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魔法使いの妻  作者: M38
第1章
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第14話

「シェリー……シェリー! しっかり……!」

「んっ……えっ? アレックス……これは……夢?」

「夢じゃないよ、シェリー! よかった……!」

「えっ……ほんもの? アレックス!」


 見慣れぬ白い天井が見えた。わたしは横たわったまま、アレックスに抱きしめられていた。彼の眼尻から涙がこぼれている。どうしたのだろう。

 もしかしたら――いままで見ていたのはわたしの夢か妄想で、相変わらずアレックスはわたしを愛していて、いつまでも一緒にいてくれるのだろうか。帝都なんかに行かないで、魔法学校へも転校せずに、他の女性になんか目もくれないで。


「ああっ……よく気がついてくれたね……。君は3日3晩、うなされていたんだよ……」

「3日3晩……? わたし……帝都から帰る馬車の中で倒れたの?」

「帝都? 馬車? ちがうよ。君は下宿のエントランスでモップがけしたまま倒れていて、クララが発見して病院に運ばれたんだ。ぼくはマッキントッシュ教授からバーナビー教授を経由して連絡を受け、大学を抜け出してやってきたんだ。よかった……ただの疲労らしいが……」

「ええっ! モップがけ……? だってわたし、帝都から戻ったばかりなのに……!」

「シェリー……記憶が混乱しているんだね。ぼくがついているから安心して。帝都から馬を飛ばしてやってきたんだ」

「帝都……魔法大学……じゃあ、いままでのことはぜんぶ現実なのね……。そう……ショックだわ……」

「ショック? どうしたんだ、シェリー……! 倒れるほどショックなことが、何かあったのかい?」

「アレックス……わたしはもう平気よ。大学を抜け出してきた? たいへんじゃない! 罪になるわ! 早く帝都に帰ったほうがいいわ。待ってる人もいるんでしょうし……」

「待ってる人……? 皇帝たちのことかい? たしかに彼らは怒っているだろうな……。勝手に帝都を出てきてしまったんだから。普通だったら重罪だ。でも、今回は仕方ないよ。婚約者の一大事だからね」


 アレックスがブルーの目を輝かせて明るく笑った。彼はなんだって、こんなに楽しそうなんだろう。


「アレックス……どうしてなの?」

「シェリー? どうしたんだい? 1年ぶりに会えたんだ。うれしくないの?」

「アレックス……言いたくないなら、いいわ。わたしも、口にしたら悲しくなるから……。これからも、ひとりで十分たくましく生きていけるわ。いままでもそうだったし、これからも……。そのためにも、早く卒業しなくちゃ! アレックス、どいてちょうだい。下宿にもどって卒業試験の勉強をしないと!」


 わたしはアレックスを押しのけて起き上がった。これからは1人で生きていくつもりだから、まずは大学を卒業しなくちゃいけない。就職も、下宿の近くの銀行にほぼ決まっている。ただし、主席のまま卒業するのが条件だ。その点は大丈夫だろう。


「シェリー! あの……!」

「なに? アレックス……どうかしたの?」


 アレックスが蒼白になってわたしを見つめている。久し振りに間近で見たアレックスは、よく見ると前よりもっと痩せていた。


「…………!」

「シェリー?」


 わたしはアレックスのこけた頬に手を伸ばしかけ、やめた。彼には他に女がいる。それも、とびきり上等の美しい女たちが。わたしなんかの出る幕じゃない。


――ギシッ! グラリッ!


「あっ……!」

「シェリー!」


 起き上がろうとして立ちくらみがした。こんなこと、初めてだ。


「シェリー……! ちゃんと横になっていないとだめだよ!」

「でも……試験が……!」


 アレックスが真剣な目をして、わたしの両肩を押さえた。彼の瞳はいまも変わらず、澄んだブルーをしていた。彼と別れて1年も経っていないのに、とてもなつかしい気がした。


「シェリー……ショックを受けないでくれよ……。実は……君が倒れている間に……卒業試験が終わってしまったんだよ」

「なんですって! うそよ! だって……帝都から帰ってきたばかりなのよ! 試験はまだ1週間も先よ!」

「シェリー……」

「放して! いますぐ試験を受けに行くんだから! だって! 試験を受けないと卒業できないのよ! 就職が……銀行で働いて……!」

「シェリー!」


 わたしは無茶苦茶に暴れた。アレックスが必死でわたしを抱きとめる。

 長年の夢だった。大学を卒業して銀行に勤める。そして孤児院を建てる。その第1歩でわたしは、早くもつまづいてしまったというのか。


 恋に溺れたばっかりに。多くの困っているこどもたちを救うチャンスを逸してしまった。シスターに、仲間たちに、なんと言い訳したらいいのか。

 これは罪か。自分の幸せばかり追求して、苦しんでいる仲間たちを救わなかったわたしの。ああ、そうだ。そうにちがいない。必死に前だけ見つめて生き、恋愛に溺れ苦しみ、昔の仲間を顧みなかったわたし。神はわたしのその罪を裁かれた。これは当然の結果だ。自分だけ幸せになろうとしたわたしを待っていた結末。


