第12話
神というのはひどく残酷で、わたしたちにさまざまな試練を与える。そこから自力で這い出せと、彼は教える。それができない者には、死か絶望が待っている。人間の一生とは、あまりに過酷で耐え難いものだ。
それを越えなくては、大人になり長い人生を生き抜いていけないとでもいうのだろうか。わたしは十分、耐え抜いてきた。これ以上の犠牲に、なんの意味があるのか。
アレックスと別れて1年近い月日が経っていた。その間、彼との連絡はいっさい取れずにいた。でも、まったく不安はなかった。アレックスから音信不通になることは宣言されていたし、わたしは彼を信じていた。
わたしたちは婚約した。金の指輪もある。アレックスから、皆にそのことを吹聴するように言われていた。わたしはアレックスになんの疑いも持っていなかった。
卒業試験が来週に迫った初夏のある日。
「いま……なんていったの? ギャツビー?」
「だからさ! アレックスは帝都でよろしくやってるぜって、あんたに教えてやってるんだ」
――ツカツカツカツカッ……!
「ちょっと、ギャツビー! シェリーにいい加減なこと言わないでよ!」
「レイラ……! ほんとうのことだって! 魔法学部のダチから聞いたんだ。魔法使いの間じゃ、公然の秘密だってよ!」
それだけ言うとギャツビーはそそくさと逃げていった。あいかわらず、嫌味な男だ。でも、自分が意地ワルだということをレイラにだけは知られたくないらしい。彼は実家から逆玉の輿の縁談がきて、レイラと別れて大金持ちの女と婚約した。実家に多額の借金ができてしまい、その女と結婚せざるを得ない状況らしい。レイラはあっさりとギャツビーと別れた。ギャツビーはときどき実験室を訪れては、レイラの世話を焼いていた。
今日はレイラがいなくなった隙にわざわざやってきて、わたしにアレックスの話をふってきた。わたしがアレックスの婚約者だと知っていてわざとだ。
「シェリー、気にしないほうがいいわよ。みんな、あなたに嫉妬してるだけだから」
「でも……ギャツビーの言い方は、かなり確信的だったわ。どういうことかしら? アレックスは、バーナビー教授と帝都を離れているはずなのに……」
「えっ? アレックスは帝都の魔法学校に居るんじゃないの?」
「レイラ……ごめんなさい。これ以上はアレックスに口止めされているの。アレックスは今、帝都に戻っているのかしら……?」
「……気になるなら、ルイに聞いてみたら? 彼は魔法学部のいまやトップよ。ルイが知らないなら、気にすることないわよ」
「そうね……」
ルイはアレックスがいなくなってからメキメキと魔法の腕を上げた。成人してから魔法力が伸びる人間がいることは、魔法使いの世界では珍しくないらしい。
昼になり、食堂へルイを探しに行った。
「ルイー!」
「レイラ! シェリー!」
ルイに会うのは久しぶりだ。彼のとなりにはかわいい女の子が座っていた。ルイの彼女で1学年下のキャロルという金髪碧眼の女の子だ。雰囲気がレイラに似ていた。
「ルイ、わたしは午後の講義の準備があるから先に行くわね」
「キャロル、あとで教室を覗きに行くよ!」
2人の仲は順調なようだ。
「ルイ! 単刀直入に聞くわね。アレックスが帝都に戻ってるってホントなの?」
「レイラ……誰から聞いたんだ? シェリー……昼メシは食ったのか? まだなら何か注文してから……」
「食事してる場合じゃないわよ、ルイ! 包み隠さず話してちょうだい!」
「レイラ……だったら……。夕方、実験室で話すよ。ここは人目が多すぎる……」
「……わかったわ。シェリー、それでいい?」
「ええ……」
周りを見渡してみる。チラチラと皆がこちらを見ていた。興味シンシンのその様子から、ギャツビーの発言は本当だったと確信できた。コソコソと皆がウワサ話をはじめた。わたしを見てあからさまに高笑いをはじめた魔女もいる。いたたまれなくなって下を向いた。アレックスに再会してからはずしたダテメガネを、また装着したい気分だ。
「シェリー、ここは空気が悪いわ! さっさと出ましょう! あーあっ! いやらしいったら、ありゃしないわ!」
「レイラ……」
レイラが大声で嫌味を言っても、皆の馬鹿にしたような目つきは変わらなかった。わたしとレイラはルイにあいさつをして食堂をあとにした。
――コツコツコツコツ……。
――コツコツコツコツ……。
「シェリー、気にすることないわ。ウワサはウワサよ! ギャツビーのヤツ! 余計なことを!」
「ありがとう、レイラ……。あなたを巻き込んでしまって申し訳ないわ」
「何があっても堂々としていなさい。あなたはアレックスの正式な婚約者よ。何かの間違いだと思うけど……。でも、万が一のときは、カーライル家に慰謝料なりなんなり請求するのよ。シェリー、負けちゃダメ!」
「レイラ……本当にどうもありがとう」
こんな日がくるとは思ってもみなかった。神さまはなんて残酷なのだろう。わたしを1番の高みまで押し上げ、そこから一気に引きずり下ろした。わたしがいったい、何をしたというのか。辛い境遇にもめげず、がんばってきたというのに。
今までの生き方の、どこが、何が間違っていたのか。いくら自問自答してもわからなかった。
午後の授業を終え放課後を迎えた。
――ガラッ!
