い進展があったのだろうか。
「アレックスは少し太って元に戻ったな。ここの待遇よかったんだろう。留置場の居心地が良いだなんて……それはそれで問題だな。レイク国の行政の見直しを……おや? 君は……魔法の香りがするな?」
ドキリとした。金の鍵は床板に隠したままだ。そのことがローレンにわかってしまったのだろうか。ローレンの長い右腕が、わたしに向かって伸びる。
「ローレン! やめろ! シェリーにかまうな!」
「あっ!」
――パシッ!
「ああ……やっぱり! 魔法の匂いがする!」
「あの……それは……」
ローレンがわたしから丸メガネを取り上げた。光に透かしたり、匂いを嗅いでみたりと何度も確かめている。
「君は魔法の使い手じゃないよな? なのにどうして……このメガネから魔法の匂いがするんだ? それも……ノースウィッチのものだ!」
「ローレン、報告書を読んだろ? レイク国の魔法大学で起きた集会室の事件だよ。シェリーのメガネは、そのとき無くなった物だ。のちに……魔法協会の捜査官の懐から発見された……。シェリー、メガネはずっと掛けていなかったのに……どうしてまた……?」
「あの……アレックス……だって! あなた前に、掛けたほうがいいって言ったじゃない!」
「お嬢さん、このメガネはダテですか?」
「はっ……はい! そうですが……?」
「ほうーっ! あなたのような美しい人が、伊達メガネをかけなくちゃならない理由……それは……?」
「ローレン! やめろって言ってんだろ? シェリーに話しかけるな! 見るのもダメだ!」
「これはこれは……大した執着ぶりだ。これでは……シェリーメイ殿もたいへんだな」
メガネを返しながらおどけるローレンの口調はふざけているが、眼は真剣だ。本気でわたしを美女と勘違いしている。目がそうとう悪いか、審美眼がおかしいかのどちらかだろう。魔法使いのエリートたちは、美的センスが狂っているらしい。
「王立大学の集会室の事件といえば、今回のスペンサー公爵夫人の殺人と連動しているな」
「……ローレン。ぼくは何も聴かされていないんだ。夫人が殺されたということしか。集会室の事件と、どう関係してるんだ? 夫人は魔法で殺されたんじゃないのか?」
「ちがうよ。第一、魔法でスペンサー夫人に敵うと思うかい? 使われたのは毒だ。しかも、アレックスの婚約者殿の大学構内の泉の水が使われていた」
「なんですって……! あの泉の水ということは……プランクトンが……?」
「そうだ。スペンサー夫人の遺体から、特殊なプランクトンが発見された。使われた毒は、それで培養されていた」
「ローレン! シェリーの大学じゃない。ぼくの在籍していた大学の泉だ!」
「どっちだっていいさ。スペンサー夫人は君と懇意にしていた。対外的にはね。帝都中の人間がそれを知っている。しかも、君は深夜にこっそり訪ねていた。アレックス・カーライルが勾留される原因は、余るほどある! わたしだって、最初は君を疑ってたんだぞ。君は我々のもとから脱走した。わたしたちの信頼を裏切った。愛だなんだと言ってる場合じゃない。国の存亡が掛ってるんだ」
「帝都中の人間がスペンサー夫人とぼくをウワサしてるのか? なんで?」
「まったく君は……鈍感だな。人の目はどこにだってあるんだ。君への殺人の容疑はこうだ。アレックス・カーライルは愛人と婚約者の板挟みになり、浮気相手の公爵夫人を毒殺して帝都から逃げだした。どうだ? ピッタリと辻褄が合うじゃないか」
「ぼくは殺してない。やってない罪は認めようがない。嘘の自白なんか絶対しない」
親しかった夫人が毒殺されたというのに、アレックスはずいぶん冷静だった。なんでだろう。彼らしくない。
それにしても――スペンサー夫人がレイク国の大学の水を使った毒で殺されていたとは。わたしたちは事件の全容を何も聞かされていなかった。マッキントッシュ教授もだ。ウワサでも聞こえてこなかった。こんな事実があったとは。
「殺人の証拠がない。警察はアレックスを自白に追い込もうとしている。でもアレックス、犯人じゃないっていう証拠もないんだぜ?」
「ローレン……あんたがひとこと言ってくれれば、どうにかなるだろ?」
「……これは懲罰の一貫だ。大学を脱走したことへの罪だ」
「だからって……二ケ月も留置場へ入れるか、普通?」
「君が強情だからいけない。スペンサー夫人との姦淫の罪だけでも認めるんだ!」
「そんなことできるか! 絶対にしない!」
「なんのために、わたしがわざわざレイク国の留置場まで来たと思う?」
「なんでだよ?」
「君の代わりに、司法取引の提案に来たんだよ。君をここから出してあげよう。心やさしい婚約者殿のためにもな」
「シェリーを巻き込むな! 彼女に迷惑が掛るなら、ぼくは一生、留置場に居座るぞ!」