「アレックス……わたし……自分だけ幸せになろうとしたから……だから……」

「シェリー……君はよくやった。孤児院を建てるのが、1年遅れるだけだ。ぼくも協力する」

「でも……シスターが……仲間たちが……苦しんでいるこどもたちが……!」

「おおっ……! シェリー! 君はなんて……美しい心の持ち主なんだ。君は彼らと、手紙で連絡を取り合っているじゃないか。みんな、なんとか生活できている。新しい皇帝になり法律が変わったから、従業員を棒で打つ雇い主は、この国のどこにもいないよ。孤児院も少しずつ復活している。君ひとりが、責任を負ってはいけないよ」

「アレックス……」


 アレックスがわたしをしっかりと強く抱きしめてくれた。温かなぬくもりに包まれ、わたしの目から涙がこぼれ落ちる。わたしはすっかり泣き虫になってしまった。このたくましい腕がないと、このさき生きてはいかれないだろう。

 卒業試験が受けられなかったことは、どうか夢であってほしい。とっても悪い夢であってほしかった。


「シェリー……頭が混乱してるんだね。ぼくはここにいるよ。君のそばに、これからもずっといる……」

「アレックス……」


 アレックスがもう1度、シッカリとわたしを抱きしめなおした。

彼はここに居る。わたしの目の前に。心から愛する人。婚約者のアレックス。彼はここにいる。


「わたし……1週間も気を失っていたの?」

「いいや……。君が倒れたのは先おとといだ。卒業試験の前の日だよ」

「えっ? そうなの……? でも……おかしいわ。わたしが帝都からレイラと帰ってきたのは先週のはずよ……」

「帝都だって……? シェリーは卒業試験の前に帝都に行ったのかい? なんで? もしかして……ぼくに会うために?」


 数々の悲しい出来事が思い出された。卒業試験が受けられなくて傷心のわたしには、アレックスの不貞を問いただせるほどの勇気はなかった。帝都に行ったことは、アレックスには黙っていることにした。


「アレックス……わたしの勘違いだわ。1週間近く記憶が飛んでいるのね……。あの……レイラは?」

「レイラ? さあ……ここには、マッキントッシュ教授しか来なかったよ。ぼくは帰ってきたことを、誰にも連絡してないからね。ルイにもだ。帝都の大学に見つかったらたいへんだから。3日3晩、君に付きっきりだったもんだから……」

「そうだったの……アレックス、どうもありがとう。卒業試験が終わったってことは……今は夏休みね。ルイもレイラも、実家に帰っているのかも……」

「シェリー、お腹が空いたろ? スープをお飲みよ。下宿は大丈夫。食事の用意は、クララが代わりにやってくれてる。掃除はぼくがするから心配しないで」

「アレックス……助かるわ。ほんとうにどうも……」

「……シェリー? どうかした?」

「いっ……いいえ……」


 アレックスの首からネックレスが消えていた。

 やはり――やはりアレックスは。

 夏だというのに、わたしの心に風が吹いた。冷たいすきま風が。





 アレックスはその後もわたしを甲斐甲斐しく介抱してくれた。その日の夜もずっと手を握りながらわたしの顔を覗き込んでいた。改めてそんな風にされると、とても恥ずかしくなる。最後に別れた月夜の晩が思い出される。あの、熱い夜が。アレックスも照れているのか、わたしに対する態度がなんとなくたどたどしかった。


 久し振りに会ったせいなのか。それとも、お互いに想うところがあるからだろうか。わたしたちは付き合い立ての恋人同士のように初々しくお互いに接した。

 その夜も満月だった。





「アレックス……遅いわ。どうしたのかしら?」


 翌日、元気を取り戻したわたしは、退院の準備をして病院のベッドの上でアレックスを待っていた。彼はいったん下宿に戻り、仕事をしてから迎えにくる予定だった。だが、約束の時間になってもアレックスは現れなかった。


「どうしよう……馬車で先に帰ったほうがいいのかしら。だけど、病院代を払わないと……。いずれにしても、アレックスが来ないことには……」


――カッカッカッカッ! バーンッ!


「あっ、アレックス! 遅いから心配して……! えっ……?」


 病室に入ってきたのはアレックスではなく、マッキントッシュ教授だった。蒼い顔をして、ひどく慌てていた。いそいでやってきたとみえ、汗びっしょりだった。


「たいへんだ、シェリーメイ! アレックスが……!」

「アレックスが……? どうかしたんですか!」

「逮捕された! 殺人容疑で……!」

「殺人……!」


 息ができない。

 視界がグルグルと回りはじめた。

 わたしは再び高みから、奈落の底へと突き落とされた。

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