「ルイ……」
「シェリー……」
覚悟をしていたはずなのに、ルイの顔を見ただけで暗い予感に胸が痛んだ。彼の申し訳なさそうな表情を見て、余計にそう思った。
「……レイラは?」
「ギャツビーに口止めに行くって出ていったよ。あの……彼女に先に話しちゃったんだ。さっき、会ったとたんに詰問されて……」
「ルイ、いいの。レイラは……自分のことのようにわたしを心配してくれているから……」
「あの……シェリー……。その……」
「お茶でも飲みましょうか。今、いれてくるわね。そういえば……キャロルはどうしたの?」
「彼女はまだ講義中だ。まったく……! レイラがギャツビーに捨てられるとわかっていたら、焦って彼女なんかつくるんじゃなかった……!」
「ルイ! そんなこと言うもんじゃないわ。キャロルはあなたのことを、すごく慕っているわ。大事にしてあげて」
「それはわかってるよ。彼女はいい子だ……。でも、ギャツビーの野郎だけは絶対に許せない! レイラのことだけじゃない。シェリー……君にアレックスのことを言うなんて……」
「……お茶をいれてくるわ」
――ダダッ!
とてもまともに話が聞けなかった。わたしはいつから、こんなに弱い人間になってしまったんだろう。アレックスと恋人になる前は、どんな辛い出来事に遭遇しようとも、跳ね返す勇気があった。ひとりでいても、誰に何を言われようとも、全然へっちゃらだったのに。
なのに、今はどうだ。アレックスの名前を聞いただけで、動揺で手が足が震える。恋なんてしなきゃよかった。つくづくそう思った。
――カチャカチャッ……。
「シェリー!」
「あっ、レイラ!」
よかった。お茶の用意をして実験室にもどると、レイラがもどってきていた。深刻な顔でルイと話し込んでいる。
「シェリー……大丈夫? お茶はわたしがいれるわ」
「レイラ……じゃあ、お願い」
手が震えてきた。カチャカチャとうるさく鳴りはじめたお盆をレイラの手に託し、目の前のイスに座った。
――ドサッ……。
「フーッ……」
思わずためいきが出る。
「シェリー……元気だせよ。男はアレックスだけじゃない」
「ルイ……」
黒い瞳を悲しげに伏せ、ルイがわたしの丸メガネの奥を覗き込んだ。さっき下宿にもどり、メガネを装着してからやってきた。メガネで武装しないと、ルイの話を聞く気にとてもなれなかった。
「ルイ! 同情はやめてよ! シェリーをこれ以上、惨めにしないで! 悪いのはアレックスだけなんだから!」
「ごめんよ、レイラ……。でも、シェリーがかわいそうで……。シェリー……レイラの言うとおりだ。君にはまったく非はない」
「シェリー、まずはお茶を一口飲んでちょうだい。話はそれからよ」
――カチャッ。
「ありがとう……コクンッ……」
レイラからカップを受け取り、紅茶を一口飲んだ。濃い目に入れた茶色の液体が口の中でまどろむ。苦い。今のわたしの心情そのものだ。
わたしは覚悟を決めた。
「ルイ……話してちょうだい……。アレックスのことを……!」
「シェリー……今から話すのは……魔法学部で流れているウワサ話だ。嘘かもしれない。でも……」
「ルイ、はっきり言いなさいよ! 帝都の親戚に遊びに行った学生が聞いてきた話だって! その子1人じゃないわ。何人かの学生が帝都へ行ったときに聞いたウワサ話は、ぜんぶ同じ内容だったってことを! あいまいな話をしたら、かえってシェリーが混乱するわ」
「レイラ……わかったよ。シェリー……実はそうなんだ。何人かがまったく同じ話をしている。それで……信憑性のあるウワサなんだって、魔法学部ではそう思われている」
――カチャッ……。
「ルイ、それって……どんな……?」
紅茶をもう一口すすり、ルイに質問した。とても平常心ではいられなかった。
「シェリー……わたしから言うわ! アレックス・カーライルは……スペンサー公爵夫人の愛人なの。帝都では、周知の事実なのよ」
「……なんですって!」
時間が止まったかのように感じられた。
音が消え、周囲の景色が遠ざかる。
高みから遥か下まで突き落とされた。
地獄の底へと真っ逆さまに。
「シェリー……シェリー、平気?」
「えっ? あっ……ああ……レイラ……ええ、大丈夫よ……」