「アレックス……」
「これはこれは……2人の愛はウワサ通りだ! シェリーメイ……君の献身的な愛が、返ってアレックスのスペンサー夫人殺しの嫌疑を濃くしてしまっているってことを、ご存じかな?」
「ローレン!」
「それはあの……どういう……?」
「アレックスとスペンサー夫人のウワサは知っているでしょう?」
「はい。あの……」
「なんだって! シェリーまで知っているのか? いつから? もしや……二ケ月前から……?」
「アレックス……大抵の人間はウワサ好きだよ。人の口に戸は立てられない」
「では……アレックスがわたしの盲目的な愛に応えるために夫人を……というのが警察の見解ですか?」
「これはまた賢い! さすが魔法学校の首席ですな。いえね。アレックスがあんまり自慢するから、耳にタコが……あなたには初めて会った気がしないな! あなたのプロフィールをすっかり把握してしまっている!」
「ローレン! シェリーに興味を示すんじゃない! あんたのまわりに女はいっぱい、いるだろ? それよりも、毒はどうやって?」
「裏門に塗ってあったんだ。いつ塗られたかわからないそうだ。スペンサー家の裏門は、普段はまったく使われていなかったそうだ。スペンサー夫人が管理していた」
「裏門……ぼくはそこから出入りしていたぞ」
「アレックス、スペンサー家を最後に訪れたのはいつだ?」
アレックスの答えた日付は、わたしがレイラと帝都を訪れた日だった。まずい。これではわたしたちも共犯に思われる可能性がある。
「スペンサー夫人が殺されたのは、アレックスが大学から逃げだした日の晩だ。アレックス、その日スペンサー夫人と約束してなかったか?」
「あっ……!」
アレックスの顔が真っ青になった。アレックスにとって不利な条件が揃い過ぎていた。
「その夜、おまえが訪ねてこなかったから、スペンサー夫人自ら裏門を見に行ったんだろう。そこで毒に……。夫人は裏門の外で倒れているところを従業員に発見された。すでに亡くなっていたそうだ。猛毒だった。1度塗れば何週間も持続性があるそうだ。それにしても……あの強固な離宮から、おまえはどうやって脱出できたんだ? 不可能なはずだ……」
「そっ、そんなことはどうだっていいだろ! それよりも……裏門に毒が塗られていたということは、犯人の目的はぼくではなかったのか?」
「それはどうかな? 君を殺すメリットが何かあるのか? アレックスはとにかく司法取引をしろ。夫人との姦淫の自白だ。それの見返りに釈放してもらう。それに対するこちら側の条件は、アレックスが婚約者のシェリーメイ殿と結婚することだ。来年の春にだ。そこから、我々の計画が発動する」
「なんだって! シェリーを巻き込むなと言ったろ! だったら断る!」
「……だってさ、婚約者殿? あなたはアレックスと結婚したいでしょ?」
「あっ……あの……それは……!」
思いがけない問いかけにしどろもどろになる。どういう理由かわからないが、アレックスは結婚に乗り気ではないらしい。仏頂面でローレンをにらみつけている。何か事情があるのかもしれない。
「あっ……あの! わたしはまだ卒業が……!」
「君はとても優秀なんだろう? 来年の春までになんとかしたまえ! 大学に掛け合うんだ。そうそう、君の保証人になっている教授がいたろう? バーナビー教授と連絡を取り合っている……」
「バーナビー教授! お元気なんですか?」
「元気だよ。アレックスにもさっき近況を伝えた。だが、彼も大学に軟禁状態だ。アレックスの返答次第では、今後どうなるか……」
「ローレン! バーナビー教授を引き合いに出すのは卑怯だぞ!」
「君は魔法大学1、優秀な生徒だ。君を大学に引っ張り戻すためならなんでもするよ。どうする? スペンサー夫人との仲を認め、婚約者殿への償いのために来年の春に婚姻を結び帝都に新居を構える。すぐにでも結婚したいアレックスとシェリーメイは猛勉強して、人より早く卒業する。結婚式までにだ。ああっ、カーライル公爵家は復活させるから、生活の心配はないよ」
「結婚式だって? もう……筋書きは決まっているのか?」
「アレックス……言いたくないが、君のご両親や親戚も困ってるんだぞ……」
「親族まで、脅迫材料に……汚ねえぞ!」
「口が悪いな……。アレックス、それと……クレオも困ってるぞ。早くもどってフォローしてやれ。パートナーだろ?」
「…………!」
パートナーですって。あの女学生のことだわ。
「クレオが、そうか……。ぼくが動かないと……皆が困るんですか?」
「そうだ。愛し合う恋人同士の繋がりはたいへん麗しいものだが、事態は深刻だ。ぜひとも君の優秀な才能が欲しい。時間をかけて計画してきた。ここでおじゃんにするわけにはいかないんだ」
「では、どうしても……?」
