第16話
「あの……ウワサで……」
「ウワサ? どんなウワサ? レイク国でスペンサー夫人のことが、ウワサになっていたのかい……?」
――カチャッ!
「時間だ。容疑者から離れて!」
とつぜん現れた衛兵が、わたしをアレックスから引き剥がした。
「アレックス!」
「シェリー! 金の鍵は……指輪と同じ場所にある! 君にいったん、返すよ! 愛してる! ぼくを信じて……シェリー、君だけだ!」
アレックスが必死で叫んだ。瞳は碧く澄んでいる。彼が嘘をついているようにはとても見えなかった。
「やめて! アレックスを放して! 彼は殺人犯なんかじゃない! いやーっ!」
ジタバタと、わたしは激しく衛兵に抵抗した。
「逆らうなら、おまえも拘束するぞ!」
「衛兵! やめろ! 彼女はまだ学生なんだぞ! その手を放せ! シェリー……彼らも仕事なんだ。規則には従うべきだ」
「マッキントッシュ教授……でも……アレックスがっ!」
「シェリー! 大丈夫だ。待っていてくれ。ぼくは潔白だ。必ず、君の元へ帰る!」
「アレックス……」
わたしは腕を下ろし、抗うのはやめにした。
――キイーッ……。
やれやれという様子で衛兵がドアを開けた。
「明日から面会が許されるはずだ。それまでおとなしく家にいるんだぞ」
「シェリー……今日のところはおとなしく帰ろう」
「マッキントッシュ教授……。アレックス……体に気をつけて! 神に祈るわ。あなたへの嫌疑がすぐに晴れますようにって!」
「シェリー、アイラブユー……」
「わたしもよ……アレックス……」
――パタンッ!
衛兵が扉を閉じた。アレックスの姿が見えなくなった。
わたしはマッキントッシュ教授に馬車で下宿へ送ってもらった。
下宿に着くと、すぐにクララにお礼を言い、夕食の準備に取りかかった。今のわたしにできる事は、アレックスの潔白が証明され、彼が元の生活に戻れるように神に祈ることだけだ。そして、彼がいつでもここへ帰ってこられるように、生活の地盤をきちんと築いておくことだ。ただそれだけを想い、下宿の仕事に専念した。
夜になり、屋根裏部屋で勉強をしていた。
「そうだ! 金の鍵……!」
――ダダッ! パカッ!
突然、金の鍵のことを思い出した。部屋の中央へ走っていき床板を剝した。それは簡単に、はずれた。
――キラリッ!
「あった……!」
アレックスはよほど急いでいたのだろう。金の鍵は床板の下の空間に剥き出しのまま無造作に置かれていた。取り上げて手の上に載せてみる。久し振りに見たそれは、黄金のようにキラキラと輝いていた。
「不思議だわ……。元からこんなに光っていたかしら? それにしても……どうしてこの鍵は、わたしと一緒に捨てられていたのかしら。あら……?」
窓から月光が差し込んできた。鍵はムーンライトを受け、よりいっそう美しくキラキラと眩しく輝いた。その光を見ていたら、だんだんと心が落ち着いてきた。アレックスは大丈夫だ。そんな気がした。
翌日からわたしの留置場通いがはじまった。最初はコソコソと向かっていたが、いまでは堂々とアレックスの元へ日参している。なぜなら、アレックスがスペンサー公爵夫人殺害の容疑で勾留されていることが、レイク国中の人間に知れ渡ってしまったからだ。
アレックスに関する様々なウワサが、帝都から波のように押し寄せてきていた。もう、わたしの手に負えるものではない。目を瞑り耳を閉ざし、黙ってその波に乗ることにした。
意外なことに、わたしのその後の生活を助けてくれたのはマッキントッシュ教授だった。彼は銀行という大きな就職先を無くし途方に暮れていたわたしに、救いの手を差し伸べた。わたしをマッキントッシュ教授の助手として雇ってくれたのだ。
実はマッキントッシュ教授も元はわたしと同じように、孤児で苦学生だった。てっきり、彼は成金貴族の出身だと思っていたわたしは、意外な事実に教授に対する見方を改めた。わたしを見ていると当時の自分のことのように思えて、放っておけなかったそうだ。わたしは改めてマッキントッシュ教授に感謝の意を述べた。彼はいつも厳しかったが、それは愛情に裏打ちされたものだったのだ。
――トントン!
――カチャッ。
「毎日、熱心だな。入れ。アレックス・カーライル! 婚約者殿がきたぞ!」
留置場の裏口から衛兵に中へ入れてもらうと、目の前の狭い通路を抜け、突き当りの鉄格子の嵌った部屋の前まで歩いていく。これがいつものパターンだ。
――チャリッ……。
両手両足を鎖に繋がれたアレックスが、衛兵に連れられてやってきた。口は布で覆われている。わたしたちは言葉を交わしてはいけないからだ。
わたしとアレックスは、じっと黙ったままお互いの目を見つめ合う。それだけでよかった。それだけでわたしは満足だった。アレックスはここにいる。わたしの目の前に。わたしと同じ国で同じ季節の空気を吸っている。ただそれだけで満たされていた。
目を見合わせているだけで、アレックスの気持ちがわたしの胸の中へ流れ込んでくる。そこには愛があふれていた。言葉がない分、その誠実さがヒシヒシと伝わってきた。わたしはアレックスに愛されている。
わたしも心で、愛を返す。今は目に見える形でアレックスに何もしてやることができない。差し入れをすることも、愛の言葉を口にすることすらできない。なのに、彼のために生きている実感が十分にあった。アレックスとわたしは、たった5分の面会のために、この世に存在しているのだ。
わたしの中の歪んだ欲望が満たされていく。アレックスのそばに今、他の女は誰もいない。わたしとアレックスの2人だけの世界だ。今のわたしたちの間に、他人が入りこむ隙間などまったくない。究極の完璧な恋人同士として、アレックスはわたしの目の前にこうして立ち現れた。
アレックスの窮状を目の当たりにして、自分のこと以上に苦しみ悩むわたしがいる。それと相反するように、自分だけの愛人としてそこに佇むアレックスに、わたしは安心と満足感を得ていた。
――トントン!
――カチャッ。
「アレックス・カーライルの婚約者だな。今日は別の面会人が来たため、彼は警察署に移送された。こっちだ」
「面会人……ですって? アレックスに……?」
アレックスが勾留されてから二ケ月近い日にちが経過していた。町のウワサ話もなんのその、5分間だけの面会のために、わたしはまいにち留置所に通い続けていた。
アレックスのブルーの目は、いまも輝きを失ってはいない。わたしへの愛も、瞳の奥にしっかりと結ばれていた。
このままの状態がしばらく続くのだろうと腹をくくっていたわたしは、、衛兵の言葉に衝撃を受けた。
アレックスにわたし以外の面会人がきた。初めてのことだった。マッキントッシュ教授でさえ面会は許されていない。ルイやレイラのような友人はもっと会えないはずだ。だとしたら、アレックスのご両親だろうか。もしくは親戚。もしかしたらバーナビー教授かしら。まさかあの黒髪の美女なんてことはないと思うけど。
ドキドキと不安に高鳴る心臓を押さえながら、衛兵のあとを付いていった。