あまりのショックに放心状態に陥ってしまったわたしの顔を、レイラが覗きこんできた。
「シェリー……これ以上はやめておこうよ」
「いいえ、ルイ……詳しく……教えてちょうだい。知りたいの……何もかも……!」
「シェリー……ただのウワサ話だ。アレックスは学業の合間にスペンサー家の屋敷に通っている。ただ、それだけのことだ」
「それだけ? それだけで……ウワサは立たないわ」
「もう! ルイったら、じれったいわね! シェリー、アレックスは公爵がいないときでも、スペンサー家に通っているのよ! この意味がわかるでしょ?」
「レイラ……でも……何か理由が……」
「そうだろ? ぼくもそう思う。アレックスに限って、シェリーを裏切るような行為は絶対に……!」
「ルイ、思いこみはよくないわ。わたしたち、大学に入ってから知り合ったのよ。その前のアレックスをわたしたちは知らない。シェリーだってそうでしょ? 彼とは何年も離れてたわけだから。ましてアレックスは、その間ずっと帝都に住んでいたのよ」
「でも、レイラ……アレックスとスペンサー夫人の情事を、誰かがちょくせつ目撃したわけじゃないんだ」
「だけど! アレックスは超厳しい魔法学校の勉強の合間に、わざわざ深夜を選んでスペンサー夫人に逢いに行ってるのよ。相手が公爵夫人だから、大学側もアレックスが寮を抜け出すことを黙認しているんでしょ? アレックスには特別にスペンサー家から馬車が用意されてるって、あなたさっき言ってたじゃない!」
「それはそうだけど……」
はっきりと真実を告げるレイラの態度に圧倒され、ルイがちらちらと上目遣いで彼女を見ながら、わたしにしきりと恐縮している。
レイラにもルイにも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ルイ! アレックスはいったい……どこでスペンサー夫人とやらと知り合いになったの?」
「そこまでは……誰にもわからないみたいだ。国立魔法大学は謎が多い。周りから完全にシャットアウトされていて、連絡もいっさい取れない。学生たちは絶対に敷地内から出てはいけないそうだ。万が一脱走したら、厳しい罰則が課せられる」
「罰則? 退学になるってこと?」
「いや……重い罪になるそうだ。その学生の一族も……」
「なにそれ? ゾッとするわ。魔法使いの世界って異常ね?」
「シェリー、これらはあくまでウワサ話ということで……」
「だけど、ルイ! 他学部のギャツビーまで知ってるのよ! これは……由々しき事態だわ! シェリーの名誉に関わってくるのよ! だってシェリーは、アレックスの婚約者なんですもの! シェリー、すぐに帝都へ行って、コトの真相をアレックスに問いただしましょう!」
「レイラ……! そっ、そんなことは……!」
「レイラ! シェリーは来週末、卒業試験だ。それが終わってからにしたほうが……!」
「ルイ! だめよ! だって……シェリーの元には手紙1通、こないんでしょ? なのに、アレックスは女と逢い引きしてるのよ!」
「でも……アレックスが、手紙は大学で禁止されていて出せないって……」
「シェリー、こんなこと言いたくないけど……さっきギャツビーに聞いたんだけど……。彼の婚約者の知り合いに、アレックスと同じ魔法大学に通っている学生がいるんですって。その学生は、フィアンセと手紙の交換や面会をしているそうよ。許婚なら、特別に許されるそうなの」
「そんな……」
「レイラ、それは本当かい? そんな特例があるなんて、まったく知らなかったよ……」
「とにかくシェリー、帝都へ行きましょう! 決断するのはそれからよ!」
「レイラ……決断って?」
「なに言ってるの、シェリー! しっかりしてちょうだい! あなたらしくないわよ。もちろん、アレックスとの婚約を破棄するのかどうかの決断よ!」
「アレックスとの……婚約を破棄……ですって!」
「そうよ。このままでは、あなただけが一方的に傷つくだけだわ!」
「わたしだけが……」
マッキントッシュ教授と同じ言葉をレイラが口にした。
わたしはレイラから、人生から、決断を迫られていた。