「アレックス・カーライルがいないと困る」
「だったら……ローレン、条件がある! シェリー……すまない。協力してもらえるかい? 君には絶対に危害が及ばないようにするから!」
「アレックス……?」
アレックスがわたしを見た。ブルーの瞳に強い意志が感じられた。わたしは自然にコクリと頷いていた。彼の意思を尊重したい。何があろうと、わたしはいつまでもアレックスと一緒だ。
「アレックス、条件とはなんだ?」
「シェリーに絶対にかまうな! 計画にシェリーを巻き込まないこと。約束してくれ。それと、シェリーのために孤児院をつくってくれ。彼女の長年の夢だ」
「アレックス! それは自分で……!」
「いいや、シェリー。このさき、何があるかわからない。実体のある物を先につくっておこう。ぼくに何かあったとき、孤児院だけは残る。ただしローレン、こちらの要求どおりの内容にしてくださいね」
「……わかった。従業員も建物の場所も、君らで決めろ。シェリーメイにも迷惑をかけないと約束しよう。では、決まりだな! 未来の夫婦のために、1分だけ時間をやろう。馬車で待っているぞ!」
――キイ……ッ。
「そうだ、お嬢さん!」
扉を開け出ていこうとしていたローレンが、急に動きを止めてこちらを振り返った。グレーの瞳に丸メガネのわたしが映っている。
「ローレン……シェリーにまだ何か?」
「お嬢さんはやはり、魔法の匂いがするな……。ノースウィッチに心当たりは?」
「わたしが……ですか?」
「ローレン! シェリーにかまうな! 今、約束したばかりだろ!」
「個人的にミス・シェリーに興味が湧いただけだ。実に……魅力的な女性だからな」
「ローレン! さっさと行って、ぼくの釈放の手続きをしろよ!」
「おーっ! コワッ! わたしにそんな口が聞けるのは天才アレックス、君だけだな! ハハハハッ……!」
ローレンはその魅惑的な瞳でわたしを一瞥すると、扉を開けて出ていった。ひどくミステリアスな男性だ。常に不思議な雰囲気をまとっていた。彼は本当にただの魔法助手なのだろうか。帝都の魔法大学には、謎が多すぎる。
――コツッ……。
「シェリー……すまない。びっくりしたよね……」
「アレックス……!」
「シェリー……」
「…………」
言葉が出てこない。わたしとアレックスは久しぶりの抱擁をした。彼の腕の中はとてもあたたかかった。どんなにこの胸が恋しかったことか。
「泣かないで……ぼくらは来年、結婚するんだよ……」
「アレックス……でも……あなたはそれと引き換えに、何かをさせられるのよね……?」
「シェリー……ぼくたちはこの先、どうなってしまうんだろう……」
「アレックス……」
聞きたいことがたくさんあった。言いたいことも。でも、どれも口にすることができなかった。アレックスは勾留されたときそのままに黒いズボンに白シャツを身につけていた。その白いシャツに顔を埋め、ただひたすら泣いた。
「シェリー……ぼくの強い恋心が、結果として君を窮地に立たせてしまった。屋根裏部屋から君と夜空を見上げるべきじゃなかった。夢は夢として、心の底に置いておけばよかったんだ……。君にこのさき、きっと辛い想いをさせてしまう。もしもぼくの身に何かあったら、君は君の道を行け。ぼくのことはいつでも見限っていい」
「アレックス……そんなこと言わないで……! わたしはいつでも、あなたの味方よ! 一生、そばにいるわ!」
「だけどシェリー……ぼくは魔法使いだ。たぶん、これから帝都に戻り、たくさんの誓いを立てさせられる……。シェリー、ごめんよ。先に謝っておく。耐えられなくなったら、ぼくを置いて立ち去ってくれ。君の幸せだけが、ぼくの望みだ。たとえこのさき、どんな過酷な運命が待っていたとしても……」
「アレックス! そんな悲しいことを言わないで! あなたは生きてる! こうして元気に! それだけでわたしは幸せよ……」
「君は……自分の幸せを追求してくれ。ああ……シェリー……アダブカダブラ……」
「アレックス……」
わたしたちは別れのキスをした。すぐに衛兵がアレックスを連行していった。
「アレックス……どうか無事でいて……!」
アレックスは目隠しをしたまま警察の馬車に乗せられ、レイク国を出ていった。わたしはそれを警察の門の前から見送った。涙があふれて止まらなかった。
果たして無事にアレックスと再会できるのだろうか。こどもの頃からの夢だったアレックスとの結婚が決まった。孤児院復活もだ。なのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。
馬車が見えなくなってもいつまでも警察署の前に立っていた。知らせを聞いて駆け付けたマッキントッシュ教授に連れられ、家路に就いた。




